第2話:突撃ゴールデンベア
時刻は午後10時半を回った頃、俺は金髪の美人さんにお姫様抱っこされたまま家の前まで帰ってきた。
「ここがお前の家か。一戸建てとは贅沢だな」
彼女はそう呟きつつ俺をそっと降ろした。
「今時一戸建ては珍しくないだろ。ローン組んでるし」
実際、うちはいたって普通の家庭である。
父は一介のサラリーマン、母は家事をこなしつつも週に5日はパートに出る。
彼女はほう、と漏らしながら辺りを見回している。
そんなに一戸建てが珍しいのか?
「……よくわからんけど送ってくれてありがとう。じゃあな」
俺は彼女にそう告げて、逃げるように門扉に手をかける。
自然と、恐らく本能的に、現実逃避がしたかったのかもしれない。いや、非現実から逃げているのだろうか。
が。
「……おい」
「なんだ?」
彼女は俺のあとにひっついたまま門扉をくぐり、玄関先までやって来ていた。
「あんた、家の中まで入る気かよ」
そう言って振り返ると、彼女は苦笑しつつも喋りだす。
「いやな、私も今日地上に降りてきたばかりで不動産の手配までする暇がなかったんだよ」
ここまで聞いて、なんとなく嫌な予感はした。
が、まさかな。
ついさっき会ったばかりの奴に泊めてくれなんて頼む奴がいてたまるかって……
「というわけで一晩泊めてくれ」
……。
…………。
……頼みやがったよこの女。
「無理」
しばし呆気にとられてしまったが、俺は冷静にそう答えた。が、彼女の方は断られるとは思ってもいなかったようで
「何!? こんなに立派な一戸建てを構えておきながらそんな冷たい一言で一蹴する気か!?」
そう吼えた。
「家のでかさの問題じゃねえよ! 一人暮らしならともかく家族がいるんだ! いきなりあんたみたいな人、家に入れられるわけないだろ!」
俺も思わず吼える。すると彼女はぽかんとして
「なんだ。つまりお前は家族の目を気にしているわけだな? お前自身は私が泊まることを問題にはしないと」
そう言った。
「え……いやまあ……」
なんだかんだ言っても俺は彼女に助けられたようなものだし、仮に俺が一人暮らしだったら一晩くらい泊めてやってもいいとは思うが、現実はそう甘くない。
俺がきちんと何かを言う前に、彼女はにこりと笑って
「それなら問題はない。この姿に問題があるというならば……」
そう呟くと同時に、一瞬まばゆい光が彼女を覆った。
そのまぶしさに思わず目を閉じる。
次に瞼を開けたときには。
「これでどうだ」
俺の手の中に、黄金色のテディベアがあった。
「…………は?」
「この姿なら私がお前の家の敷居をまたいでも問題はあるまい?」
ぬいぐるみがしゃべっている。どうやら彼女がこのくまのぬいぐるみに変身したらしい。
「……問題あるまい? って……」
確かに、こうして見るとただのぬいぐるみにしか見えない。
少し巻きが入った、つややかなゴールデンの毛色のみが、さきほどまでの彼女の姿を想起させる唯一の名残だと言ってもいい。
……て、いやいや。
「そういう問題じゃないっていうかそもそもだな、」
あんた一体何者なんだよ、と俺が問う前に、目の前の扉がガチャリと音を立てて開いた。
「!?」
突然だったので驚いて一歩下がってしまった。
「お兄ちゃん? なにやってんの?」
見上げてくるつぶらな双眸。
そこに立っていたのは9つ下の妹の綾だった。暖色系の明かりが今はとても眩しく見える。
「おかーさーん、やっぱりお兄ちゃんだったよー」
綾がリビングのほうに振り返ってそう叫ぶ。どうやら玄関先での声が家の中まで聞こえていたらしい。
「お兄ちゃん誰かとしゃべってなかった?」
案の定、綾はそう尋ねてきた。
俺がどう話を逸らそうかと考え始めた瞬間
「あ! くまさん!」
綾が俺の手の中にある人形に気がついたらしく、歓喜の声を上げた。
妹はぬいぐるみの類に目がないのだ。
「それどうしたの!? 買ったの? もらったの? ゲームセンターでとったの?」
案の定、妹の興味は完全にぬいぐるみに移行した。
