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第9話:日直スレイヴ

 ぴよぴよぴよ。

 ぴよぴよぴぴぴぴ…………。


 目覚ましの音で意識が浮上する。

 目を閉じたまま反射的に手を伸ばすと、枕もとに置いてある卵型の目覚ましを止めることが出来た。


 ――だるい。

 確か今日は木曜日だ。

 今週は色々ありすぎてもう頭も身体も疲れている気がする。

 出来ればこのまま布団にずっと潜っていたい。

 ……が、学校をさぼる勇気など俺にはなく。

 仕方なく、ゆっくりと身体を起こした。


 緩慢な動きで首を回す。

 床には背を向けたオーアが転がったままだった。

 目覚ましのすぐ横にいたクリムも、ぬいぐるみの姿のまままだ眠っている。

 2人を起こすべきか起こさざるべきか、寝ぼけ眼で考えていると。

「…………?」

 ふ、と光を感じて視線を動かす。

 オーアの肩口から、それは漏れていた。

 まるで金の鱗粉のような、そんな光。

 さらさらと、砂のように流れている。

「……?」

 俺は思わず瞬きした。

 すると、次の瞬間にはそれは止まっていた。

「…………」

 気のせい、だったんだろう。


 ――時刻は7時。

 あまり起きるのが遅いと母さんが上がってきてしまうので、俺は2人を起こすことにした。




 だるい身体を引きずりながら、予鈴ぎりぎりでなんとか学校へ辿り着く。

 適当なメンツに挨拶し、よっこいしょと漏らしながら自分の席へついた。

 すると

「朝から『よっこいしょ』なんて、随分お疲れみたいね、瀬川君」

 隣から、そんな声が飛んできた。

 勿論、その声の主は五十嵐だ。

「……おはよう、五十嵐。昨日はその……色々悪かった」

 なんとなくばつが悪くて俺がそう言うと

「昨日のことは不問にすると言ったでしょう? ……けれど瀬川君、貴方は私に謝るべきことがあるわ」

 五十嵐は真っ直ぐに俺を見て言う。

「……え?」

 ――俺、何かしたっけ……?

 俺が戸惑っていると、五十嵐はすっと、黒板を細い指で差して言った。

「貴方と私、今日は日直よ」




 日直の仕事そのいち。

 朝は早く登校して学級日誌とプリント等の返却物を職員室まで取りに行く。

 そのに。

 授業が終わるたび黒板を綺麗にする。

 そのさん。

 放課後の掃除を全て見届け、その評価を学級日誌に書いてから下校する。


 ……つまり俺は、朝から五十嵐に重たいプリント類を1人で運ばせてしまったというわけだ。

 しかもこういう日に限って返却物が多かったりして、2往復ほどしたのだとか。

 俺はその罪滅ぼしにその後の仕事は全て請け負った。

 移動教室に遅れそうになっても黒板を一点の曇りもなく綺麗にした。

 仕事に妥協は許さない、というのが彼女の方針らしい。



「――まあよく働いてくれたし、朝のことは許してあげなくもないわ」

 放課後。オレンジ色に染まる教室で、五十嵐は窓からの光をまるで後光のように纏いながらそう宣言した。

「……それは、どうも、ありがとう」

 ……正直、日直の仕事がこんなに辛い日は今までなかった。

 いや、仕事はまあいいさ。

 後ろで姑のように俺の仕事ぶりを見張っている五十嵐が怖かったんだよ、いやほんと。

「ご苦労様。じゃああとは日誌のコメント欄を書いてしまえば終わりね」

 そう言って五十嵐は自分の席に座り、さらさらとコメントを書き始めた。

 ……それにしても。

「五十嵐ってさ、意外と饒舌なんだな」

 他意はなく、ぽつりと、本音を漏らしてしまった。

「あら。私が饒舌だったら何かおかしい?」

 五十嵐は手を止めずにそう返してきた。

「あ、いや、もっと無口な奴なんだと思ってたから。実際、今まで喋ったことなかったし」

 すると五十嵐はペンを止め、ひとつ溜め息をついてから

「……それはわざとよ」

 そう言った。

「わざと?」

 それは予想だにしない答えだった。

「瀬川君なら気付いてると思うけど、私が口を開くとどうしても刺々しい物言いになるから出来る限り喋らないことにしたの。周りの気分を害するのは私も本望じゃないから」

 淡々と、彼女はそう言った。


 五十嵐には悪いが、なるほど、と思ってしまった。

 昨日とか『貴方が勝手に死ぬのは知ったことではない』とかなんとか言われたし。

 ……て、いや、ちょっと待てよ?


