第21話:笑顔
その晩、オーアはクリムにつきっきりで看病していた。
俺は部屋の隅っこでただ体操座りをしていた。
彼女は多くを語らなかった。
ただあの男、結崎徹と3年前に正式契約を結んでネイチャー退治をしていたということ。
すれ違いが生じて、目を離した隙に奴がトチ狂ったということ。
そして奴に、ティンクチャーが各々持っているという翼の片方を捥がれたのだということ。
ただその3点だけを話した。
それ以上のことは、話したくないのだろうと勝手に悟ることにした。
「……なあ」
小声で、オーアの背中に問いかける。
「クリムは……。あの獣みたいな姿はなんだったんだ?」
オーアは振り向かないままだったが、答えてくれた。
「この子は生粋のティンクチャーではないんだ。天上界の神と冥界の獣の間に出来た子でな。その出自のせいで居場所を失って、ティンクチャーとして加工されて、境界に来た」
とりあえず、へえ、と生返事をしたが、どうやら相当複雑な生い立ちらしい。聞いただけでもどろどろしてそうな雰囲気が伝わってきた。
「……あの姿になるのは嫌がっていたんだがな……」
オーアはか細い声でそう呟いた。
クリムの奴は必死だったんだろう。
あいつは俺が殺すべき相手だって言ってたくせに、結局自分で飛び込んでいっちまった。
思い返せば、男に対して警戒心を顕にしていたのは、あいつのことがあったからなのかもしれない。
『姉さまが悪い人間に騙されないよう、常に周りに注意を払うのがクリムの使命ですから!』
そう豪語していたクリムの顔が思い出される。
「…………」
また、俺は何も出来なかった。
俺にはなんの目的もないから、はっきりとした目的を持ったオーアの助けになるのならと、身体を差し出したはいいが、結局なんの役にも立っていない。
『頼りにされる男になりたい、とか?』
五十嵐の言葉を思い出す。
頼れる男になんて、到底なれっこない。
俺はただの凡人だ。
いや、下手をすればそれ以下かもしれない。
……夢なんか、見なきゃよかった。
俺はこぼれそうになった涙を必死にこらえて、足早に部屋を出て行った。
早朝、納戸の片隅で眠っていた俺はオーアに起こされた。
「クリムが起きたぞ」
彼女の言葉を聞いて、急いで部屋に駆けつける。
クリムは相変わらずベッドに横たわったままだったが、目を開けていた。
「大丈夫か?」
俺の問いに彼女は小さく頷いた。
昨日の出血はひどかったように思ったが、どうやらもう大丈夫らしい。
すさまじい回復力だ。
半分神様の血を引いているということに関係しているんだろうか。
「クリム、何か欲しいものがあれば買ってくるぞ」
オーアが優しくそう語りかけると、クリムは
「……ゼリーが食べたいです」
ちゃっかりそう答えた。オーアは笑みをこぼして
「分かった。すぐ買ってくるからな」
立ち上がる。彼女がベランダから出ようとしたので
「俺行くけど」
そう言ったが、
「私に行かせてくれ。金はバイト代でもらっているからな」
オーアはそう言って、さっと出て行った。
部屋にクリムと2人、取り残される。
「……サツキ」
クリムが俺を呼んだ。
「ん?」
俺はベッドの前にしゃがみこむ。
クリムの枕元には、あの帽子が置かれていた。
昨日の件で、少し血がついてしまっている。
見ていることしか出来なかった自分が、さらに情けなくなってきた。
俺が俯いた、その時。
「……姉さまを、守ってください」
彼女はそう言った。
「……え?」
クリムは続けた。
「姉さまは、あいつのせいでひどい目に遭ったです。翼はティンクチャーにとって誇りの象徴。エネルギーの源でもあるです。それを奪われたせいで姉さまは……」
声に上ずりが混じってきている。
「この3年間、境界でずっと姉さまは謗られ続けてきたです。前まであんなに敬われてきた人なのに」
伝わってくる怒り。
翼を奪った奴への怒りもあるだろうが、翼を奪われたということだけで手のひらを返したように態度を変えた周りの奴らへの怒りもあるのだろう。
「クリムはよく分かるです。ずっと白い目で見られ続けてきたですから。……けど姉さまがいたから、クリムはやって、これたです」
クリムの呼吸が乱れ始めている。
「おい、もう喋るな。休めよ」
