第24話:痛み
金属と金属がぶつかる音。
舞うのは火花、ではなく黄金の粉だ。
オーアはただ攻め続ける。
対して徹は守り続けた。
決闘を開始して数分、こんなせめぎあいがずっと続いていた。
剣技の点で言えば、徹に軍配が上がっている。
ゆえにここまでの猛攻を、かわし続けているのだ。
「ねえオーア、無駄だよ。こんな疲れることはやめて、早く僕のものになりなよ」
徹は薄ら笑いを浮かべながらそう言った。
その隙を、彼女は見逃さない。
喋ったことによるほんの小さな隙を突いて、彼女は彼の剣を弾き飛ばした。
「!」
徹は息を呑む。
経験は、彼女のほうが勝っているのだ。
彼と出会うずっと前から、その剣は彼女のものだったのだから。
3年前のあの日、言えなかった言葉を彼女は口にした。
「――さよならだ」
そう言い放って、剣を前に突き出す。
その、最後の瞬間に、彼と目が合った。
彼は怯えきった目をしていた。
絶対的に信頼していたものに、裏切られたような目だった。
――どこで、間違えたのか。
そんな、微かな後悔が彼女の脳裏をよぎったとき。
衝撃と共に、腹部に痛みが走った。
「…………ぁ」
視界が痛みで歪む。
けれどはっきりと確認できた。
目の前には、血走った眼で小刻みに震える青年の顔。
その手には、黄金の剣が握られている。
その先端は、深々と、自らの腹部に刺さっていた。
……油断した、と。
即座に彼女は理解した。
ほんの一瞬の後悔さえ、この戦いには許されなかったのだ。
今の彼なら何度でも、同じ剣を手に出せる。
分かっていた、はずなのに。
「……あ、あ」
顔面を蒼白にしながら、徹は慌てて剣を引き抜いた。
途端、彼女の身体から血が噴き出る。
彼女は無言のまま、のけぞるようにして後ろに倒れた。
徹は剣をその場に捨てる。
「……オーア……。オーア!」
倒れた彼女の頬に触れる。
ひどく、冷たかった。
「……ぁ……ぅ」
彼女の唇から漏れるのは、苦悶の声。
それと同時に、彼女の身体から黄金の光が霧散し始めた。
「オーア? ねえ、オーア!?」
明らかな彼女の異変に、徹は気付いた。
「……っあ」
彼女はさらに苦しみだした。
身を縮めたり、逸らしたり。
「ぃ、アぁ……!」
目の焦点が定まっていない。
ただ苦しげに、声を漏らす。
そんな光景に、彼は既視感を覚えた。
途端、また頭に痛みが走った。
「……!」
激痛に耐え切れず、徹は頭を抱えてその場に倒れこんだ。
そんな状況でも、彼女の呻き声は絶え間なく聞こえてくる。
それが加速させるように、頭の痛みは増していく。
「……ぁ、何、これ……」
ぼやけていた記憶が、彼の頭の中で鮮明になっていく。
泣いているのは彼女。
泣かせたのは自分。
いや、酷いことをしたのは、自分。
「……ぁ、あああああ」
全ての記憶が、埋まってしまった。
3年前の夜、オーアの前に再び現れた徹はシェルブレイクを起こしていた。
しかし、普通のそれとはまた違った。
一般的なシェルブレイクは人間の身体から黒いネイチャーが抜け出る現象だ。
しかし彼のシェルブレイクはネイチャーが身体から抜け出ないものだった。
凶暴な人格を表の殻に潜ませる。
見た目は普段と変わらない。
そう考えると、あまりに危険な現象だった。
オーアが初めて目の当たりにしたその現象に驚き、油断した隙に、徹はネイチャーばりの素早さで彼女に近づき、その動きを封じた。
「!?」
後ろから羽交い絞めにされた彼女はとっさに身をよじったが、まったくと言っていいほど拘束はゆるまなかった。
シェルブレイクの影響か、彼の身体能力、腕力は普段と比較にならないほどに向上していたのだ。
「……ねえオーア。僕、こんなに強くなったんだよ? 僕には特別な因子があるんだって」
徹は恍惚状態でそう囁いた。
「特別な、因子、だと?」
その間にも彼女は必死に身じろぎしたが、やはり彼の腕の力は緩まない。
「アクティブブレイク、っていうんだって」
徹はそう言った。
「……トオル、誰にそんなことを……」
オーアの問いに、彼は答えなかった。
「そんなこと、どうでもいいじゃないか。ほら、今の僕なら君を逃がさない。君は逃げられないよ、オーア」
その言葉に、彼女はぞっとした。
今日の彼はおかしかったが、今はもっと、根本からおかしくなってしまっている。
破壊的、非理性的すぎる。
このままだと、本当に、まずい。
そう思った彼女は最後の手段として翼を展開した。
翼を展開すれば、逃げられると思ったのだ。
しかし。
「……駄目だよ、オーア」
彼の、冷ややかな声がした。
同時に、背中に激痛が走る。
「っ、!」
思わず苦悶の声を漏らした。
それまで翼を誰かに掴まれたことなど、彼女には無かったからだ。
本能的に、身体が震える。
急所を鷲掴みにされて、生命の危機を感じているのだ。
「この羽、柔らかいんだね」
しかしそんな事情も知らず、徹は無遠慮に黄金の翼を撫で回した。
「トオル、やめ、」
