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第32話:修行

 白い男はアージェントの言葉に、軽く頷く。

「ええ、確かに私は死にました。境界を支える長老エルダーとしての私は、ね」

 男の言っていることの意味が、俺には理解できなかった。

 けれどアージェントは不穏な空気を募らせていく。

「……どういう意味か、説明してもらおうか」

 彼女はそう言って、瞬時に槍を構えた。

 すると白い男は笑って

「相変わらず短気ですね、君は。昔からよくお姉さんと喧嘩していたのを思い出します。すさまじい喧嘩でしたからね、止めに入る周りのティンクチャーが私のところによく愚痴をこぼしに来ていました」

 そんな、思い出話のようなものをこぼした。

「そんなことは聞いていない。私の質問に答えろ、エルダー」

 アージェントが苛立たしげに催促すると、男はふと俺を見た。


 身体が瞬時に強張る。

 その金色の眼には、言い知れぬ迫力があった。


 男はそんな俺の反応を見て、笑うように目を細めた。

「そこの少年に興味がありましてね。かなり高度なアクティブブレイクを見せてくれました」

 そう言った途端、男の姿が消えたかと思うと、俺のすぐ目の前に、男が現れた。

「!?」

 驚いて下がろうとすると、男の手が俺の頬に触れる。

 そして、俺を見定めるように、その蛇のような眼で俺の眼を覗き込んだ。

「畏怖が見えますね。私がそんなに怖いですか?」

 男の声が、頭の中に直接響くように聞こえてくる。

 まるで別の世界に引き込まれていくようだ。

「……特異な気丈さがあるわけでもなさそうだ。君は本当に、典型的な人間。そうでしょう?」

 問いかけ、なのだろうか。

 男はそんなことを言ってくる。

「けれど君は自らの殻を破った。……ああ、実に素晴らしい。君こそこれから始まる新しい時代の象徴になるのでしょうね」

 男が恍惚とそう言った、その時。


「エルダー! そいつから手を離せ!」

 アージェントの声で俺の意識は現実に引き戻される。

 気付けば、アージェントが男の首もとに槍の切っ先を突きつけていた。

 しかし男は余裕げに笑う。

「規則に従順な君がアクティブブレイクを起こしたこの少年を処分しないで放置しているのはどうしてですか?」

 男はそう言って、俺を盾にとるように引っ張った。

「!」

 それを見たアージェントは僅かに槍を引っ込める。

 男は続けた。

「大方、ホーテンハーグに命じられたからでしょう? なんだかんだで君は、お姉さんには甘いですからねぇ」

 アージェントは悔しげに男を睨んだ。

 男はそれを愉しむように、言った。


「そんな君にいいことを教えてあげましょう。君の大事なお姉さんをめたのは、この私です」


 その言葉に、アージェントは愕然とした。

 それは、俺も同じだ。


「私の目的を果たすためにはまず境界の秩序を乱す必要があったんですよ。そのために、ホーテンハーグには失墜してもらいました」

 男は笑い事のように、淡々と述べる。

 アージェントは怒りを顕にした。

「……ッ!」

