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03 広くて狭い街

─の─が───様の─き──助と──で──う


御───さい。貴────に何が───私──は、───────は──に────────から



 ◆ ◆ ◆ ◆



(………夢か)


 とある大都市の一角に存在する宿、その一室。男が小窓から差し込む光に目を細めながら布団の誘惑に抗っていると、溜まった疲れとは別に、心の奥底にこびりつく不快感の残り香を感じた。


(どんな夢だったのやら)


 それをいつもの事と振り払いながら、大きなあくび一つをお供に起き上がる。浅い眠りだったせいか鈍く重い腕をやっとの思いで動かし、寝台の隣の机に置いてある水差しとコップをひったくるように手に取った。コップに水を注ぎ、粘ついた喉を押し流すように、乱暴に、勢いよく水を飲み干す。

 寝不足の身には朝日の眩しさが堪える。目元を片手で揉みほぐしていると、相棒が心配そうにこちらを見ている事に気が付いた。


「ゴロロロ」


 どうやら何時もの悪夢を見ていたらしい。(うなさ)れでもしていたのだろう。彼は見ていた、と言う事以外、内容など全く覚えていないが……


「……大丈夫だ。気にするな」


 ベッドから這い出ながら、寝起きの影響か男は普段の五割減の語気で応えた。それでも心配そうにこっちを見ている黒猫に、自分が余り信用されていないらしい事に気付き、肩を落とす。彼自身は覚えていないのだから本当に問題ないと思っていたけれど、どうやらそうもいかないらしい。


「ナォ」


 全身が黒い、ネコの様な外見をした魔物、ロイク。この雄猫は三年前、旅をしていた頃、道中で倒れていたのを拾い、偶然助けた事で知り合った。回復するまで付き合っていたら懐かれたので従魔契約を結び、それ以降苦楽を共にした、彼にとって最も大切な仲間だった。


「ルルルル」


 疑わしそうに見てくる愛らしいペットの頭を誤魔化すように撫で、指先で喉をくすぐった。そのまま脇の下に両手を差し込み、持ち上げ、額周辺の漆黒の和毛(にこげ)に鼻を押し当て───そっとベッドに置き戻した。


「ロイク、お前臭いぞ。血の匂いがする」

「……」


 そういえば昨日、冒険を終えた後ロイクを洗うのを忘れていたなと思いつつ、青年はベッドの上に乱雑に置かれた衣服を手にして、寝巻きから冒険者としての服装に着替え始める。上下共にほとんど魔力を有していない、簡素な服を身に付け、その上から暗色の革鎧を纏い、冒険者としての体制を整えた。


「くぅ………ぁ」


 込み上げる欠伸を堪えずにそのまま漏らし、肩骨に力を込めて身体を左右に捻ったあと、背筋をぐぐっとできる限り伸ばした。ぼやけた視界を揺らしながら、桶の置かれた机へと歩み寄る。桶の底に刻まれた小さな魔術陣を指でなぞり、魔力を込めれば、底から水が湧き上がってくる。

 窓から差す陽光を漂わせる水面を掬って顔を洗う。ついでに軽く髪を整え、その際に桶を覗けば、そこには一人の青年の姿があった。


 少し癖のある黒髪に、炯々として蒼い瞳。その眼の下の、濃く刻まれた隈が特徴的な青年だった。並外れて整った顔立ちではあったが、その隈と本人の持つ空気も相まって、陰険で不健康そうな印象を受ける。それでも、無駄なく鍛え上げられた身体はしなやかで、背筋はしゃんと綺麗に通っていた。筋肉ダルマばかりな冒険者の中では細身の部類ではあれど、消して軟弱な体つきではなく、例えるならば、匠に鍛えられた鋭剣のような肉付きだった。事実、黒髪の青年、『ユリアス』はその職を冒険者としていた。


