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05 二針の牢獄


 ロイクに騎乗し、獣道を掻き分け進むにつれて、森を包む闇が刻々と深くなっていくのを感じる。途中森の中で一泊挟み、かつ今までで最も速く移動しているからか、大分深い所まで来れたようだった。それでもまだ表層を抜けたと言えないのが、この森が魔境中最難関の一つと言われる所以である。

 この辺りは徒歩で移動すれば三日は掛かるだろう場所で、普段は豚頭鬼(オーク)が住処にしている地区であった。


 ロイクが低く喉を鳴らした。探知範囲に悪醜鬼(オーガ)の臭いが引っかかったのだろう。その場で停止し、ロイクに獲物の方角を鼻先で示させる。

 オーガにはまだ気配を気取られていないが、周囲にはユリアスの気配に気付き、その姿を探す魔獣共がごまんといる。下手に魔術を使い、魔力を励起させれば、更に気配を強めることになる。先程豚頭と戦う際に使った暗視の魔術は既に効果が切れているが、位置を漏らさず発動できる魔術は、良くて一つくらいだ。何を呼び寄せるか分からない現状、ここでは魔術ではなく霊薬(ポーション)に頼ることにする。


 黒魔の森に棲まう魔物の涙液を元に作られた、暗視の霊薬(ポーション)の瓶からコルクを取り外す。

 安い薬ではないし、そも、魔力を含む薬の多用は推奨されていないが、そんなことは今更だ。ドロリとした喉越しとえぐみを無視して一気に呷ると、ロイクの示した方向に視線をやる。

 闇を貫く視力が森の暗がりを暴き、小さな影を視界に入れる。赤く人を超えた大きさの影と、人間大の、倒れた肌色の影だ。そこへ、荷物入れから取り出した望遠鏡を向けて覗き込む。


 望遠鏡の丸いレンズには、休憩中なのか食事を摂る悪醜鬼(オーガ)の群、六体の姿が映った。食糧は、見る限りヒューマンの、それも元は冒険者だった女性だろう。

 オーク共は()()だ。人族の女性を拐い、己の巣穴に持ち帰る労力を惜しまない。自分達で見つけて拐うときも、小醜鬼(ゴブリン)の巣穴から強奪するときもある。

 そんな彼等の事だ。さぞかし大人数の女性が巣穴に居た筈である。このオーガ共はそのオークを殺し、住処から女性を回収してきたのだと、容易く予想できた。


 オーガらはその彼女らを下卑た顔で少しずつ、嬲る様に喰い殺していた。女性たちの内一人と、それを喰らうオーガが、レンズの捉える範囲にすっぽりと収まった。女性が口を大きく開けて、酷い形相をしているのが見える。声は届かないが、それでも悲鳴がここまで聞こえるようだった。

 その他にも餌食になる女性は多くいる。酷いものでは、胸板が浅く上下しているというのに、それ以上の反応を示さない。心が死んでしまっているのだろう。そんな食糧には興味が薄いのか、奴らは黙って貪っていた。

 オークに散々犯されて、もしかしたらゴブリンにも犯されたのかも知れない。だというのに、オーガ共は欠片の配慮もなく、女性達をおもちゃにご機嫌に遊んでいた。当たり前の景色に、やりきれない思いの行き場を求めて軽く舌打ちをすれば、湿った音が口の中で響いた。


「…」

「グゥゥゥ」

「……ああ、分かってる」


 思わず漏れたユリアスのそれに、ロイクが諌める様に喉を鳴らす。ここで熱くなっても仕方がない、そう自分に言い聞かせ、冷静に、奴らを殺す事だけを考える。

 ここで逃して改めて隙を伺うのは、彼女達を見殺しにすることと同義なため、それはありえない。殺すなら、今、確実に素早く殺す必要がある。


 ゴースト等の魔力体のものも含め、生物の身体は三つに分けることが出来る。肉体、精神、魂だ。この原理に反くのは樹木の類以外に存在しない。これら三つ揃って初めて生物の身体は成立し、これらはそれぞれが影響を与え合い、影響を受け合う。

