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18 堂々巡り

 心の隙間にさえ、寒風が吹き込む夜だった。涼しいと評すには些か冷た過ぎる夜風が窓を突く。ガラス一枚隔てた向こうでは、醒瞳(満月)がユリアスら二人を覗き見ている。差し込む薄金色の月光が、魔動ランプの灯りと共に、宵闇に沈黙する廊下を照らしていた。


 目の前のメイド姿の悪魔の後ろを歩いていく。エリーの歩幅に合わせながら、月夜を窓から仰ぎ見る。魔性が狂う夜だ。金の月は生物の心を動かし、駆り立て、様々な感情、感傷、激情を与える。特に魔性はその獰猛性を煽られる。見上げた黄金に呑まれる前に視線を切ったユリアスへ、足を止めずに、振り返りもせずに、エリーは言葉を投げ掛けた。


「悩んでおられるのですか? 魔王になるか、ならないか」

「…そうだな。俺も、()()にはなりたくないな」


 夜闇から目を外し、彼女の背中を見据える。やはり城中の住民が知っているのか、それともエリーの地位が高いのか、一瞬考えを巡らせ、途中で飽きて放棄する。赤い絨毯から足がはみ出て、軽快な靴音が発った。纏まらない感情と思考に意識が逸れ、知らずの内に足音が刻まれる。


「……一応、御客様がヒトのままにいる為の手立てと、それが上手く運ばれる可能性はありますよ」


 その言葉にユリアスは目を見開く。それはこの悩みを打開しうる響きを秘めていた。だが、それを鵜呑みに出来る程、事は単純ではなかった。


「ディアゼルからは聞いていない、そんな事」

「恐らく、敢えて、でしょう。御客様が魔王となる事を、未だ善しとしていないのかも知れません。……貴方が魔王となっても、ヒトでいられる可能性がある事は本当ですよ。六割以上の確率で、貴方の精神はヒトでいられる」

「………」

「悪魔の誇りを賭けて、約束したって良い。嘘ではありません」

「そうか」


 足元に視線を落とし、頭の中身を俯瞰する。誇りを賭ける、約束するとまで言った。悪魔がこうまで言うのなら、それは信ずるに足りる。半精神生命体である悪魔は、その言葉と誇りに少なからず縛られる。悪魔とはそういう民族性を持っている。


 無言を貫くままに、目的地へと近付いていく。情報を求め、先程の『手立て』とは具体的に何か訊こうとした、そんな折、またもやエリーが口を開いた。


「御客様。……魔王の権能の一つ。【誓約(エンゲージ)】をご存知ですか?」

「いや、知らない」


 まるで考えを纏める時間を与える事を嫌がっているかのような話しぶり。唐突で脈絡のない話の内容に、一応の返事をする。


「その【誓約(エンゲージ)】というのがどうかしたのか?」

「いえ、そうですね…それより先に………魔王の力については詳しく把握していますか? 例えば、【契約(コントラクト)】と【剱臣(アルマ)】について、など」

「いや、そこまで詳しくは知らないな」

「そうですか。では、一応説明しておきましょう」


 言うユリアスにエリーは頷くと、歩く速度を落としてユリアスの隣を歩き、説明を始める。


「先ず、魔王の力として中心に位置する【契約】について説明しましょう。これは魔王を契約主とし、その契約相手との間に魂間の繋がりを作り、契約相手の能力を借り受ける能力です。最初は【神宿者(ホルダー)としての権能】と、吸血種(ブラッドサッカー)の扱う血魔術(ブラッドワーク)等の【種族魔術】を。そして最後には魔力を使用せずとも行使可能な……例えば我々悪魔の持つ角や、魔眼等の【種族特性】を得て、肉体の変化にまで至ります。段階を経て配下達の能力を徴収し、怪物に近付いていく。それが魔王の力です。そして、その【契約(コントラクト)】の相手を、【剱臣(アルマ)】と呼びます」

「…なるほど」


 廊下の雰囲気は、いつかサクヤと共に歩いた画廊に近い。テンペラ画や油画、彫刻などの美術品で華やぐそれを見ていると、数日前の出来事であったのに、懐かしく思い出される。逸れかける気を引き戻し、少しゴチャゴチャした説明を咀嚼しながら、ユリアスは話の続きを促す。


「あくまで()()()()()ですので【剱臣】が弱っていればその分力も弱まりますし、剱臣が死ねばその力も半ば失われますけれど……契約相手さえいれば十二分に強力な権能です。更に能力について深く理解すれば、行える事の幅は増えますが、今は良しとしましょう」


 エリーの足が、一つの部屋の前で止まった。サクヤの部屋に着いたのだろう。だがそれでも尚話すことを止めず、彼女はユリアスへ向き直る。


「そして、更にその上。【契約】の上位互換である【誓約(エンゲージ)】についてですが……」

「『魔女』……昼間、ディアゼルと少しその話をした」

「ええ。【誓約】の魔法は一人のみにしか使用できないもの。魔王と契約下にある剱臣、その殆ど全ての能力を扱える存在、魔女を生み出す為の魔法です」

「……」

「誓約の対象は女性には限らないそうですが…それは良いでしょう」


 魔女とは言うなれば、もう一人の『魔王(ノトリアス)』だ。魔王が持ち、魔女が持たない能力というのも多々ある。例えば、種族特性(身体性能)など。魔王と異なり、身体機能の変化までには及ばない。だが、剱臣の権能と妖術は共有されるのだ。故に、伝説に登場する魔女とは、総じて酷く恐ろしいものだった。