 彼女が動く前に、俺が怒りに任せて男に掴みかかろうと後ろを振り返った瞬間、男の姿は忽然と消えた。

「今は私に憎悪を覚えるかもしれませんが、いずれ君たちにも分かるときが来ますよ。そう、ホーテンハーグにも」

 そんな声だけが微かに聞こえて、男の気配はすっかりなくなってしまった。


 呆然と立ち尽くす、アージェント。

 彼女に聞きたいことは沢山あるのに、言葉が出ない。


 あいつが誰だとか、全然知らないけど。

 恐らく境界の関係者、もしかしたらティンクチャーなのかもしれない。

 そんな奴が、オーアを嵌めたって……。


「……このことは、あいつには言うな」

 アージェントは、俺にそう言った。

 あいつ、とは勿論オーアのことだろう。

「でも……」

 俺が口を開きかけると、アージェントは俺をぎろりとにらみつけた。

「言ったら殺す」


 それは、本気の眼だった。

 あの男が言ったとおり、アージェントはオーアのことを大事に思っている。

 確かに、仲間に嵌められたなんて知ったらオーアは傷つくだろう。

 俺も、そんな彼女の顔は見たくない。


「じゃあ、どうするんだ。あの男、絶対にまた何か仕掛けてくるぞ」

 俺が問うと、彼女はじっと、上から下まで観察するように俺を見た。

「……なんだよ」

 すると彼女は

「エルダーはお前を狙っているようだった。仕掛けてくるとすればお前に、だ」

 そんなことを言った。

「……な」

 確かに、そんな気もするが。

「俺にどうしろって言うんだよ! まさか死ねってか!?」

 俺が喚くと、彼女は容赦なく俺の頭を槍の柄で殴った。

「ってェ!?」

 じんじんと痛む頭を抱え込む俺を見て、彼女は冷ややかに

「死んでくれたらくれたで私は一向にかまわない。余計な面倒ごとが減る」

 そう言い放った。

「ひどッ!? 面倒ごと!?」

 痛みのあまり涙すら目に浮かぶ。

 冗談っぽくないせいか、五十嵐の毒舌よりもダメージが大きい。

 すると

「……だがしかし、あの言い草だとあの男、お前を必要としているようだったな」

 アージェントはそんなことを呟いてから、俺に向き直った。

「――選べ。ここで私に殺されるか、あの男を殺すか」


 ……なんだ、その極端な選択肢は。

 そんなの、決まってるじゃないか。


 俺が答えると、彼女は微かに、笑みを浮かべたような気がした。






 翌日。

 その日は土曜日で、休日だった。

 にもかかわらず、俺は早朝に起きてこっそり外出した。

 目指す先は住宅街の裏手の雑木林。

 いつぞや中等ネイチャーと戦った場所だ。


「……遅いぞ」

 周りは落ち葉の絨毯なのに、そこだけは地面がはだけていて、木も植わっていない。そんな不自然に開けたその場所に、アージェントが立っていた。

「……なあ、ここ、どうしたんだ?」

 半径10メートルくらいはまるで整備されたグラウンドのようになっている。

 いや、切り株はところどころにあるのだが。

「お前が来るのが遅いから、待っている間に少々掃除をした」

 そう言うアージェントが担ぐ槍の先には、多少土が付いている。

 ――まさか、槍1本でここまで……?

