第26話:アクティブブレイク
『俺は行くぞ。あんたも来るなら来いよな』
そう言い残して走っていく少年を、彼女は呆然と見送った。
――今更、何が出来る。
心の中で、彼女はそう吐き捨てた。
もやもやとした気持ち。
この3年の間、ずっと抱え込んできた。
たかが1人の人間に情けをかけたがために、失墜した【黄金】。
世界の秩序を守る使命とは、なんら関係ないことで彼女は全てを失った。
馬鹿らしいと思った。
それまでホーテンハーグという一族が積み上げてきた功績を、そんなことで全て溝に捨てたのだ。
ティンクチャーの頂点である彼女が人間ごときのせいで瀕死の状態に陥ったと知れ渡ったときから、境界の秩序は乱れ始めた。
『偉大なる双翼』に対する失望は、それほどまでに大きかったのだ。
彼女は陰で嗤われ続けた。
悪魔に縋ってまで生き延びたことに対する嫌悪感もあったのだろう。
アージェントも、その1人だった。
けれど、決して彼女の死を望んだわけではない。
どうして、悪魔なんかの手を借りたのか。
自分なら、寿命を削ってでも、力を分け与えられたのに。
それ以来、彼女とは顔を合わすたびに喧嘩になった。
いや、喧嘩とすらもう呼べなったかもしれない。
あれはただの睨み合いだった。
言葉を交わすこともなくなった。
以前のような、殴りあうほどの喧嘩なら、まだ救われたのに。
分かっている。
彼女は決して誰にも頼らない。
他人を犠牲にすることを彼女は許さない。
いつも優等生。
いつも模範的。
ティンクチャーの頂点に君臨するものとして、そんな生き方を強いられてきたせいだ。
……けれど。
ここぞというときだけは、自分を頼ってくれるのだと信じていたのに。
「…………」
アージェントは固く拳を握った。
言ってやらないと気がすまなくなってしまった。
冷戦は終わりだ。
今度、彼女の顔を見たら思い切り殴ってやろう。
白銀のティンクチャーはそう決意して、夜空に飛び立った。
胸の中で、何かが外れた。
身体の底から湧き上がってくる何か。
熱い。
身体が熱い。
結崎の剣が振り下ろされると同時に、俺の身体は反射的に右へと跳んでいた。
相手の剣が空を切る。
不思議と、身体が軽い。
剣も、重くない。
結崎が迫ってきた。その剣撃を本能的にかわす。
まるでダンスのステップを踏んでいるような気分だった。
次はこちらから攻める。
剣の振り方なんて分からないから、ただ気の赴くままに振り回した。
逆にトリッキーなのか、相手は守りに専念する。
殺セ。
いや殺すな。
殺セ。
殺すな。
本能と理性が拮抗する。
頭が痛い。
呻けば喉から何かが飛び出しそうで、
少し気を抜けば気が狂いそうだ。
いや、既に狂ってしまったんだろうか?
眼は瞬きを許さない。
耳は痛いぐらいに神経をとがらせたまま。
身体は傷口から血を失っていくのを知ってもなお無理に動き続ける。
全ての器官が、まるで休まることを知らない。
まるで身体が、自分の限界を忘れてしまったよう。
マンションの外階段の柵にもたれてことの成り行きを優雅に見物していた男は、その瞬間、音を立てて身を乗り出した。
つい先刻まで死に掛けていた少年が、妙に俊敏な動きを見せはじめたのだ。
「……なんだ、あれは」
常に不遜な態度だった彼が、初めて動揺を見せる。
少年は、徹の剣撃を避けたかと思えば、無茶苦茶な剣の振り方で反攻し始めた。
無様といえば無様だが、速さは並みじゃない。
傍らの男は動揺した相棒を見て笑みを浮かべた。
「なんだ、とは今更ですよ、紅葉。あれは間違いなく」
――アクティブブレイクですよ、と。
その男は舐めるような目で、剣を振るう少年を見つめた。
急に、温かさを感じて彼女の意識は浮上した。
拡散していた構成要素が、急速に集まり始める。
――何が起こっている?
状況を確認しようとすると、思考回路がクリアになった。そして思い出す。
自分は目的を果たせなかったということ。
後始末をサツキに託そうとしたこと。
そして彼が取った行動、全てを。
――すると、私は今、チャージしているのか?
その判断に思い至ったとき、彼女は周りの異変に気がついた。
どんどんと熱くなっていく彼の核。
その高まりは止まることを知らない。
彼女は慄いた。
割れる。
割れてしまう。
彼の理性の殻が、割れてしまう――……
「駄目だ、割れるな!!」
とっさの叫びも虚しく。
次の瞬間、それは起こってしまった。
「……ッ!!」
殻が砕けるのを目の当たりにした彼女は、思わず目を覆ってしまった。
外部的な力が加わったわけではない。
殻は自ら崩壊した。
「アクティブ、ブレイク……だと? サツキが?」
そんなはずはない。
彼はただの人間で。
ティンクチャーとの適性すらなかった人間だ。
信じたくなかった。
けれど今、目の前に見える光景はなんだ。
これは紛れもない事実だ。
殺セ。
いや殺すな。
殺セ。
殺すな。
どっと流れ込んでくる彼の内の葛藤。
「!?」
不思議なことに、殻が崩壊したというのに、完全に理性が失せているわけではないらしい。
彼女は必死に願う。
殺すな、殺すな、殺すな。
幾度となく反芻する。
幾度となく切望する。
彼の手を汚させたくない。
いや、これ以上見たくない。
自分のせいで、誰かが狂っていくのは、もう……
そんな時、彼女の名を呼ぶ声が響いた。
『殺セ』
頭の中がそんな言葉に支配されていく。
『殺セ、殺セ、殺殺殺殺……』
もう目を開けていられない。
お願いだから休ませて欲しかった。
けれど、目を閉じたら。
身体を休めればきっと頭が完全におかしくなってしまうのは分かっている。
こちらの剣撃を受け止め続ける結崎の顔は疲労で歪んでいた。
このままこれを続けても、こいつを殺してしまうだろう。
駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ。
殺すのはあいつの本望じゃない。
助けないと意味がない。
それが、俺に出来る最後のことなのに。
――止まれ止まれ止まれ止まれ!
涙があふれる。
それなのに視界は全く歪まない。歪んでくれない。
最後に、俺は縋った。
開こうとしない口を必死に開けて、震えようとしない喉を無理やり震わせた。
そして叫ぶ。
「止めてくれ、オーアぁッ!!」
次の瞬間、意識が飛んだ。
今回はちょと尺が短かったようにも思いますが……。
個人的にはアージェントのもどかしさにフフフって感じです(?)。
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