 伸びてきた髭を軽く剃り落とし、いつも通りの自分の姿に曖昧に頷いて、顎の辺りをもう一度軽く洗う。

 適当に顔を拭き、水の中の自分を見下ろすように視界に入れた。水面に映る自分の顔には、忘れかけた父の面影が残っていて、それが否が応にもぼやけた記憶を刺激する。


「……人の為に…」


 人の為に力を振う。いつかした父との約束だった。頼りない記憶が消えないように頭の中でもう一度繰り返す。今となっては亡き父の言葉だけが、彼を導く(しるべ)だった。


「…」


 顔を上げれば、ロイクの深紫色の瞳が直ぐそこにあった。神妙そうな面持ちでこちらを見ている……気がする。ずいぶん表情豊かなロイクに笑い、脇に手を通して抱き寄せると、嫌がる彼を無視して桶に身体を沈めさせた。


「にーーーう」


 先程の神妙さはどこへやら、虚無な表情を浮かべるロイクをざぶざぶと丸洗いする。水から上げた後、タオルに包んで一旦放置する。


「『春日の風、日輪の囁きよ』」


 魔術で温風を発生させ、ロイクの身体を乾かす。まだ少し恨みがましそうな顔をする彼の鼻先をくすぐり、桶の水を部屋の隅の水場に流した。


「よし、行こうか」


 辺りを見回し、忘れた物がないか確認する。元より数日のみ泊る予定だった宿だ。そう大層な物もない。探索用の鞄とカンテラ、闇色の外套、懐中時計、それに壁に立て掛けた剣と短刀を取り、ユリアスはロイクと共に部屋を出た。



「……行ってきます」


 細く小さく発せられたその言葉に返す人はおらず、かすかな寂寥が胸を過ぎる。数年前ならば、その言葉に返す人間も、帰る場所もあったが、故郷が滅んだ今となっては当然のことでもあった。思い返せば気遣いの言葉を掛けられるのも、数年前を皮切りにぱったりとなくなった。以前在籍していた傭兵団でも、一際年若いユリアスは孤立ぎみだった。よく気を使ってくれた仲間達を、逆に煩わしく思っていたことは、ほんの最近のことのように思えた。


 そんな益体もない思考を放り捨て、扉を外から施錠すると、ユリアスは足を動かし始める。階段を降りている途中で、彼を見た冒険者が露骨に道を開け、警戒に身を竦める様に、少しの申し訳なさを覚えて足早に階段を降る。今更傷付くことこそないものの、やはり罪悪感は付いて回った。


 愛猫を撫でながら降りた階段の先では、筋肉質な中年の男性がカウンターに座っている。

 互助組合(ギルド)でもない、ただの寂れた宿屋にかわいい看板娘などそうは居ない。そんなものは幻想である。ユリアスが冒険者になって学んだことの一つだった。


「おはようございます」

「……ふん、朝飯はどうする」


 普段通り、抑揚の薄い声でユリアスが挨拶をすれば、この宿『虹色の雫亭』の亭主であり、受け付けでもあるガイスは、相も変わらず不機嫌そうに返事をすると、広げた新聞に顔を隠した。


「朝はここで食べるつもりです。部屋は今朝限りで予約を取り消します」

「……」

「それと新聞も、よろしくお願いします」

「……ああ」


 鍵を受付に返し、彼の脇を通って食堂に向かう。

 食堂の一角には、明らかに場違いな、黒い『樹』が生えていた。この街は森を切り開いて作られた街であり、当然、建物を建てるために一定の範囲内の樹は軒並み全て切られた。しかし、通常のそれよりも魔力を多く含み、生命力が強い樹は非常にしぶとく、未だに街のそこかしこでポコポコと生えてくる。切っても切っても翌日には生えてくるため、それに対処するべく、この街には木樵(きこり)が多い。それでも、もうどうしようもないと判断された樹はそのまま放置され、今目の前にある樹のように、建物の中に我が物顔で生えているものもある。

