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15 偽物

「ねぇ、エリー、流石に着替えくらい自分で出来るよ」


 サクヤのその声をいつもの様にあしらって、エリーは主の寝間着を脱がせた。彼女の片腕には綺麗に畳まれた、黒と緑を基調としたサクヤの普段着が携えられている。それを広げると、未だ抵抗するサクヤを抑え、諭す様に言った。


「駄目ですよ、御嬢様。ほら、大人しくしてて下さい」

「いつもそう言ってるけど本当に大丈夫だってば。エリーだって知ってるでしょ?」


 当然、知っている。サクヤは幼い、まだほんの小さかった頃から手の掛からない子だった。けれど、それでもエリーがこうして、半ば強引に着替えを手伝っているのには、確とした理由がある。


「……!」


 鋭く息を飲む。やはり、()()はこの前よりも広がっていた。

 サクヤの背中に手を伸ばし、指の先がもう直ぐに触れる、という所で、エリーはそっと手を下ろした。


「ね、エリー。やっぱり、そう?」

「……はい」

「…そっか」


 エリーの眼前では、サクヤが半裸で立っていた。

 何か一つ間違えれば折ってしまいそうな程に華奢な四肢。その中でも腰は細く、美しい曲線を描き、その様は儚げではあっても不健康には感じない。均衡の取れた身体は、女性であるエリーでさえ見惚れる程の体つきだ。


 しかし、左の肩口から背中にかけて、その滑らかな雪白の肌は()()に浸食される様に黒く染まっている。それは魂を殺す病、その症状に他ならなかった。その特異性故に、ディアゼルもユキも、サクヤが病に罹っていると察する事すら出来ていない。しかし、エリーとサクヤの二人だけは、ソレの正体を理解していた。だからこそ、その言葉は固くなり、その表情は強ばり、歪む。


「広がっている、とは言ってもほんの微か、ですよ」

「……そ」


 慰めにならないと分かっていながらも発した台詞。それに放られた返事には、投げやりな冷たさが篭っていた。諦めにも似た反応だ。それは、エリーを怯ませるには十分過ぎた。


「っ、その、……」


 俯き、続く言葉を見失ったエリーに、サクヤは軽く肩を揺らし、肩口から頭だけで振り返ると、なだらかに眉を下げる。そのままぎこち無くはにかむと、申し訳無さそうに、そして取り繕うように笑った。


「…ごめんなさい。少し冷たい言い方だったかも。わたしは大丈夫だから、そんな顔をしないで」


 そんな事を言う必要は無い。貴女様はもっと我が儘を言って良い。だって貴女はまだ二十にも満たないではないか。私ごときを安心させる為に無理に笑う必要なんか無い。そう言葉に出来たらどれ程良かっただろうか。

 それで仕える主の気がほんの微かにも晴れるならば、己はどのような事だってしよう。主からのどんな悪態も八つ当たりも受け止めて見せよう。甘えられたなら全力でそれに応えて見せよう。

 しかし、そんなことを伝えた所で彼女は今みたいに眉を歪ませ、困った様に笑うだけだろう。だから、今エリーが持つ返事は一つだけだった。


「…いえ、私こそ、無神経なことを言いました。申し訳ございません」


 何も出来ない事が恨めしい。エリーとて、ヒトの言う所のAAAランク程度の力は持っている。それでもそれ以上の力を持つ、Sランクの存在には勝つ事は出来ない。魂を消耗し、全盛期には程遠いディアゼルにすら勝てないだろう。そのディアゼルも追い払うのが精々なあの神獣を殺す等、土台無理な話だ。

 己では主を護る事も、自由を与える事も出来ない。その事実が、エリーの心に鎖を付けた。

 どうしようもなく、彼女を救いたいというのに、その為の力が無い。圧倒的に不足していた。処理できない程の悪感情(悔しさ)の余り、頭の中身を掻き回したくなる。

 衝撃と衝動が溢れ、肉を削がんばかりに唇を噛み締めた。


「エリー、ちょっと良いかな」


 サクヤの声に我に返ったエリーは、心の内を悟られない様にいつも通りに微笑んで見せる。サクヤにこれ以上の負荷を掛けない為に。感情を無理矢理に整えて、普段通りのサクヤお付きのメイド、『エリー』へと戻る。


