第27話:対価
その声が響いたとき、彼女の身体は完全に元通りに再構成された。
途端、チャージが解ける。
「!」
外に出た途端、糸が切れたように少年の身体が倒れこんできた。
とっさに腕で抱きとめて、その場にへたりこむ。
背後で音がして振り返ると、結崎徹も倒れていた。
訪れる静寂。
先ほどまでの激しい戦闘が、まるで嘘のような静まり方だった。
「……とまった……」
彼女は呆然と、そう呟いた。
ともかくも、安堵する。
しかし、この妙な状況に彼女はすぐに気がついた。
自分の手を見る。
しっかりと、外形を保っていた。
「……どうして……」
そう自問したとき、あるひとつの結論に至って、彼女は愕然とした。
様子を見届けた男2人は、足早にその場を去ることにした。
「徹は念のため回収だ。もう1人はしばらく様子を見よう」
片方の男がそう言うと、もう一方の男はにやりと笑った。
「なかなかに興味深い人材ですね」
彼がそう言って手首を軽くひねるように動かすと、倒れていた徹の周りにネイチャーの黒い塊が現れて、彼を飲み込んだ。
死んだようにぴくりとも動かない少年を抱えるオーアを見て、アージェントはその場に立ち竦んだ。
彼女は目撃した。
瀬川五月がアクティブブレイクを起こし、結崎徹と互角に戦った。
その最中、チャージが解けて、オーア・ホーテンハーグは今ああして座り込んでいる。
消滅の兆しはまったくない。
重い足取りで彼女は2人に近づいた。
「……どういう、ことだ」
アージェントの声に、オーアが顔を上げた。
その顔は、まるで子供のように、今にも泣きそうな顔をしていた。
「説明しろ。お前、どうして今、生きている」
催促するアージェント。
「……どう、しよう、アージェント。私、は」
オーアは震えながら言った。
「サツキの、生命エネルギーを取り込んでしまったみたいだ」
瀕死の状態でチャージしたせいだ。
彼女の意思とは関係なく、彼女の身体が再構成するために勝手に彼の生命エネルギーを取り込んでしまったらしい。
チャージが解けた今も、そのエネルギーを糧にして彼女の肉体はいまだ姿を保っている。
まだ少年に息はあるが、消滅直前の彼女の身体を再構成するために相当なエネルギーを奪われたはずだ。
それこそ、大幅に寿命を縮めるほどの。
アージェントは厳しく目を細めた。
重い口を開く。
「……どうせ殺される人間だ。そいつはお前を助けたがっていた。この結果は本望だろうよ」
冷たい言葉に、オーアは我に返った。
「駄目だ! サツキは殺すな!」
アージェントはそう叫んだ彼女をきつくにらみつけた。
「またお前はそうやって、人間に情けをかけて失態を晒す気か!? アクティブブレイク因子を持った人間は抹殺するというのが上が決めた規則だろうが!」
オーアは五月の身体を抱えて立ち上がる。
「サツキはシェルブレイクを起こしても理性をまだ保っていた! トオルとは違う!」
そう叫んで、彼女は彼の家の方向に歩き出した。
「この件はホーテンハーグの名において保留とする。もし手を出したら、お前でも許さない」
アージェントと決別するように、彼女はその脇を通り過ぎた。
「…………ッ!」
行き場のない怒り。
おもむろにアージェントは武器を手にし、地面に敷かれたブロックを砕いた。
それでも、オーアは振り返らなかった。
「誰のために警告していると思っている……!」
その、あまりにも小さな呟きは、夜風に乗って消えていった。
翌日は平日だったが、五月の母、葉月が朝早くからパートへ出掛けてくれたお陰で彼が眠ったままだという事実は知られずにすんだ。
今の彼の状態では到底学校には行けない。
「お姉ちゃん、お兄ちゃんの学校のほうに今日は兄はおやすみしますって電話入れといたよ」
ランドセルを背負った綾が五月の部屋に入ってきた。
もうすぐ彼女も出掛けるのだろう。
「ありがとう。すまないな、サツキを納戸なんかで寝かせたせいで風邪をひかせてしまった」
オーアが言うと
「ううん、お兄ちゃんがひ弱なだけだよー。でもお母さんに言わなくてほんとに大丈夫?」
綾の言葉に胸の痛みを覚えつつ
「ハヅキさんは忙しそうだからな、心配をかけたくないんだ。今日中には必ず治してみせる。今日遅れた分の勉強は私が責任を持って教えるから、心配しないでくれ」
そう言うと、綾は頷いた。
「お姉ちゃんが教えてくれるなら安心だね。じゃあ私学校に行ってくるね!」
そう言い残して、彼女はぱたぱたと階段を降りていった。