 けれど、それを今語ってどうするのかと視線で疑問を投げかける。


「【誓約(エンゲージ)】は【契約(コントラクト)】とは違い、魂を繋げる訳ではありません」

「というと…」

「魂の一部を共有する、とでもいいましょうか。魔王が力を与える事で契約対象者を高位の存在に押し上げる魔法であり、【契約】よりも、より深く、より熱く。それこそ、血よりも固い『誓い』と言うべきものなのです」


 淡々としたエリーの語り口には、それでもユリアスに何かを求めるような、懇願するような、そんな色が含まれていた。


「……何故今、それを俺に」

「…………」


 口を開いて、また閉じる事を繰り返す。何かを言い淀むエリーは、ユリアスの胸元、黒の指環をしきりに気にする。三度口の開閉を繰り返すと、最終的に伝えないことを選択した。


「……申し訳御座いません。私の口からは、何もお教え出来ないのです」


 口惜しそうに整った顔を歪める。彼女のそのしおらしい態度に驚いて、改まって見詰めれば、その視線の意味に気付いたメイドは薄く苦笑した。


「ですが、私にも可能な事はあります」


 苦笑を消して、ユリアスへ真剣な眼差しを向ける。彼女には彼女なりの意図と事情がある。それを察し、ユリアスは居直り、その眼差しを受け止めた。


「私もまた神宿者(ホルダー)。閣下程の格ではありませんが、それでも神の魂を継ぐ者。私の力をどうか、受け取って頂きたいのです」


 エリーはユリアスの足元で恭しく跪いた。薄闇は揺らがず、廊下を包んでいる。冷ややかな静けさが耳奥を支配する。彼女の声は、ユリアスの鼓膜に良く響いた。


「私の力は『確約』の権能。口約束や過去に溢した戯言のような約束まで。あらゆる『約束』を履行させる魔法です。戦闘においても、お喋りな相手ならば十分効き目があります。外の神獣は相当に口が回る。悪魔の力は奴に効きずらいとはいえ、僅かな隙を作る程度ならば出来ます。魔王にならないとしても、【契約】を結んで損はありません。如何ですか?」


 ディアゼルとの間に結ばれた【契約】を思い出す。神器を取らないままでも、ディアゼルの持つ魔術の素養は微かに受け継がれた。それを思えば、繋がりを作るだけでも何かしらの効果はあるのだろう。事実、損も無駄もない取引ではある。


「……分かった、結ぼう。どうすれば良い?」

「前世の繋がりを辿り、修復するだけの事です。そう難解なものではありません。ただ、御手を貸して頂ければ」


 エリーに手を差し出し、それを彼女がそっと握り込む。膝を付いた状態の彼女が、顔を俯け魂に意識を向ける。縁が手繰られ、掴まれ、太く固く構築され直した。その”縁”を通じて、力が流れ込んでくる。


「……成りました」

「確かに。魂に何かが焼き入れられた感覚がする」

「ええ。どうぞお役立て下さい」


 心臓の上から手を当て、魂の存在を把握する。今契約を結び、繋がりを得たのは神宿者(ホルダー)、【魔将(ディアーブル)】の魂。大きさと毛色は異なるが、その魂の大凡のカタチは【悪魔公(デモンロード)】と近い物だった。

 能力の貸与が成功した事をしかと見届け、満足げに一礼すると、エリーは扉の取っ手に手を掛けた。


「……それでは御客様、お待たせ致しました。お入り下さい。御嬢様がお待ちになっておられます」









「サクヤ────」


 彼女の私室に入るのは、これが初めての事だった。広さを含め、間取りはユリアスが使っている客室とあまり変わらない。ただ、窓だけはユリアスの客室よりも大きく、開放感がある物だったが、違いはそれだけだ。この城の姫と同じだけの待遇をされていた事実に思い当たり、驚くも、今それは大して重要ではなかった。


 壁には四つ、背の高い本棚が備えられ、整然と隙間なく本が詰め込まれている。その分野は多岐に渡っているが、中でも冒険記が三分の一を占めている。二人用の小さな丸机には本が数冊積まれ、頂点の一冊が色褪せた表紙を仰向けに晒していた。そのほど近く、天蓋付きのベッドに座り、窓から延びる月光に、サクヤは横顔を透かしていた。


「こんばんは、サクヤ」

「うん……こんばんは」


 強張った心を誤魔化すように、サクヤはベッドシーツを力なく握った。ユリアスとどう相対すべきか迷い、用意していた台詞を頭の中で唱えた。


 眼を逸らすサクヤに近付こうと、ユリアスは扉の前から動き出す。魔王城の夜は暗く、部屋に灯された照明は最低限に留められている。暗がりを進み、月明かりの水溜まりに足を乗せた時、サクヤがゆっくりと口を開いた。