「ユウくん…ユリアスさんは、そろそろ帰っちゃうんだよね?」

「それは……ええ。怪我も完治されましたから、今日か明日にでもそうなるでしょうね」

「うん、そっか。なら……ねえ、エリー。すごく勝手なお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」

「お願い?」


 珍しい事だ。サクヤは自分の願いの一つも言わず、それはいつだってエリーの悩みの種だった。もしかしたら、改まって何かを頼まれたのは、片手の指ですら足りるかも知れない。思わず声が高くなってしまうのも仕方がなかった。


「どうぞ、御嬢様。何なりと」


 うん、と呟くと、サクヤは一つ呼吸を置いた。何かを思い返す際の、現から逸れた彼女の視線は、愛おしむ様な、それでいて名残惜しむ様な、淡い熱を帯びていた。


「ユウくんがこの城を出るときに、彼に着いて行って欲しいの。あの人は、たぶん、きっとこれから厄介なことに巻き込まれると思う。魔王の魂を持っているっていうのはそういうことだから。その時は、彼の事を助けてあげて欲しい。勝手なお願いなのは分かってるけど、お願いしたい。わたしからもユウくんに頼むから。いいかな?」

「……」


 それは想定外の『お願い』だった。エリーの心は、サクヤが産まれ落ちてからずっと、彼女にばかり向いていた。彼女に己の全てを以て仕え尽くす心積もりであり、彼女の側から離れようなど、今の今まで考えた事さえなかった。どれほど心底の忠節をサクヤに捧げていようと、捧げているからこそ、その要望は受け入れ難かった。


「御嬢様は、如何なされるのです」

「わたしは残るよ。魔王の代わりだから」

「……そうですか。ええ。……はい、承りました」


 しかし、それが主の命令であるならば、断ることも難しい。主に悲しい顔はさせたくなかった。

 自身に感謝の言葉を掛けるサクヤに、エリーは何を言えば良いのか分からない。駄々を捏ねる訳にはいかない。平気な顔をして、動じないフリをした。サクヤの前では理想の従者たりたかった。


「じゃあ、ユウくんとも仲直りしないとね。……強く言い過ぎちゃったこと、謝らないと。だから、彼に会いたいんだけど……会いに行ってもいいかな? このままは嫌だから。ユウくんに嫌われるのはイヤ。…ダメ?」


 それはなんとも可愛らしい願いだった。微笑ましい願い事に愛おしく思い、エリーはサクヤの頭を軽く撫でる。

 今度の『お願い』はエリーも理解出来る。サクヤはユリアスと話している時、エリーの目から見てもとても楽しそうだった。一緒に本を読んだり、あの従魔を二人で可愛がったり。朝食を食べるのを手伝っていた事には驚いたけれど、あれ程に楽しそうなサクヤの姿はそう見られない。城の外から来た客人に興味が有るのか、それともその()()()から来るものか、もしくは単なる性格の相性か。(いず)れかは分からないが、二人の仲が良好なのは端から観ていれば良く解る。

 ここ数日少し気まずくなっているようだったが………年頃の男女などそんなものだ。サクヤはそれについて謝りたい、という話なのだろう。エリーのその予想は、そう間違っていない筈だ。

 しかし、問題があるとすれば……


「それは言葉通り、御嬢様から会いに赴く、という事ですか?」

「……やっぱり駄目かな」

「………」


 サクヤの肌に広がる黒い痣は彼女の寿命を縮めている事は確かだが、エリーが知る限り、体自体に悪影響が出ている訳ではない。しかし、それも()()()()、そして()()()()()()()()でしかない。

 何時どんな時にどんな事があるかが未知数で、そのためにサクヤが自室から出て、書庫と食堂以外の何処か遠くの場所に行く事はあまり無い。少し離れた場所に行くことはあれど、元々病弱だった事もあり、エリーがサクヤへ外出を控えて欲しいと忠言している。例外としては、サクヤの趣味である庭園の手入れくらいだ。その他があっても多くはなかった。


