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第三章<イルベッザの闇> 第十二場(2)

 ローイの傷は、いくらなんでもかすり傷とは言えなかったが、たしかに、致命傷というほどでもなかった。

「胸と背中のほうは、全然平気よ。大きいけど、浅いから。跡は残るけどね。足は、ただの捻挫。ドジね。でも、この肩のほうはちょっと深いわ。どっちみちしばらくはまともに歩けないし、悪い風が入って熱を出すといけないから、念のため、何日か入院したほうがいいわね。でも、心配しないで。この人、あたしの夜勤に当たるなんて運がいいわ。こうしてあたしがすぐに診てあげられたからには、絶対、大丈夫。必ず治してあげる」

 治療院で夜勤に当たっていたリューリは、ローイの容体をてきぱきと調べ、見習いや雑用係たちにあれこれと指示を飛ばしながら、自信たっぷりに言い切った。

 ローイはここまで、里菜があわてて呼んできたアルファードと、もうひとり、たまたま手近にいた特殊部隊の古参兵に担架で運ばれてきたのだ。アルファードは、ちょうどあの時、里菜を心配して訪ねてみた女子宿舎から出てきたところで、ローイを路上に残して宿舎に向かっていた里菜と鉢合せしたのである。

 ローイは、担架の上で、里菜が気を失っているあいだのことを話してくれた。それはほんとうに短い間の出来事だったが、ローイはその間に、三体の魔物と戦ったのだそうだ。一体目は火の玉でやっつけたが、二体目の魔物は、ちょうど里菜の向こうに現われたので火の玉が投げられず、とっさに里菜を突き飛ばしたローイが里菜の短剣で傷を負い、体勢を崩したところを、魔物に切りつけられたという。その後、更に別の魔物が背後からローイに襲い掛り、刻印を与えて逃げていった。最初の二体は消したが、三体目は取り逃がしたという。

「魔王の野郎が言う通り、俺、あんたが危ないってんで頭に血が上って、何が何だかわからなくなっちまったらしい。そうでなければ、魔物なんて、三体だろうと四体だろうとやっつけてやったのに……。畜生、俺としたことが、不覚をとったぜ」と、担架の上で、ローイはしきりと悔しがり、

「悔しがる元気があるというのはたいしたものだ」と、古参兵を感嘆させた。この古参兵の言葉には、『刻印を受けていながら』という前置きがあったはずだが、誰も、その言葉を口には出せなかった。

 その後、アルファードは、ローイを里菜とリューリに託して、構内に魔物が出た――それも三体で波状攻撃をかけてきた――という、この一大事を正規軍の本部に報告しに行って、まだ戻っていない。

「リューリ、お願いよ。ローイはあたしの友達なの。大切な、大切な、特別の友達なの。絶対、絶対、助けてあげて!」

 おろおろとローイのまわりをうろつく里菜を元気づけるように、リューリは笑いながら頼もしく請け合った。

「……リーナ、あなた、大袈裟ね。こんな捻挫やら、ちょっとした切り傷やらで、助からないわけ、ないでしょ。この人、一見ひょろひょろしてるけど、やたら頑丈にできてそうだし。まあ、あたしにまかせなさい。あたしが担当するからには、もう安心よ」

「うへえ、超ラッキー。こんなかわい子ちゃんが俺の担当のセンセイなわけ? すっげえ美人じゃん! まるで本物の妖精みたいだ。いや、本物の妖精の女王だって、こんなに綺麗じゃなかったかもしれないぞ。リューリっていうの? リューリ、リューリ……、リュリュちゃんかぁ。リュリュって呼んでいい? 俺の郷里にも、リュリュって子、いたんだ。なんか、懐かしいなあ。あ、でも、あんたほうが百倍は美人だぜ」

 上半身裸で診察台にうつぶせになった情けない姿で、身体をあれこれつつきまわされて時々顔をしかめながらも、女の子へのお愛想は決して忘れないローイである。怪我をしていても<刻印>を受けていても、自慢の口先は無傷だ。