 これらが揃っての生物であるのだから、何かを殺したければいずれかを壊してやれば良い。魂を傷つけるには神の権能が必要不可欠であり、精神を壊すにはそれ専用の魔術が要る。だからこそ、通常、生物の息の根を止める際は、肉体を攻撃し、首を落としてその生命を終わらせる。


 大概の生物は首を落とせば死ぬが、そうもいかない化け物もいる。それが悪醜鬼(オーガ)を始めとするBランク以上の魔物だ。


 本来、魔物も人間も、肉体の魔力、妖力を扱う事は出来ないが、例外もある。それは種族固有の魔術、所謂『固有妖術』、そして『気闘術』、俗に妖術と呼ばれるものだ。

『気闘術』は体に染み込んだ妖力を『気』として、そのまま身体能力の強化に使う技術であり、精神の魔力──霊力──を用いた魔術、つまり通常の詠唱魔術よりもダイレクトに強化できるので効率が良い。

『固有妖術』は、その種に生まれた瞬間から肉体に刻まれる魔術であり、吸血種(ブラッドサッカー)の『血力操作』等、特定種族しか扱えないものだ。


 悪醜鬼(オーガ)は強い。

 固有妖術たる『超再生』を持ち、使用に魔力を用いない、純然なる身体特徴として怪力も持つ。外皮は頑丈で、強化した身体能力でなければ深手を負わせられない。知能は高く、統率は取れ、狡猾であり、人質など当たり前のように使うだろう。無才では死ぬ他ない敵(Aランク)一歩手前のBランクに相応しい敵だ。

 だがそれでも、迷っている暇などない。


「ロイク、先に行ってアイツらの意識を逸らしてくれ」


 奴らは人質を取るだろう。だが、それは相手が人間の場合だけだ。魔獣と魔獣の殺し合いにおいて、人族を人質に取ることは意味を持たない。だからこそロイクを先行させ、ユリアスは弓矢(人の道具)は使わず身を潜めて、オーガ共の意識がロイクに移ったのを確認してから後に続く。


「『亡き神々へ請い願う。日脚の神よ、その瞼を落とし給え。夜天の神よ、その(めし)いた瞳にてご高覧あれ』【韜晦(とうかい)上襲(うわおそい)】を」


 深く被った闇色の外套を触媒に、暗がり紛れの魔術を唱えた。魔術軸(マギ・スクロール)を取り出し、カンテラの灯を消して、いつでも向かえるように様子を伺い続ける。

 ロイクがオーガ達を上空から強襲した。頭を噛み潰し、心臓を踏み抜く。心臓は、魔力生成の(かなめ)だ。心臓無くして生物が魔力を生成することは叶わず、心臓が無くなれば、どれほど強力な『超再生』を持っていようと、必ず死に絶える。

 突然の襲撃にオーガらが慌てふためく。黒く巨大な虎の姿が発する威圧感はかなりのもので、全ての視線がロイクに向けられている。


(……今!)


 無音での移動は、暗駆無刀流の一の教えだ。音も姿もなく、暗い森の中を駆けていく。ユリアスの身体能力も、気闘術で強化すれば常人の域を超える。みるみる間にオーガ共の(たむろ)する広場に近付いていく。樹を避け、ユリアスを気取った魔獣の首をすれ違いざまに落とし、根を跳び越え、そして、とうとうその場に飛び出した。


 奴らは、唐突に襲い掛かってきた高ランクの魔獣と戦っていると思っている。思い込んでいる。それが人間の従魔だとは考えもしていない。あるいは大氾濫(スタンピード)以前なら不審に思いもしただろうが、今は違う。何が襲撃してくるかも分からない。ロイクに対する警戒と、ユリアスに対する無警戒が極まっている。

 だからこそ、この術が有効だった。


「『いざや、いざ。その視界は狭く、心は昏く』!」


 紐解かれた巻物、魔術軸(マギ・スクロール)が宙を舞う。オーガ共の意識は分かたれた。ロイクと、姿の見えない何か、その二つしか見えていない。


「ギィア!?」


 魔術軸から漏れた光がオーガらに降り注ぐ。

 発動したのは『過集中の魔術』。その名の通り、食らった者は、視野が狭まり一つ事にしか集中できなくなる魔術だ。これによって、女性達が人質にされる危険はなくなった。


「やるぞ」

「ルァ!」


 ユリアスを術の範囲に入れないように、かつオーガは全てが術を受けるように魔術軸を投げた為、無論しっかりとロイクも術を浴びている。が、なんら問題はない。ロイクは、()()()()()()()()()()という、魔術師殺しに特化した特性を持っている。