しかしこれも答えるのに窮する問いには違いない。
「んー……拾った……?」
苦し紛れにそう言うと
「えー! まだこんなにキレイなのに! お兄ちゃん、そのくまさん私にちょうだい!」
妹は『ちょうだい』と言っている間に俺の手からテディベアを掠め取って、踊るようにしてリビングへ駆けていった。
「あー……」
……まあ、いっか。
その背中を見送って、俺もやれやれと家の中に入った。
風呂から上がって、自室のベッドに倒れこむ。
なんだか今日は長い1日だった。
自転車を壊してしまったことを母さんに言うと怒られるかと思ったのだが
『まあ中学のときから乗ってたものだし、仕方ないわね。明日手ごろなのを買ってくるから明日はバスで行きなさいね』
というわけで案外すんなりと、ことはおさまった。
――しかし今日のあれはなんだったのか。
あの黒い、不気味な奴と。
あの金色の女性。
名前は……オーアって言ったっけ? 名乗るだけ名乗って結局何者かは言わなかったし。
人の首筋いきなり噛むわ、中に入ってくるわ、挙句の果てにはぬいぐるみにまで化けやがった。
『今日こっちに降りてきた』とか言ってたけどどっから降りてきたんだっての。ほんと正体不明だな。えらく横暴だし。
…………。
……まあ、美人だけど。
そういえば妹が例のぬいぐるみを強奪していったままだ。まあ綾のことだから今頃は他のぬいぐるみと同じように枕元に並べて寝ているに違いない。
――俺も寝よう。早く寝よう。
しみじみそう思いながら、俺が電気のスイッチに手を伸ばそうとした瞬間。
「おいこらサツキ!」
そんな怒声(時間を考慮してのことか少しばかり押し殺した声だった)と共に、金髪の女が俺の部屋に入り込んできた。
「な、なんで!?」
まさか彼女自ら戻ってくるとは思っていなかったので俺はそう叫ぶしかなかった。
「なんでもクソもないわ! いきなり妹に私を押し付けるとはどういうことだ!」
何をそんなに怒っているのかよく分からないが、彼女は俺の胸ぐらを掴みかからんとする勢いで迫ってきた。
「お、押し付けるっていうか、あれは綾が」
勝手に持っていったんだろ、と言おうとしたのだが
「それは仕方のないことだがな、私はお前が『あーー、まあいっか』みたいな顔でその状況を放置したのがなぜかすこぶる気に食わん!」
彼女のほうはというと真剣に怒っているようだったのでそれ以上は言えなかった。
……もしかするとあのちびっこいぬいぐるみの姿で見知らぬ家の中に放り込まれたのが不安だったのかもしれない、なんて思うと少し罪悪感を覚えてきた。
「……それは……悪かったな」
俺がぼそりと謝ると
「分かればいい」
案外すぐに、彼女は落ち着きを取り戻した。
が。
「よっこいしょ」
彼女はおもむろに手近にあった座布団を頭に敷いて床の上に横になった。
「……おい、ちょっと待て。ここで寝る気か」
予想外の展開に頭がついていかない。
「明け方になったらお前の妹……アヤといったか? アヤの部屋にもどるさ。一身上の都合だがあのぬいぐるみの姿も長時間維持はできん。光角度と質量、触感まで同時に調整するのは骨が折れる」
彼女はそう言って寝返りを打つ。ここを動く気は毛頭ないらしい。
「……ん?」
突然、彼女は何かに気付いたように声を上げる。
「なんだよ」
「いや、ベッドの下に何かあるな、と」
彼女の腕がベッドの下に伸びる。
それを認めた瞬間、俺の腕も反射的に伸びていた。
「馬鹿! 勝手にあさるな!」
とっさに掴んだ彼女の腕は、見た目より細かった。
「……」
彼女はというと目を丸くしている。
その目には驚きと、ほんの少しだけ畏怖が入り混じっているような気がして、突然大声を出してしまった自分を恥じた。
「……あ、その、ごめん」
手を離す。
「いや、私もぶしつけだった。すまないな」
彼女は特段気を害した風でもなく、むしろ謝罪してきた。
……案外そのへんはちゃんとしてるのかもしれない。
が
「エロ本でも隠してるのか?」
「違う!!」
前言撤回! なんなんだこの女!