 リューリはあきれて、ローイを叱りつけた。

「何よ、馴々しい。そんな、田舎くさい呼び方しないでよ。今どき、都じゃ、赤ん坊のことだって、そんな愛称じゃ呼ばないわよ。そういう甘ったるいのは、もう流行らないの。だいたい、あなた、怪我人は怪我人らしく、ちょっとおとなしくしてなさい!」

「うん、うん、うちの村のリュリュも、おきゃんな娘でさあ……。思い出すなあ。あ、でも、あんたのほうが百倍美人だけど。ね、リュリュちゃん、歳、いくつ?」

 リューリはローイを無視して、里菜を振り返った。

「ちょっと、リーナ、このハデハデの軽薄男、ほんとにあなたの友達なの? あなたってつくづく、趣味悪いわね。ちょっと礼儀ってものを教えてやんなさいよ。でないと、こんなやつ、治してやんないわよ」

「そ、そんなこと言わないで。ローイはほんとはすごくいい人なのよ。ね、ローイ、リューリは治療師なのよ。あなたを治してくれるのよ。もっと敬意を……」

「だから俺、精一杯の心からの敬意を込めて、誠意を尽くして誉めちぎってるじゃんか。まだ、足りない? あ、でも、ほんと、お世辞じゃないんだぜ」と、最後の一言はリューリに向けて付け足す。

 リューリはそれを、

「お世辞じゃないのは分かってるわよ」と、平然と受け流したが、次の瞬間、美しい眉をキッと吊り上げた。

「……ちょっと、あんた! 今、あたしのお尻、触ったわね!」

 叫びと同時に、ローイの後頭部に、いきなりリューリの平手打ちが飛んだ。

「痛ってェー! 怪我人に何すんだよ!」

「うるさい! 頭は怪我してないからいいのよ!」

「そんな無茶な。ひでえなあ……。俺、触ってないぞ。ただ、ちょっと、手が当たっただけじゃんか!」

「言い訳無用! あたしの不興を買った患者の末路がどうなるか知りたい?」

 リューリにじろりと睨まれて、ローイは震え上がった。

「し、知りたくない……です。ひえー、リーナちゃーん……。俺、このセンセイ、怖いよォ……。担当、替えてもらえない?」

「ローイ、リューリはね、まだ若いけど、第二病棟じゃ指折りの腕利きなのよ。治りたかったらおとなしくして、ちゃんと治療してもらって。ね?」

「おとなしくって……。だって、俺、ほんとにわざと触ったんじゃねえんだもん……。どうせ殴られるなら、もっとちゃんと触ればよかった。う、うわ、もう殴らないでくれよ、センセイ。冗談だよ、冗談。ほんとにわざとじゃないんだってばぁ……。リーナちゃん、このセンセイ、あんたの友達なんだろ。俺にやさしくするように、頼んでよォ」

 ローイが情けない声を上げるのを、リューリはぴしゃりとさえぎった。

「うるさいわね、お黙り! さ、治療するわよ。いつまでもペチャクチャやってるヒマはないの。今夜は急患が多くて、あたしも忙しいんだから。まず、ここ、ちょっと持ちあげるからね」

「持ちあげるって、そ、そこ、痛いんだよ。動かさないでよ」

「バカ! それじゃ治療できないじゃないのよ!」

「じゃ、じゃあ、痛み止めの魔法を……」

「何、甘えてるのよ! 男なら、これくらい、我慢しなさい!」

「ひ、ひえェ……。リーナちゃん、助けて……。痛っ! 痛てえよぉ……」

 実を言うと里菜も、リューリの荒っぽい治療が少々怖くなって、

「ロ、ローイ、がんばってね……」と言い残して、廊下に逃げ出してしまった。

 ドアの向こうから、しばらく、ローイの悲鳴とリューリの叱声が聞こえていた。

 しばらくして廊下に出てきたリューリは、駆け寄った里菜に言った。

「終ったわよ。今、痛み止めして薬草飲ませて寝かせたとこ。たいしたことないから、あとで大部屋に移させるわ。あいつ、へらへらしてるわりに、結構、頑張ったわよ。辛抱強いもんよ」

