第20話:【白銀】のティンクチャー
……なんて、言ったのか分からなかった。
翼を、捥いだ?
「けど君は行ってしまった。だから僕、食べたんだよ、君の翼。食べたら君とまた一体になれるんじゃないかと思って」
……こいつ、何を言ってるんだ?
「けど駄目だった。剣はまた使えるようになったけど、君は語りかけてこないし。……だからやっぱり、君を手に入れないと駄目なんだって分かったんだ。だからずっと待ってた」
オーアは微かに震えながら、それでも前を見てこう言った。
「私が再びここへ来たのは、お前に会うためじゃない」
一息ついて、彼女は宣言する。
「――お前を、殺すためだ」
奴はそれを聞いて、剣を取り落とした。
「……ころす? 僕を……?」
いつの間にか、狼狽は呆然に変わっている。
「……なんで? 僕を生かしてくれたのは、君じゃ、ないか。……あれ、オかしいな。耳に、雑音が入ッ……」
急に、奴は頭を押さえ始めた。
まるで頭痛か何かに襲われているように。
「……なん、デ、泣イ……」
奴が膝をついた途端、奴を守るように、影の塊のようなものが地面から現れた。
「……!」
ネイチャーの塊。
五十嵐が言っていたものだ。
それに隠れるようにして、奴は姿を消してしまった。
「……!」
オーアが舌打ちする。
残されたネイチャーの塊は3つに分裂した。
形も人型に変わりつつあり、しかも通常のサイズより大きい。
しかも奴らはティンクチャーを食らって力を蓄えているはずだ。
「おいオーア、まずいぞ。お前と俺だけじゃ、あんなの……」
それにクリムだって早く手当てしないとまずい。
そんな時。
「瀬川君!」
後ろから五十嵐の声がした。
振り返ると、彼女とシアンがやって来ていた。
五十嵐はクリムの状態を見て
「だから逃げなさいと言ったのに」
叱責するようにそう呟いてから、一瞬でシアンとチャージした。
「ここは私がなんとかするから、その子を安全なところに運びなさい」
五十嵐はそう言って、ネイチャーのほうへ駆けていく。
五十嵐の刀は速いのが特徴だ。
あの速さがあれば、あの3体といえどすぐに……と思ったのだが。
彼女がネイチャーに斬りかかった途端、ネイチャーは形を変えた。
切られる前に、自ら身体を切ったのだ。
「!?」
これには五十嵐も驚いたようで、一旦飛び退いた。
「……小癪な真似をしてくれるわね」
そう悪態づいた彼女の後ろには、もう2体のネイチャーが近づいている。
「五十嵐、後ろ!!」
彼女は俺の忠告を聞く前に自ら察知して身を翻しているが、一旦守りに徹しだすときりがない。
一度に3体相手はやはり無理だ。
一気に囲まれたら逃げる隙がない。
「……アゲハがシェルブレイクされてみろ。さらにまずいことになる」
オーアがそう呟いたかと思うと
「ダーザイン!! 退け!!」
次の瞬間にはそう叫んでいた。
彼も同じ意見だったのか、シアンはすぐさまチャージを解き、五十嵐を抱えて退避した。
「シアン!? このままじゃあんな危ないものを街中に放置することになるわよ!?」
五十嵐がそう抗議しているが
「お前がシェルブレイクされたら元も仔もねえんだよ」
シアンはそう言いなだめていた。
しかし五十嵐の言うことも捨て置きならない。
このまま逃げるのは確かに気が引ける。
――けど、打つ手が……。
自分の無力さに歯噛みした、その時。
「――下種が」
風に乗るように、そんな声が降ってきた。
かと思うと、ものすごい風圧と共に、ネイチャーの頭上へと光の塊が突っ込んだ。
「!?」
その勢いとくれば、その場にいた全員が風で押し戻されたほどだった。
俺は慌ててクリムの身体を抱きこむ。
目も開けていられない。
瞼を閉じていても感じられる光。
神々しいほどの、白い光だった。
微かに目を開けると、見えたのは人影。
――女性だ。
ひとつに束ねられた白銀の髪が、まるで生きているかのように踊る。
彼女が一動作するたびに、舞うのは銀色の光の粉。
その手には、長い得物が握られている。
銀色の槍、のようだ。
「【金属色】……?」
五十嵐がそう漏らしたのが聞こえた。
その、【金属色】のティンクチャーは、一撃目で1体を頭から突き刺し、それを抜いたかと思うとその傍らにいたもう1体を、暴風のようになぎ払った。
そして、宙から襲い掛かった最後の一体を、
「絶えろ」
上に振りかざした槍で、串刺しにした。
この間、一体何秒だったのだろう。
3体の、それも強化されたネイチャーを、そんな短時間で彼女は全て仕留めてしまった。
黒衣で身を固めたその女は、こちらに向き直った。
凛とした眉と唇。すっと通った鼻筋。
無駄のない顔のつくり、という点ではオーアにとてもよく似ている。
けれど、眼が違った。
青玉色のその眼からは、厳しさ、怒り。
そういった鋭い感情しか覗かない。
武人、という形容が最も相応しいような気がした。
「……アージェント」
傍らにいたオーアが、その名を呼んだ。
何度か名前を耳にしたような気がする。確か同じ班の仲間だったんじゃないだろうか。
けれど、オーアの声色は非常に硬いものだった。