「ふ、否定するとはまだ可愛げがあるじゃないか。さすが中学生だな」
「俺は高校生だ!!」
「ん? そうだったのか? それは失礼。しかし高校生にしては小柄だなサツキは」
「うるせー! 余計なお世話だッ!!」
こんなやりとりのせいで、せっかく忘れようと思っていた『逆お姫様抱っこ』を思い出してしまった。
確かに俺はクラスの中でも小柄な部類で、背の順で並ぶといつも前のほうに配置される。けど一応はれっきとした男子高校生だ。
そんな俺を彼女はなんなく抱えて、疲れも見せずにここまで歩いてきたのだ。確かに見た目からして俺よりかは年上のようだが、それにしたってあの細い腕で男1人を抱えて歩けるようなもんじゃない。剣を出したりぬいぐるみに変身したりする以前に体力も人間離れしているみたいだ。
「……ほんとあんた、何者なんだよ」
俺が思わずぼやくと、彼女はふと視線を泳がせて、逡巡するような素振りを見せた。
「……ふむ、まあ一晩宿も借りていることだしそのぐらいは答えてやるのが筋というものかな」
彼女はそう言って少し姿勢を正す。
「私は『ティンクチャー』。この世界の秩序を守るために、神に創られた種の1つ、だ。『境界』というところから来た」
ティンクチャー。あの黒い奴もこいつのことをそう呼んでいた気がする。
ていうか神ってなんだよ。
「……ティンクチャーって吸血鬼みたいなもんか?」
俺が尋ねると彼女は「はあ?」と大げさに首を傾げた。
「なぜそこであの暗黒に住まう根暗な種族の名前が出てくる」
……吸血鬼って根暗なのか?
「だってあんた俺の首噛んだじゃん。思い切り。深々と」
俺がまだ若干じりじりする首筋を指し示してそう言うと、彼女は少々赤面して
「あ、あの時は余裕がなかったんだ! 仮に私があそこでチャージしなければお前は今頃シェルブレイクさせられていただろう!」
いまひとつぴんとこないカタカナを交えてそう怒鳴った。
「なに……ちゃーじ? シェルブレイク……ってなんかあの黒い奴も言ってったっけ……?」
彼女はあからさまに渋い顔をしつつ
「むう。ここまでしゃべるつもりはなかったのだが成り行きだな。『チャージ』とは一種の契約だ。ティンクチャーは地上界においては本来の力を出せないように抑止力を掛けられている。そのため使命を全うするためには人間の力を借りることになる。人間とチャージすることによって我々は個々が持つ能力を発揮することができるのだ」
……既に意味不明なんですけど。
「……つまり、えーと? あんたが俺の中に入ってきて、あの重たい剣が出てきたことに関係があるのか?」
俺がそう尋ねると彼女は不機嫌そうに眉をひそめた。
『重たい』は余計だったかもしれないと、彼女の反応を見て後悔した。
「そうだ。私は武器を司る金属色のティンクチャーに属する。あの剣こそが私の特性であり私の能力だ」
メタル……。目に見えて金色だもんな、この人。
彼女は間髪いれずこうも付け加えた。
「それと勘違いされたままではいささか不愉快なので付け加えておくが、あの剣は本来、そう重いものではない。お前が重いと感じたのならそれはお前に適性がなかっただけのことだ」
「俺のせいにするんかい!」
思わず突っ込むと
「別にお前に適性がなかったことを咎めるつもりはない。むしろ私は安堵したさ。安心しろ、金属色の武器を単体で自在に操れる人間などこの世界に一握りもいない」
……なんじゃそりゃ。
「ちょっと待てよ、それじゃあなんだ。あんた結局役立たずなんじゃないのか」
ティンクチャーっていうのはつまり単体では弱いんだろう。だから人間の身体に乗り移る。けどこの人の能力を引き出せる人間はこの世に一握りもいない、と。
なんかこういうのをうまく表せる言葉はなかったかな。豚に真珠……ちょっと違うな。
無用の長物?
