第10話:強襲
「おやつは300円までって決まっててねー、選ぶの大変だったんだよ。ねー?」
綾が買ってきたばかりの駄菓子類を床に広げて楽しそうに笑う。
「計算機を持っていくのを忘れたですからね。けどお店のおばあちゃんが計算してくれたですよ。しかもクリムにおまけをつけてくれたです」
その隣でクリムが自慢げに戦利品の10円チョコを掲げた。
「ほー。今時にしては親切なおばあさんだな。さすが昔ながらの駄菓子屋さんだ」
そんな話を聞きながら、オーアは感心したように頷く。
……ていうか。
「なんでお前ら、いちいち俺の部屋にたむろうんだよ。勉強の邪魔だっつーの」
俺が勉強机に向かったまま顔だけ向けて抗議すると
「えー。お兄ちゃん1人じゃ寂しいだろうと思ってわざわざこっちに来てあげてるのにー」
綾は余計なお世話にもそんなことを言ってきた。
「勉強って言ってもさっきからずっと手が止まってるですよ。どうせ分からない問題に手こずって八つ当たりしてるですよ、サツキは」
さらに痛いところを突いてくる生意気クリム。
そしてトドメは。
「どれどれ」
オーアが立ち上がって、俺が必死に解いている塾の英語のワークを覗き込んだ。
「……おいサツキ。ここの小問、全部間違ってるぞ」
え。
「全部? マジで?」
俺は慌てて見直す。
「言わんこっちゃないですよ。いっそ姉さまに全部解いてもらうといいですよ。間違いなく全問正解です」
クリムが言う。
「それじゃあ意味ないよー。お兄ちゃん、英語はすっごく苦手だけど他の科目はまあまあなんだってお母さん言ってたから、英語を頑張ればきっといい大学に行けるよ!」
フォローなのかなんなのかよく分からないがそんなことを言う綾。
……ていうか小学生の妹に進路の心配なんかされたくねえ!
「まあ、綾の言うとおりだな。こういうのは自分でやらないと意味がないからな」
オーアが綾を支持すると、案の定、彼女にべったりなクリムはふくれっつらをかまして
「むぅ……。で、でも、いい大学に入ると何かいいことがあるですか? 苦手をわざわざ克服してまで入る価値があるですか?」
そんなことを問うてきた。
……なんていうか、痛い質問だな。
「んーとね、いい大学に入ればいいところに『しゅうしょく』できるってお母さん言ってた」
綾が素直に答える。
まあ、間違ってはいないだろう。
「いいところ?」
クリムが首をかしげると
「つまり名のある企業や名誉ある地位を確立している職業に就けるということだろう」
オーアが補足した。
するとクリムが俺のほうをじっと眺めて
「……サツキがそういうのになってる姿が想像できないんですが……」
そんなことを言った。
「おいこらお前、さっきからなんか失礼だぞ」
耐えかねて俺は思わず突っ込んだ。
するとオーアが忍び笑いを漏らす。
「まあいいじゃないか。サツキはまだ若い。これからどうとでも道は開けるさ」
……まだ若い、ねえ。
親戚にもことあるごとによく言われる台詞だ。
けど、『若い』なんて、いつまで言える言葉なのか。
小学校の6年間は長く感じたけれど、中学の3年間は本当にあっという間だったんだ。
だからきっと、高校の3年間もあっという間に過ぎていってしまうんだろう。
正直、先が全く見えない。
俺はどこの大学に行きたいのか。
それ以前に、将来自分は何になっているのか、何になりたいのか。
……ああもう。考えるのも面倒くさい。
ほんと、面倒な世の中だ。
こんなことならいっそのこと、無人島にでも行って自給自足の勝手気ままな生活をしてみたいとすら思ってしまう自分がいる。
それで、ふと思った。
「なあ」
オーアとクリムに問いかける。
「お前らのいる『境界』……だっけ? それってどんなとこなんだ? こっちとは全然違うのか?」
そんなことに、少し興味を持った。
「なんだ、いきなり」
唐突な質問に、オーアは軽く首を傾げているようだった。
「いや、特に意味は。単に違う世界に興味を持っただけだ」
俺が言うと
「ただの現実逃避ですか。甘ちゃんですね、サツキは」
何様のつもりかクリムは偉そうにそう言った。
……が、反論はし難い。
けど、今日の五十嵐の問いのこともあってか、こいつらのことをもう少し知ってみたいという気持ちがないわけでもないのだ。
「…………」
が、オーアはしばらく考え込むようにして黙っていた。
「クリちゃんたちの世界って、妖精さんの世界ってこと? アヤも知りたいなー」
綾も便乗し始めた。
「アヤ、クリムたちは妖精とはまた別のものですよ。それに境界は地上界ほど複雑な世界ではないです。言ってしまえばティンクチャーの寝床に過ぎないです」