 オーガ共を見れば、姿が見えないユリアスを探すもの二体と、ロイクを殺そうと躍起になるもの三体に別れていた。こうなれば、オーガの一番の厄介な性質、高い連携力は発揮されない。

 ユリアスの気配を探り当てたオーガが遮二無二突き出した右腕を、撫でるように剣を振るい切り落とす。左のオーガからの中段蹴りに、右に跳ぶことで対応し、土産に腕を押さえるオーガの腰を深く切った。


 剣を構え直し、その間にオーガの様子を窺えば、ゆっくりではあるが、既に右腕が治り始めているのが分かる。やはり、危険だ。新人の冒険者が勝てる訳はない。


「ギィア、ギィア、ギィアギィアギィア!!!」


 癇癪を起こしたような大鳴き声、牙を見せ付ける口、姿を捉えようとかっ開いた瞳、俺はお前を殺せるんだぞと言うように筋肉を隆起させるその様。

 見えない敵への全身を使った威嚇に、ユリアスは瞼を閉じて木の実を投げることで応えた。


「ィィィア!」


 投げた木の実は『瞬光の実』。衝撃を与えることで殻が割れ、強い光を一瞬だけ放つ木の実だ。この森の魔物は強い光に慣れていない。ましてユリアスの姿を正しく見付けられてもいない。よって効果は覿面(てきめん)だった。

 硬直するオーガの右側の一体の心臓を刺し貫き、もう一体は左腕と左脚を剣で落とす。平衡を保てず、倒れたオーガを、再生が始まる前に胸を刺して殺した。ロイクも既に二体を始末していたらしく、最後の一体はユリアスが背後から斬り捨てて、戦闘を終わらせた。


「ロイク、良くやってくれた」


 ロイクを労い、息を詰まらせた。殺し合いは終わったが、まだやるべき事がある。

 魔術を解いて姿を表し、生け捕られていた女性達に近付く。

 辺りは開けていた。光を分解、吸収するドルト杉が少ないため、太陽の光が差し込んでいる。それでもランタンに明かりを灯し、彼女らのほど近くに置いて、血溜まりに片膝を着いた。


 青い光が、薄暗い森の惨状を照らしている。

 ユリアスは、その蒼い瞳を細めようとして、堪えた。そのまま、傷と死が血に色付く惨状を目の当たりにする。臓物が溢れている。何をしたらその生を繋ぎ止められるか。如何にすれば彼女らの救いとなれるか。それを考える事だけは諦めたくなかった。

 一番近くの女性に、できる限り威圧的にならないように声を掛ける。


「呼吸はできますか」


 是だった。

 薄く動く胸板は、呼吸の証であり、未だ生命の灯が揺れている証でもあった。


「立てますか」


 これは否だった。

 足を見れば、逃げられないように腱を抉り切られた痕、オーガの爪の痕があった。


「……生きてはいけますか」


 否だった。

 オークの巣穴にいた女性だ。その胎には、オークの種が蒔かれているに決まっている。オークの子種は育つのが速い。魔獣の子を産みたくはないだろうし、人間の街に戻っても迫害されるだけだろう。生を手放すに足りる激痛も、感じている筈だ。

 か細い声が、ユリアスに懇願の響きをもって囁いた。


 ────殺して。


 眼を閉じて一拍、開け、彼女の瞳を見て薄く頷いた。

 解体用の短剣とは別の、このような事態に備えて身に付けていた短剣を、懐から取り出す。できるだけ苦しまないように、素早く刺し、死を促した。


 一人ひとり全員に、同じように聞いていく。一人、どこかから捕まえてきたばかりなのか、意識を失っていた女性がいたため、彼女だけはロイクに守るように指示を出し、水と包帯と薬水(ポーション)を用いて応急処置をした後、荷袋から取り出した布を羽織らせた。