「……………」


 寸刻ばかり悩む。このようなことは珍しい。サクヤはそもそも何かを求めるという事が少ない。

 ユリアスにもう一度会いたい。それは、ほんの微かな、小さな願いだ。それにサクヤは、エリーにとって大恩人に当たる前代魔王とその妃イツキの忘れ形見でもある。

 叶えたいけれど……それでも恐れが付き纏う。もしもの事があったら、己とユキを信じてサクヤを託した二人に顔向け出来ない。

 もう暫く考えた後に結論、或いは落とし所を見付けた。


「……良いですよ」

「本当?」

「はい。しかし、御嬢様が会いに行く、というのはダメです。御嬢様の下に御客様を御案内する、という形を取ります。宜しいですか?」

「うん」


 特に不満はないのか、素直に頷くサクヤの頭を、手癖のように優しく撫でる。くすぐったいのか、サクヤは首を逸らして身を捩る。


「………ん、エリー」

「はい。何でしょうか」


 着付けを手伝われながら、こちらをそっと見上げてくるサクヤはやはり愛らしく、そしてとても脆いモノに映った。


「ありがとね」


 微かに笑って見せた彼女に(こら)えきれなくなったエリーは、その華奢な体をそっと抱き締めた。細く、華奢な身体は実際よりも小さく感じられた。


「もう、エリー? 子ども扱いしな………」

「御嬢様」

「…なに?」

「……御嬢様は、御客様に着いて外の世界に行きたいと、思われないのですか?」

「……ふふ」

「御嬢様?」

「そんな事言ったって、仕方ないもの」

「………」


 その声に包まれているのは、重苦しい絶望で、盗み見た横顔に映った陰は、押し殺した諦観だ。ユリアスが城に来る前の、いつもの彼女の横顔だった。自身を蝕む病に、城から出ることを許さない神獣、なれもしない魔王の代役という重圧。

 僅かに揺れる呼気に、彼女の本心を察し見て、全てを決めた。彼女の望みを、願いを何としてでも叶えると。その為ならば己の誇りなど投げ打とうと、心を固めた。


『外の世界に出てみたい』


 それは以前、エリーが部屋を出た後、サクヤが呟いていた事。思わず、といった調子で洩れた独り言だった。しかし、それだけに普段は隠している本音だったのだろう。その呟きはそれまでサクヤの口から聞いたどんな言葉よりも真に迫って聞こえた。だから、この我が儘を知らない主の望みを叶える位は赦される筈。


 サクヤに、何としてでも外の世界を見せる。霧と闇と樹木だけの退屈な世界から連れ出す、その位は



 ◇ ◆ ◇ ◆



 寝惚け眼を(こす)りながらベッドから起き上がった。起き上がる際に襲い来る眠気を欠伸で追いやり、また目を擦る。ユリアスにとって、この城へ来てから三十数回目の朝だ。秋の半ばも瞬く内に立ち去り、今では冬の気配を色濃く感じられる。身体からずり落ちる掛け布団に、上半身が晒される。途端、背筋から頭の芯まで貫く寒気に軽く身震いをした。


「夢か……」


 いつもと同じ悪夢を見ていた。この城に来てから五週間近く、久しぶりに見た悪夢は、やはり内容は覚えていなかったが、いつもより、長かった気がする。


「ふ、ぁ……」


 全身を包む寝汗とそれを冷やす緩やかな朝の風、それから追い縋ってくる睡魔を側に携えて、よたよたと洗面台へ向かう。早めの再会を果たした眠気を、顔を洗う事で今度こそ完全に消し飛ばす。ベッドへ戻ると、未だぐっすり眠りこけるロイクの鼻先をつついて起こした。


(昨日は散々だったな…)