「…その、ごめんなさい。こんな時間に呼んじゃって…ディアゼルさんが、そろそろユウくんが帰っちゃうかも、って言ってたから………その、仲直り、したくて……」


 申し訳なさそうに言い繕うサクヤに、穏やかに首を横に振る。怯えたような彼女の様子に、緊張しているのは自分だけではないと分かり、余計な固さが抜けていった。


「いや、サクヤが悪い訳じゃない。時間に関しても気にしなくて良い。それから…俺も妙な事を言った。その自覚はある。………俺が帰るかどうかはさて置いて、何日かぶりにまともに会えたんだ。今は少し、話さないか?」

「…うん」


 ほっとしたように顔を緩め、サクヤは静かに唇を綻ばせた。

 窓の向こうでは、巨木がまばらな月明かりを浴びながら、のびのびと、恍惚に両腕を延ばしている。半分開かれた窓からは、サラサラと木の葉同士が擦れ合う、水のように細かな音が、耳へと流れ込んできた。

 その更に前、窓から差し込む月の涼やかな光の中で、彼女は小さな微笑みを湛えていた。その姿は最初に会った時のそれと重なり、それでも、それを越え更に美しく映った。

 艶やかな黒髪が、涼風に靡いた。少し乱れた髪を右手で耳に掛け直し、その指先で小さく手招きする。


「ね、ユウくん。こっち、きて?」

「……ああ」


 ユリアスの網膜に、彼女の瞬き一つ、身動ぎ一つまでもが焼き付いた。いつであっても美しい彼女は、月明かりの只中にあって、その魔性の美貌を際立たせている。柔く冷たい月光が、サクヤの姿を薄暗闇に落とし込む。寝台脇の常夜灯の灯が、優しくユリアスの目に溶け込んだ。


「…」


 宵闇という名の神秘に、少女は身体を馴染ませている。

 意識が縫い付けられたようだった。目を離せば、月の光に溶け、消えてしまいそうにさえ感じた。初めからそこに居なかったように、その姿が幻であったかのように。

 彼女を見詰めたままに、ユリアスが緩慢な動作で近付くと、サクヤは嬉しそうに笑みを深めた。ユリアスは、それだけで良かった。彼女が笑みを浮かべている。彼女と再び話をする事が出来る。それに深く安堵していた。


「サクヤ、席を借りても良いか」

「うん。そこの席を使って」

「ありがとう」


 丸机に向けられている椅子を一つ、傷つけないように音を殺して持ち上げた。緻密に紋様を彫り込まれた、見るからに高価な椅子だ。ユリアスに与えられた部屋にあった物と同じそれを、サクヤと向かい合うように配置し、座った。


 暫くは沈黙が場を覆っていた。

 視線が交わり、逸らそうにもサクヤの瞳に視線が吸い込まれる。共に見詰め合い、互いに距離感を探る。


「………ね、ユウくん」


 寂しげな、湿った温度を持つ声が耳朶を掠める。


「もう、行っちゃうんだよね?」


 寂しげな声でありながら、引き留める意思はそこには籠っていなかった。この城から出て行ってくれと、懇願するような言葉だった。

 不安なのだろう。それを知り、何処かが強く締め付けられる。ユリアスには彼女の抱いている感情の種類は分かっていたし、そこに根付く真意も、想像出来ていた。だからこそ、その質問には答えられなかった。また間違えたくはなかった。仲直りをしにここまで来たのだから。それに、その質問に対する答えを、ユリアスは今、探している最中だった。


「…分からない」

「そっか…」


 それでも彼女の言葉を無視するのは嫌で、一言だけ返したそれに、ともすれば気付かない程小さく、サクヤは一つ頷いた。


「見たの?…神獣」

「ああ」

「それでも、『分からない』の?」

「…そうだよ」

「……そっか」


 ユリアスがサクヤに助けたい、と言った時、彼女はそれを断った。この優しい少女が、優しすぎる少女が、何を思ってそれを言ったのか、予想もつくし、想像もできる。

 ならば当然、この答えを彼女は決して喜ばないだろう事も、想像できた。彼女はきっと、帰ってほしいのだろう。その程度、分からない訳がない。

 けれど、素直に謝る事は彼女を諦める事に他ならないような気がして、どう謝罪をするのが正解なのか判断しかねた。


「………」


 口を噤むユリアスに、サクヤは困ったように、持て余したように、ほろ苦く微笑んだ。それはユリアスの焦がれた、楽しげな彼女の笑みではなかった。


「……じゃあ、ユウくん。いつもみたいにお話を聞かせて? 今日は、貴方についてのお話が聞きたい。貴方について、教えて欲しいの」


 また、彼女の顔に影が落ちる。そこに含まれた『最後になるだろうから』という言葉を読み取り、ユリアスは俯くように頷いた。それで彼女の笑顔が少しでも戻ってくれるなら、そんな想いを伴っていた。


「ああ。少し長くて、詰まらない話になる。それでも、聞いてくれるか」


 サクヤは薄く歪めた口許をそのままに、控えめに頷く。その仕草に、何故か心の奥を荒らされる。それは胸の高鳴りではなく、空恐ろしい不安感だ。暗がりに濃く滲む彼女の影に、()()を感じた。


