第30話:賑やかな日、穏やかな夜
その、二重人格野郎は辺りをきょろきょろと見回して
「ここどこ? なんか随分長いこと眠ってたように思うんだけど……」
あくびをしながらそう尋ねてきた。
「お前と私が地上に降りてから1週間と少し経った」
オーアが言うと、彼は目を丸くして
「えぇー? 1週間も寝てたんだ、僕? どこか悪いのかなぁ」
そうぼやきながら、のんびりと立ち上がった。
そして。
「……なんでお前まで付いて来るんだよ」
家に辿り着くまで、奴は俺たちの後ろをついてきた。
「えー。だって僕方向音痴だからさあ。一旦はぐれるとそうそう仲間に会えないんだよねー」
男は悪びれるふうもなくそう言った。
家の中に入ると、すぐにクリムがぱたぱたと駆けてきた。
「姉さま! サツキ! どこ行ってたですか!?」
すぐに彼女はオーアに飛びついた。
「……心配したですよ」
そうこぼすクリムに、オーアは笑みを返す。
「すまない。気持ちに整理をつけていた」
そう言ってゆっくりと彼女を降ろした途端、
「あぁーー!! クリムだぁーー!!」
俺とオーアを押しのけるようにしてブラックがクリムを抱えあげる。
「!?」
クリムは突然の出来事に驚いているようだった。
「ブラック!? なんでここにいるですか!?」
男は愛おしいものを愛でるようなほわほわした顔で答える。
「なんででもいいじゃんー。クリム、しばらく見ない間にちょっと大きくなっちゃったんじゃない? 君は今の、小さくて可愛いままでいいからねー」
そして奴は『高い高い』までし始めた。
「放すですよこの変態ロリコン野郎!!」
クリムはそう叫んで容赦なく男の頭に踵落としを食らわせた。
「ぅごッ」
うめき声を上げて後ろに倒れる変態ロリコン野郎。
「レディに向かって小さいままでいいとか言語道断です!」
クリムはそう言い放った。
「…………」
ある意味、今の人格も結構危ない奴だと俺は思い知った。
五十嵐は食器を片付けてくれた後、俺によろしくと言って帰っていったとクリムが言った。
俺の部屋にやれやれと座り込む一同。
なぜかあのロリコン野郎も一緒だった。
そこに、タイミング悪くも綾が入ってきた。
「あー、お帰り2人とも! ……?」
見知らぬ男の存在に気が付いたようで、綾は首をかしげた。
すると
「おおっ! 新たな子猫ちゃん発見ー!」
奴はまるで獣のような速さで四つん這いのまま綾に近づいた。
「お兄さん、だれ?」
綾がそう尋ねた途端、彼はぱっと綾を膝の上に抱きかかえ
「僕はブラック。お兄ちゃんって呼んでね」
満面の笑みでそんなことを言った。
綾はきょとんとしている。現状が把握できていないらしい。
「おい!! 綾から離れろ変態野郎!!」
俺は思わずそう叫ぶ。
「この節操なし!! アヤのお兄ちゃんはサツキです!!」
クリムもそう叫んだが、
「なになに、クリム。妬いてるのー? 大丈夫、小さくて可愛い子はみんな大好きだからさ!」
変態ロリコン野郎はそんなことを堂々と言い放った。
「……ブラック、いい加減にしないと警察に突き出すぞ」
見かねたオーアもそう脅した。
が、奴はひるまない。
むしろ口を尖らせて反抗した。
「なんだよ皆して。人の好みだけで変態扱いするなんてさ!」
……奴が言っている言葉、どこかで聞いたことがあったような、と思っていると、勢いよくガラス戸を開けてベランダから誰かが入ってきた。
「!?」
突然の闖入者の登場にその場にいた皆が驚いた。
こんな賑やかな場には全くそぐわない人物、あのアージェントだったからだ。
彼女は今までにないほどに恐ろしい形相でブラックを睨んだ。
「出て行け変態悪魔。さもなくば殺すぞ」
ブラックは彼女の顔を見た途端、悲鳴を上げた。
「ひぃやああぁ!? なんでアージェントまでここにいるの!?」
綾をその場に置いて、彼は後ずさる。
「黙れ。息をするな。死ね」
アージェントはじりじりと奴との間合いを詰める。
下手をすると本当にここで殺人事件が起こってしまいそうだ。
「なんで僕こんなにアージェントに嫌われてるの!? 僕何かした!?」