 俺が憶測していると、彼女は俺の装備をじろりと見て

「手に持っているそれは何だ」

 そう尋ねてきた。

「え、いや、木刀とかあったらよかったんだけど、家にはなかったから新聞紙を丸めてみた」

 俺は苦笑を浮かべながら、その即興の棒を掲げる。

 ちゃちっぽいが、ないよりはマシだと思ったのだ。

 しかし

「戯け。そんなもの、すぐに破れる」

 彼女はぴんと、俺の手から新聞紙の棒を弾いた。

「……すみませんでした」

 とりあえず、謝るしかない。

 今から彼女に教えを請おうとしているのだ。


 昨日の彼女の問いに、俺は勿論あの男を倒すと答えた。

 すると彼女はこう言った。

「……貴様には技術がてんで足りていない。あんな無茶苦茶な剣の振り方では、いくらスピードがあっても無駄が多すぎて隙を突かれる」

 だからお願いしたのだ。

「俺に戦い方を教えてくれ」

 と。


 快諾、というほどではないが思いのほかすんなり了承してくれたアージェントは、翌日ここに来るよう指定して、今に至る。

「……断っておくが」

 アージェントが口を開いた。

「私の専門は槍だ。剣の使い方など知らん」

「……は?」

 いきなりのそんな発言に俺は思わずそう漏らした。

 すると彼女はいかにも不機嫌そうに顔をしかめた。

「お前は『戦い方を教えろ』と言っただろう。私が教えられるのはその程度だ。……まあ」

 彼女はそう言いながら、左手に長い棒を出現させた。

「得物を持って訓練するほうがより実戦には近いだろうから、これを貸してやる」

 そう言われて放り投げられたその棒を受け取る。

 細手の見た目に反して、ずしりと重い棒。鉄のようだ。

「とりあえず構えからだ。構えろ」

 アージェントの指示に、とりあえず黙って従う。


 ……棒の長さ的に考えて、これは剣というより槍と見たほうがいいのだろう。

 ――剣の振り方を教えて欲しかったんだけどなあ……。

 そんなことを思いながらも、俺はそれを構えた。


 すると。

「……なんだ。構えはそこそこ様になっているじゃないか」

 意外にも、アージェントは少々驚きをこめた声で、そう漏らした。

「長柄のものを扱ったことがあるのか?」

 アージェントの問いに、俺はふと思い出した。

「ああ、そういや小学生のとき、ばあちゃんの家で薙刀を持たせてもらったことがあったな」

 でも6年生のときの1回きりだ。父さんが尖端恐怖症で、俺が薙刀を持った姿を見て卒倒してしまったのでそれ以降は持たなくなった。

「ほう、薙刀か。そういえばこの国の武器だったな。あの形は私も好きだ」

 妙に、アージェントの機嫌が良くなった気がする。

 やっぱり、自分の武器に関連するものには興味があるのだろう。

 ともかく、僥倖だ。

「で、次は何をすればいい?」

 指示を仰ぐと、彼女は顔を引き締めた。

「とりあえず突いてみろ。溜めの時間に気をつければ、振るうよりも隙が小さい」

 そんな彼女の指示に従って、修行は始まった。






 朝7時。オーアとクリム、綾の3人がサツキの部屋を訪れた。

 が、彼の姿はなく、代わりに机の上に1枚のメモが置かれていた。

「……『今日は1日出掛けてくる』? なんだこれは」

 オーアがメモを読み上げると

「出掛けるって、どこに出掛けたですか? まだこんなに早い時間なのに」

 クリムが尋ねるが、メモにはそれ以上のことは書いていないので、オーアは肩をすくめた。

「……私たちに隠し事でもしてるのかなあ?」

 綾がそう憶測すると、クリムはぽんと手を打った。

「デートです! きっとサツキはデートに行ったですよ!」

 それを聞いたオーアは苦笑した。

「デート? 誰とだ?」

 すると綾が

「……もしかして、あげはさん?」

 そう言い出した。

 クリムも付け足す。

「なんだかんだ言って仲よさそうでしたからね。なんでもない友達にわざわざ料理まで作って帰るですか? 仮にも高校生ですよ?」

「え、やっぱりクリちゃんもそう思った? 怪しいと思ってたんだー! やっぱりそうなのかな!?」

 きゃー、と綾がはしゃぎだす。

「アゲハか。はは、なるほどな」

 そう漏らすオーアの屈託のない笑みに、クリムは内心ほっとしていた。


 彼女は真剣に、心配しているのだ。

 2人の間に、間違いが起こらないかを。


「仕方ない、今日は私たちだけで昼ごはんを食べに行こう」

 オーアの言葉に、2人は歓声を上げる。

 ふと、彼女が目を伏せたことに、2人は気付かなかった。






 太陽が空の真ん中に差し掛かろうとしていた。

 俺はぼんやりと、仰向けになってそんな空を眺める。


 半日動いただけで、なんだろう、この疲労感は。

 1年分の体育の授業を半日に凝縮したような疲労感。

 腕は痛いし身体は痛いし、とにかくもう動けない。


 そんな時。

