第37話:寿命
翌日、俺はまだ残っている身体のだるさを引きずりながら、登校した。
ふと、隣の席の五十嵐と目が合う。
「おはよう、五十嵐」
俺がいつも通りそう挨拶すると
「今朝もなんだかだるそうね? 夜にいけないことでもしているのかしら」
五十嵐も、相変わらずな感じで挨拶を返してきた。
以前、彼女がこう言ったのを思い出す。
自分の目的を果たすにはどうしても【金属色】の力が必要なのだ、と。
五十嵐はすべて知っているのだろう。
自分の兄が今回のシェルブレイク事件に関係していることを。
だからシアンと契約したに違いない。
どうして俺に言ってくれなかったんだろう。
……やっぱり身内のことだから、言いたくなかったんだろうか?
「? ぼうっとして、どうしたの?」
五十嵐のその声で我に返る。
「ああ、いや」
俺は慌てて席に着いた。
でも、とりあえず俺たちが決めた今後の方針を彼女にも伝えておく必要があるだろう。
そう考えて、
「五十嵐。昼休み、ちょっといいか?」
彼女にそう伝えた。
昼休み。
以前彼女に連れてこられた屋上付近の階段の踊り場で、俺たちは落ち合った。
そして昨日の出来事を彼女に話した。
「……そう、聞いたのね。うちの愚兄のことも」
五十嵐は冷ややかに、そう言った。
「仕掛けるときは教えてくれる? あいつだけは私が斬らないと気が済まないから」
五十嵐が、いつにも増して怖い。
もしかして、相当嫌いなんだろうか、お兄さんのこと。
俺がそんな顔をしているのを察してか、五十嵐はふと自嘲気味に微笑んだ。
「瀬川君は妹さんと仲がいいからあまり分からないでしょうね、こういうのは」
五十嵐は淡々と続けた。
「兄は何をさせても完璧にこなす人だったわ。幼い頃はそんな兄を尊敬していたけど、歳をとる度に全部嫉妬に変わっていった」
……兄弟に対する嫉妬、か。
確かに、比較はされやすいと聞く。
俺の家は綾がまだ小学生だから、そういうことはないんだけれど。
「父もそんな兄を可愛がっていた。……だっていうのに、兄は家を出て行くとき、私に見せ付けるように父をシェルブレイクさせていったのよ」
思わず、息を呑んだ。
……実の親を、シェルブレイクさせた?
どうして。
「父はまだ目覚めていない。兄があの時正気だったのかそうでなかったのかはよく分からないけど、それだけはどうしても許せないの」
五十嵐は静かな、しかし確かな怒りを込めてそう言った。
……すぐ近くに、いたんだ。
シェルブレイクされて昏睡状態になったままの家族を、いつ目覚めるのかと待ち続けている人が。
彼女の家の異様な静けさには気付いていたのに、踏み込んで訊いてやれなかった自分が情けなくなって、俺はじっと黙り込んでしまった。
「……それにしても神様に喧嘩を売ったりだとか境界の改革だとか、ひどく話が大きくなってしまったわね」
五十嵐がふとそう言ったので、俺は苦笑気味に同意する。
すると、彼女は俺をじっと見つめてきた。
「……何?」
「いえ、別に。あの結崎徹と戦ったって聞いた時から怪しいとは思っていたけど、貴方までアクティブブレイクを起こすなんて、と思っただけ」
五十嵐はそう言って、目を伏せた。
その表情が、どこか悲しげなものに見えて、なんだか申し訳なくなってしまった。
彼女にしてみれば、アクティブブレイクは『悪』だろう。
それを起こした奴が目の前にいるんだから、気を悪くするのは当然だ。
「……やっぱり五十嵐も、俺が戦いに行くのは危ないと思うか?」
俺がそう問うと、彼女は即答した。
「そんなの、分かりきったことじゃない。戦闘経験も乏しい貴方が敵の親玉に殴りこみに行くんでしょう?」
……ああ、そっちの話か。
……それはそれですごく頼りない奴だと思われてるみたいで少し傷つくが。
「いや、その。アクティブブレイクで俺がおかしくならないかって意味で」
俺がそう付け加えると、彼女は少し、きょとんとした。
真面目な話をしているつもりだったのに、そういう顔をされると逆になんだか、困ってしまう。
俺がそんな顔をしているのを察してか、
「あら、ごめんなさい」
五十嵐はそう謝罪した後、どこか笑みを含んだ顔で
「悪いんだけど、貴方がおかしくなってる姿、想像がつかないのよ。瀬川君、いつもぼうっとしてるじゃない?」
そんなことを言ってきた。
「お、俺だっていつもぼうっとしてるわけじゃないぞ!」
少々むきになってそう言うと、五十嵐はふと、あの妖艶な、女王様スマイルを浮かべた。
「へぇ? じゃあ瀬川君でも理性の箍が外れる時とかあるのかしら?」
「……ぇ、いや、それは……」
こちらが返答に困っているのを見て、五十嵐はさらにたたみかける。心なしか、彼女との距離まで狭まってきている気がして、変な汗をかき始めた。
「そうよね、瀬川君も一応男の子ですもの。別に恥ずべきことではないわよ? ……まして周りに美人のティンクチャーが揃えば我慢も辛いでしょう」
なんだろう、この追い詰められている感じは。
そんなことを言われると、ふと、オーアと同じベッドで寝た夜のことを思い出してしまった。
眠るのにやけに時間がかかってしまった自分。
一方、布団に入ってすぐ眠りに入った彼女を少々恨めしく思った。
……人の気も知らないで、と。
確かに、ベッドに誘ったのは自分だが、まさか乗ってくるとは思わなかったし、その……俺があの晩どれだけ歯を食いしばるような思いをしたかなんて、あいつは分かっていないんだろう。
……極めつけは翌朝だ!
