第34話:揚羽の目的
その言葉に、シアンは目を見開いた。
「……お前、会ったのか? あいつに」
今度は彼のほうがアージェントに尋ねる形になっていた。
「その様子だとあの男が生きているということは知っているようだな。なぜ知っている」
探るようなアージェントの問いに、シアンは我に返った。
そして、いつもの笑みを見せる。
「……俺の前に現れたからだよ。3年前の話だが」
アージェントは黙って彼の話を聞くことにした。
「お前も知ってるだろうが、俺の一族は3代前に人間と過ちを起こして落ちぶれた。が、まだ前線でこうして動けるのはあのエルダーが良くしてくれたお陰だ。先代からもあいつには礼を尽くすようにと散々言われたよ」
境界の長老は、寿命が果てしなく長い。
それこそあの白い男は境界が創世された当時から存在していたという。見た目こそ落ちぶれないが、身体的には衰えていた彼の世話係になっていたのが、シアン・ダーザインだった。
「3年前、あいつは確かに死んだ。俺が看取ったんだからな」
……だが、と彼は続けた。
「それからしばらくして、だ。あいつ、俺の前に現れたんだよ。あいつ、すっかりぴんぴんしてた。若返ったみたいにな」
わざとらしく肩をすくめるシアン。
そんな動作はいらんとでも言わんばかりにアージェントが彼を睨むと、シアンは続けた。
「それで、何て言ったと思う? 『私と共に新しい世界を造りませんか?』だってよ。意味が分からねえって言ったら、あいつ、笑って消えてった」
途端、シアンの表情が曇る。
「その後すぐだ。ホーテンハーグがああなったのは」
アージェントは彼に近づいて、その胸ぐらを掴んだ。
「……貴様。あいつが謀ったということを、なぜ黙っていた」
アージェントの眼は静かに怒っていた。
が、シアンもひるまない。
「言ったところではぐれ者の俺の言うことなんか誰も信じなかっただろうよ。あんときは皆狂ってやがったからな」
アージェントは舌打ちして、手を離した。
確かに、あの時の境界の空気は異常だった。
彼1人が何か言ったところで、あの空気は変えられなかっただろう、と、彼女自身も悟ってしまったのだ。
「……それにエルダーの目的もいまひとつ分からないままだったからな、こっそり地上に降りて調べてたんだ。……それで」
シアンが揚羽のほうを見る。
アージェントがなんだ、と促すと
「こいつに会った。アゲハは空を飛んでる俺を見ても驚かなかった。何か知ってやがると思って聞いてみたら……」
シアンが言いかけた先を、今度は揚羽が続けた。
「その、エルダーとかいう男、この家にいたのよ」
その言葉に、アージェントは目を丸くした。
「……どういうことだ、それは」
揚羽はただ淡々と答える。
「3年前、兄が突然家に連れてきて、しばらくの間住まわせていた白髪の男。なんとなくだけど、当時の私でもあれが人間じゃないことは分かっていたわ。……そして最後には、私の目の前で2人は父をシェルブレイクさせて姿を消した」
アージェントは息を呑んだ。
故意に、人間をシェルブレイクさせる力。
この話が本当なら、もしかすると。
「……アゲハの兄貴は恐らくアクティブブレイク因子を持ってたんだろうよ」
シアンが彼女の憶測を言葉に示した。
「……仮にそうなら、諸悪の根源はエルダーと、そこの女の兄ということになるが」
冷たい現実をアージェントが口にしても、揚羽はしっかりと頷いた。
「私はまだ目覚めない父を起こすため、兄を止めるためにシアンと契約したのよ。……でもまだ力が足りない。だから」
彼女はアージェントに言う。
「私は【金属色】が欲しいの。……力を貸してくれないかしら、ミリオンハーグ」
アージェントはしばらく沈黙した。
そして。
「……私は人間とチャージするつもりはない」
そう、言い放った。
揚羽は溜め息にもならない、小さな息を吐く。
予想はしていたことだった。
しかし。
「……だが、お前に力を貸す価値があると判断したときは、1度だけ力を貸してやる」
アージェントはそう付け加えた。
揚羽は俯きかけた顔を上げる。
「言っておくが私の目は厳しいぞ」
そう告げて背中を向けた銀色のティンクチャーに、揚羽は言った。