「うん。聞かせて」



 ◆ ◆ ◆ ◆



 頭の片隅に引っ掛かる感覚を残したまま、ユリアスは己の過去を話した。暗く、退屈な悲劇など、話した所で空気が沈むだけだからと、今の今まで彼女には明かしていなかった事を、全て話した。

 母親は己を産んで間も無くしてこの世を去った。不吉で不気味な子どもと嫌われ、疎まれた。それも魔王という本性を、人々の本能が察していたのだと今では分かる。だが、それでも父は大切にしてくれた。フィリアとナナイアという幼馴染にも恵まれた。ノニスという名の妹分もいた。良く仕えてくれたメイド、リンカの存在にも助けられた。そして街が滅び、傭兵となり、傭兵を辞めて旅を続け、ロイクと出会い、そうして人類圏最南端の都市、トリンズへと辿り着いた。やはり友人には恵まれなかったが、それでもヴィオレという受付嬢の友が出来た。それから、故郷についての記憶は曖昧で、殆ど覚えていない事も。

 それらを噛み締めるように語っていく。サクヤはそれを聞き入り、時に表情を乱した。


 その合間にも、デジャヴと違和感がユリアスの脳裏を舐め取る。それは段々と、一秒を刻むに連れて深くなっていく。

 当初、それは魂に紐付く前世の記憶が喚いているのだと思っていた。だが、それに伴う奇妙な予感が、ただの過去の残滓などではないと告げている。何かが変だった。その予感を暴かなければならないと、第六感が警鐘を鳴らしている。


 べっとりと背筋を濡らす悪寒に、部屋中に視線を走らせる。サクヤ、窓、そこから望める背景、床、机、椅子、寝台、戸棚、天井。彼女の僅かな動きから、調度品の細かな意匠まで。何がおかしいのか。何が異様なのか。丁寧に一つずつ、引っ掛かりを拾っていく。

 巡らす視線は一点で止まった。ベッドの側の化粧台、その姿見に映るサクヤだ。思わず、鋭く息を押し留め、ゆっくりと、掠れた呼吸を漏らした。瞳が見開かれていくのを感じる。鏡は真実を捉える。それが象った少女の虚像は、()()()()と歪み、潰れていた。


 ふらりと、席から立ち上がった。


「ユウくん?」


 急に語り口を止め、席を立ったユリアスに、サクヤは驚き当惑を表情に貼り付ける。こちらを見上げるその顔に、ユリアスは呻き声を捻り出した。


「……サクヤ、すまないッ」


 気付けば、彼女を押し倒していた。

 デジャヴと違和感の正体に、思い至ってしまった。

 それは、地下に封じられた、魔王の屍に感じたモノと同じモノだ。魂がないバケモノに抱いた恐れと不安と半ば以上同等のモノを、彼女から見出してしまった。それは、殆ど答えに近かった。


 ベッドに座るサクヤは、ユリアスに押し倒され、仰向けに呆然としていた。衝動のままに、彼女の左の首筋を肌蹴(はだけ)させる。

 シルクを超えて滑らかで、新雪のように白い肌。細い首筋からまろやかな曲線を描いて続くそれは、左肩で途切れていた。

 衣服の隙間から微かに覗くそこは、腐った果物がそうなるように、惨く黒ずんでいる。数センチにも満たない可視領域に収まるそれは、(あざ)……だろうか。


「──ッ!?」


 痣があること事態は問題ではない。それが、()()()()であるなら。

 魔王として自覚したから、であろう。魂に深く関わるその権能は、完全な覚醒とは程遠くとも、痣の正体を正しく認識していた。


「『死魂病』っ………!」


(()()()()()()かッ……!!)


 エリーの態度と言葉が思い出される。

『死魂病を知っていますか?』

 そして何より

『【誓約(エンゲージ)】は魂を共有する』


 心臓が嫌な音を発てている。彼女の上から身を退かし、ふらつきながら椅子に座り込んだ。床に尻から落ちる無様は晒さなかったが、それでも精神は動揺し、頭の中が漂白されていく。全てを悟り、故に道は一つに限られた。


「っ……ッ…」

「ユウくん」

「サクヤ……」

「帰って」

「………すまない」


 サクヤは身体を起こし、肩を抑えながら、押し殺した声で告げた。それに、罪悪感と戦慄を呑み込んで、謝罪の言葉で返した。


「…明日の朝、城を出て、あなたの居るべき場所に帰って」

「それは……」


 冷たい拒絶に、ユリアスはそれでも賢くはなれなかった。目を伏せ、口を噤み、握り拳を固める。思考を回す間に、堪えられずに言葉が先に転び出た。


「それは嫌だ」


 死魂病は魂がない存在、または魂が不安定な存在が掛かる奇病だ。掛かったものは、時間の程度の差こそあれ、最期は必ず死ぬ。全身に、黒い痣を広げて。だが、ユリアスならば、魔王ならば、『誓約』によって魂を共有したならば、それを治す事が可能だ。何故そのような奇病を患っているのか、彼女は何者なのか、そんな事はどうだって良かった。ただ、出来ることがあるのだから、飛び出さずにはいられなかった。


