「流れ星の瞬く下に」著者:大吾
参照曲:「ray」(BUMP OF CHICKEN)
気が付いた時には、僕は伊藤麻朝が大好きだった。彼女のパッチリとしながらもキリっとした目とふんわりとしたショートヘアが抜群に似合っており、小学校で会うたびに思わず見とれている自分がいた。
小学三年生の夏、僕は麻朝を誘って町にある大きな湖に行った。夜だった。
僕は十六夜という名字だからなのか、幼い時から夜空に興味があり、その日も麻朝と一緒に星を眺めるために行った。
街道は暗く足元も幽かにしか見えないため僕は麻朝と手をつなぎながら歩いた。麻朝の手に触れた時、僕はとてもドキドキして体が硬直しそうになったが、彼女は優しく微笑んでくれただけで特に何とも思っていなそうだった。僕のことはあまり好きではないのだろうか、とも思った。
僕達は湖の外周に沿って歩く、そのうち公園のベンチに二人並んで座った。
無言で夜空を見上げる僕達、先に話し始めたのは僕からで、
「この星たちは、光でさえ数時間はかかる位置にあるんだよ。だから今見えている星も数時間前の姿でしかない」
「そうなの? 彰くんは本当に何でも知っているね」
「これぐらい、いつかみんな知ると思うよ」
僕は知識を持っている自分が好きで、麻朝のような他人に褒められると、より誇らしくなれた。
いくつもの星たち、それらの輝きはバラバラだけど、バラバラが美しく魅力的に思えて尚の事天体に関する興味も湧いた。
「僕は天文学者になりたいんだ。そのためにいっぱい星とか宇宙に関する知識を身に着けているんだよ」
「彰くんならなれると思う。昔から星大好きだったし」
麻朝は溢れ出す笑顔でそういった。
僕の家には簡単な天体望遠鏡があり、毎日学者っぽい装いで星を眺めているけど、実のところ星にはあまり詳しくないし、宇宙に通ずる物理法則なんというのも全然知らない、理科は天体以外だと苦手な部類に入る。そんな現実を分かっておらず夢を誇張して語っているのに、麻朝は、彰くんなら、といつも励ましてくれる。
僕達がゆっくりと星を見上げていると、麻朝は突然鼻歌を歌いだした。
「きーらーきーらーひーかーるー よーぞーらーのーほーしーよ」
きらきら星。音楽の授業で歌った覚えのある最古の曲だ。麻朝は何故だかこの曲を気に入っているようで、二人の間に流れる沈黙をかき消すようにずっと歌っていて、まるで壊れたレコードのように声を少しずつ出し続けていた。でもその時間が僕にとっては本当に幸せであり、麻朝の表情も口角を上げてどこか嬉しそうだった。
彼女がきらきら星を歌い終わると、突然乾いた声で僕に告げる。
「私ね、引っ越すの」
急に言われて僕の心にはポッカリと穴が開いてしまったようで、少しずつ少しずつ悲しみと疑問が込み上げて混合していく。
「どこに引っ越すの?」
「それが……、アメリカなの」
それを聞いて、僕の心は悲しみが勝った。隣町や隣の県などという近場ではない。国そのものが変わってしまう。
ずっと麻朝といたかった。今もこれから先も。僕の心に輝き続ける彼女への思いは、散りゆく彗星のように透明な輝きへと帰し、同時に心の中で彩られた麻朝との思い出は少しずつ闇に包まれてゆく。
湖の周りを一周歩くと、僕達は帰ろうとした。
「これから会えなくなっちゃうのは寂しいな。でも私は忘れないよ、彰くんのこと。絶対に、ぜーったいに」
麻朝は語気を強くしてそう言った。
「あの……っ」
去りゆく麻朝に最後の一声、僕の思いで彼女を縛り付けたかった。でも肝心の僕の思い、麻朝が好きであるという事実は伝えられなかった。
口が止まり、思考も真っ白になる。心臓の心拍数も上がり、言いたいことが何なのか、なぜ僕がここにいるのかすらもわからなくなる。
「何か言いたいことがあるの?」
不思議そうに彼女が尋ねるも、僕はおどけて、
「いや、何にもないよ。じゃっ、じゃあ、またいつか」
「うん、いつか会おうね。約束だよ!」