俺が止めても、彼女は続けた。
「クリムだって、ずっと姉さまと一緒にいたいですよ。でもあいつは、自分のことしか考えてない、です。……だから姉さまに、あんな、ひどいことが出来たです……」
クリムの目からは涙が流れていた。
『ずっと、一緒にいたかっただけ』。
クリムは奴の言葉に傷ついたのかもしれない。
自分と同じ願いだったから、か。
「お願いですよ、サツキ……」
クリムはそう言って、目を閉じた。
「お、おい」
少し慌ててしまったが、どうやらまた眠りに入っただけらしい。
やはりまだ休息が必要のようだ。
オーアを、守る。
俺だって、そのつもりだった。
けど、俺に何が出来るんだろう。
クリムがいないと、あいつとチャージしても満足に剣すら振るえない。
そんな俺が、あんな化け物みたいな奴に勝てるわけない。
あいつの剣は見えないくらいに速かった。
チャージも何もしていないはずなのに、何であんなに容易くあの剣が振れるのか。
オーアの翼を糧にして多少常人離れしたところもあるんだろうが、俺には何となく分かる。
あいつは、もとから優秀な契約者だったんだろう。
「……無理だよ、俺には」
寝息を立てるクリムに、俺は小さく、泣き言をこぼした。
その日、クリムの看病はオーアに任せて、俺は学校に行った。
五十嵐がクリムの容態や結崎徹のことについて尋ねてきたが、
「クリムは大丈夫そうだ。あと、あいつは、オーアの前の契約者らしい」
とだけ答えた。
五十嵐はさらに詳しく聞きたがっているように見えたが、俺がそれ以上言わなかったので彼女も深くは尋ねてこなかった。
あまり、考えたくないのだ。
今度奴が現れたらどうしよう、とか。
きっと俺じゃやられるだけに決まってる。
けどオーアだって、立ち向かえる相手じゃないだろう。
……いや。
あの銀色のティンクチャーなら、勝てるんじゃないだろうか。
確か、名前はアージェント。
オーアとは仲が悪そうに見えたが、シアンが仲裁に入った後は大人しく姿を消した。怖そうな人に見えたが、一応は常識ある奴なんだと思う。
「それにしてもあの【金属色】のティンクチャーの力量は半端なかったわね」
五十嵐ですらそうこぼしたほどだ。
「彼女を仲間に引き込めれば大方の問題はクリアできるでしょうね」
五十嵐の言葉に俺も同意する。
――捜そう、あいつを。
俺はそう決心して、下校した。
帰り道、俺はふとクリムへの手土産を買って帰ろうと思い至り、普段は滅多にしない寄り道をした。
コンビニで喉の通りがよさそうなジュース類やデザート類をいくつか購入し、店を出ると
「……瀬川?」
後ろから、誰かに呼び止められた。
聞き覚えのある声だ。けど、クラスメイトのものでもない。
「?」
ゆっくりと振り返ると、そこには快活そうな茶髪の少年が立っていた。
俺の顔を確認するなり、彼は駆け寄ってきて
「やっぱり瀬川だ! 久しぶりだな!」
親しげに俺の肩を抱いた。
「水城?」
約半年ぶりに会う中学時代の友人、水城志郎だ。
あの頃は髪なんか染めてなかったから、一目では分かりづらかった。
それに、彼がここにいるはずはないと思っていた。
俺の驚きはそっちのけで、彼はますます親しげに語りかけてきた。
「最近どうしてる? 部活はやっぱり美術部か?」
その質問に、俺は首を横に振る。
「今は帰宅部。のんびりやってるよ」
俺がそう言うと、彼はへえ、と驚いた顔をした。
「まあそうか、お前の学校進学校だもんな。勉強とか忙しいよな」
彼はそう言ってひとりで納得している。
……勉強が忙しくないといえば嘘だが、別にそんな理由で部活に入らなかったわけじゃない。
「水城は? 寮にいたんじゃなかったのか?」
あまり立ち入らないほうがいいとは分かっていながら、俺は尋ねてしまった。
彼はこの町から少し離れたところにある美術学校に行ったはずなのだ。寮に入って生活するんだと、卒業式の日言っていたはずだ。
「……へへ、それがさ。今俺、ちょっと悩んでてさ。休学中なんだ」
水城は俯き加減に、けれどへらへらとそう言った。
「自信満々に美術学校に入ったはいいけど、周りの奴ら、すんげえ上手くてさ。俺なんか足元にも及ばないんだよ。なんか段々描いても楽しくなくなってきてさ。……お前と張り合ってたころが懐かしいよ」
