プロローグ
単調に続く鉄製の階段。
息が、肺が、限界に近い。
ともすれば心臓が飛び出しそうなほど胸が痛い。
けれど脚が止まりそうになると
『ええいもどかしい! この程度の階段さっさと登りきらんか!!』
頭の中にそんな女性の怒声が響く。
「……るせっ! 屋上、まで全力疾走……とか! ありえねえんだよ!」
俺が息も絶え絶えに抗議すると
『サツキはインドア派だから体力ないのですよー。要はもやしってことなのですー』
今度は先ほどとはまた別の、あどけなさを感じさせる少女の声がする。
「もやし言うな! ……つーか前もこんなこと言ったような!?」
そうこうしているうちに、ようやく屋上へ辿り着く。
視界に紺碧の空が広がる。
同時に、その闇にすら溶けきらない漆黒のソレが視界に入った。
『一気に行け! 隙を与えるな!』
まるで軍隊の指揮官のように俺の中にいる彼女はそう指示した。
その指示通り、俺は真っ直ぐにソイツに斬りかかる。
随分手に馴染むようになった剣を振りかぶるまでの動作は我ながら完璧に近かった。
が。
切りつける直前になって、黒いソイツは嗤うように口を歪めた。
「甘イ」
そう呟いたかと思うと、そいつはさっと身を翻して剣撃をかわした。
「え」
思い切り振りかぶっていた俺は無様にも空振りする。
『何をやっとるかこの馬鹿たれ!!』
『戦闘センスなさすぎですー!!』
内側から非難の嵐。
「お前らうるさ」
い、と抗議しようとした刹那
「ヒャヒャっ」
そんな、気色悪い笑い声がしたかと思うと、背中を思い切り突かれた。
「ひゃ!?」
突然の出来事に思いのほか変な声を発してしまった。が、まあそんなことはどうでもいい。
問題なのは、押された勢いで、身体が宙へ投げ出されたことだ。
「〜〜〜〜!?」
突然襲ったなんともいえない絶望的なまでの浮遊感は、俺に叫ぶ余裕すら与えてくれなかった。
このビルは高層とまでは言えないまでも6階建てだ。
屋上から落ちたらまず死ぬ。
『く、クリム! 緩衝! かんしょう!!』
『サツキ! 体勢を整えないと緩衝できないですよーーーー!!』
内側で女共が何か喚いているがこの落下速度でそんな器用なことが出来るわけもなく、俺はただ衝撃に備えて身を強張らせていた。
……が。
いつまで経ってもそんな衝撃は訪れない。
「………………?」
知らぬ間に固く閉じていた瞼を恐る恐る開けると、俺の身体は青白い光に包まれて、地面すれすれの地点で宙に浮いていた。
半ば放心状態でいると、呆れ気味、いや苛立ち気味の声が降ってきた。
「着地緩衝もろくに出来ないなんて、本当に貴方って人は……」
凛とした、涼やかな響きを秘める少女の声だった。
尻餅をついた形で見上げる。
そこには、セーラー服姿の少女が立っていた。
「……五十嵐……」
彼女の手には青白い光を纏う日本刀が握られている。
どうやら彼女のお陰で墜落死は免れたらしい。
「あ、ありがとう」
いまひとつ羅列が回っていない気がするがとりあえず礼を言う。が、五十嵐は余計に不機嫌そうに眉を吊り上げて、
「私に礼を言う暇があったら貴方とチャージしているティンクチャーに謝りなさい。チャージ中にこんな無様な死に方をすればティンクチャーとて無傷では済まないわ」
ぴしゃりとそう叱咤した。
『アゲハの言うとおりだ。前々からどんくさい奴だとは思っていたがまさか屋上から突き飛ばされるほど間抜けとは思わなかったぞ、サツキ』
『そうですよ! 私はともかくオーア姉さまに何かあったら殺すですよ! ……ああ失礼、その時にはもうサツキは死んでるんですね。ご愁傷様です』
俺を擁護してくれる奴などここにはいないらしい。
俺がげんなりしていると、五十嵐は俺に向き直って
「今からでも遅くはないわ。私と正式に契約しましょう」
真剣にそんなことを言う。
……否、彼女は俺に言っているのではなく俺の中にいる2人に語りかけているのだ。
……正直虚しい。虚しすぎる。
俺がしょんぼりと肩を落としたその時、
「ヒャヒャヒャっ!? のんびり談笑シテる場合かッ!?」
そんな声が降ってきた。
見上げると、先ほど俺を突き飛ばしたネイチャーが猛スピードでこちらに向かってきていた。
俺が身構える前に、五十嵐が前に出る。
風に乗るように、彼女の囁きが聞こえた。
「瀬川君。今後も生き残りたいのならこの程度の下等ネイチャー……」
瞬くような、青の一閃。
風よりも速いその一太刀。
その、ただの一振りで、影は両断された。
「一瞬で蹂躙しなさい」
彼女が刀を鞘に納める間に、両断されたネイチャーは青白い光の糸にくるまれて、いつものようにどこかへ飛んでいった。
あまりにも速いその業に俺があっけにとられていると。
「うーん、やっぱり手際がいいなあアゲハは」
「サツキみたいに無駄な動きが全くないですね」
いつのまにか傍らに、金髪の女と赤毛の少女が立っていた。
その言葉を聞いた五十嵐は、不敵に笑みを浮かべつつ
「さっきの話、考えておいてくれるかしら」
そんな言葉を残して颯爽と背を向けた。
――かっこよすぎるだろ、あれは。
俺がしばらくぼけっと突っ立っていると
「おいサツキ、いつまでそうしているつもりだ? 早く帰らないと家を抜け出したのがばれるぞ」
「アヤが待ってるですよ」
いつの間にか随分と先へ歩いていた2人に手招きされる。
こんな生活が始まったのは本当に、つい先日のこと。
秋の夜空に、黄金の光を見出したことから始まった。