男は震えながら喚く。
……そういえば、アージェントはオーアと契約した悪魔を毛嫌いしていたように見えた。だから彼のことが嫌いなのだろうが、今の彼にその矛先が向かうのは少し可哀想な気もする。
「お前の存在自体が罪だ、変態が」
しかしアージェントも容赦がない。
ブラックはついに泣き喚いた。
「なんだよぅ! オーアだって前に言ってたじゃん! 女の子の胸は控えめぐらいが好みだって! 同類の僕をかばってよぅ!」
突然自分に振られたオーアは慌てたのか
「な! 私の趣味はお前のとは違う! 私が好みだといったのは貧乳の類だ!!」
どこか、ずれた発言をした。
そのひとことで、部屋を漂う空気が妙なものになってしまった。
「……姉さま! クリムは頑張って抑えめなバストを目指すですよ!」
クリムの妙な宣言。
「だめええ! クリムは今のままでいいんだよぅ!!」
哀れなロリコン野郎の叫び。
「私はお姉ちゃんみたいなナイスバディになりたいなー」
どさくさまぎれに自身の夢を語る綾。
すると、それを聞いたオーアがアージェントをじっと見つめだした。
その視線に気付いたのか
「……なんだ」
どこかこの空気に辟易しだしているアージェントがそう尋ねると
「いや。昔はお前の胸、ちょうど私好みのサイズだと思ったんだがな。いつの間にそんなに成長したんだ」
オーアは恐れ多くもそんなことをぼやいた。
徐々に顔を赤くするアージェント。
――なんでよりにもよってアージェントにそんな下世話な話を振るんだこいつは!?
俺が頭を抱えたその時
「貴様がことあるごとに後ろから揉んでくるからだろうがッ!!」
予想外の言葉がアージェントの口から発せられた。
……。
…………。
……なにそれ。
「なになにそのおいしい発言。僕ちょっとびっくりしちゃった〜」
怖いもの知らずなブラックが、俺の心情を言葉にしてくれた。
「!? 黙れ貴様ッ! 死ね!!」
アージェントの怒りの鉄拳が、ブラックの頬にめり込む。
関節が外れるような、嫌な音が鳴った。
……ああ。さっきのはちょっとやばいんじゃ。
ブラックはその場に昏倒した。
「…………」
怒りというより羞恥からか、肩で息をするアージェントは、真っ赤な顔をしてずかずかと外に出て行った。
が、その去り際、俺を見定めるようにきつく睨んだのは気のせいだろうか。
アージェントが出て行って、先ほどまでの賑やかさが嘘のように静まりかえる部屋。
「……おいオーア、ほんとにあいつにセクハラしてたのか?」
俺が尋ねると
「セクハラとは失礼な。姉妹のスキンシップだ」
オーアは堂々とそう言った。
――え?
「姉妹って、誰が」
もう1度聞き返す。
「私とあいつが、だ。なんだ、気付いてなかったのか?」
オーアは当然のようにそう言った。
「ええええ!?」
俺は思わず叫んだ。
「え? さっきの銀色のお姉ちゃん、お姉ちゃんのお姉ちゃんなの?」
綾がややこしいことを尋ねた、が
「違うですよアヤ。アージェントはオーア姉さまの妹です」
クリムが訂正した。
「ああ、お姉ちゃんの妹なんだね。どうりで美人なわけだー」
綾は納得がいったようだった。
……オーアのほうが姉か。
いや、そりゃあどっちも美人だし、顔立ちは似てなくもないけど、あまりに真逆だからにわかには信じられないというか。
「しかし揉めば大きくなるとかいうのは迷信だと聞くが」
そんなオーアの発言に
「引きずるな! 卑猥な話は禁止!!」
思わず突っ込みを入れる。
するとオーアはふと笑った。
「禁止されると逆に話したくなる。そうだろう?」
そんなことを言って、クリムと綾を煽る。
「わーい。じゃあ今日は久しぶりにピンクトークの日だね!」
綾がそんなことを言い出した。
「サツキは立ち入り禁止ですよ。男子禁制です! あとブラックもどっかに捨ててきてくれるとありがたいです」
クリムまでそんなことを言う。
「なんでここで繰り広げるんだよ! つーかお前らガキのくせに生意気だ!!」
その日は久しぶりに、賑やかだった。
窓の外から微かに虫の声が聴こえる、穏やかな夜。