彼女の懇願の声が気に入ったのか、彼はそれをやめようとはしなかった。
一方、彼女は身体からどんどんと血の気が失せていくような感覚を覚えていた。
「はな、せ! やめろ!!」
耐え切れなくなって彼女は必死にもがいた。
すると。
「……そんなに境界に帰りたいの?」
ぽつりと、糸が切れたような言葉を徹は漏らした。
――まずい、と。
本能的にそう悟った彼女だったが、彼の腕からはどうしても逃れられなかった。
「だったら奪ってあげるよ、この羽根。綺麗だからちょっと勿体無いけど、これが無かったらオーアもきっと、帰れないよね?」
その言葉に、彼女は愕然とした。
そして、次の瞬間。
徹はあまりにも無慈悲な力で、彼女の右翼を裂き始めた。
「ぃ、アああアああアアッ」
最初の一呼吸だけで、喚くには十分だった。
しかし彼は手を止めない。
「……ル、ッ、や、めて、」
懇願も、今の彼には届かない。
痛い、痛い、痛い、痛い、いたいいたいいたい……
何度叫んで、泣き喚いても、彼が手を休めることはなかった。
まるでそれを目の仇のようにして、少年は一心不乱に翼をむしっていく。
地獄だった。
生きながらに死ぬようなものだった。
なまじ彼女の生命力の貯蔵が莫大だったために、片翼を完全に失うまで、彼女は激痛に耐えながら意識を保つことになったのだ。
しかし次第に視界も薄れ、喚く力も底をついたころ、誰かの声が降ってきた。
意識の混濁の中、彼女は黒衣の男に抱えられて、ようやくその場から抜け出した。
家を飛び出して、俺は真っ先に昨日奴と出くわした場所に急いだ。
そこに彼女がいるのかはわからなかったが、相手と何の指し示しもなく落ち合うのならその場所が最も適当だと思ったからだ。
その勘は正しかった。
走れば走るほど、首筋の痛みが増していく。
いつぞやと同じ原理だ。
しかし。
「……ッ!?」
思わず立ち止まってしまうほどの激痛が、首筋に走った。
――まさか、あいつに何かあったんじゃ……。
そんな悪い予感と、痛みに耐えるべく歯を食いしばって、俺はまた走り出す。
ようやくマンションの裏手にさしかかった。
そして。
「……!」
そこには、痛ましい光景が広がっていた。
まるで相討ちでもしたかのように、2人の身体が転がっている。
オーアの身体からは大量の光が漏れ出ていた。
まるで身体が、消えかけているかのように。
「オーア!!」
頭を抱えるようにして倒れている男には目もくれず、俺は血だまりの中にうずくまるオーアを抱き起こす。
彼女の身体は異常に軽くなっていた。
呼吸が浅い。ともすれば止まってしまいそうだ。
「おい、しっかりしろ!」
俺が泣きかけで叫ぶと、彼女はゆっくりと目を開けた。
宝石のように綺麗だった双眸は既に混濁している。
「…………ツキ、か」
声すらも、あまりにも小さい。
「……わるい、が、トオルを、……たのむ。いまなら、もどせる、から」
しかし、彼女は確かにそう言った。
頭に血が上りそうだった。
「……馬鹿言うな! なんでこんな奴のこと……!」
涙がぼたぼたとこぼれ始めた。
瞼を徐々に閉じながら、それでも彼女は言う。
「……わたしの、せい……だ、から」
そう呟いた彼女の頬に、一筋の涙が伝った。
知らない。
そんなのは知らない。
彼女が何を後悔しているのかは知らないが、俺にはそんなことどうでもいい。
オーアの身体がさらさらと、金の粉になって流れていく。
俺は必死になって彼女を抱く腕に力を込めた。
そんなことじゃ収まらないのは分かっている。
だから。
「オーア、チャージだ! このままじゃお前の身体が消えちまう!」
俺はそう叫んだ。
チャージすればこれが止まるかなんて確証はないが、この前中等ネイチャーと戦ったときだって、オーアはチャージが解けたと同時に倒れたんだ。
たとえ本人の力が弱っていても、チャージ能力には問題がないようだった。
チャージしている間は、持つんじゃないだろうか?
「……今、そんなことを、したら、わたしが、お前のなかに、溶け込んで、しまうぞ……」
オーアはか細い声でそう漏らした。
溶け込むなら溶け込んでしまえばいい。
……こいつが完全に消滅するよりマシだ!
「…………!」
俺はとっさに、彼女の唇に自分のそれを重ねた。
俺の唇にはさっきアージェントに殴られたときに切った傷がある。
血が付いているはずだ。
次の瞬間。
思惑通り、いつものような、何かを吸い込むような感覚を覚えた。
彼女の身体は忽然と消え、右手に剣も現れた。
どうやらチャージは成功したらしい。
俺がほっと、息を吐きかけたその時。
「!?」
頭の中が真っ白に塗りつぶされて。
身体の中からズタズタにされるような、激痛が走った。
……設定上、前から考えていたシーンでしたが実際書いてみるとものすごい罪悪感を感じます。気分を悪くされた方がいらっしゃったらすみませんでした。
いつも読んでくださっている方々、ありがとうございます。