アージェントの言うとおり、やっぱりあいつは警戒心がなさすぎる!
そんなことを思い出して、顔が真っ赤になってしまっているのが自分でも分かってしまった。
すると、そんな俺を見た五十嵐はぱたりといつもの顔に戻った。
「まあ、空気は読むことね」
彼女はそんな意味深な言葉を残して、階段を降りていった。
そんな背中を呆然と見送りながら、俺は思う。
俺、空気読めてないんだろうか、と。
放課後。
その日も先週に引き続いて塾は臨時休業で、俺は帰宅するとすぐにジャージに着替えた。
すると
「サツキ。……もしかしてまたアージェントと修行か?」
オーアが部屋の扉からじとっとした目で俺を見てきた。
「え。ああ」
オーアには悪いが、教えをアージェントに請うたのはこっちだから、今更先生を変えるわけにはいかないのだ。
が、やはりどこか納得の行かない顔で見つめてくる彼女に
「オーア、勉強さんきゅな。お前のお陰で学校の授業、大分楽になった」
そう、礼を言っておいた。
これは別におだてではなく本心だ。
するとそれが伝わったのか、彼女は一瞬目を丸くした後、照れるように顔を背けて
「当然だ。……怪我、しないようにな」
それだけ言って、綾の部屋のほうへ去っていった。
「……さてと。じゃあ俺も行くかな」
俺は気合を入れて、雑木林に向かった。
五月が家を出てから半時間ほどが経過した頃。
綾の部屋でオーア、クリムロワ、綾がトランプをしていたところ、
「ねぇねぇ。なんか最近お兄ちゃん、怪我だらけだけど何かやってるの?」
綾がそんなことを言った。
オーアとクリムロワは目を合わせた。
「サツキはほら、あれですよ。体力をつけるためにアクティブなスポーツをやってるですよ」
クリムロワがそう言い繕うと
「へぇー? お兄ちゃん今まで運動とかしてこなかったのに、どうしたのかな」
綾は不思議そうな顔をした。
「サツキが心配か?」
オーアがそう尋ねると、綾は微妙に首をひねって
「んー。心配といえば心配、なのかなあ? お兄ちゃんそもそも運動音痴だし。せっかく絵上手いんだから絵描いたらいいのにね」
そう言った。
「絵? サツキ、絵を描くですか?」
その事実を全く知らなかったクリムロワは目を丸くして尋ね返した。
「そうだよ。お兄ちゃん中学のとき美術部で、家でもずっと描いてたよ。あんまり見せてくれなかったけど、学園祭に行ったときに見た絵とか、結構上手かったと思う」
綾の言葉に、オーアは胸のうちで同意していた。
彼には夢中になっていたものがあるのだから、無理に苦手な分野で頑張らなくてもいいと、彼女だって思っているのだ。
けれど彼は、後悔したくないから、という理由で自ら戦いに身を投じた。
その決意に水を差したいわけではないが、やはり、無駄に負傷させるのは忍びない。
アージェントの厳しすぎる指導の仕方を、せめて補正しなければ。
そう思って、彼女は立ち上がった。
「姉さま? どうしたですか?」
クリムロワが見上げてくる。
「ちょっと出てくる。留守番、頼むな」
オーアはそう言って、外へ出た。
しかし、外へ出たはいいが一体彼らはどこで修行をしているのだろう、という点で躓いた彼女は、住宅街周辺をうろうろとする羽目になった。
アージェントのことだから、恐らく目立たない場所を選んでいるのだろうと推測して、彼女はふと住宅街の裏手にある雑木林を思い出した。
――あそこなら。
そう思って、踵を返したとき。
「――こんにちは。いえ、そろそろこんばんはですかね、ホーテンハーグ?」
オレンジ色を飲み込む紺色の空を背負って、白い男がそこに立っていた。
見覚えのある顔だった。
以前見たときよりも、幾分か生気を感じさせるが。
「……エルダー」
まさか、これから打倒しようと考えている相手が目の前に現れるとは思っていなかった彼女は、思わずその場に硬直した。