昼間沢山寝たせいか、まったく寝付けなくてぼうっと天井を眺めていると、部屋のドアが開く気配がした。
俺が微かに首をもたげると
「……なんだ、まだ起きてたのか」
そんな声と共にオーアが部屋に入ってきた。
「昼間寝すぎて眠れないんだよ。何か用か?」
俺が尋ねると、
「いや。今日はここで寝ようと思ってな」
彼女はそんなことを言って、床に座り込んだ。
てっきり彼女は綾の部屋で寝るものだと思っていたのだが……。
「なんで?」
率直に尋ねると
「もう忘れたのか? お前は一応病み上がりなんだぞ。万が一のことを考えて、だ」
オーアはそう言った。
「別にいいのに。怪我だって、クリムのお陰で大したことなくなってるし、明日は学校だって行くつもりだし……」
俺が少々反抗気味にそう言っても、彼女は譲らなかった。
以前と同じように、床に置いてあった座布団を枕代わりにして、彼女は直接床に転ぶ。
……なんか、俺はベッドで寝てるのに、そっちにそうされると申し訳ない気分になるんだっての。
「……おい。寝るならせめて毛布とか使ってくれよ。お前に風邪なんか引かれたら俺のせいになっちまうじゃないか」
身体を起こして俺が言うと
「私はそうそう風邪なんか引かないぞ。これでも身体は丈夫に出来てるんだ」
オーアは俺の気も知らないで、背を向けたままそんな風に答える。
「…………」
俺はひとしきり悩んだが、思い切って口を開いた。
「おい馬鹿」
そんな風に声をかけると、オーアは眉をひそめながら身体を起こした。
「ああもう、馬鹿とはなんだ。風邪を引かない奴は馬鹿だなんていうのは迷信なん……」
そう抗議しだした彼女に、俺はそっぽを向きつつベッドを軽く叩いて示した。
「……半分貸してやる」
そう言ってしまった途端、顔から火が出そうなことに気が付いた。
こんなに前言を撤回したいと思ったことは初めてかもしれない。
言ったところでどうせ断られるに決まってるのに……。
しかし彼女は
「いいのか?」
間の抜けた声で、そう尋ね返してきた。
……正直、予想外だった。
「は、半分だけなら、だけど」
自分で言っておいてなんだか妙なことになりそうな気がして頭がおかしくなりそうだった。
「それは分かっている。お前を床でなんか寝かせたら本末転倒じゃないか」
オーアは呆れ気味にそんなことを言ってから
「…………本当にいいのか? 狭くなるぞ」
妙に不安げに、か細い声でそう尋ねてきた。
……ずるい。
そんな声で尋ねられたら、駄目だなんて言えなくなる。
「……別にいいよ。どうせ俺は小柄だからな」
わざとひねくれたようにそう誤魔化して、俺は壁よりに詰めた。
そんな俺の言葉に微かに笑いをこぼして、彼女がそっと布団にもぐりこんできた。
いつもより負荷がかかったせいか、ベッドが少し軋む。
俺は極力意識しないように、壁に張り付くようにして身を縮めた。
「……おいサツキ。そこまで端に寄らなくてもまだ余裕はあるぞ」
彼女はそう言って俺の肩を叩いたが
「い、いや、これぐらいがちょうどいいんだ。壁際、好きなんだよな、俺」
自分で言っていて無茶苦茶だと思いつつも、そんなことしか言えなかった。
「……そうなのか」
オーアは微かに笑ったような気がした。
2人分の体温で、熱いくらいの布団の中。
俺は全然、眠れそうにない。
「……サツキ」
一方、少しまどろみ気味の声で、オーアが話しかけてきた。
「……ん?」
短く促すと、彼女はただ、言った。
「……ありがとう、な。私を、助けてくれて」
その後、彼女は穏やかに寝息を立て始めた。
もしかするとさっきの一言も、夢見心地に言っていたのかもしれない。
けど。
「……どういたしまして」
俺は小さくそう答えた。
彼女を失わなくてよかったと。
しっかりと、そう思えた夜だった。
なんだかんだで30話突入しました。
ブラックのせいで久しぶりに賑やかトーク。
そして今まで本作品ではあえて避けてきた同衾イベントがついに……。
ちょっとスランプ気味だったんですけどぼちぼち抜けてきたような気がします。
いつも読んでくださっている方々、ありがとうございます!