 悪霊(ゴースト)の群れを切り払いながら地下牢を進み、行き着いたのは古びた鋼の扉だった。長年この城に住むというエリーでさえ未知の扉に、流石に探索は危険と見て、エリーとユリアスは地下牢を後にした。狭い牢の中でひしめき合う悪霊(ゴースト)は気色悪いの一言で、思い出すことすら躊躇われる。今思えば、あれは以前サクヤから聞いた『神代の隠された道』だったのだろう。解散したあと、エリーは単身地下牢の調査に繰り出したらしいが、その結果がどうなったのかはユリアスの知る所にはない。


(この城に何が起きているのかさえ知らない。……(まず)いな)


 手掛かりは未だ無く、体力を磨耗しただけ。

 しかし、そうは言っても昨日の雑用はユリアスにとって悪い事ばかりでもなかった。エリーとの会話で、サクヤと面と向かって話し合う覚悟が出来た。

 後回しはもう辞めた。この城に居られる時間も、最早そう長くはない。動くならば直ぐ。今日中にサクヤと話をするつもりだ。


(寒い……)


 思考を邪魔する朝の冷気に肩を丸める。何を隠そうユリアスは寒がりだ。のそのそと布団の上を這いずるロイクを捕まえ、その頭に鼻を突っ込んだ。こここそが最高の猫吸い部位(ベストスメルスポット)が一つ、ロイクの頭である。鼻から空気を取り込み、腹を撫でててはその暖かさを堪能する。


「お前は毛皮があっていいなぁ」

「ぬう?」


 みっちりと黒い毛が詰まったこの毛玉猫はいかにも温かそうなナリをしている。良いなあ羨ましいなあ、などと思いながら、柔らかな毛皮を撫でたり手を埋め、感触を楽しむ。


「でもお前、いつもあんな危険な場所ばかりに行ってるのか?」


 昨日の記憶、地下牢での記憶が思い出される。そもそも、あそこに足を踏み入れたのはロイクが原因だ。行動を制限するつもりはないが、それでも愛猫が傷付けば悲しい。


「あまり無茶はするなよ」


 ぬお、という間の抜けた鳴き声を耳に、顔の前まで持ち上げ、観察していると、気が付いた。


「……お前、太っただろ」

「ぬーん」


 ご満悦といった声で返すロイクに悲しい気持ちを抱きつつ、罰として一心に撫で回す。好きなだけ餌付けされたこの愚猫はいつの間にやら一回り大きくなってしまった。以前餌付けされている光景を見たが、あれは圧巻だった。恐ろしい量の食糧がどんどんとロイクの腹に収まっていくのだ。普段あれだけ食べていれば、この結果もやむなしだ。

 魔獣の胃袋の神秘に感動していると、ふと思い付く事があった。好奇心のままに、ロイクの許可を得て、その腹の皮を摘み、ゆっくりと引き伸ばしていく。………めっちゃ伸びる。

 さあどこまで行けるかと試してみた所、三十センチ程伸びた辺りで怖くなってやめた。当のロイクは一切気にしていないような顔で朝食を待っていたが。


「御客様、朝食のお時間です。入室をお許し頂けますでしょうか?」


 扉越しにオーエンの声が響いた。それに極短い肯定の言葉で応えれば、ドアの開く音がしてテーブルワゴンと共にオーエンが入室して来る。


「おはようございます、御客様。昨晩はしっかりと寝付けましたか?」

「おはよう、オーエン。昨日は久々に運動したからかぐっすり寝れたよ。君はどうなんだ?」

「私の方は普段通りと言った所ですかね。今朝は随分と冷え込みますから、お身体にはお気を付け下さいね」

「ありがとう。オーエンこそ悪魔とは言え風邪は引かないように気を付けて」

「御忠告痛み入ります」

「それと、オーエン」


 手本の様な世間話に、ユリアスは今の今までずっと気になっていた事についての質問を挟み込んだ。


「サクヤが『姫』と呼ばれている事について、前から少し疑問だったんだけれど……。魔族の王になるには、血縁よりも魂が重視されると本で読んだことがある。だからこそ、魔族の王はいても、姫や王子はいないとも。サクヤは女性だろう? 『魔王』は男性で、そうなると彼女は『魔王』の神宿者(ホルダー)ではないと思うんだ。……何故、サクヤは姫と呼ばれているんだ?」