 こんな状態になってもう随分と経つらしく、この街と樹とは共存関係にあり、ユリアスにとっても最早見慣れた光景だった。


 空いている席に座ると、直ぐ様ユリアスの目の前に乱暴に料理が置かれた。

 ここ虹色の雫亭では正式なウェイトレスは雇っていない。その代わりにこの宿に泊まっている冒険者に依頼を出していた。

 こういったことは小遣い稼ぎに低ランクの冒険者、大体はEからFランクの冒険者が受ける。冒険者は職にあぶれた者であったり、大の戦闘好きであったり、荒くれ者ばかりだ。しかも低ランクであるほど、質も礼儀も悪くなる。仕方ないと言えば仕方ないが、もう少し丁寧には出来ないのか、と心の中で呟きつつ、スプーンを手に取る。少し溢れたスープを見て勿体無いと思いながらもパンをちぎって口に放り込み、その手で町中の噂を集めた新聞を開く。


(………帝国領内及び帝国近辺の諸国で大虐殺。原因、犯人、動機は不明。……物騒だな)


 ユリアスの読んでいる記事の隣には、一番の話題なのだろう。「『騎士の国』ランダルフィアの騎士団長『騎士王(ナイツロード)フェルネリウス』、ついに退任か」などとでかでかと書かれていた。その他にも、街で起こっている連続血抜き殺人事件や、有名人のゴシップニュースなど。それらに目を通しながらも、今日はどんな依頼が残っているだろうか、とか、回復薬は足りてあったか、とか、とりとめもない事を朝の空気に弱った頭で考えながら、眠気覚ましに好物の珈琲を準備する。

 刻印された魔術陣から熱湯が湧き出る魔術のカップは、ユリアスの持つ数少ない趣味用の私物だ。乾燥させ、粉末状になった珈琲豆の抽出液をカップに入れて、即席の珈琲を作る。珈琲豆も魔道具のカップも、金の掛かる嗜好品だ。これこそ正しく高位冒険者の特権といえた。

 ユリアスがカップに口を付ける頃、足元では、ロイクがちょうど自分用の朝食を食べ終えていた。他の宿泊客たちの喧騒をクラシックに、ユリアスも栄養補給を進める。

 依頼を終え、数週間ぶりに街に帰ってきたユリアスにとって、久しぶりの街中での朝だった。


「ん────………ふあぁぁ……っふ」


 小さなため息を珈琲の入ったカップに流し込む。普段は森で寝泊まりしているからか、街で眠るというのはどうにも落ち着かない。人の気配、騒がしく刺々しい気配に精神がささくれ立つ。

 人間が嫌いな訳ではない。旅は好きだし、人々の触れ合いは側から見てる分には楽しいものだ。だが、自分の居場所がないような感覚と、己が街に留まっているだけで魔物がやってくるかもしれないという罪悪感と恐怖が、ユリアスを責め続けていた。つまり、街に定住するのに向いていないということなのだろう。昨日も、酒で自分を酔い潰すような、そんな寝方だった。




 朝食を食べ終わった後、まだ食べ足りないと騒ぐ大食猫を抑えて互助組合(ギルド)の支部へと続く大通りの流れに足を乗せる。


 懐から取り出した金属製の時計を見れば、時刻は八時を半ば過ぎたことが分かる。街を覆う眠たい空気も晴れ始め、黒い樹々と煉瓦造りの家々が建ち並ぶ職人通りは、一足先に目を覚ましていた。

 何かを値切る声に金床に金属が打ち付けられる音。薬屋の少年が運ぶ箱からは、ガチャガチャとビンが危うい音を発て、薬水(ポーション)特有の無理のある甘い匂いが漏れ出ている。緊急事態の折になると赤色に染まる鳥モチーフの看板は、店やら家屋やらの軒先で、風に煽られからからと音をたてながら回っていた。

 面白味のない景色を尻目に、眠気で覚束ない頭のまま歩みを進める。もう秋も半ばを越えた。日を経る毎にじわじわと冷たくなる風をその身に受けながら、喧騒の中を通り過ぎていく。