「じゃあ俺の気分はどうなるんだ?」

 思わず突っ込みを入れてしまった。

 他人の気分を害したくないから喋りたくないというのなら、昨日から半端なく怖い言葉を浴びせられている俺は一体どうなるんだ。

 すると五十嵐はくすりと笑った。

 からかうようなその笑みは、夕日の色と溶けて、なんだかとても眩しく見えた。

「瀬川君はこれぐらいのほうが嬉しいのかと思って私も遠慮しなかったのだけど、間違っていたかしら」

 五十嵐は堂々とそんなことを言い放つ。

 ……なんじゃそりゃ。

「人をマゾ扱いするなよな、まったく」

 俺は大げさにしかめっ面をかまして、頬杖をついた。

 五十嵐はまたひとつ、軽く笑みをこぼしてから日誌に視線を戻した。

 その横顔は、この席に替わってから幾度となく見てきたはずなのに、まるで別人のように生き生きとしていて。

「……まあ、そっちのほうが五十嵐らしい気もするけどな」

 自然と、そうこぼしていた。

「…………」

 五十嵐は少々目を丸くして、俺を見る。

「……俺、なんか変なこと言った?」

 また何か気に障ることがあると怖い。

 あの青いティンクチャー、ムチがどうのこうのって言ってたし。

 が、

「……いえ、別に。はい、瀬川君の番よ」

 五十嵐は特段何も言わず、俺に日誌を回してきた。



 ……なぜか俺はその日、五十嵐と並んで下校していた。

 正直に言おう、女子と並んで帰るなんて小学校低学年のとき以来だ。

 まあ、家のある方角が同じで、下校タイミングが重なっただけと言えばそれだけなのだが、自然とそういう流れになってしまったのだ。

 単調なアスファルトの下り坂を、俺は自転車を押して歩いている。ガードレールをまたいだ隣は一応車道だが、うちの学校へ向かう車ぐらいしか通らない道だから、この時間だと車どおりもない。

 隣を行く五十嵐はというと、自転車はなしの、全くの徒歩だった。

 聞いて驚いたのだが、彼女は毎日徒歩で学校へ通っているらしい。歩いて小一時間はかかる距離のはずなのに、どうしてあんなに朝来るのが早いのか。

「……なあ五十嵐」

 俺が声をかけると

「何かしら」

 火曜の朝とは違って、今の五十嵐はすぐに応えてくれた。

「あの青いティンクチャー……シアンって言ったっけ。五十嵐とあいつはどんな関係なんだ?」

 俺がそう問うと、

「どんな関係、といわれても。主人と犬のようなものよ」

 五十嵐は真顔でそう言った。

「…………」

 俺が反応に困っていると

「これは例えよ、真に受けないで欲しいんだけど」

 五十嵐は呆れ顔を浮かべる。

「例えって……。どっちが主人?」

「勿論私に決まっているでしょう」

 堂々とそう言い張る五十嵐はまさに女王様だった。

「……まあ多くのティンクチャーが人間のほうを道具として見なしているらしいけれど。でも彼らの性能を最大限に発揮するには人間の身体が必要、ということは人間が主人だと言ってもおかしくはないでしょう?」

 五十嵐はそう言う。

「……んー、まあ」

 俺が適当な相槌を返すと、五十嵐は急に立ち止まった。

「煮え切らない返事ね。昨日から気になっていたのだけど、瀬川君、貴方は一体何をしているの?」

 ……え、と、何って。

「どういういきさつかは知らないけれど、2人もティンクチャーを抱えているのでしょう? 正式に契約もしないで、そのくせ昨日みたいにネイチャーと戦っているなんて、何かおかしいわ」

 ……ああ、なるほど、そういう意味か。

「あいつらを家に置いてるのは本当になりゆきなんだよ。昨日だって一昨日だって、ネイチャーと偶然出くわしたからああなっただけで……」

 俺がそう言うと、五十嵐は不意に視線を落とした。

「……偶然、ね。どうして【黄金】は貴方のところへ降りたのかしら」

 それはどこか、妬みの篭った独白だった。

 彼女はまた、颯爽と歩き出す。俺を引き離すように。

「五十嵐?」

 俺は慌てて彼女の後を追う。

 五十嵐は俺に背を向けたまま、少々苛立ち気味に言葉を投げかけてきた。

「瀬川君、貴方分かっていないようだけど、実際に人間に心を許してチャージするティンクチャーは稀よ。まして【金属色】ともなればそうはいないでしょう」

 ……?