彼はそう言って、また俺の肩を叩いた。
……正直、その手を払いのけたくなった。
手に鞄とコンビニの袋を持っていなかったら、そうしていたかもしれない。
「……へえ、大変なんだな。お前も」
そう言って、俺は必死に取り繕う。
汚い感情を、悟られないように。
出来ればこいつには、会いたくなかった。
会いたくなかったし、そんな話、聞きたくなかった。
水城が頷くと、後ろから第3の声が飛んできた。
「志郎くーん、私先に帰るよー?」
高めの女の声だ。彼には連れがいたらしい。
「あ、悪い悪い、ちょっと待って」
彼は後ろに手を挙げて応えてから、
「あれ俺の彼女なんだ。可愛いだろ?」
なんてにやけながら言う。
「じゃあ瀬川。またな」
そう言い残して、女のほうに走っていった。
……ああ、そういえばさっきコンビニで妙にいちゃついてる奴らがいるなと思ったら、あいつらだったのか。
学校にも行かないで女と遊んで、何やってるんだ、あいつは。
「…………」
どんどん溜まっていく黒い感情を必死に飲み込んで、俺は足早に家路についた。
家に帰りついて、俺の部屋に入ると、なぜかベッドにクリムの姿はなく、オーアがベッドメイキングをしているところだった。
「……クリムは?」
単純に尋ねると
「今はアヤの部屋のベッドを借りている。シーツをそろそろ取り替えたほうがいいと思ってな、勝手かと思ったが洗濯したぞ?」
オーアはそう言ってシーツのしわを伸ばした。
「……別に構わないけど」
俺はそう言ってネクタイを緩めた。
すると、オーアがじっと俺のほうを見つめてきた。
「なんだよ」
ぶっきらぼうに問うと
「……いや、顔が怒ってるぞ。何かあったのか?」
オーアはピンポイントに痛いところを突いてきた。
こいつの妙に聡いところは、正直迷惑だ。
「……別に。なんでもねえよ」
俺は視線を逸らしたが、オーアはまだ食いついてきた。
「そんな不機嫌な顔をされたままではクリムをここに戻せないじゃないか」
「だったら俺が出て行けばいいんだろ!」
思わずそう怒鳴って、俺は部屋を出ようとした。
八つ当たりなのは分かっている。
分かっているからこそ、自分が余計に情けなくなってきて、つい涙腺まで高まってくる。
すると。
「サツキ」
腕を掴まれた。
「……放せよ」
声が上ずってきた。
このままだと、無様なところを見られてしまう。
けれど
「悪いが断る。私はお前の家庭教師だぞ? 学問以外の悩み事を聞く義務もある」
オーアはそんなことを言った。
――今はそれどころじゃないくせに。
「……おせっかい」
俺はとうとう、その場にしゃがみ込んだ。
中学のとき、俺は美術部に所属していた。当時美術部は人気がなくて、部員の数は少なかった。
俺以外の男子部員は水城しかいなかったから、自然とあいつと仲良くなってた。
あいつと俺の力量はいつもどっこいどっこいで、コンクールとか、行事のパンフレットの表紙にどちらが採用されるかで競い合ったりするのが楽しかった。
後から思えば、どちらが勝ってたりとか劣ってたりとか、そういうことがなかったからこそ、楽しかったんだと思う。
あっという間に3年になって、俺は進路に悩んでた。
普通の高校に進むか、美術系の学校に進むか。
正直、そのときはどっちでもいいと思ってた。
まだ将来像がはっきりしていなかったからだ。
けど、水城は違った。
うちの学校には美術学校への推薦枠が1人分だけあって、水城はそれを狙っているらしかった。
当時の美術の先生は俺たちのことを目にかけてくれていて、どちらかを推薦したいと言ってくれていた。
それで、あいつは俺に頼み込んできたんだ。
『お前は頭もいいからさ、他の学校でもいけるじゃん? 俺には絵しかないんだよ。だから頼む。推薦枠は俺に譲ってくれ』って。
俺にはそんな風に必死になる理由がなかったから、推薦枠はあいつに譲った。
ちょっと複雑な気持ちもあったけど、入学が決まったとき、あいつ、すごく嬉しそうだったから、よかったなって思うことにしたんだ。
「……けど、高校に入って、すぐ勉強に追われるようになって、なんか、道を間違えたかなって思い始めるようになってさ」