「それは……」


 オーエンの表情筋が緊張し、ユリアスは何かしら特殊な事情があるのだと察した。


「申し訳ありません。私の口からはなんとも。ただ、姫君は『魔王』を継ぐ御方である、とだけ」

「すまない。踏み込んでしまったかな」

「いえいえ、お気になさらず。それでは、私はこれで」


 オーエンは食器の乗ったテーブルワゴンを机まで運び、そのまま退室していった。それを見送りユリアスは考えを整理する。彼女が魔王の神宿者(ホルダー)である可能性は限りなく低いと見ていたが、先ほどの口振りによって分からなくなった。前例を探せば、神宿者(ホルダー)でありながら、魂の性別と肉体、精神の性別が異なる例も、少なくはあるが存在する。彼女ももしかしたら、そういう事なのかもしれない。

 一度思考を纏め切り、自分を強引に納得させると、ユリアスは出された物を胃に納めていく。同じように食事にありつくロイクを横目に、黒く波打つコーヒーにブランデーを注ぎ、軽くかき混ぜ、カップに口を付ける。流れ込む苦味を舌の上で転がし、少しして喉に流した。僅かに冷えた身体を酒気が温めていく。その気配にほう、と溜め息を吐いて、宙を眺める。

 そのままゆっくりと、この間の事、サクヤについて考えを巡らせ始める。


「亡き霧の王に感謝を」


 最早当然になった食後の挨拶を口にして、ユリアスはロイクを肩に席を立つ。いつもの通りであれば、もう後数分もしたらオーエンが食器の片付けにやってくるだろう。変に気を効かして、ユリアス自身が片付けをすれば逆に迷惑になることもある。テーブルワゴンに感謝の言葉を記した書置きを残して、外出の準備をするユリアスの下に、新たな客が訪れた。


「失礼致します、御客様。お時間を頂けますでしょうか?」


 昨日聞いたものと同じ女性の声に入室を促せば、そこには想像と違わずエリーの姿があった。いつでも変わる事なく完璧な出立ちのメイドは、いつものように一礼をする。


「エリー、おはよう。丁度良かった。こちらからも用事があったんだ」


 挨拶を返すエリーのその顔は、常より幾分か硬く見える。薄茶の瞳はユリアスを捉えて離さず、そこには覚悟が備わっていた。何かを成さんとする気迫に、ユリアスは眉を揺らす。このような彼女の顔を見るのは初めての事だった。


「用件ですか?ええ、どうぞ。何なりとお申し付けをどうぞ」

「サクヤに会いたい。彼女の下まで案内して欲しい。頼めるだろうか」


 言った途端、メイドは笑った。満足げな深い笑みは、どうしてだか企みの色があった。


「ええ、勿論。奇遇ですね。それならば私の用事も同時に済むというものです。それでは、部屋の外で控えておりますので、準備がお済み次第お声掛け頂けますように────」



 ◇ ◆ ◇ ◆



 カラカラと鎖が巻き取られる音がユリアスの耳に流れ入る。エリーはサクヤが今居るという本館に赴くと、迷う事なく昇降機に足を乗せた。

 魔王城の中枢と言える本館は、言ってしまえば宮殿である。今は殆どの人間が住館に住んでいるが、本来ならば魔王とその直下の臣下達はここ本館に住んでいるのだとエリーは語る。

 魔王の住まう館だけあって、本館は最も豪奢かつ極めて高く建てられている。階層はなんと十数階を超えるらしく、こうも高いと階段を使って移動していては非効率だ。それを理由にユリアスらが今まさに乗っている昇降機が取り付けられていた。


「……御客様は、死魂病をご存知ですか?」


 鉄製の箱を鎖が上へ上へと運んでいく。艶のある暗色の木材と黄金の装飾によって設えられた内部で、エリーの口から脈絡のない台詞が発せられた。


「突然だな。名前くらいは聞いたことはあるけれど、詳しいことは何も知らないよ。確か、魂の崩壊によって肉体、精神の両方が崩れ落ちる病気…だったっけか。それがどうしたんだ?」