「なんとかする。君の病気を、俺なら治せる」

「駄目!」


 ひりついた懇願が、穏やかな夜の部屋を引き裂いた。ベッドの上の小さな影が、ままならない想いに身を捩り、縮ませる。


「何をするつもりかなんて分かってる!あなたは何も見なかった。あなたは何にも気付かなかった。それじゃ駄目なの?なんでっそうまでして…ッどうなるかなんて、分かってるくせに……!」


 逼迫した声を絞り出す彼女に、ユリアスは応える言葉を持たなかった。唇を結び、沈黙に語らせる。その空白を縫って、サクヤはゆっくりと呼吸を落ち着かせる。静けさを乱す彼女の呼気が、ユリアスの鼓膜に鑢を掛けた。

 黙して語らぬこの状況が、ユリアスに夜の庭園での一幕を思い出させた。己の不甲斐なさに歯噛みし、すべき事をこの身に問う。サクヤの握り込まれた小さな拳に、ユリアスは自責の念を強めた。


 ややあって、サクヤが面を上げた。


「ねえユウくん。最後に、お願い聞いてくれるかな」

「……ああ」


 取り繕った平静さで、少女は青年に語り掛けた。冴え冴えとした瞳で、月の光に背を向けながら、仏頂面の青年に向き合った。それから身を前に倒して、彼との距離を徐に縮める。


「笑って」


 サクヤはユリアスの顔に右手を添えて、形を確かめるようになぞった。固い頬を撫でる指は、途中で止まると力が抜けたように下ろされる。それから手本を見せるように、そっと綺麗に微笑んだ。


「優しく笑って…」


 作り物のような柔らかい笑顔で、彼女はユリアスを促す。


「それから、サクヤはサクヤでしかないって。君は君だよって、優しく言って」


 不安も絶望も、その口調からは一切感じられなかった。その瞳は微かたりとも揺らぎはせず、いっそ不気味なほど凪ぎ切っている。

 何でもない、只のお願いの体だった。そうでありながら、何故か、音もなく泣いているように見えてしまった。

 彼女が何を言っているのか、何を言わせようとしているのか、確として分かってはいない。ただ、この答えで、全てが決まる気がした。


「……思うに」


 ユリアスは苦しげに瞼を潰した。よく考えを巡らせれば、自ずと彼女の思惑に推測が付く。よく考えを巡らせたからこそ、ユリアスは喉を詰まらせ、言葉を幾度か咀嚼した。


「……俺が思うに、君は人造人間(ホムンクルス)なんじゃないか。魔王の魂を模写(コピー)して造られた、人造人間(ホムンクルス)…じゃないのか」

「───どうして」


 少女の動揺に影が揺れた。それは肯定と同義だった。


「どうして、それを」

「……死魂病は、魂が不安定な者が罹る病気だ。魂が不安定な存在といえば、人造人間(ホムンクルス)以外思いつかなかった。何より、オーエンに以前聞いた。君はやがて魔王を継ぐ存在だと。初めは君が魔王その人だと思っていた。けれど、魔王は俺だった。……君が魔王を継ぐ存在なのだと云うのなら、相応の魂が必要だと思ったんだ」

「……すごいね。ユウくんは、そこまで分かってるんだ」


 サクヤの沈んだ賛辞に、ユリアスは確たる視線で応えた。僅かな時間を使って、告げるべき事を脳内に並べ立てる。ユリアスの中で、全ての覚悟が済まされた。不破不壊の決意でもって心を鎧い、この後待ち受ける全ての運命を呑み込んだ。


「その上で、言わせて貰いたい」


 緊張にユリアスの喉元が揺れ、歯列の隙間から細く空気が漏れ出た。


「サクヤは、魔王の代わりとなる事を望まれて生まれてきた。それはきっと、事実の筈だ」


 それを聞いて、サクヤは少し息を飲んだ。

 慰めの言葉ならば良かった。空っぽな、中身のないがらんどうで虚しいだけの言葉でも、掛けてもらえればそれで良かった。お前は魔王の偽物などではないと。彼女が何よりも欲していた言葉を、掛けてもらいたかった。そうすれば、それを受け取り、魔王(本物)に認められた事にしたのに。


「……」


 サクヤはただ、最後に、思い出だけが欲しかった。優しく否定され、自分は一人の少女に過ぎないと、魔王に認められたならば、それは最高の思い出になるだろう。認められた事実を胸に、及ばないながらも魔王の役割をやりきれた。

「君が例え偽物であろうと、君は君でしかない」そう言って貰えれば、偽物の自分にも自信を持てた。その言葉に満足して、(わだかま)りの全てを自分の中で解決して、完結させて、彼の言葉を胸の奥底に大切に仕舞い込む。そしてその後は、彼に代わって魔王を演じるつもりだった。

 それが正解だと思っていた。自分が諦めて、魔王として振る舞えば『(ユリアス)』は破滅しないだろうから。彼を城に縛るのは紛れもなく自分だった。彼の憂いを絶ちたかった。彼に城から去ってもらいたかった。魔王を『白』の敵たらしめる前世の記憶の残滓は、その大半がサクヤの魂から消去(デリート)されている。それでも、彼女の本能は魔王の悲惨な最期を理解していた。