そして、名を呼ばれた彼女のほうも、実に不愉快げに眉をひそめた。
まるで敵を見るかのように、彼女はこちらを見据えてきた。
「この程度の相手も出来ないぐらいに落ちぶれたのか。……これ以上ホーテンハーグの名を汚すようなら」
銀髪の女はそう言って、槍を構えた。
「私がここで、お前を殺す」
空気が凍る。
どうなってるんだと、尋ねることすらできなかった。
それがまるで必然のように、オーアも前へ出た。
「悪いがここで殺される気は毛頭ない」
そう言った彼女も、本気のようだった。
黄金の光がオーアの身体に集結する。
まるで力を解放するかのように。
「ちょっと待て」
瞬間、シアンの声が割り込んだ。
「喧嘩は後でやれよ。お前らの妹分をほっとく気か」
彼はそう言って俺の腕の中のクリムを手で示した。
クリムの意識はないままだ。血だってまだ止まっていない。
「…………」
オーアから光が消えた。
対する銀髪の女も、一呼吸置いてから槍を下ろす。
とりあえず、ほっと胸をなでおろした。
とりあえず、クリムは俺のベッドに横にした。
血は大方止まっていたようだが、オーアに救急箱を預けて処置を頼んだ。
オーアが部屋から出てきた。
「あいつ、大丈夫か?」
俺が問うとオーアはこくりと頷いた。
「あの子の回復能力は並みのティンクチャーより早い。それが幸いだった」
そう言いながらも、オーアの表情はどこか暗かった。
仕方ないのかもしれない。
クリムは、彼女を守ろうとして怪我をしたようなものなのだ。
「…………」
訊きたいことが山ほどあった。
けれどどれから聞いていいのか分からない。
それ以前に、今のオーアに尋ねること自体、どこか憚られた。
いつになく沈み込んだような眼。
いつもの飄々とした雰囲気すら今は完全に失せている。
「サツキ」
すると、彼女の方から口を開いた。
「いきなりこんなことになってすまなかったな。もう少し警戒しておくべきだった」
彼女の口から漏れたのは、謝罪の言葉だった。
それがなぜか、無性に腹立たしい。
「……なんでお前が謝るんだよ」
思わず刺々しくそう言ってしまった。
が、彼女は俺と視線を合わせようとはしない。
「よくは知らないけど悪いのは全部あいつだろ!? クリムだってあいつにやられたんだ。お前だって……」
そこまで言って、言葉に詰まる。
本当に、俺は知らなさすぎる。
けど。
翼を捥いだ、とあいつは言っていた。
それは、相当ひどいことなんじゃないかって、直感的には分かる。
「……あいつ、何者なんだよ。お前の剣、持ってた」
出来るだけ声を荒げないよう、必死に心を落ち着かせながら彼女に問う。けれど発した言葉の端は詰問に近いものになってしまっていた。
どうやら俺は、何も知らない自分と、何も教えてくれていなかった彼女に腹を立てているらしい。
彼女はしばらく俯いたままだったが、ようやく顔を上げた。
「ユイサキ トオル。3年前、私と契約していた人間だ」
誰もいない公園の隅。植え込みに隠れるようにして、彼はその場にしゃがみこんだ。
頭痛がひどい。吐き気がひどい。
「…………ッ」
殺す、ころす、コロス。
彼女が、自分を、殺す。
「なんで……?」
痛みに耐え切れず、彼はその場に仰向けになった。
空虚な夜空が広がる。
涼しい空気が肺にしみる。
割れそうになる頭を手で必死に押さえた。
「あんなに……楽しかったのに……」
目を閉じれば、楽しかった出来事しか彼には思い出せないでいた。
剣の使い方が上手いと褒めてくれた彼女の笑顔。
ネイチャーを討つべく共に街を駆け回った夜。
……いや。
微かに、記憶に雑音が混ざっている。
『お前は……ているだけだ』
『私は、お前の……じゃない』
途切れ途切れの言葉。
思い出そうとしても痛みが増して思い出せない。
そして、繰り返し聞こえるのは。
『 』
言葉になっていない、声。
泣き、喚き、懇願する声。
嬌声には程遠い、叫びだ。
「……あ」
頭痛が、ぴたりと止んだ。
彼はゆっくりと、身体を起こす。
彼は微かに思い出した。
泣かせたのは自分だ、と。
彼女を屈服させることも、自分には出来るのだと。
彼女はそれを恨んでいるのだろうか。
いつも彼女が、自分を導いていたから。
「……妬いてるんだね。僕が強くなったから」
彼は1人、笑う。
「大丈夫だよ。僕が君を閉じ込めてあげるから」
今日は強化月間ならぬ強化日です! みてみんのほうやサイトのほうにも地味にシェルブレイク関連のイラストをアップします。
すみません、無理して連日更新しました。来週はちょっとお休みしましょう(汗)。
執筆は順調です。意外と順調です。
作者自身も先を書くのが大変楽しみになってきました。
既に20話を迎えた本作品、普段なら話ごとにがくんがくんと減っていく読者数を見るのが怖くてこのくらいの長さで終わらせているのですが(笑)私がこうして安心して書いていられるのも、あまり減らない読者の方々のおかげです。
お気に入り登録もありがとうございます。励みになっています。
まだ終わりが見えないですが頑張ります!