麻朝はとびきりの笑顔を、恐らく誰にも見せたことが無いほど頬を綻ばせて、目元は艶然としていた。太陽にも勝る輝きにすら思えた。
そう思ったのは、僕が彼女への後悔を残しているからだろう。彼女への思いを無駄にしないために無意識の内に脳に彼女の絵を描いているのだろう。
麻朝に告白できなかった。そのことは僕の想像を遥かに超す悔いであった。
その日、彼女は覚束ない足取りで帰って行った。
二週間後、新学期が始めると担任の先生から麻朝が転校したことを告げられた。
彼女が目の前にいない、そのことを深く実感しなければならなくなると、心の中に保存された麻朝からは輝きが失せた。
このとき僕は、彼女と別れたのはかなり前だったように感じていた。本当は二週間しか経っていないのに。
家に帰ると、僕はベランダから天体望遠鏡で星を眺めていた。こうして夜空を拝むのも二週間ぶり。その間も星たちは動きを止めず、まだ見ぬ星たちが新たな星座を形成して夜空を彩っている。麻朝がいなくなったのに付随して見えない星が増えるのは、僕の中に悲壮感を残した。
きらきら光る夜空の星。ふと頭に過ったその言葉が、歌う麻朝の姿を想起させ、より寂しさを増やしていく。
今日は星を眺めるのをやめた。星を見るたびに麻朝に会えない心残りが拭えなくなり、勇気を持てなかった自分への苛立ちも募らせることとなった。
翌日、学校に行って何気なく机の中を整理すると、長方形の紙がぐちゃぐちゃにしまわれていた。感触を不自然に思った僕は、慌てて取り出して必死にしわを伸ばしていくと、そこにはきれいな字で一言だけ、
10ねん後、夏まつりで会おうね
鈴木麻朝より
突然現れた麻朝からの最後の言葉。嬉しかった、ただひたすらに嬉しかった。
頭の中には、この言葉を発する麻朝の笑みがいっぱいに映し出されて、悲しみに暮れる僕を包み込んでいるようだった。
ふと周りを見渡すと、クラスの者たち数人が僕のことを不思議そうな目で見ていた。僕はこぼれる笑みを漏らさぬように口で塞いだが、内心では喜びが溢れ出していた。これ以上寂しくなることは無いな、とさえ思った。
学校の帰り道、僕は麻朝からの手紙を取り出してニヤニヤしながら帰った。
歩きながら突然現実的な思考になる。
麻朝と会うまで十年、あまりにも長すぎる。
僕が生まれてから今までが十年。僕は彼女と再会するまで倍の時間を費やさなければならない。
そう思うと、やっぱり寂しくなった。麻朝に話せなかった後悔が作り出す傷は、今も僕の心に残り続けて消える気配をみせない。
夜の匂いが漂う頃、気が付くと僕の意識は夢の中に落ちていた。
◇◆◇◆◇
白い湖に足をつける。ほのかに温かい水、その背後、ぴちゃぴちゃと水しぶきが上がる。
何だ? と思って振り返ると、そこには黒い髪をなびかせる麻朝が感情を表さないままポツンと立っていた。
ほんとに麻朝と再会したのかと思った。夢であることを自覚できる以上、彼女の姿は自分の記憶が形作るツギハギだらけのモノ。偽りでしかない。それなのに僕の心は高揚感で満たされていた。
「やあ」
「おはよう、彰くん」
雑に言葉を発しても素っ気なく返してくれる。自分に都合の良いように肉付けされた麻朝だったが、ふと口角を吊り上げると、一面の白い海が真っ黒に変わり果て、僕の足が底に着けないほど深く下がり続けていた。
溺れる。死ぬ。麻朝に捨てられる。
こんなことになるなら、あの時僕の思いを伝えておけばよかった。
◇◆◇◆◇
「はっ!」
となって布団から起き上がると、背中は汗でびっしょり。夢の中の闇空とは違い、外は星の光が照らす明るい暗闇だった。
月光、それにも匹敵する麻朝の笑顔を思い出すと、胸がひどく締め付けられる。
なぜ麻朝は手紙を僕に? 僕に伝えたかったことは何なのだ?
彼女と会うことになるのは遠い未来のことになりそうだが、再び顔を見られると思うと楽しみで生きる気力にもなる。麻朝は僕の天文学に対する興味も認めてくれた。
麻朝に恥の無いような人間にならなくては。
そう夜空に誓った。