「なんで【金属色】だと余計に稀なんだ? オーアよりクリムのほうが人間に対しては気難しそうに見えるんだが」

 俺が素直に問うと、彼女はまたぴたりと足を止めて、愕然とした様子でこちらを見る。

「……貴方、本当に何も知らないのね。流石に驚いたわ」

 いや、そんなに驚かれても困るんだが。

「【金属色】の戦闘能力は【原色】のそれをはるかに凌ぐと言うわ。地上界の抑止力がかかっていたとしても、人間の力を必要としないくらいに」

 五十嵐はそう言った。

 俺は呆気にとられる。

「嘘だろ? だってオーアの奴、多分クリムより弱いぞ」

 俺がそう言うと、今度は五十嵐が呆気にとられた様子だった。

「そんなはずは……」

 五十嵐は考え込むようにまた俯く。

「……でも確かに……昨日の1件、【金属色】なら逃げ回る必要はなかったはずだし……」

 何やらぶつぶつと呟いている。

「五十嵐?」

 俺が声をかけると、ようやく彼女は顔を上げた。

「もしかしたらオーア・ホーテンハーグには本来の力を発揮できない理由があるのかもしれないわ。瀬川君、その理由、分からないの?」

「え、いや、分からないっていうか……。あいつあんまり自分のこと言わないし」

 変なことは言うんだけどな。

 チーズケーキにはレモンティーを合わせるんだとか、女の子の胸は控えめのほうが好みだとか。

「……そう。シアンも何か知っていそうだけど、あいつ、しらばっくれるのだけは得意のようだし」

 五十嵐がなんか怖いんだけど。

「ていうか、五十嵐。なんでそんなにオーアにこだわるんだよ。俺から見ればオーアなんかよりシアンのほうがずっと強そうに見えるんだけど」

 俺がそう言うと、五十嵐はふと黙り込んだ。

 ……何かまずことを聞いたんだろうか、と思った矢先。

「シアンは頼りにしているわ。けれど私の目的を果たすには、どうしても【金属色】の力が必要なの」

 五十嵐は真っ直ぐにそう言った。


 揺ぎない、決意を込めた眼。

 俺には決して出来ないような、そんな覚悟を秘めた眼差しだった。


 ティンクチャーとか、ネイチャーとか。

 意味の分からないものに囲まれるようになったのに、俺は何の意思もなく、ただ状況に流されているだけ。


 『俺は、一体何をしているんだろう』


 今日、彼女に問われて、その疑問が浮き彫りになってしまった。




 街の交差点で五十嵐と別れた後、俺は寄り道せずに帰宅した。

「ただいまー」

 ……最近は毎度のことだが返事がない。

 リビングに人はおらず、俺はそのまま2階へ上がった。

 てっきり綾とその他2名は2階にいるものだと思っていたのだが、あまりの静けさに俺は首をひねる。

 昼寝でもしてるのかと思って、そっと俺の部屋をのぞくと。

「…………て、おい」

 オーアが1人、床に座り込んで、とあるものを眺めていた。

 ――とあるもの。

 それは俺がベッドの下に隠していたものだ。

「ああ、サツキ。お帰り」

 しかし、以前それを触ろうとして怒られたであろう彼女は慌てた風もなく、ただ朗らかにそう返してきた。

 俺は半ば諦めを感じつつも彼女の手からそれらを奪取する。

 それは、絵だった。

 中学時代に描きためていた、水彩画だ。

「……勝手に触るなって言ったのに」


 出来るだけ手早く画用紙をそろえる。

 早く元の箱にしまってしまいたかった。

 ここまで来ると腹立たしいというよりかは恥ずかしいという気持ちが大きくなっていた。

 下手をすると涙が出そうだ。

 ……ちくしょう。


 が、オーアは俺の手首を掴んでそれを制止した。

「どうして隠すんだ?」

 彼女は俺の目を覗き込むようにして問う。

「……別に人に見せるために描いたわけじゃないし……」

 俺が目をそらすと、彼女はその隙に、ぱっと1枚、俺の手から絵を掠め取った。

「おい!」