「お」


 しばらく進むと開けた場所に出た。この街の守護精霊、色觜梟(パルミニアーネ)の石像と大きな噴水が特徴的な場所、いわゆる広場である。

 ここは、住民たちが暮らす区画と職人たちが働く区画のちょうど狭間ほどに位置する場所だ。そこで、朝の定期市が開かれていた。

 売り物は、武器や小物雑貨、占い、食料、怪しげな魔術触媒、魔術軸(マギ・スクロール)やランタンを始めとする冒険用品などなど。一般住民に戦闘職、加えて魔術師までも、手広い層を対象に、好き勝手のごちゃ混ぜな雑市だった。


 その中の、武具、特に刃物を扱う出店にユリアスの目が止まった。ユリアスの持つ数少ないまともな趣味、その一つが名剣蒐集である。しかしロイクは剣などには興味がないらしく、彼の目は食べ物関連の出店へと向けられている。食いしん坊の雄ネコはユリアスの右肩と左肩を往復しながら、ねうねうねうねうと、撫でてもないのに猫撫で声をあげていた。


「…良いよ。俺は剣を見てるからお前は何が食いたいのか選んでおいてくれ」


 上機嫌に高い声をあげたロイクが、ユリアスの頭に座り、首を伸ばして肉塊を売る露店を眺めている。そんなペットをそのままに、乱雑に並べられた刀剣の中から業物はないかと品定めを始めた。


 並べられた刃物の大半は斧系統の武器であり、剣類の数は少ないが、ユリアスとしては斧でも良い。出来の優れた代物なら何でも構わないのだ。

 斧ならば少しの間グリップを握ってみたり、剣ならば鞘から刀身を半ばまで抜いて出来を確認したりといった行為を続けていく。


(使えなくはないけどな……)


 風結びの魔術が刻印された、狙った獲物に向かって飛んでいく手斧を手に取り、矯めつ眇めつ眺める。ユリアスの主な狩場は木々の密集した森の中であるから、これがどれ程上手く仕事をするかは未知数だ。それによく見れば刻まれた魔術紋は歪んでいるし、この街の名工の手によって造られたことを示す梟の焼印も、出来の悪い贋物だった。これはダメだと見切りを付けて、隣の剣に目を移す。


「ルルルルル?」

「いや、今回は特に収穫なしだよ」


 しかし、これは、という物もなく、太陽に透かしていた剣をきっちり鞘に収め、店主に手渡した。名刀は、そう簡単に見つからないから名刀なのである。

 大人しく業物探しを諦めて、かと言って冷やかしただけというのもどうかということで、そこそこ質の良い短剣を一本、予備の魔物解体用の短剣として買う。支払いを済ませ、短剣を懐に仕舞うと、ロイクにどの店が良いか指差し尋ねた。


「あれか? 違うのか。じゃあ、あっちか? ああ、あれだろう。合ってるか?そうだよな」


 緑やら紫やら個性的な色の名物菓子や、甘脂豚(パシース)と呼ばれる魔物の脂を固めた頭の悪い食べ物、弾力のあるパン生地に肉と野菜をこれでもかと詰め込んだもの、等さまざまな出店があるが、ロイクが好むのは単純明快、塩っ気が強く脂っこい肉である。それも巨大であればあるほど良い。


「ロイク、身体大きくしてくれ」


 冗談だろ、と言いたくなるような大きさの肉を買い、幾分軽くなった財布を可愛がる。ユリアスの指示通り、黒猫から黒虎の姿へと変わったロイクに豚の姿焼きを咥えさせる。首に付けられた、街に承認された従魔であることを示す首輪が、巨大化に伴って壊れてないかを確認したのち、頃合いを見て冒険者ギルドへ向かった。



 肉を食べるならギルド付属の魔物解体場でにしろと指示をだして、ギルドの入り口でロイクと別れる。

 ギルドに入ると酒の臭いと酔い潰れた冒険者達の姿が目に、鼻に飛び込んでくる。冒険者互助組合(ギルド)は、戦闘や探索を生業とする冒険者たちに仕事を斡旋する場である。受付で依頼を受けたり、掲示板で依頼を吟味している者や、朝っぱらから酒に酔って管を巻く者など、多くの冒険者が集まっていた。