「いえ、ただ聞いてみただけですよ」

「………そうか?」


 このメイドはやはり良く分からない。悪魔というのはそういうものなのかもしれないと結論付けて、ユリアスは考え事に耽る事にした。サクヤと何を話そうか。会った所で、果たして上手く話せるのか。彼女はどうしたいのか。その上で、自分は何をしたいのか。鎖の巻き取られる音に耳を傾け、逸る気持ちを落ち着かせる。

 エリーの様子を横目で伺うと、彼女もまた何か考え事をしているようだった。目を閉じ、か細く一言、二言呟けば、彼女の保有する霊力が動く。その気配に、ユリアスは察し取った。これは考え事などではない、魔術を行使しているのだ、と。


「エリー……?」

「はい?」


 呼びかけるも、彼女の返答は上の空で、どのような魔術を発動させたのかすら定かではなかった。気配だけで断ずるならば、暗示に近い精神操作系統の魔術であろう。だが、その詳細までは見通せなかった。ただ、ユリアスへと向けられたものではない事は確かだ。


「到着しました」


 昇降機の停止を告げる小さな音がした。エリーに続いて昇降機を降り、そのままその背中を追う。廊下には人気が無く、足音も、話す声も、ましてや息遣いすらユリアス達のものより他はない。

 シンプルなタイルの上を、硬い靴音が二人分刻まれていく。ここは何に使われていた場所なのだろうか。知り得ないが、この風景に何故だか心が強く波立つ。


 廊下を抜けると広間に出た。広間の床を構成するタイルには様々な柄が描かれていた。悪魔や騎士を簡略化した絵の数々。それらの中央には魔王と思われる、冠を被った人物の姿。魔王と彼に仕えた臣下達を讃えて、このような形で遺しているのだ。

 広間の中央奥には幅の広い階段があり、階段には暗血色のカーペットが敷かれている。その階段をエリーは視線だけで示した。


「最上階へは階段を使って頂きます」


 エリーはそれ以上の言葉はなく先を進む。階段を登り切れば、絨毯がそのまま真っ直ぐ延びているのが見えた。

 全身を緊張が包んでいる。一筋、そして二筋と汗が背を伝っていく。緊張に乾いた喉を潤すために、僅かな唾液を嚥下した。これまでの道中全てが、奇妙な既視感に覆われていた。


「それでは私はこれで。御嬢様はこの先にいらっしゃいます」


 それだけ残して、エリーはユリアスの下を去っていく。

 ずっと真っ直ぐに引かれた絨毯の両脇には、鞘に入った剣を地面に突き立てる騎士甲冑の列が立ち並ぶ。それを見たユリアスの脳裏に『近衛』の二文字が浮かび上がった。その様は何処か荘厳で、美しさの合間に権力と武力の影が覗く。

 そしてその最奧には両開きの重厚な扉。閂の備えられた大きな扉は、それだけで圧迫感を生んでいた。

 このような場所、ユリアスには一つしか思い当たらなかった。そう、城の中心とも言えるその場所。


「『玉座の間』……?」


妖精について:

 わたしにカラダをくれませんか。風の大精霊さまはそう言いました。

 あなたにカラダをあげたら、わたしたちを守ってくれますか。人間たちはそう聞きました。

 精霊さまが分かりましたと言ったので、人間たちは大急ぎで集まって、どうしたらカラダを用意できるか話し合いました。

 話し合いの結果、一人の人間が生け贄に捧げられることに決まりました。生け贄は若く丈夫な男でした。精霊さまは男の綺麗な死体を見ると、喜んでその中に入りました。

 そうして妖精さまが生まれたのです。妖精さまは半分は人間で、もう半分は精霊でした。カラダを得たことで精霊だった頃よりも力が増した妖精さまは、その力で人間たちを守りました。


『天空城物語』 著者不明 より一部抜粋

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