高校に入って成績が落ちるのはよくあることだとは分かっている。同じレベルの頭の奴らが集まってくるんだから、順位が下がるのは当然だ。
けど、なんか悔しくなって。
「あの時、推薦枠を譲らないでいたらどうなってたかな、なんて思うようになった自分が嫌いになった。自分が決めたことなのに、後で後悔するなんて、馬鹿みたいだと思った。……だから絵も描きたくなくなったんだ」
塾帰りに、いつも思ってた。
勉強が出来ないと生きていけないのかって。
なんで人間はこんな面倒くさい社会を造ったんだろうって。
うまくいかないのを全部周りのせいにして、俺は自分を守ってる。
「今日だってそうだ。水城の奴が、美術学校でうまくいかなくて休学してるのを聞いて、なんてひどい奴だと思った。せっかく譲ってやったのにって。でもそんなこと言ったら駄目だって分かってるから言えなかった。あいつの中の、俺は『良い奴』だってイメージを壊したくなかったから」
言葉で表すのも辛い。
「分かってるんだ。そもそも譲ってやったなんて考え方が間違ってるって。俺が決めてやったことなんだから。それに美術学校が厳しいのは分かってる。あいつの気持ちだって分からないでもないんだ。……けどなんか、妙にいらついて」
結局、俺は。
「俺は自分勝手な、駄目な奴なんだって。結局、自分が1番可愛くて、そんな奴だから、誰の役にも立てないんだ」
そう独白して、俺は涙をこぼしていた。
分かりきったことを言っているだけなのに、なぜか嗚咽が止まらない。
オーアはというと、俺の長ったらしい話を相槌もなくただ聞いていた。
彼女にしてみたら、こんなこと、ガキのうわ言に聞こえるんだろう。
俺1人の悩みなんて、世界が回っていくにはまったく支障のないことだ。
こんなのは、ただの塵。
ただの雑音。
ただの……
「…………!」
気がつけば、俺はオーアに抱かれていた。
いつぞや顔面に感じた体温が、直に身体に伝わってくる。
優しい、匂いがした。
「周りより自分が大事なのは当然のことだ。恥じることはない」
オーアはそう言った。
「それに、『良い奴』だなんて思われようとしなくても、サツキは十分『良い奴』だ。私が保証しよう」
彼女のその言葉に、俺は思わず言いたくなった。
「……そんなこと、ない。お前に親切にしたのだって、下心があったかもしれないんだぞ」
その辺は、自分でもよく分かっていない。
けど明確な下心はなかったにしろ、自分を良く見せようとした気持ちが働いていたことは嘘じゃない。
言ってしまってから、流石に軽蔑されるかと後悔した。
けれど彼女は、微かに笑いを漏らした。
「……そうか。それを聞いてむしろ安心したぞ」
なぜか、彼女はそんなことを言った。
「……どういう意味だよ、それ」
俺が問うと、彼女は笑いをこらえながら言う。
「だってお前、私のことを散々変態だのなんだの言い散らかしただろう? 男でそこまで言う奴はお前が初めてでな」
実は嫌われているのではないかと思っていた、と。
彼女はそんなことをこぼして、身体を離した。
オーアの穏やかな顔を見ていたら、自然と涙は止まっていた。
「…………」
嫌うなんて。
そんなこと、あるはずがない。
……なんて、恥ずかしくて言えなかった。
けど。
「……お前も意外と繊細なんだな」
少しふてぶてしい言い方になってしまったが、俺はそう呟いた。
しかしオーアは怒った顔をせず
「ようやく分かったか」
そう言って、笑った。
その笑顔は、いつか見たそれに似ていた。
ああ、絵だ。
俺が昔描いた絵を見て、褒めてくれたときの顔。
『この絵、とても良い。私はとても気に入った』
……新しい絵を描いたら、またあんな顔をしてくれるだろうか、こいつは。
前回、来週はお休みしますなんて言ったんですけどストックがひとだんらくついたので1日おきに更新したいと思います。
今回の話はターニングポイントかな、と個人的には思ってます。
今まで以上に平凡な設定の主人公が本当に平凡な悩みを吐露するところとか、あとオーアの最後のひとこととか、普段はあんまり素直じゃないキャラの気持ちが素直に出てるところなので、書いていてとても楽しかったです。
当分シリアス展開まっしぐらですが、頑張ります。
いつも読んでくださっている方々、ありがとうございます!