 激痛に精神を喪失した女性は、声を掛けるまでもない。肉体、精神、魂。いずれかが欠ければ死ぬのだ。肉体的にも精神的にも壊れた今、彼女は死体だった。


 気絶していた女性を除いて、全員が死んだ。或いは、死を望んだ。


「いいのか」


 赤い液体の輝く短剣に、自身の顔が見て取れる。平静な顔色だ。目の下の隈は濃く、整った顔は如何にも不吉で、揺るぎのない表情筋が、その印象を助長する。

 その、無味乾燥な相貌が、我が事ながら苛立たしかった。


「お前はこれで」


 熱く、滾った何かが、喉元まで出かかっている。ひりつくような焦燥と、強く喉を焼く渇望だ。腹の底から湧き上がる炎はずっと、ずっと持っていたものの筈だ。いつからお前は、そんな顔をする様になったのだと、刀身に歪んで映る己に問うた。


「……いつから、どうしてッ…いつまで、()()……ッ」


 歯噛みし、やり場のない思いを持て余す。そのまま数秒の間そうしていたユリアスは、魔物の気配に目を見開いた。

 気配がした方に目を向ければ、そこには一体のオーガがいた。それは、オーガの中でも一際大きな一本角を額に持ち、どのオーガより鍛え抜かれた逞しい肉体をしている。何より、本来なら赤色をしている身体は、赤混じりの黒に変色している。この群れのリーダーだったのか、その身体から立ち上る覇気は中々のもので、通常のそれではないことは明らかだった。


(『変異種』か)

「ゴァアァアァァァァァ!!!」


 ユリアスが剣を鞘から抜くと同時、仲間の死体に気付き、状況を理解したのだろう、『変異』したオーガはユリアスに確固たる殺意を向ける。


 『変異種』 『変異体』とも呼ばれ、そのままの意味で、魔物が偶然か必然か『変異』したものだ。本来の個体より弱くなったものも変異体と呼べるだろうが、基本的には本来の個体より強くなったものを指す。群れの中に偶に居るこれを好む冒険者は一人として居ない。


「ロイク、そのまま彼女の保護を」


 剣を構え、身体と剣身に妖力を叩き込む。

 見たところ、相手はBランク上位と、通常のオーガより幾分か強いが、それだけだ。

 ユリアスはギルド長に疎まれている為にランク昇進が出来ないだけで、単体の戦闘力ならAランク並みのものがある。しかし、それでも遅れを取る可能性はゼロではない。そう自分に言い聞かせ、油断を殺して地面を蹴った。


 ユリアスが走り始めると同時、相手も疾走し出す。その距離はすぐに縮まり、もう後数歩で接触する。


「ラァッ!」

「ゴァァッ!」


 刹那、交錯した。

 ユリアスが剣を鋭く振り抜き、黒悪鬼は斧を豪快に振る。両者共に狙ったのは武器破壊。

 ぶつかりあった武器の内、壊れたのはユリアスの剣だった。砕けた剣の欠片が太腿に突き刺さり、血が滴る。

 それを見て変異種は嘲笑するように肩を震わせた。長い使用期間で傷んでいた剣は、いとも容易く砕け散った。ユリアスは柄だけになった剣を投げ捨て、後ろの腰に差している予備の剣に手を延ばす。


「!」


 やはり新たに剣を抜く事は許してもらえないらしい。放たれた追撃、縦振りから身を捻り、続く横薙ぎに一歩間を取った。遮二無二繰り出される斧による斬撃が、ドルト杉を切り倒す。


 少し冷静ではなかった。女性らの最期が、内心響いていたのかもしれない。だが今集中すべきことはそれではない。


 内省し、大腿に突き刺さった剣の破片を引き抜きながらも、相手の動きを観察するのは止めない。黒悪鬼は場数を踏んでいると見る。そうなれば、下手な牽制や目くらましはあまり効果が無いだろう。よしんばあったとして、それらを袋の中から探す暇も、予備の剣や弓矢を用意する暇もない。