 だが、果たして答えは、予想とは僅かに違った。認めてはもらえなかった。


「その役目が、魔王の代わりが辛いなら、辞めれば良い」

「やめる、って……そんな事…」


 魔王の代役、それはサクヤが生まれ持ち、生まれ落ちた頃から不可能を約束された役だった。サクヤにとって望まない役でもあった。しかし、同時に彼女の重要な存在意義であり、彼女にとっての『柱』でもあった。

 彼の瞳を見て、理解した。彼は、少女の存在意義は魔王の代替品である事だと知っていながら言っている。その少女から、存在意義を奪おうとしている。その罪深さを承知した上で、言っている。

 その存在意義を奪い取れば、残るのは只の少女だ。奪い取る事で、『魔王の代わり』を『少女』へと変えようとしている。


「できるわけない、そんなこと。確かに、好きでやってる訳ではなかったかもしれないけど、できない」

「出来る。本物が居るなら、サクヤが代わりをする必要は無い」

「─────」


 ユリアスの心はもう決まっていた。覚悟も決まっていた。やりたいことなど、ずっと前から決まっていた。

 様々な理由がある。守りたいものはサクヤ以外にもあった。ロイクも、城の人々も、ヴィオレも守りたい。恩人に逃げろと言われた。その恩人が著しく衰弱している事に気付いてしまった。戦士として、今ここで『逃げ』など受け入れられない。

 サクヤはそれら様々な理由の一つ。最も大きな一つだった。彼女の笑みには、世界など投げ打って余りある価値があるのだと知った。この煩い胸の鼓動はきっと、天秤が傾く音だ。


「俺が本来あるように、『魔王』の役割を果たそう。この城の住人を守ろう。魔王になれば、きっと、サクヤを助けられる筈だ。誓約(エンゲージ)なら、俺の魂で君の魂の綻びを埋めれば、その病気は治る筈だ」

「な、んでッ……。───なんでそうなるの?それは駄目。絶対に駄目。なんで貴方が犠牲にならなければいけないの?」


 魔王(ノトリアス)は死ぬ。お伽噺は嘘ではない。彼に訪れるのは不幸でしかなかった。

 人造人間(ホムンクルス)は死ぬ。死魂病に掛かった存在は、必ず短命だ。現に彼女の余命は後三ヶ月もない。


「……認めてくれればよかったのに」


 サクヤが零したそれは、殆ど恨み言に近かった。

 望んだように言って貰えたならば、城の人々の望む『魔王』として、城の人々を護る為に戦い、前のめりに死ねた。

「あなたは優しいんだね」と笑って、優しい彼の為に魔王の代替品という、己の役目を演じきることができた。


「わたしは、魔王の偽者でも、魔王の代わりでもないって。そう言ってくれれば、諦めて、魔王になりきれたのに。なんで……!」


 魔王の代わりになることを、今更、誰も求めてはいない。それも本当は気付いていた。それでも、自身の魂と、自身の肉体が魔王を基にしたそれで、周囲の視線に晒されていれば、嫌でも気付く。自分は魔王の忘れ形見である事を。

 物心ついた時からずっと、父親(ディアゼル)が魔王の復活を切望していた事も知っている。自分が何の目的で生み出されたのか、エリーから聞いた事もあった。


 だから目指した。魔王の力を、より上手く扱えるようになることを目指した。魔王の代わりを演じられるように毎日神器の下に通った。

 (かつ)ては、どこかで思ってもいたのだ。魔王(本物)がふらりと現れて、魔王の役目を代わってはくれないだろうかと。だが、今は違う。己が魔王を全うしなければ、情を抱いた青年が、本物(魔王)として破滅の道を辿ってしまう。


「君の助けになりたいんだ」

「駄目。そうすれば貴方は全部失くすことになる。……それに、魔王の役はもう足りてるの。わたしだけでいい」

「俺が苦しむくらい構わない。魔王の役が足りてるなら、俺がその席を奪おう。何より、君はそれで良いのか?」


 これで良いとは言えない。城からは出られない。彼女の日々は誰も望んでいない役を演じる為だけに、無為に時間を浪費する為だけにある。残った時間も長くはない。彼女は自身の搏動に意味を見出せていない。

 それでも、それは認められないと首を振った。


「わたし以上に苦しんでる人ぐらい、たくさんいる。その人達の中には、悲鳴をあげずに我慢している人も、きっといる」

「そんな事は関係ない。今、俺の目の前に居るサクヤだけが全てだ」


 激痛が身体を、魂を走っている筈だ。魂が削れていく感覚は耐えがたい苦痛の筈だ。諦めたとは言っても、生きたいという気持ちまで死んだ訳ではない筈だ。


「魔王になれば、あなたの意識はいつか無くなっちゃうんだよ?それは死ぬ事と変わらないのにッ……。それは自殺だよ。死ぬ事が怖くないの?わたしは怖いよ。なのに、なんで貴方は魔王になろうとするの?」


 サクヤの言葉は糾弾にも似ていた。詰問し、責めるように、言い宥めるように言葉を紡ぐ。


「それはサクヤも同じだ。死ぬ事が怖いなら、なんで俺の手を取らないんだ?」

「…………」

「俺と君は多分、同じ気持ちなんだよ」


 ユリアスは椅子から降り、彼女の前で片膝を付く。そうして手を延ばし、少しの躊躇いの後、少女の左の手を取った。


「けれど、その上で頼みたいんだ。俺に頼ってくれ。サクヤには、死んで欲しくはない」

「だから、人をやめるの?」

「ああ」

「おかしいよ。魔王になれば、神獣が沢山襲って来る。それだけじゃない。白の神宿者(ホルダー)だって、天使も、色んな国が貴方を恐れてる。戦って……死ぬかもしれないんだよ」

