第25話:悲痛
痛い。
痛い痛い痛い痛い!
痛すぎてどうにかなりそうだ。
何が起こっているのか分からない。
とにかく身体中が痛い。
特に胸が痛すぎる。
必死に手で胸を押さえながら、俺はその場に倒れこんだ。
あまりの激痛に耐え切れずにブロック敷きの地面に爪を立てた。
爪は軟いから、すぐに指先の皮膚が破れた。
しかしそんな痛みなど痛みとすら思えなくなるぐらいに、身体の中がぐちゃぐちゃになりかけていた。
まるで身体の中に熱湯がぶちまけられて、その火傷を刃物か何かで執拗にいじられているみたいだ。
「……っぁア…、……ん、だ、よ、これ……!」
身体を縮めても反っても痛みは全く治まらない。
吐き気すらするが、吐く余裕すら今のこの身体にはない。
次第に意識が薄れてくる。
すると、その先に何かが見えてきた。
夜空。
どこかの高いマンション。
その柵に座り込む少年。
儚げに笑う。
剣を振るう少年。
次々と切り伏せていくのはネイチャー。
褒めると、嬉しそうに笑う彼。
がらんとした部屋。
泣き喚く少年。
血走った眼で、見下ろしてくる。
夜。
神殿のような広場。
どこか様子がおかしな彼。
――激痛。
激痛。激痛。激痛。
…………悲痛。
失墜。
広がる、嘲笑と罵倒。
後悔。絶望。失望。苦痛。挫折。苦渋。憎悪。嫌悪。
黒い感情がぐるぐるとうずまいて、ただ耐える、白い部屋で。
そこに、黒い男が現れた。
「…………ぅッ」
二重の痛みで意識はまた浮上した。
脳裏によぎったのは、まるで高速のスライドショーのような映像だった。
「……ーア……」
あれは、間違いなく、彼女の記憶だ。
なら、この痛みも全部彼女のものだ。
身体の痛みも、心の痛みも。
「……こたえろ、オーア……」
声を振り絞る。
痛みからか、何からか、涙が止まらない。
なんだよ、これは。
むちゃくちゃじゃないか。
善意を仇で返された、どころの話じゃない。
この仕打ちはなにごとか。
それに、なんなんだ、あいつら。
死にかけの彼女を見て嗤いやがった。
同胞のはずなのに。
……なんで。
なんで。なんで。なんで。
怒りの矛先が、変わっていく。
「……あんな、笑ってられたんだよ、オーアッ……!!」
血だまりの中で共に痛みにもがく2人を、マンションの外階段から見下ろしている者たちがいた。
「……あのタイミングでチャージする、とは考えましたね、あの少年」
片方は妙に丁寧な喋り方をする男だった。
「だがあの苦しみようじゃもたないだろう、あれは」
その傍らにいるもう1人の男はそう冷ややかに呟いた。
「すると自滅するのを待つと?」
片方がそう尋ねると、男はいや、と首を振った。
「時間の無駄だ。徹は動かせないのか?」
「あの様子だと理性が戻り始めていますからね。これ以降も彼を使いたいというのなら、人形にするしか手はありませんよ」
それを聞いた彼は、短く溜め息をついた。
「操り人形、か。結局、彼も期待はずれだったな」
ひどく残念そうに男はそうぼやいたが、次の瞬間には
「まあいい。まだ駒は必要だ。彼の思考回路を停止させろ」
冷たくそう命令した。
命令された側の男はというと、薄ら笑いを浮かべていた。
「……君は本当に出来た人間ですね。感心しますよ、紅葉」
オーアは答えを返してこない。
それ以前に、今オーアはどうなっているのか。
チャージによって存在自体の消滅は食い止められたかもしれない。
けど、あいつが俺に溶ける、ということは結局は彼女というものが外形を失うということだ。
外形を失ったら、人格はどうなる?
やっぱり、なくなってしまうのか?