「〜〜〜〜」
……っとまずい。『役立たず』はさすがに言い過ぎた。彼女の肩が小刻みに震えている。
案の定、彼女は身を乗り出して抗議し始めた。
「役立たずとはなんだ役立たずとは!! 私とて……!」
そんな折、突然ドアが開いた。
「お兄ちゃん! 私のくまさん取ってったでしょー!?」
今度は妹がそんな怒声を上げて部屋に入ってきた。
突然の出来事すぎて声も出なかった。さっきまで言い合いをしていたので妹の足音が近づいてくるのを察することが出来なかったのだ。
「……え。……誰?」
妹は案の定、目を丸くして佇んだ。
そりゃあ驚くだろう。見知らぬ女が知らない間に家の中に上がりこんでたら。
「あ、あのな、これは……」
慌てて俺はなんとか言いつくろおうと口を開いた。が。
「……もしかして、くまさん?」
どういうことか、妹は彼女の正体をばっちりと言い当ててしまったのだ。
正体をあっさりと見破られた当人も感嘆の声を漏らした。
「ほう。サツキ、お前の妹はなかなかに聡いな」
……いや、俺もびっくりだよ。
「おい綾、なんで分かったんだよ」
俺が問うと、妹はそっと彼女を指差して
「だってその黒いリボン……」
そう言った。
綾が言っているリボン、というのは恐らく彼女が首につけている黒いチョーカーのことだろう。
そういえばぬいぐるみの姿になったときも首に黒いリボンをつけていた気がするが……。それだけで分かるものなのか。
「それにくまさんも金色だったし!」
妹は段々と夢見心地から冷めてきたようで、顔を輝かせて彼女の前に座り込んだ。
「くまさんはただのくまさんじゃなかったんだね! 妖精さんなの?」
小学校低学年らしい発想に俺は思わず苦笑したが、彼女はやんわりと笑みを浮かべて
「少し違うが似たようなものだ。ティンクチャーも妖精も、神に創られた存在に違いはないからな」
そう言った。
「神様ってほんとにいるんだね! あのね、私ずっと信じてたんだよ! 妖精さんはほんとにいるんだって!」
綾は嬉々としてそう言った。
……小学生はいいなあ、夢があって。俺にはどうも胡散臭く感じるんだよなあ、その神様の存在っていうのが。
「おい綾、このことは母さんには秘密だぞ?」
ともかくも俺は、妹に口止めをしておくことにした。
「うん! 大人に言ったら駄目なんだよね!」
なんの影響かは知らないが妹はひとりでにそう納得し、堅く頷いた。
この調子だと大丈夫そうだ。
「だったら早く寝ろ。小学生はもう寝てる時間だぞ」
ややこしいのでさっさと追い払おうとしたのだが
「くまさんと一緒に寝るーー!」
綾は彼女の腕にしがみついて離れそうになかった。
どうするのか、と彼女に目配せすると
「アヤ、私は朝までこの姿でいないといけないんだがそれでも構わないか?」
彼女はそう妹に尋ねる。
「いいよ! お兄ちゃんケチだからベッド貸してもらえないんでしょ? 私のベッド貸してあげるよ!」
別にケチだからベッドを貸さないってわけではないのだが、まあその辺の微妙な男心は小学生に言っても分かるまい。
「そうか。じゃあ一緒に寝るか」
「うん!」
そうしてえらく仲睦まじげに2人は立ち上がった。
そんな様子は、まるで姉妹、というか。
男の俺としては少し寂しさを覚えたり覚えなかったり、だ。
そんな気持ちもあってか
「まさかとは思うが妹に変な真似はしないでくれよ」
そんなからかいの言葉が口をついて出ていた。
「失礼な奴だな」
案の定、彼女は眉をひそめて抗議した、のだが。
「男にしろ女にしろ未成年には手を出さない主義だ。私のどこをどう見たらそんな節操なしに見えるんだ?」
……て、おい。
その言い方だと『未成年じゃなかったら男女構わず手を出すぞ』って意味に聞こえたんだが!?
「サツキはほんと生意気だなあ。その点アヤは素直で良い」
「わーい」
そんな会話をしつつ、手を繋いで出て行く2人。
「おいこらちょっと待て!! 意味深な台詞を残して出て行くな!!」
俺の叫びは無視されて、部屋の扉は虚しく閉じる。
「…………」
今はただ、さっきの彼女の台詞が、生意気な俺への意趣返しのつもりだったということを祈るしかない。
なんか話がなかなか進まないのでもう1話連続投稿します(汗)。