「それでも良い」

「貴方が、ヒトではいられなくなる」

「エリーが言うには、六割以上、いや、七割。七割の確率でヒトでいられるらしい。その為の手立てがある、そう言っていた」

「…………でも」

「彼女は誇りに賭けるとまで言っていた。悪魔がそうまで言うなら、それは真実だ」


 悪魔の誓いの重みは知っていた。生まれてこの方サクヤの生は悪魔の側にあった。知らない筈がない。それでも、六割だ。大切に想うならば、それはあまりに低すぎる。


「けど、わたしは貴方に助けてなんて、言ってない」

「…そうだな。だから、俺はサクヤから無理矢理魔王の立場を奪うことになるかも知れない」

「……卑怯だよ、それは」

「…それから、俺が魔王にならずにヒトでいられることが良い事とは、俺自身が認めない。誰でもない俺が言うんだ。俺は、魔王になっても構わない」

「それでも────」


 続く言葉を押し留めたのは、ユリアスの蒼眼だった。

 呑み込まれんばかりの深度を持つ蒼い瞳が、サクヤの双眸と魂と精神を鷲掴んだ。サクヤは言葉なく、喉を詰まらせた。右の手を胸の前に持っていき、服の袖を軽く握る。眼を逸らし、床を写すその瞳が、次第に持ち上げられていく。

 彼女は揺らいでいた。ユリアスは黙って彼女の言葉を待った。


「…でも、それじゃ、わたしが頼ってばかり、だから」


 それは違う、その言葉と共に緩やかな笑みを作って、彼女の憂慮を取り払おうとする。


「俺は、サクヤの答えがどうだろうと、俺は『魔王』になる。理由が在るんだ。俺にだって戦士としての矜持位はある。トリンズには、護りたい人だっている。だから、サクヤがこの手を取ってくれなくとも、俺は神器を取る」

「っ……」


 サクヤが喉を鳴らす音が小さく聞こえた。宙で揺れる繋いだ手を、でき得る限り優しく握り込む。


「これはもう決めた事だ。俺は俺の意思で戦う。けれど、もしも戦う理由に、サクヤが加わってくれるのなら、これ程心強い事はない」


 覚悟と想いを籠めて一つ一つの言葉を丁寧に伝える。

 サクヤが俯く。もう一度、迷うように視線を落とす。その細い肩と桜色の唇が震えた。華奢な喉が、揺れた声を絞り出した。


「いいわけ、ない」

「良いんだ」


 首を振り、それでも、伺うように顔を上げる。曇天を割ったそれは、希望と呼べるものだった。だが、それに縋り付くには躊躇いが付き纏い、素直に受け入れるには、彼女の心情は複雑過ぎた。サクヤも理解している。これは即ち、『良い子』になって全てを諦めるか、勇気を出して全てを手に入れようとするか、どちらか二択なのだと。


「……本当に?」

「ああ」

「…わたしは弱いから、あなたに甘えることになるかも」

「弱くても良い。俺以外でも良い。誰かを頼ってくれ」

「……それでもきっと、あなたは後悔する」

「ここで逃げても俺は後悔する。絶対に」


 逃げようが戦おうが、いつか後悔するかもしれない。どうせするなら意味のある方を選びたい、ユリアスはそう、真っ直ぐに伝える。サクヤがユリアスの憂いを絶とうとしたように。サクヤが気にかける事が無くなるように。


「このままはっきりさせずに戦えば、俺はきっといつか後悔する。それだけは嫌だ。けれど、サクヤの為に戦えるのなら、後悔はしない」


 夜闇に翳るユリアスの瞳は、深海を思わせた。その様に、サクヤは彼の覚悟を察した。


「独り善がりで終わらせる事も出来る。けれど、君が望んでくれるなら、それ以上はない。サクヤが手を取ってくれる事に、一番の価値があるんだ」

「えっ、と……」


 その言葉にサクヤは眉を下げる。よく分かっていないのだろう。端から聞けばこの発言は本末転倒で、支離滅裂かも知れない。少なくとも、出会って一ヶ月の少女に向ける質量の言葉ではない。

 でも、それでも止められない。


「つまり………そうだな」


 言うべき言葉を考える。口下手故に、どう表すべきか分からない。だから、慎重に、言葉を選んで伝える。

 これまでにないくらい頭を回して、回して、ようやく台詞が思い浮かんだ。少し面倒臭い言い回しかも知れないけれど、それでも彼女に伝えたかった。

 彼が、ユリアスが、彼女に、サクヤに望むことは一つ。


「俺を救う為に、俺に助けられてくれないか?」


 サクヤの顔を伺った。彼女は呆れたように、或いは受け入れたように小さく笑った。それは、困ってはいても強がりではなく、空元気ではなく、真に魅力的な、国を傾けるに余り有る、彼女本来の笑みだった。