痛みの端で逡巡していると、傍らに倒れこんでいた結崎が急に、立ち上がった。
「!?」
妙な動きだった。
先ほどまで頭を抱えて倒れこんでいた人間とは思えないような、スマートな動きだったのだ。
まるで、糸に操られているかのような。
奴は、焦点の合わない目で俺を見下ろしてきた。
やっぱり、変だ。
逃げないと、まずい。
「…………く、ぅ」
俺は身体の痛みを引きずりながらも立ち上がる。
痛みは先ほどよりかはマシになった気がした。
いや、マシになった気になっておかないとこんな身体、動かない。
すると、奴の手の中に黄金の剣が現れた。
振るう気だ。
「!!」
俺はとっさに剣を構えようとしたが、剣の重量に負けてまた引っ繰り返ってしまった。
が、それがむしろ幸いだった。
こちらが転んだことで奴の一撃目はかわせたのだ。
しかし、そんなのはただの幸運。即死を免れただけだ。
次の手は逃れようがなかった。
俺に出来たのは、ただ少し、気休め程度に身を翻すことだけだった。
わき腹に一閃の熱が走る。
「ッ!」
……斬られた。
既に身体の中がガタガタだから、外傷なんてものの痛みはもう感じない。
けれど、血の気がどんどん失せていくのが分かった。
指先すら、もう動かせない。
「…………」
動かなくなった俺を、奴は虚ろな目で見下ろしている。
まるで幽霊みたいな顔だ。
……一体、何様だ。
嗚呼、ああ。
悔しい。悔しい。悔しい。
俺はこいつに、謝らせないと気がすまない。
あいつはお前のことを助けるつもりだったのに、あんな酷いことをして。
全部、全部あいつは失った。
……俺だって、失ってしまった。
お前のせいで、もう、戻ってこないじゃないか。
わざとおどけたような言動を繰り返して、皆にいい顔をして、誰にも弱音を言えなかった馬鹿な女。
ほんとは人間不信気味なくせに、俺なんかのところに居座った変な奴。
初めて真っ直ぐな言葉と笑顔で、俺の絵を褒めてくれた女。
世界の塵くらいのスケールの、俺の悩みに耳を傾けて、慰めてくれたティンクチャー。
こんなことになるならちゃんと伝えて置けばよかった。
俺は、お前が嫌いじゃないと。
『実は嫌われているのではないかと思っていた』
実は繊細な奴なんだって分かってたら、恥ずかしくて飲み込んだ言葉も、もっと言えたかもしれないのに。
……そんな機会は、もう来ない。
彼女に絵を見せることも、もう出来ない。
「…………オーアぁ……っ」
情けないくらい掠れた声で、彼女の名前を呼ぶ。
失せていく体温。
目から溢れるものだけが、妙に熱かった。
…………いや。
身体の芯が、ひりひりしだした。
まるで火がくすぶるような、そんな感じ。
見れば、俺を見下ろす結崎の目に、涙が浮かんでいた。
目は生気が抜けたように、虚ろなままだったが、その目に光るのは確かに涙だった。
「……こ、ろ、して」
彼の口が微かに開く。
確かに、『ころして』と、彼は言った。
が、その言葉に反するように、彼の剣はまた振り上げられた。
――やっぱりおかしい。
この様子じゃまるで、誰かに操られてるみたいだ。
「…………ッ」
いらいらする。
なんなんだよ。
オーアはもういないし。
仇のこいつは『殺して』なんて頼んでくるし。
『わるい、が、トオルを、……たのむ』
……ちくしょう。
なんなんだよ、俺の気も知らないで。
やっぱり俺はお前の道具になんかなれそうにない。
俺だってものを考えて生きてるんだ。
間違ってもこんな奴を助けたりなんか…………。
なぜかその時、彼女の悲しい顔が目に浮かんだ。
「……ッ!!」
この期に及んでも矛盾だらけの奴。
あんなに酷いことをされてもまだあいつを助けたがるのか?
……ああいいよ、分かったよ。
止めてやればいいんだろう、こいつを。
お前の最後の願いを、叶えてやる。
――それが、お前を助けられなかった俺の償いだ。
胸の奥、芯のほうが痛いくらいに熱くなる。
まるで胸の中で火柱でも上がったんじゃないかと思うぐらいに。
同時に、音を立てて何かの蓋が外れた気がした。
突然ですが強化週間始まります(え)。
都合により強化月間が出来なかったので今週だけはせめて! 毎日更新……を目指したいと思います。当初9月中には完結させる予定だったのですがこの分だとちょっとオーバーしそう。
全力で頑張ります!
いつも読んでくださっている方々、ありがとうございます。