「望むところよ」
その言葉にアージェントは微かに笑みを見せ、その場を後にする。
ただ、ひとつ疑問が残っていた。
エルダーは用意周到だ。
境界の秩序を乱してからことを起こしたほどなのだから。
だから、仮に人間と手を組んでいたとしてもそれだけの戦力で動いているとは考えにくかった。
(……地上に、もしくはティンクチャーの中に仲間がいると思ったんだがな。ダーザインではなかったか)
読みを外した彼女は渋い顔をしながらも夜空を見上げる。
星は散り散りに、かすんだようにしか見えなかった。
「……虚しい時代になったな」
彼女はそう、ひとりごちた。
翌日。
俺は朝7時からオーアに起こされて、今度は勉強机に向かうことになった。
「今日1日で、学校を休んだ分の遅れを取り戻すんだ」
オーアは妙に張り切っていた。
「……うー」
俺は寝ぼけ眼をこすりながら教科書を開く。
正直、まだ身体がだるいし全身筋肉痛だ。
出来れば1日ごろごろしていたいのだが。
「出来るだけ簡潔に、要点だけ教えてやる。早く終わればその分だけ休ませてやるからな」
オーアのその言葉を信じて、俺はシャーペンを手に取った。
時計は正午前。その頃には最後の科目、数学に移っていた。
計算問題を解く。
「……おいサツキ、そこ違うぞ」
オーアが指摘した。
「そこってどこだよ」
ノートにはそこらへんに計算式を書いているのでどこのことを指摘しているのかわからない。
「ここだ」
オーアが身を乗り出して問題の部分を指差す。
「単純な足し算のミスだ。そろそろ集中力も切れてきたか?」
からかうように笑うオーアに
「なんだよ。朝からぶっ続けてたらそれくらい……」
文句を言おうとしたのだが。
かちり、と目が合う。
妙に、顔が近いことに気がついて、次の言葉が出てこなくなってしまった。
視線が、外せない。
それは彼女も同じようだった。
……変だ。
前の授業のときだって、これくらい近づくこともあったのに。
「…………」
オーアはなんとなくばつが悪そうに、さっと椅子に戻った。
すると。
「お兄ちゃん、お昼ご飯できたってー」
綾が入ってきた。
「お、おう」
俺は逃げるように席を立つ。
すると
「サツキ。今日の授業はここまでにしよう」
後ろで、オーアがそう言った。
五月たちが部屋を出て行ってから、彼女は溜め息をついた。
先刻のことを思い出すと、妙に気恥ずかしくなって顔が火照る。
(……どうも変だな。外の空気でも吸いに行くか)
オーアがベランダのほうに出ようとすると
「姉さま? どこかに行くですか?」
クリムロワが部屋に入ってきた。
髪があらぬ方向にはねている。どうやら彼女が朝から五月に付きっ切りだったせいで、退屈して寝ていたらしい。
「少し外の空気を吸いに行くだけだ。お前も来るか?」
オーアが誘うと、少女はぱっと笑って頷いた。
2人が住宅街の周りを歩いていると、向こう側からブラックが歩いてくるのが見えた。
「げ」
クリムロワはさっとオーアの影に隠れる。
オーアは苦笑した。
「隠れなくてもいいのに〜。相変わらず恥ずかしがり屋さんだねえ、クリムは」
ブラックはひょいっとオーアの後ろに隠れた少女を覗き込んだ。
「きもいです! 近寄るなです! ていうかよくあれで生きてたですね!」
クリムロワがげしげしとブラックの足を踏む。
つい3日前、アージェントに容赦ない鉄拳をお見舞いされた彼は気を失い、その日は瀬川家の納戸に放置されていたが、翌朝になってみると彼は忽然と姿を消していたのだ。
「てっきりポックリ逝ったかと思ってました」
クリムロワがそう言うとブラックは朗らかに笑う。
「あはは。あれくらいじゃ僕は死なないよ〜。クリム、心配してくれてたんだ?」
「んなわけないです!!」
クリムロワが叫んだその時。
「今度こそ永眠しろ」
冷えた言葉が降ってくる。
殺気を感じてブラックが身を引くと、空から銀の槍が降ってきた。
「ひぃいい!?」
地面に敷かれたブロックを貫通して深々と刺さったそれを見て、ブラックは腰を抜かす。
槍の主が地面に降り立った。
「……アージェント。お前は神出鬼没だな」
その姿を見て、オーアは溜め息をついた。