 素手だ。徒手で、殺す。


「フウゥゥ……」

「ガァアッ!」


 狙うべきは(のど)。振り下ろされる斧を、懐に潜り込む事で避ける。距離を置こうとする変異種に張り付き、続いて、妖力で覆った拳をその首元に突き出した。


「ガァ!?」


 首を反らした黒悪鬼が強引に放った蹴りに半身になって回避する。近接戦闘を嫌った黒悪鬼は、後退すると、魔術を発動させた。オーガの固有妖術である『鬼炎』だ。上位のオーガにしか扱えないそれを容易く操り、ロイクと気絶したままの女性、そしてユリアスに目掛け、飛ばした。

 ユリアスはそれを炎と地面の間に身体をねじこむと、ロイクを振り返りもせずに走り出す。


「グラアァア!??」


 困惑する変異種の声を聞きながらも脚をしならせ、蹴りを繰り出す。見えなくても何が起きたか位は分かる。先もそうだが、ロイクは魔術師殺しだ。


「ガアァァ!」


 黒い悪鬼は流石と言うべき反射神経で攻撃を躱しはしたが、ユリアスは再び張り付いた。もう後退させはしない。

 巨大な斧では、この間合いの徒手に付いて来られない。有利はユリアスにあるが、軽い打撃では駄目だ。乱撃、連撃ではなく、重い拳でなければ、この鬼には効かない。


 斧を振り上げようと試みる変異種の右の前腕を、ユリアスは左腕で払い、一瞬空いた隙に、右足で、強く、強く地面を蹴打すれば、地面が()()()

 想定外の衝撃に、変異種はバランスを崩す。そこに半歩踏み込み、握り込んだ右拳で腹に激打を放ち、更に体幹を揺さ振れば、悪鬼は咽を引き攣らせる。不安定な体勢ながらも負けじと振られる斧、それを持つ右手の根本を掴み、親指に圧を掛ける。多大に妖力を込めた左手は、鬼の親指の付け根を粉砕した。


「ギィィ……ッ!」


 親指を砕かれれば武器を持つのは困難となり、斧は鬼の手からすり抜けた。

 身体を立て直し、仕返しとばかりに繰り出されたオーガの右拳を叩き、いなす。逸らしきれなかった右の爪がユリアスの肩を抉る。


 空いた懐に潜り込み、全身のバネを利用して、黒悪鬼の顎に右掌底を叩き込んだ。その頭が揺れるのを隙と見て、足元に落ちている斧を左の手で(すく)い──


「ガ、アァァ、──────」

「シ、ィアッ!」


 一息に首を()ねた。


 噴き出す血が顔に飛び、頬を、鼻を、首筋を濡らす。

 それでも、まだ足りない。悪醜鬼(オーガ)本来の、首が無くなっても動く程の生命力は、それが変異種ならば尚更高くなっているだろう。だからこそ、確実に息の根を止める必要があった。


 首の無い身体であらぬ方向に攻撃する黒悪鬼を蹴り倒し、その腹部を足で抑えつける。黒悪鬼の抵抗を、足へと更に魔力を込めることで封じ、両手で持った斧を、その胸の中心に振り下ろした。


「……」


 斧は鈍い音を発て、厚い皮膚と筋肉に遮られる。黒悪鬼とて、死にたくはない。肉体の硬度を妖力で強化することも道理だった。


「……」


 二度、三度と胸の中心に斧を振り降ろす。硬くも肉の詰まった物質に斧を()つける、鈍い音がする。黒悪鬼の抵抗を抑える足に、力を込め過ぎた事で、その体が軽く地面に沈んだ。

 四度目でようやく剥き出しになった心臓を、再び振るった斧で叩き潰した。


「ハァァ……」


 魔力生産の炉心である心臓を潰されれば、どんな生き物だろうと息絶える。それはオーガの変異種でも例外ではない。

 顔中を覆う血の臭いに眉をしかめながら凄惨な怪物の死体を眺め、溜め息を吐く。


(面倒な戦闘だったが……素材の大部分は無事か)


 作業的に変異種の一本角と、持っていた斧を剥ぎ取り、周囲の敵影を確認した。

 敵がいないのを見て、ロイクと女性に目を向ければ、意識を取り戻した彼女と視線がかち合った。


「ひィ……!?」


 彼女は冒険者だった。ユリアスの悪名も、その容姿も知っているために、恐怖で顔を歪めている。気不味くなって、ユリアスは眼を逸らした。

 それでも放っておく訳にもいかない。彼女に近づき、その足に意識を遣れば、ユリアスが巻いた包帯が視界に入った。薬水を用いたとは言え、下級の薬水では直ぐに歩けるようにはならない。歪んだ表情は、恐怖によるものだけではない事は予想出来た。