「……いつまでへばっている。食え」

 顔の上にビニール袋に入った何かが降ってきて、俺は反射的に目を閉じた。

 ゆるゆるとそれをつまんで確認すると、それはあんぱんだった。

 見ると、傍らでアージェントが座り込んであんぱんにかぶりついている。

 そういえば、昨日はどらやきを食べていた。

「……あんこ、好きなんだ?」

 俺が何気に問うと、彼女は微かに頷いた。


 疲れすぎて食欲すら出ないが、せっかくの彼女の厚意だ。口にしなければ殺されそうだ。

 俺はなんとか身体を起こして、コンビニかどこかで買ってきたらしいそのあんぱんの袋を破る。

 ひとくち食べると甘さが頬に染み入って、なんとも言えない幸福な気分になる。それで、少し胃が刺激されたような気がして、案外ぺろりと食べきれた。

「……なあ、聞きたいことがあるんだけど」

 一応、今は休憩時間なのだろうと察して、俺は彼女に話しかけた。

「あの、エルダーって男は何者なんだ? 死んだはずだって、言ってたよな?」


 あの、蛇のような目をした白い男。

 やけに物言いが丁寧で、逆に警戒心を煽る男だった。


 するとアージェントは一息ついてから、答えてくれた。

「境界には、ティンクチャーに神からの命令を伝える3柱の長老エルダーが存在する。分かりやすく言えばティンクチャーの上司のようなものだ。あいつはその1人だった。だが3年前、地上界でシェルブレイクが確認されてから間もなく、天寿を全うして死んだはずだったんだ」


 ……それは、蘇ったということなのか、それとも死んだふりをしていただけなのか。

 ともかくもティンクチャーの上司、だったのならばあいつだって世界の秩序を守るための存在だっただろうに、どうしてオーアを嵌めて、境界の秩序を乱そうとしたんだろう。


 俺がそんなことを尋ねると

「……そこまでは知らん。いずれ分かるとあいつは言っていたが、そんなもの、分かりたくもないな。結局、あいつは神に対して謀反を起こしたつもりでいるんだろう」

 アージェントはそう言った。

「……神様、か。ほんとにいるんだな」

 いつぞや思ったことを改めて口にすると

「存在を疑問視しているのか。……まあ当たり前といえば当たり前だな。神は確かに存在するが、彼らは生み出すことしかしない。あとは世界の秩序が乱れぬよう、我々に指示をするだけだ」

 アージェントはそんなことを言った。

「……へえ」

 俺はそんな、適当な相槌しか打てなかった。


 あえて本人の前だから言わないでおくが、それだけを聞くとティンクチャーという存在自体が、神様の道具のように聞こえる。

 ……なんだか少し、理不尽な気もする。

 そうやって命を果たしていくだけの生活で、彼女たちが何か得るものはあるんだろうか、と。


「そろそろ再開するぞ。お前はまだまだ隙が多い。そんな鈍さでは一瞬で殺されるぞ」

 アージェントがそう言って立ち上がる。

「ええ!? まだ無理だって!」

 俺が泣き言を言うと、容赦ないアージェントの拳が頭の上に降ってきた。

「甘えるな。ここで死にたいのか」

 相変わらず、言葉も容赦ない。

「……がんばります」

 俺は痛む身体に鞭打って、へろへろと立ち上がった。






 休日の午後の公園は、親子連れで賑わっている。

 ベンチで若い母親達が子供達の様子を見ながら談笑している中、1人だけ、異色の空気を放つ者がいた。

(……あー。いいなー。小さい子は可愛いなー)

 砂場で遊ぶ子供達を眺めながら、ブラックはひなたぼっこをしている。

「ねえ、あの人モデルさんか何かかしら?」

「ほんと、イケメンねえ! さっきから私も気になってたのよー」

「1人でなにしてるのかしら。まさかシングルファーザー?」

「まあ!」

 勝手に盛り上がる若い母親たちのそんな会話は彼の耳には届かない。

 が、なんとなしに熱い視線を集めてきてしまっていることに気付いた彼は、しぶしぶ立ち上がった。

 経験上、視線を集めだした後しばらくすると必ず誰かが話しかけてくるのだ。

 正直、今の彼は人妻にも、若い女性にも興味はない。

「……ここもゆっくりできないなあ」

 どこか別の公園へ移ろうと、彼が公園の出口を目指したとき。

「?」

 ふと、見知った後姿を見た気がした。

(……いや、気のせいかな? こっちにいるわけないし)

 彼は軽く首をひねって、公園を出た。


潜って4日? 思ったほど筆が進みませんでしたあべかわです。

でも掲載しているものと水面下との差が少し開いてきたのでちょっとずつ出していきたいと思います。


最近の楽しみといえば敵役のセリフをどうSにするかに頭をひねることです。

……がんばります(いやいや)。


いつも読んでくださっている方々、ありがとうございます。

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