クリムが話し始めた。
「寝床? じゃあベッドしかないの?」
綾は言葉を真に受けたらしい。
「そういうわけじゃないですけど。今日行ったみたいなお店とか、そういったものはないです。基本、境界にはティンクチャーしかいませんから、創世された当時のまま、目立った環境の変化もないらしいです」
……へえ。
なんか、クリムの話を聞いているだけだと、境界っていうのは平和そうだがそこまで楽しいものでもないらしい。
「えー、お店ないの? じゃあぬいぐるみも買えないの?」
その言い草からして綾も俺とほぼ同意見らしい。
オーアは綾のぬいぐるみ発言に少々笑みをこぼしながらも
「境界はわざとそういう風に創られたんだ。ティンクチャーは世界の秩序を守る、ただそれだけのための存在だからな。神も余計なものは不要だと思われたんだろう」
そう言った。
――ティンクチャーは世界の秩序を守る存在。
ということはあのネイチャーは世界の秩序を乱す存在、ということなのだろう。
どういう原理かは知らないがあれは人間の中から出てくるものだ。
……それってつまり、人間が世界の秩序を乱してるんじゃないのか?
「サツキ?」
不意に声をかけられて意識を引き戻す。
「急にぼうっとして、どうかしたか?」
オーアが尋ねてきた。
「え、いや別に」
……なんて返したが、少し気になることができた。
「なあ、ティンクチャーには人間嫌いが多い、みたいなことを五十嵐から聞いたんだけど、それって本当なのか?」
直球だったが尋ねることにした。オーアならすんなり答えてくれそうに思ったからだ。
「……まあ、そうだな。それは間違ってはいない、だろう」
が、一応は答えてくれたものの、なんだか歯切れの悪い答え方だった。
「なんで? やっぱりネイチャーの件とかと関係あるのか?」
不思議に思って深く尋ねると
「そりゃああるですよ。ティンクチャーは古くから人間を守るように働いてきたのに最近はシェルブレイクとか厄介なことばっかり起こして……挙句……」
クリムが少々苛立たしげにそう答えた、が、やはり最後は言葉を濁したように思えて、どうも妙な感じだった。
「ねえねえ、さっきから話についてけないよー。何の話? 私にも教えてよー」
綾が駄々をこねはじめる。
「サツキ、別の話にしよう。シェルブレイク云々の話はアヤにはまだ早いだろう?」
オーアのその進言には賛成なので、俺はそれ以上深く突っ込まなかった。
「さて。サツキも勉強に集中したいだろうから私達は場所を変えてトランプでもするか?」
オーアが子供2人にそう提案する。
「するするー! ばばぬきがいいな!」
「……ばば、ぬき? ばばあを抜いてどうするですか?」
クリムはばばぬきを知らないらしい。
「あんまり騒ぐなよ。うちの壁薄いから結構響くんだかんな」
俺がひらひらと手を振って3人を追い払おうとした、その時。
「――――!」
オーアが血相を変えてベランダのほうへ向き直った。
「なんだよ?」
俺が尋ねても答えることなく、そのまま彼女はガラス戸を両手で押さえた。
次の瞬間。
黄金の光がガラス戸にほとばしるのと、何か黒いものがガラス戸にぶつかったのは同時だった。
「!?」
部屋に響く鈍い音。
それで、何かが猛スピードで戸にぶつかったことは分かった。
が、それでガラスが割れなかったのが不思議だ。
「姉さま!」
クリムが慌ててオーアに駆け寄る。
オーアのほうはというと、若干肩で息をしているように見えた。
どうやらあいつがガラス戸を強くするような細工をしてくれたらしい。
「……平気だ。このぐらいなら、まだいける」
彼女は呼吸を整えて、戸を開け放った。
「恐らく昨日の奴だ。行くぞクリム」
オーアはそう言ってベランダへ足を踏み出した。
「で、でも、姉さま……」
しかしクリムは彼女を引きとめようと彼女の服の裾を引っ張っていた。
「ここにいたらサツキ達が危険だ。2撃目はもう防げない」
オーアがぴしゃりとそう言うと、クリムはこちらを少し振り返った。
彼女と目が合う。
その目は、俺に何かを訴えているようだった。
「2人とも、出かけるの?」
綾はただそう尋ねた。
「……ちょっと、行ってくるです」
クリムはそう言って、オーアと共に宙へ飛び立った。
「あ…………」
俺は呆然とその場に立ち尽くした。
どんどん小さくなる2人の姿。
……分かっている。
クリムは俺に、オーアを止めてほしいと訴えたんだ。
オーアの言うとおり、さっきの攻撃が昨日の奴の仕業なら、あれを完全に倒すにはあいつらだけの力じゃ足りないはずだ。
つまり、2人だけで出て行くのは、負けに行くようなものだろう。
あれに負けたらどうなるんだ?