 そんな彼らの視線が、ギルド内を歩くユリアスただ一人に集まる。これだけ多くの冒険者がいて、そこにいる全員がたった一人の男に意識を向けているのは、一種異様な光景だった。

 その視線の主達には冒険者だけでなく受付や、依頼者までもが入っている。視線の主はバラバラだったが、その視線は大小限らず嫌悪、何より恐怖を内包しているという共通点があった。

 中にはわざと聞こえる大きさで「何で『疫病神』がこんなところに………」等と言う者もいる。

 そんな彼らとなるべく目を合わせないようにするユリアスだが、自分の話というのは嫌でも意識に引っ掛かるもので、とある二人の冒険者の話し声がするりと耳に滑り込んでくる。


「誰スかアイツ。『森住まい』だとか『音無し』だとか『疫病神』だとか。そんだけ仇名があるってことは有名人なんスか?」

「あー…お前こっちに来たばかりだったか。アイツはいるだけで魔物を呼び寄せるんだ。近付くと不幸が移っちまうぞ」

「ううわ、なんスかそれ。最悪っスね。……強いんスか?」

「あの歳でBランクだからな。なんでも未覚醒の神宿者(ホルダー)だとさ」

「ふーん……」

「オイ、半端に喧嘩売ンなよ。半端に殺されるぞ」

「ひえーおっかねえ。売らないっスよ、絶対」


 ひそひそ、こそこそと聞こえてくる噂話に、ユリアスはほんの小さく眉根を寄せた。

 『疫病神』とは、ユリアスを蔑んだ仇名だった。Bランク冒険者ユリアスは不吉であり、不幸であり、ユリアスと関わった者もまた不幸になるという噂があった。事実、四分の一位は間違っていない。


 このユリアスという男には昔から、それこそ生まれたときから魔物を惹き付ける()()があり、そしてそれは厄介なことに、抑えることはできても完全に消すことはできない。そして魔物がユリアスのいる方向へと集まるため、そこから派生、と言うより誇張され、不吉で不幸な『疫病神』となったのだ。

 これが神宿者(ホルダー)の持つ独特の存在感によるものだというのは分かりきっていた。それに加えて、ユリアスを含め誰もが彼が持つ神の魂の(クラス)を知らない。端から見れば、ユリアスは正体不明の不気味で恐ろしげな人間という訳だ。


 そんなユリアスが幼少期に殺されたり、虐げられたりしなかったのは(ひとえ)に父親とリンカのお陰だった。母はユリアスが生まれて直ぐに死んでしまい、それでも貴族らしからぬ、普通の家族のように接し、育ててくれた父にユリアスは深く感謝していた。……その父も、もう死んでしまったが。

 父が死に、ユリアスが逃げた後、ユリアスが元々所属していた国、コートバーン王国は滅亡した。要塞都市アルキスが陥落したことで、周囲の国々に攻め入られた為だった。数ある中小国家の一つでしかなかったコートバーン王国は呆気なく滅んだと聞いている。


 国が滅んだのでは帰る場所もなく、傭兵団に入って各地を渡り歩き、その傭兵団も退団して旅人へと、そして冒険者へと職を変え、結果ユリアスはこうしている。何時も影から支えてくれていたリンカも、幼馴染、妹分に、温かな家庭も。その全ては今となっては懐かしい、良い過去だった。


 しかし、だからこそ思い出せない自分に、ユリアスは深い疑問と不信を覚える。あの悲劇の後、あまりの衝撃故か、父とリンカ、以下使用人の顔の全てを思い出せなくなった。どころか、街の住人全員の顔もそしてあの日の悲劇自体も思い出せない。思い出せるのは事件以前の出来事、事件はあったという事実、そして幼馴染み達の影──白はフィリア、金はナナイア、そして黒い髪のノニス(妹分)──それらが横並びに身を寄せ合う姿だけ。