「……頑ななひと」


 ユリアスから目を逸らし、緩やかに渡したサクヤの言葉には、諦めが多分に含まれていた。だが、そこに喜色がないと云えば、それは嘘だった。


「でも、わたしは嫌。何もしないで貴方に助けられて、それでお終いなんて絶対に嫌」

「……」

「だからね、貴方を支えさせて欲しいの。貴方が全部嫌になったら、わたしに頼って欲しい。貴方が戦うなら、わたしも連れて行って欲しい」

「…君がそう望むなら」


 頷き、応える。最低限、伝えたい事は伝わったと見て、ユリアスは安堵の息を吐いた。数秒の間、静かさを取り戻した室内に、サクヤの声が柔く反響した。


「ねぇ、ユウくん。もし神獣と戦う事になって、貴方が危険になったら、迷わず逃げてほしい」

「……それは、ディアゼルを置いてってことか?」

「……うん。もしディアゼルさんが居ても。ユキさんが居ても。わたしが居ても。迷わず逃げて」

「逃げないよ。ディアゼルは今、相当衰弱している筈だ。魂に傷が付いているのが何となく分かった。今の彼では神獣を一人で倒し切るのは厳しいだろう。だから、俺は逃げないし、サクヤが居たなら、必ず守る」


 その言葉に少し、サクヤは驚いたような顔を見せ、困ったよう眉を曲げて破顔する。その苦笑の中にも、嬉しそうな感情が覗けた。願望から幻覚でも見ているのかもしれない。幻覚でないことを祈ると、繋いでいた手に力を込めて、背筋を伸ばした。


「俺がサクヤに望むのは俺が更に強くなれるように、支えて貰うこと。心の底から助けて欲しいと言うのなら、その上で俺はサクヤを助けよう。ただ、独り善がりにだけはしたくない」


 己の声に、確固たる意思と、決然たる思いをのせた。これから彼女には、痛みの半分を受け負ってもらう。これからするのは、そういう契約だ。魔術や魔法による契約ではない。ただそう誓う事で、己を鼓舞する為の契約だ。


「……そっか。ならもう、何も言わない。貴方がそれで良いなら、わたしはもう何も言わない。わたしは、ユリアスさんの覚悟に、甘えます。ユリアスさんは、『魔王』になる。そしてわたしはそれを支える」

「ああ。それで良い。だから、改めて」

「…うん」


 一つ息を吸い込んでから、吐き出して、訊ねる。


「俺が、剣を振るう理由になってくれ。その中で最も大きな一つに」

「───はい」


 未だに躊躇いつつも、サクヤは返した。全てに納得はいっていない。言いたい事は山のようにある。サクヤもまた、望まぬ結末を辿るかも知れない。魔王の模倣(コピー)など、これまで存在した事がない。運命がどう動くかなど、精霊王でさえ把握し得ない。

 それでも、彼女は確かに今、それがほんの小さな微笑みであっても、本心に偽り無く笑っていた。



 ◇ ◆ ◆ ◆



 彼が部屋から出て行った後、サクヤはそっと、熱い溜め息を吐いた。

 よく理解は出来ないけれど、彼の真剣な顔を見ていると、何処か嬉しかった。けれど少し、苦しくもある。初めて知ったそれは、恐らく悪いものではないのだろうと、それだけは確信出来た。

 芽生えていた想いが、成長した事にも気付かずに、サクヤは考える。


 サクヤの答えがどうであれ、魔剣を手に取り闘う。彼はそう言っていた。なら、それを言い訳にして、全てを彼に委ねて、それで良いのか?

 そんな訳はない。そんなものは言い訳にならなかった。


 だから思考を巡らせる。自分に出来る事。自分にしか出来ない事でなくともいい。彼の支えになりたい。ならなければならない。それがあの契約だった。それが、今では何よりも大切な契約。故に少女は考える。


「わたしに、出来ること」









 ────────その翌朝、『神獣』がその目を覚ました。

四代目魔王について:

 「それじゃあ私はどうしたら良かったんだ!」ノリーの悲痛な叫び声が洞窟の奥深くまで浸透した。

「私は見たんだ!ヤツを……ヤツを見たんだっ!ヤツは巨きく、太く、不気味で…嗚呼、ヤツの瞳が私を貫く度に私の中の正気が死んでいく!目が合った途端に起こった事はこうだ。ヤツが私の中に入り込んで来て、そして私の中で膨れ上がっていく。私の中に私のものではない鼓動が生まれて、それは段々と私のものと重なっていくんだ。いや!違う!私の鼓動がヤツの鼓動に引き寄せられて、そうしてヤツは内側から甘く殺意を囁くんだ!私をぶちのめして、首を締め付けてきて、危うく私は命を失うところだった!あれは最悪の魔王だ。前代の魔王も見たが、あれほど悍しくはなかった。あれ以上の魔王が過去居たものか。お前も見ただろう、街が息吹一つで消え去るのを!ヤツは世界を殺してしまうぞ!なのにアイツら、私が狂を発したと言う。私を悪魔憑きだと呼びやがった。ちくちしょうめ!ひとでなしめ!アイツらこそが悪魔だ!アイツらを断頭台に送り込まなければ、今以上に大変なことになるぞ!」


『炎夜』 ロクラン・サンク著 より一部抜粋

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