乾ききった水死体
ピチョン…………ピチョン…………
……まただ、またこの音だ。
男は布団から這い出て、台所へと向かう。そして、流しの蛇口をきつく閉めた。
これで大丈夫だ、もうぐっすりと眠れる。
男はそう思った。
しかし、数刻後
ピチョン…………ピチョン…………
決して大きくない音が男を起こした。
男は、このマンションに数ヶ月前から住んでいる。
都内にあり、駅から近く、更に家賃も安いという破格の物件であった。
これだけの条件の部屋が、しかも都内にあるとなれば、曰く付きだと考え、普通は借りないだろう。
しかし、男は悩まなかった。
幽霊や妖怪といった類のものを、一切信じていなかったのである。
そして、いざこの部屋に住み始め、実際に霊障が起こっても、初め、男は引っ越すつもりは毛頭なかった。
だが、それも我慢の限界だった。
毎晩シンクの蛇口が水を垂らす、という、ただそれだけのことが、しかし確実に、男の精神をすり減らした。
男は、寝不足に陥った。
つまらないミスを何度もした。
ストレスは着実に男に蓄積された。
疲れ果て、家に帰り眠るも、水の音で起こされる。
悪夢のような悪循環が、遂に男を決断に導いた。
その月末、男は他所へ引っ越すことになった。
正直、これほどの物件を手放すのは惜しかったが、このまま住み続ければいつか必ず病気を患い、下手をすれば命に関わる。
断腸の思いではあるが、背に腹はかえられぬ。
この日、漸く荷造りが終わった。
後は引越し先にそれを運び、そして、荷物を新居に配置する。
あと数日、数日耐え忍べばいい。
そうすれば、この地獄からおさらばできる。
その日から、男の睡眠は、幾許か安らかなものになった。
荷物を運ぶ前日、その夜も、いつものように、水の滴る音が響く。
ピチョン…………ピチョン…………
普段なら一も二もなく蛇口を閉めるところだが、男は、ある種開き直っていた。
つまり、眠れはしないが、最後だから閉めなくていいか、と考えたのだ。
それに、何より、最早閉めに行く程の気力がなかった。
ピチョン…………ピチョン…………ピチョン………ピチョン………ピチョン………ピチョン……ピチョン……ピチョン…
しつこいほどに滴る水滴が、段々と数を増す。
それでも男は聞こえないフリをして、布団を被る。
ピチョン……ピチョン……ピチョン…ピチョンピチョンピチョンピチョン
ジャーーーーーー
その水滴群は、やがて一筋の水流となり、太さを増す。
男は怖くなり、ただ目を瞑って朝を待つ。
ジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
水の音が男に近づく
男は段々と息苦しくなる
絶えず聞こえていた水の音が、くぐもったものになる
肺の中に水が入る
眼に映る景色が水になる
遂に、息ができなくなる
翌朝、荷物を運ぶために家に来た業者が発見したものは、水浸しの部屋と、一つの、渇ききった水死体だった。
読んで頂きありがとうございます
やっぱりホラーは苦手ですね
では、またいつか