 それすらも朧気で、ハッキリと残っているのは黒い釼を上段に掲げる死霊騎士、そしてフィリアに対する執着心だけだった。


「…はァ」


 沈んだ心に溜まった澱を溜め息で押し流し、強引に立ち直すと、ユリアスはいつも使用している受付に向かう。どれもこれもがいつも通りで、気にするだけ無駄だった。木材からなる床から発つ乾いた音も、靴の裏に着く粘着質な赤い液体も、鼻を掠める酒と血の臭気もまた、変わった様子は欠片もなかった。


 変わることなく寒々しい、いつもの今日だ。それを受け入れる意識の中に、微かに混じる不快感。そんな感情を踏み潰すように、一歩を刻んだ。


 受付に向かっていくと、受付嬢が気付いて簡単にギルドの制服を整えた。紫掛かった艶やかな黒髪に、炎のように(あか)い瞳、そして感情が読み取りづらい無表情。受付嬢である彼女の名はヴァイオレットといった。


 外見からは予想できないほど、彼女の戦闘力は高く、死体の山の中で赤く染まる姿から『鮮血姫』の二つ名を持つ程だ。美人揃いの受付嬢の中でもその美貌は一際飛び抜けているが、その取っ付きずらい無表情と気怠げな雰囲気、そして『鮮血姫』の異名のせいで何時も彼女の受付は空いている。他の冒険者の会話を聞いた所、『怒らせてはならないオーラ』が滲み出ていると言う。

 そう言われてはいるが、よく見れば無表情の中にも感情を伺えるし、馴れてくれば笑ってくれたりもする。普通かどうかはさて置いて、ユリアスの良き友人にして、殆ど唯一の友人である。が、実際怒らせるととんでもない。怒らせたが最後、触れてはならない()()()が顔を覗かせるのだ。


「おはようございます、ユリアス様。今日も眠そうですね」

「ああ、おはよう、ヴィオレ。……髪型、変えたのか。綺麗だな、似合ってるよ」

「……よくもまあ恥ずかしげもなく…。まあ、いいですけど。褒め言葉として、素直に受け取っておきますけど……」


 毛先を弄りながら放たれた彼女のぼやきを受け流して、カウンターにもたれかかる。

 受付のカウンター横の花瓶に目を向ければ、そこにはいつだったかユリアスが摘み、ヴィオレに渡した菫が活けられていた。(ヴァイオレット)はユリアスが好きな花の名だ。それをヴィオレに伝え、菫を渡した時の顔を思い出し、目尻を下げる。それはここに来ればいつでも訪れる、細やかな楽しみだ。他人事のようなこの街で、数少ない楽しみの一つでもあった。


「それじゃあ、何時も通りのランク帯の依頼、用意して貰えるか?」

「勿論です。……はい、こちらになります。今回ユリアス様にお勧めしたい依頼は討伐依頼、対象は悪醜鬼人(オーガ)です。後ろの注意事項、連絡事項をよくお読みになって、それで宜しければ受注をお願いします」

「ああ、確かに」


 前もって用意されていたのであろう依頼用紙を受け取ると、記載に間違いが無いかを確認する。


 今回の依頼は悪醜鬼人(オーガ)の討伐。さして珍しい敵でも、内容でもない。対策等を脳内で練り、予想される敵の行動を整理して、問題なしと判断すると、ユリアスはそれを受注した。


「なあヴィオレ」

「はい」

「今度、一緒に昼食でも行かないか」


 依頼用紙に受注印が押されるのを眺めながら、ユリアスは口を開く。それは、何気ない会話の延長だ。ユリアスは悪意を浴び慣れているからこそ、自分に向けられた感情には敏感であり、ヴィオレに嫌われていないのは知っていた。また、受付嬢は冒険者と食事をしてはならないという決まりがないのも分かっている。以前、ユリアスが誘ったときは断られてしまったが、今度こそと話しかけた結果は、芳しくなかった。