オーアはベッドに横になったままの五月を見て、溜め息をつく。
今日中に治す、なんていい加減なことを言ってしまったが、この状態だといつ目が覚めるのか分からない。
倒れてから今に至るまで、彼はずっと眠ったままだった。
崩壊した殻は、今は元に戻っているようだった。
それも、不可解だった。
一旦割れた殻を自力で戻せるものなのか、と。
「……シェルブレイクの仕組みを、我々は見誤っているのか?」
オーアがそうひとりごちたとき、また部屋に誰かが入ってきた。
「……姉さま……」
クリムロワだった。
昨晩、五月を抱えてオーアがこの部屋に戻ったとき、クリムロワは目を覚ましており、何事かと尋ねてきた。
彼女にはとりあえず、『サツキは自分を守るために怪我をした』とだけ伝えておいたのだ。
「サツキはまだ起きないですか?」
そう言って傍らに座り込む妹分を見ていると、オーアはまたしても胸が痛んだ。
「傷はお前のお陰で塞がっているから大丈夫だ。まだ眠っているということは、きっと身体が休息を欲しているんだろう」
そう言うと、クリムロワは涙をこぼした。
「……クリムのせいです。サツキに無理なことを頼んだです」
手で目をこすりながら、少女は続ける。
「姉さまを守って欲しいって。そのためにあの人間を殺して欲しいって頼んだです。危ないことだって分かってたですけど、姉さまが力を使ったら、姉さまが消えてしまうから……っ」
オーアは彼女を慰めようと手を伸ばしかけて、止めた。
彼女を慰める資格など自分にはない。
彼女がそんな行動をとって、今こうして後悔しているのは全部自分のせいだ。
結局自分は、1人で落とし前をつけようとして、皆を巻き込んでしまったのだ。
「…………お前のせいじゃない」
そのひとことしか、今の彼女には言えなかった。
その日、予鈴が鳴っても隣の席の生徒は現れなかった。
揚羽はじっと、その席を見つめる。
何か、よくないことが起こったのではないか。
昨日の今日だ。あの敵が現れた可能性は否定できない。
もしかしたら、怪我でもしたのではないか。
……いや、思い過しかもしれない。
今はちょうど季節の変わり目だから、体調を崩しやすい時期でもある。
「…………」
しかし、どうしても気になった彼女は、おもむろに席を立った。
予鈴が鳴ったとしても担任が入ってくるまでは皆立ち歩いているし、教室は私語に溢れている。
それを利用して彼女は最も彼と親しいであろう男子生徒のほうに近づいた。
「……小柴君」
急に、とても意外な生徒に話しかけられた小柴高明その人は、驚きの余り硬直した。
その周りで喋っていた男子も同様だった。
彼女が誰かに喋りかけることなど、皆ないと思っていたのだ。
そんな様子に内心呆れながらも彼女は続ける。
「瀬川君の電話番号、知ってるかしら」
やっと我に返った高明は、こくこくと頷く。
「かけてみてくれない?」
彼女がそう言うと、高明は
「な、なんならあいつの電話番号、教えようか?」
そう提案した。普通なら気の利いた提案だ。
しかし。
「申し訳ないのだけど私、携帯電話を持っていないの」
彼女がそう言うと、周りの男子から『ええ!? 持ってないの?』という声が上がった。
それに少しばかりカチンと来た彼女は、
「……持っていないけど、何か可笑しい?」
つい冷え切った微笑を浮かべて、そう尋ねた。
周りの男子生徒は一瞬で震え上がる。
ただでさえ大人びたオーラを放つ彼女に、こんな怖い微笑を浮かべられては身も凍るというものだ。
しかし。
(意外と強気な五十嵐、いいかも……)
なんてマゾヒスト的思考を巡らせた男子生徒も数人いた、というのは彼女のあずかり知らぬところである。
頬に、風が当たる感触を覚えて、意識が浮上する。
――痛い。
途端、腹部に鈍い痛みを覚えて俺は跳ね起きた。
起きた途端、額かどこかに乗せられていたらしい濡れタオルがぱたりと膝の上に落ちた。
「ぃ!?」
急に動いたことで身体が悲鳴を上げる。
頭が現状を把握しろと訴えた。
部屋は妙に明るい。昼間、いや夕方らしい。
ここは俺のベッドで、視線をずらすと、床にクリムが転がっている。ブランケットがかかった肩を上下させて、居眠りをしているようだった。
「…………」
時計は午後4時をすでに回っている。
いつもなら、下校している時間だ。
――どうして、寝てたんだろう。
そう考えた瞬間、俺は昨日の出来事を思い出した。
「!」
胸を押さえる。
――オーアは?