「すみません。俺の魔術では、貴女の足を治せない」

「ぇ………はい」

「呼吸はできますか」

「はい」

「生きてはいけますか」

「……はい」


 意外だった。姿格好を見るに、彼女もオークの被害者であるだろうに。


「……良かった。少し待っていて下さい。彼女達を弔いたいので」


 ドルト杉は光と熱を吸収する。そのため、この森で火を起こすのは一手間かかる。よって火葬はできない。これがこの森に不死者(アンデッド)を増やす一因になっていた。だが、ドルト杉の少ない開けた場所(ここ)でなら、やりようはある。

 オーガの使っていた斧で地面を掘り返し、できた穴に女性達を並べていく。その最中に身を寄せて来たロイクを労ってやる。


「ロイク、よく守ってくれたな。ありがとう」


 丸っこい耳と耳の間を擽ると、ロイクはざらざらの舌でユリアスの手を舐めて、何か伝えたげに低く長く鳴いた。


 霧払いの結界を張り、懐中時計を触媒に、火起こしの魔術を使用して少しすれば、死体に火が移り、髪や肉、衣服が燃える匂いが立ち始める。ユリアスはただ、その光景をじっと見ていた。


 フィリアなら……幼馴染の彼女だったら、もっと鮮やかに助けられていたのだろう。

 彼女の白い影が、ユリアスの頭の中をひたひたと歩き回る。穏やかな笑い声が、耳の奥で響いた。あの頃と変わらない、小さなシルエットと、福音にも似た美しい声だった。

 街を襲ったあの災害から、彼女は逃げられたのだろうか。もし万が一逃げ切れていたなら、今頃何をしているのだろうか。おそらくは人助けをしているのだろう。自分などとは違って、完璧に熟している筈だ。


「それじゃあ、そろそろ……」


 本来の予定ならば可能な限り大氾濫(スタンピード)の原因を突き止めたい所だったが、今日の所は今持ちえる情報、そしてオーガの情報を持って帰る他ない。生存者である彼女を背負おうとして、また新たな魔物の気配を感じ取った。


「グゥゥゥゥ」

「分かっている」


 低く咽を鳴らし、警戒を促すロイクに答え、左手の斧を捨てた。そのまま後ろ腰に帯びている剣の柄に手を掛ける。


「……行ってくる。ロイクは彼女の護衛を」


 鞘と柄を縛る紐を解けば、カランと乾いた音をたてて剣が抜けた。全身の魔力を、萎えそうになる戦意と共に励起する。ここの所魔力の巡りが遅い。やる気の問題か、身体に()()が来ているのか。恐らく後者だが、心が弱っていないと言えば、それはきっと嘘になる。

 剣を構えると同時に、サッと木々の影から吹いた冷たい風が、服の隙間に入り込んでユリアスの肌を撫でた。

 秋の終わりの気配がした。



夜目の霊薬について:

効果…暗闇の中における視界の補助。必要なもの…風呑み梟の涙液、月瞳草、黄花の花粉、無属性水(中性スライムでも可)、錬金台、錬金釜

製造過程…①月瞳草を刻み、根だけを取り分け、それ以外を錬金釜に投入する。②刻んだ月瞳草と風呑み梟の涙液を良く混ぜ、その後黄花の花粉を入れ、錬金釜で反応させる。③出来上がったものに無属性水を投入して薄める。④馴染むまで放置。この際、属性汚染が起きないように、錬金釜に蓋をする ←絶対!


無属性水では安定しない?これは保管の問題か。高性能な魔封瓶がほしい。錬金釜も買い替えの必要アリ。

追加素材候補…①破れ蝙蝠の鱗粉。暗闇の中での空間把握能力が向上する? ②蟠猫の髭。①と同じ効能を期待。入手困難。③穴豹の足の長毛。足音が小くなる?隠密行動下での活躍に期待。■■■■■■■■(字が潰れていて読めない)


『覚え書き・錬金術』ヤントン・ハスラー著 より一部抜粋

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