ティンクチャーだって血が流れてる生き物だ。
……負けたら、死ぬんじゃないのか。
「…………!」
分かってたのに止められなかった。
「お兄ちゃん? どうしたの?」
突っ立ったままの俺を、綾が見上げてくる。
「……すまん綾。俺もちょっと出てくるから、留守番しててくれ」
俺はそう言い残して部屋を飛び出した。
人の形をした黒いものは、雑木林に身を隠すようにして獲物が来るのを待っていた。
中等ネイチャーの知能は高い。
彼らの獲物であるティンクチャーをおびき寄せることだって、彼には簡単だったのだ。
「……来た」
空から、2つの人影が降ってきた。
「貴様、えらく堂々と仕掛けてきたじゃないか」
「ネイチャー風情が、恥を知れです!」
降り注ぐ赤の弾丸。
しかしネイチャーはそれを見切っていた。
「それはこっちの台詞だな、ティンクチャー。片方は壊れかけ、片方は未成熟。よくもそんな状態で追ってこれたな?」
あざ笑うかのようにネイチャーはそう言って、手加減なしの暴風を巻き起こした。
「ッ!!」
暴風に巻き込まれて2人はあえなく地面に叩きつけられる。
「ハハハッ! まるで虫だな!!」
そんな高笑いが、木々の間をこだました。
季節柄、地面は落ち葉で覆われていて、落下の衝撃は多少緩和された。
「っ……、姉さま! 大丈夫ですか!?」
クリムロワは傍らに横たわるオーアをゆする。
「……なんとか、な」
口に入った落ち葉を吐き出して、彼女はゆっくりと立ち上がる。
「姉さま、ここは逃げたほうがいいですよ! 今のままじゃあれには敵いません!」
クリムロワはそう主張した。
彼女の判断は正しい。
そんなことはオーアも分かっていた。
が
「……逃げ回っても、今日みたいに直接襲われる。完全に狙われているようだからな……」
それも事実だった。
「じゃあ、どうやって倒すですか!?」
クリムロワが半ば声を上ずらせて問う。
「…………」
オーアはただ唇をかみ締めただけだった。
本当は彼女にも分かっている。
自分が取れる手段は2つに限られているのだと。
ここで力を使うか、
もしくは――……
オーアたちが飛んでいった方角は、住宅街の裏にある雑木林のほうだった。
ひたすら走る。
どのあたりに行けばいいのかは、なんとなくだが分かっていた。
オーアに噛まれた首筋が痛むのだ。
痛みが増せば増すほど、あいつらに近づいている気がした。
そして。
「!」
2人の姿が視界に入った。
上からの攻撃に備えているようで、クリムがオーアをかばうようにして立っている。
俺が声をかけようとした、その瞬間。
――爆音で、辺りが暗転した。
ペースダウンしようかと思ったんですがせめて序盤を抜けるまでは! と思って頑張ります。
ていうかこの話数でまだ序盤を抜けていないのも私の作品にしては珍しいです。
でもやっと最近「こういうのが書きたかったんだぜ」的なものが書けてきた気がするので迷わずこのままぐわーっと行ってしまいたいと思います!
いつも読んでくださっている方々、ありがとうございます。