「──その、本当に嬉しいのですが……ごめんなさい。ユリアス様の事が嫌い、というわけではなく………その……」


 それ以上の言葉は出てこない。ユリアスの望んだ言葉は出てこなかった。ヴィオレはそのまま自信なさげに俯いてしまった。


 はっきりしない物言いに、躊躇いと卑下に近い遠慮を見出して、ユリアスは笑みの温度をほんの僅かに下げる。

 会話が途絶えてしまった。

 いつものことだ。彼女は良くしてくれるが、それでも度々、壁一枚隔てたような距離を感じさせられる。なんとも奇怪な距離感が溝となって、ユリアスとヴァイオレットとの間に横たわっている。

 ずっと前に割り切りはしたが、面白くないのは確かだった。


「……ごめんなさい。それでも、貴方様の身に何があろうと私は、貴方様の味方ですから」


「…ありがとう。そう言ってくれるだけでも救われるよ」


 彼女の言葉にぎこちないないがらも微笑みを見せて、気にすることはないと彼女に伝える。また、そうする事で自分の中で折り合いを付けた。


「………」


 彼女の言葉を反芻して、ユリアスは束の間を物思いに耽る。

 彼女と自分の間にあるものは何なんだろうか。自分はどうするべきなんだろうか。そして…『何があろうと私は貴方の味方だ』と、それと同じような言葉を受け取ったことがある気がする。それはいつだったかと、上の空で記憶を辿った。


「それと─────で────濫が───ですので──────」


 ヴィオレの唇の動きを、赤い炎色の瞳を、濡れた鴉の艶髪を、体の向きを直す仕草を、ユリアスの蒼い眼が明瞭に捉えた。それらが妙に、ユリアスの網膜に焼き付いた。


「……ユリアス様、ユリアス様? 聞いていましたか?」

「!……あ、ああ。もちろん、聞いていたよ」


 そっとこちらを伺うように見てくる彼女に、ユリアスは緩い笑みで応じる。彼女の緋眼が瞬きを二つする間に、先の妙な感覚はすっかり消えていた。そんな簡単に消える違和感ならば、恐らく気のせいだったのだろう。自分に言い聞かせるまでもなくそう、思った。


「じゃあ、行ってくるよ」

「………行ってらっしゃいませ。影ながら御武運をお祈りしています」


 適当に依頼内容を再確認した後、自身の装備を確かめる。そうしてギルドの定型文である見送りの言葉を背に、ユリアスは今日の冒険を始めた。

高鳴鳥の看板について:


 高鳴鳥、つまりはホースタスと呼ばれる下級魔物について、この我々に馴染み深い鳥型魔物が如何にして今のポジションを築き上げてきたかの話をしよう。

 この魔物をモチーフにした看板が、緊急時において赤く染まる、警報の為のものであることは知っての事だが、では何故この魔物が看板のデザインに取り入れられたかについて知るものは、少ないと予想する。(中略)


 この魔物は寒冷地以外なら大概の地域で生息を確認でき、群れで行動する姿が多く確認されている。羽休めのとき一番高い位置に止まっているのが群れのボスであり、彼が周囲の敵に目を光らせているからこそ、仲間達はゆっくりと羽を休める事が出来るのである。

 魔物としての強さは下の中であるが、危機感知能力に優れ、飛行速度にも優れているため、そう簡単に捕まえることはできない。斯くいう私も、一度その体を抱きしめようと追ってみたことがあるが、まるで捕まえられそうな気配がなかった。何せあの愛らしい目は遠くの敵の姿も捉えることが出来るため、私が彼らに何かしようと思った時には、もう既に飛び立つ準備が整っているのだ。賢い彼らは自身より強大な敵を感知すると、普段は黒い全身を赤く染め、巨大な声を上げて、群れの仲間に知らせて飛び立っていく。そう。そしてこれがこの章の本題である。

 彼らはその特性故に古くから凶兆を知らせる鳥として扱われ、今なお、自衛手段の少ない村では籠に捉えて高台に置かれ、警報として使われている。南部から西部の街の軒先の、至る所に掛けられているホースタスは、私たちと彼らの間にある、歴史と絆の結晶なのだ。


『魔物と私たちの生活』ヘイシン・ハーランヅ著 より一部抜粋


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