ふんとアージェントは鼻を鳴らす。
するとクリムロワがオーアの袖を引っ張って
「違うですよ姉さま。アージェントは姉さまがいるところに現れるですよ」
そんなことを言った。
「!? なにを……」
アージェントが狼狽したのを見て
「? そうなのか?」
オーアが首をかしげる。
アージェントは顔を赤くして
「違う! この男の周りをお前がうろついてるだけだッ!」
そう叫んだ。
すると。
「でも貴女がブラックを目の敵にしてるのはオーアを守るためなんでしょう?」
そんな、女の声がした。
その場にいた4人は一斉に声のしたほうを見る。
そこには、鮮やかな、長い緑色の髪の女性が立っていた。
「……エメラ?」
オーアが放心状態で彼女の名を呼んだ。
彼女が驚くのも無理はない。
エメラ・フェリエッタは1番隊の連絡係で、職務上、常に境界にいなければならないはずなのだ。
「あ! やっぱり昨日の、エメラだったんだ! こっちにいるはずないと思ってたから人違いだと思ってたよー」
ブラックだけが能天気にそう言った。
「どうしてエメラがここにいるですか!? ついに職務放棄ですか!? 冥界に追放されるですよ!」
クリムロワがそうまくし立てても、彼女はかまわず4人に近づいた。
「職務放棄上等よ。いい加減デスクワークにも飽きたのよね」
歩み寄る彼女を、アージェントが制止するように前に出た。
「……待て、フェリエッタ」
尋常ならぬ彼女の様子に、他の3人は黙り込んだ。
「何かしら? アージェント」
いつもの、作り物のような笑顔を見せるエメラ。
「お前も確か、エルダーに世話になっていた口だったな」
アージェントがそう言うと、エメラは首をかしげた。
「何の話? エルダーってあのエルダー?」
オーアもクリムロワも、似たように怪訝な顔をした。
どうしてそこで長老の話が出てくるのか、と。
「…………」
アージェントは周りの状況を見て、エメラの腕を掴んだ。
「話がある。来い」
彼女が他の3人に聞こえないようにそう言うと、エメラはうっすらと笑みをこぼして
「……相変わらず優しいのね。オーアには言ってないわけか」
そう、囁いた。
「!!」
アージェントが反射的に槍を手にしたときには、エメラは後ろに跳んでいた。
「おい!?」
何事かとオーアが声を上げる。
すると、エメラは狂ったように笑い出した。
「暇すぎて死にそうだった境界で貴女たちのじゃれあいっぷりを見るのも楽しかったんだけど、そんな生活ももう終わりね」
そう言い放った彼女の隣に、泥のようなネイチャーの塊が1体現れた。
「!!」
何も知らなかった3人は目を見張る。
「どういうことですか!?」
クリムロワは狼狽していた。
「見たままの通りよ、クリムロワ。私はスパイだったの。問題児揃いの1番隊、けれど実力はどこの隊よりも上だったからね、行動を把握するように言われていたのよ」
エメラはそう言って肩眼鏡を外した。
そこにはいつもの笑顔はない。
真顔の彼女が、そこにいた。
「……おいアージェント。お前何か知っているだろう」
オーアがアージェントに問い詰める。
「今起こっているシェルブレイク現象は3年前とは違って明らかに人為的なものだ。仕組んでいる奴がいるんだな?」
そこまで言われて、アージェントはしぶしぶ答えた。
「……黒幕は3年前死んだエルダーだ」
その言葉に、オーアは目を見開いた。
「……エルダーが?」
昼食を食べ終えて2階に戻ると、部屋には誰もいなかった。
綾の部屋も覗いてみたが、クリムの姿すらない。
「……出掛けたのかな」
そうこぼしたとき、妙に気が張り詰めた。
――?
微かだが、首筋まで痛み出す。
――何か、あったのか?
俺は何も考えずに、外に飛び出した。
5日ぶりが久しぶりに思えますあべかわです。
ようやく揚羽の目的も明らかになり(長かったなー)、そしてチョイ役かと思えたあの人がまさかの再登場(忘れられてる?)。
そろそろ折れそうな私の心をガムテープで補強しながら最後まで走り続けます。
……この作品が終わったらしばらくROM専になってやる……!
いつも読んでくださっている方々、ありがとうございます!