そう考えた瞬間、部屋のドアが開いた。
「……!」
そこには、洗面器を持ったまま立ち尽くす金髪の女がいた。
「サツキ……」
彼女は手に持っていたものを放り出すように床に置いて、俺のほうに足早に歩み寄った。
「……なかなか起きないから心配したぞ……」
彼女は安堵の息を漏らしながら頭を垂れた。
「お、まえ、……大丈夫、なのか?」
俺は震える手で彼女の肩に触れる。
確かな感触。
彼女は、確かにここにいる。
すると、オーアはもの言いたげに顔を上げた。
が、何か言おうとして、彼女の唇はまた閉ざされた。
何が言いたかったのか問いただす前に、俺は叫んだ。
「お前、なんで言わなかったんだよ!」
そう怒鳴られた彼女の方はというと、目を丸くしている。
何のことを言われているのか、さっぱり分かっていないような顔だった。
それにさらに苛立つ。
「ティンクチャーの翼は心臓だって! なんでそんな大事なこと言わなかったんだよ!!」
俺がそう言うと、彼女はああ、といったように、視線を脇に逸らした。
「……言っても仕方ないことだと思ったから、だ。誰かに言ったところで結果は変わらないし、変に気を遣わせるだけだと思って」
言わなかった、と。
俺は歯噛みする。
言っても仕方ない。
結果は変わらない。
だから言わなかった?
そんなの、ひどいじゃないか。
「だから勝手に死にに行ったのかよ!? いるのが当たり前みたいに家に居座ったくせに、急にいなくなるなよ!」
俺は上布団を必死に握る。
「……俺はお前のなんだったんだよ。使い捨ての道具か?」
そう漏らすと、彼女は微かに肩を揺らした。
また、彼女は俺に何か言おうとしたが、自ら身体を引いて、立ち上がった。
「…………すまない。お前を傷つけた」
そう言い残して、ベランダから出て行った。
「……ぁ」
止める暇もなかった。
西日の中に、彼女の背中は消えていった。
しばらく、呆然とそのままの状態でいると、床で転がっていたクリムが目を覚ました。
「……サツキ! 起きたですか!?」
飛び起きた彼女は俺の腰に腕を回した。
「ぁた!?」
怪我した部分に当たってつい叫ぶ。
「! ご、ごめんなさいです」
慌ててクリムは身体を離す。
「……でも、よかったです。このまま死んじゃうかと思いました……」
そうこぼした彼女は涙までこぼす。
「……大げさだな」
俺が言っても、彼女はふるふると頭を振る。
「ほんとに、危なかったですよ。お腹の怪我はクリムが無理やり術で塞いだですけど、身体の極度の疲労状態はなかなか改善できなかったです」
腹部の怪我は、結崎に切られた部分だろう。
疲労は……。
あの時のことを思い出そうとしただけで、なぜか頭が痛んだ。
「っ」
軽く呻くと、クリムが
「どうしたですか!? 頭が痛いですか!?」
この世の終わりみたいな声を上げてくるので俺は苦笑した。
「……平気だ。多分貧血だろう」
俺はそう誤魔化して、一息つく。
あの、内側から何かが割れるような感覚は、なんだったんだろう。
「そういえば、姉さまは?」
クリムが痛いところを突いてきた。
「……その、それが……」
その時、インターホンが鳴った。
「……お客さん、ですかね?」
クリムがそう呟くと、廊下から綾がインターホンに答えるような声が微かに聞こえた。
しばらくすると、突然綾が部屋の入り口から俺を見た。
「あ、お兄ちゃん起きてるね。お客さんだけど、入れるよ?」
なぜか妙ににやつきながら綾はそう言うと、俺の返事を聞かないままあいつは下へ降りていった。
「サツキは今日は風邪で学校を休んだって設定になってるです。お見舞いかもしれません。それらしい素振りを見せるですよ!」
クリムは俺にそう指南して、ぬいぐるみの姿になった。
しかし俺に見舞いをしてくれる奴なんて、小柴くらいかな、なんて思っていると。
開けっ放しのドアの先に現れたのは、なんと。
「あら。元気そうじゃない瀬川君」
五十嵐揚羽、その人だった。
……もうタイトルつけるのムリ。
揚羽がなんだかひさびさな気がするんですけど、今回は彼女のそわそわっぷりに続フフフ。
強化週間とか言って執筆がちょっと詰まりだしたですよ(汗)
頑張らねば……!
いつも読んでくださっている方々、ありがとうございます!