 俺が思わず声を荒げても、今の彼女は動じなかった。


 むしろ、こぼれるような満開の笑みで

「この絵、とても良い。私はとても気に入った」

 そう、言った。


 ……今までにも、そんなことを言われたことは何度かあった。

 でもお世辞が入ってる、とか。そういうのは直感的に分かる。

 大半がそれだった。

 だから、そのうち人に見せたくなくなってきて、絵を隠すようになっていった。


「隠すなんて勿体無い」

 オーアはそう言って、しげしげとその、黄色いひまわりの絵を眺めている。

「…………」


 お世辞では、ないようだった。

 こいつの態度は分かりやすい。

 ……いや、こんなに分かりやすく『気に入った』なんて言ってくれた奴は、初めてかもしれない。


「……いいだろ、別に。しまうから返せよ」

 照れ隠しもあったが、俺は少し手荒くその絵を回収して、お中元でもらったお菓子の空き箱にそれらを戻した。

 オーアは名残惜しそうに、ベッドの下へ戻されていく箱を見送った。

「ていうかなんでお前だけがここにいるんだ? 綾とクリムはどうしたんだよ」

 急いで話をそらす。

「ああ、おやつを買いに出掛けていったぞ。アヤの奴、明日は遠足なんだってな?」

 ……ああ、そういえばそうだった。

 随分前からリュックサックを嬉しそうに準備してたっけ。秋の遠足は比較的豪華だからな。

「なんだかんだでクリムもアヤとは仲がいいから一緒に外へ出してみた。社会勉強も必要だからな。そして私は留守番だ。えらいだろう」

 なぜかそこで胸を張る、見た目二十歳は絶対超えてる金髪女。

「じゃあなんでそのえらい奴が人の部屋を勝手に漁ってんだ」

 話の蒸し返しになってしまうのに、思わずそう漏らしてしまった。

「いや、悪気はなかったんだぞ? ただこう、床に寝転がっているとどうしてもベッドの下にあるそれが気になってな」

 ――それのどこに悪気がないっていうんだ。

「あーもういいよ。着替えるからちょっと出ててくれよ」

 俺はほらほらとオーアを立ち上がらせる。

「わかったわかった、そう急かすなよ」

 彼女はゆるりと立ち上がって部屋の外へと向かう。

 が、外へ出る直前、くるりとこちらを振り返った。

「なあサツキ」

 そのときの彼女の表情で、何かをねだるのではないかとうっすらと予想できた。

「……なんだよ」

 俺が溜め息混じりに一応問うと、彼女ははにかみまじりにこう言ってきた。

「今度、お前が絵を描いているところを見てみたいんだが……駄目か?」

「……はあ?」

 俺が目を丸くしてそう聞き返すと

「私はものが創られていく過程を見るのが好きなんだ。無が有に変わる瞬間というものは、とても劇的で、素敵だろう?」

 オーアは笑顔でそう言った。


 それは、分からないでもない。

 そんな瞬間に喜びを感じたからこそ、俺は絵を描いていたんだ。


 けど。

「……駄目」

 俺はそう言い切った。

 ……正直、今は絵を描ける気がしない。

 実際、ここ半年はまったく筆を取っていないのだ。


「ちぇ、駄目か。……ケチ」

 オーアは微かに口を尖らせながら、そんな言葉を残して部屋を出て行った。


 ……ケチって。ガキかよ。


おはようございます。ストックの残り具合を見てちょっとペースダウンしたほうがいいかなと思いつつあるあべあわです。

今回は揚羽がよく喋ってますがあのあたりは連載前から部分的に考えていた会話で、ようやく出せて良かったです。

共闘するヒロインが年上系というのは今まであまり書いたことがなかったので色々不慣れなことが多いんですが、同年代ヒロインの揚羽がいるとこちらとしても少し安心します(笑)。

ここまで読んでくださった方々、いつもありがとうございます!

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