「おやおや。そう硬くならなくていいですよ? 今日は貴女に手を出すつもりはありませんから、安心してください」
男は丁寧にそう言った。
「……だったら、何をしに来た」
彼女は必死に、冷静を装った声を絞り出す。
手を出さないと言われながらも、彼女の緊張はまったく解けなかった。
むしろ鼓動の速さが増している。
当然だ。
今の彼女はあまりにも無力。
彼から少しでも攻撃を受ければ、あっけなく死んでしまうのは自明の理だった。
男は彼女のそんな様子を見て言う。
「必死に強がってみせるその姿、実に良いですね。とある秘薬を手に入れて若返った今ならなんとなく、君に恋慕の情を抱く者が多かった理由が分かります」
男はうっすらと笑みを浮かべた。
「組み敷いて、壊したくなるタイプというのでしょうか。懸命に輝いている君を見ていると、どうしても汚したくなるんですよね」
不躾な言動に憤りを感じながらも、彼女は黙っていた。
すると思い出したように、男は言う。
「そういえば、エメラ・フェリエッタがそちらに寝返ったようですね?」
その言葉には、流石にオーアも動揺を隠せなかった。
「……彼女に報復でもするつもりか?」
彼女がそう尋ねると、男は意外にもいえいえと軽く首を振った。
「彼女が君たちのところに行った時点で、寝返る確率はほぼ100パーセントでした。これは想定の範囲内の出来事です」
男は続けた。
「結局、私の理想を分かってくれる者は紅葉しかいないわけですね。残念です」
残念、と言いながらも男は愉しそうに笑っているように見えた。
「ちょっと待て。エメラの話だとお前には0番隊というものがついていると聞いているが」
オーアが口を挟むと、彼はふと肩をすくめた。
「ああ。境界の秩序が乱れ始めたのを憂えて、私に付いてきたあの者たちですか。彼らはすでにいませんよ。私が全て殺しました」
まるで、大したことではないように、男はそう言った。
「……なん、だと?」
彼は言う。
「君を陥れて、境界の秩序崩壊を目論んだのが私だと知って、彼らは私を殺そうとしました。これは正当防衛です。でも良かったですね、彼らは君に同情していましたよ」
オーアは彼の恐ろしさを改めて認識した。
仮にも、自分について来た者をそうも容易く殺せるのか、と。
それをまた、淡々と、むしろ愉しそうに喋るこの男は一体なんなのか、と。
「……おっと、無駄なことばかり喋ってしまいましたね、すみません。今日は貴女にお伝えしたいことがあって来たのですよ」
男はあっさりと、話を転換した。
オーアは握った拳を震わせながらも、この場に耐える。
「あの少年……瀬川五月君、と言いましたね」
そこで唐突に彼の名前が出て、オーアは思わず動揺した。
「サツキが、どうした」
オーアの声が震えていた。
そんな様子すら愉しむように、男は続けた。
「結崎徹と全力で戦った君が今もこうして生きながらえているのは、あの少年の生命エネルギーを分けてもらったからですよね?」
改めて男から示されたその事実を、オーアは苦い顔で肯定する。
すると男は、さらに鋭く、突き刺さるような事実を彼女に突きつけた。
「彼の寿命、相当減っていますよ? 冥界で手に入れた特殊なレンズで確認しました」
その言葉に、肩が震えた。
……相当、減っているということは分かっている。
だがそれがどの程度なのか、彼女には見当がつかないのだ。
「……どのくらい、なんだ」
オーアはか細い声で尋ねた。
男はにたりと笑ってから、答えた。
「普通に生活して、あと5年くらいしか持ちません」
揚羽の次に動かしやすいキャラは実はエルダーだったりします(このドSめ)。
今後は特に私の趣味に走りまくった展開が待っていると思うので「気が合うね!」と思われた方は是非お楽しみに(←)。
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