「あ、あれで辛抱強い……? ずいぶん泣き喚いてたみたいだけど……」

「喚きはしたけど、泣きゃあしなかったわよ、あいつの名誉のために言っておくと。普段強がってるやつだって、たいていこんなもんよ。でもね、最初に傷の具合を見るときなんかは、痛み止めの魔法は、やたらに使わないほうがいいの。言っとくけど、何も、趣味で虐めてるんじゃないのよ。治療師によってはすぐに痛み止めの魔法を使う人もいるんだけど、へたに魔法で痛みを完全に消しちゃうと加減やなんかがわかりにくくなるから、あたしは、必要最低限しか使わない主義。でも、治療の後はちゃんと十分に痛み止めをしてるから、安心して。長引く痛みは体力気力を無駄に消耗させるもの」

「そうなんだ……。リューリ、ありがとう。ローイはよくなるわよね?」

「だから、怪我は大丈夫なんだけど……、でも、あなた、怪我じゃなくて刻印のこと心配してんでしょ。そっちのほうは、あたしは何もしてあげられないのよね……。だけど、ほんと、なんか、あいつは大丈夫みたい。信じらんないけど。だって、普通、刻印つけられてきて女の子のお尻触る元気あるやつなんて、いないわよ」

「あ、あのね、お尻はほんと、わざと触ったんじゃないと思うわよ、ローイのために言っとくと……。ローイは口じゃいろいろ言うけど、女の子のお尻触るなんて、そんなことする人じゃない……こともないけど、触られて本気で嫌がりそうな人は絶対触らないと思う。そういう人よ。少なくともあたしは一度も触られてないわ」

「じゃあ、あたしは嫌がらないように見えたんじゃないの?」

「そんなわけないわ。誰が見ても、うっかり触ったら殺されそうな人に見えるわよ」

「いやぁだ、いくらあたしでも、それくらいで殺しはしないわよ、殺しは……。でも、とにかくあいつには、言い訳する元気があるじゃない。あたし、治療師やってて、刻印をつけられてきた人をいっぱい見てきたけど――ほら、魔物と戦って負傷してくる人の中には、刻印も受けてる人が多いから――、みんな、もっと自暴自棄になってるか、でなきゃ放心状態で生ける屍みたいになってるかよ。

 そういう人って、ほんと、たいした怪我じゃなくても簡単に死んじゃうのよね。もう、治療師やってんのが嫌んなっちゃうくらい。こっちがいくらがんばって治療して完璧に治してあげたはずでも、その後でどんどん弱って、ころっと死んじゃったりするんだから。それって結構、辛いわよォ。

 でも、彼は、ちょっと、あのへらず口、普通じゃないわ。見上げた根性よね。なんか、彼って、もともと人間離れして能天気な人なんじゃない? 刻印がついててちょうどいいくらいじゃないの? あいつ、身体のほうもバカみたいに頑丈にできてるようだけど、脳味噌のほうも妙に丈夫みたいだし、大丈夫よ、ほんと。彼は死なないわ。あたしが保証する」

「リューリ……。ありがとう」

「別にそれはあたしのおかげじゃないのよ。たぶん、彼がもともと人並み外れて能天気だったおかげよ。ほんと、普通じゃないわ。あれはもう、バカよ、バカ。どういうわけか、人間、バカほど強いのよ。あいつのおツム、よっぽど雑にできてるか、女の子のお尻のことなんかで一杯で、絶望なんていう高尚なものが入り込む隙がないんじゃないの?」

「何もそこまで言わなくても……。彼、あれで結構、繊細なのよ」と抗議しながらも、里菜は、自分を元気づけてくれようとするリューリの思い遣りを感じて涙ぐんだ。

「やだ、リーナ、何もあなたが泣くことないじゃない。友達をけなされたからって……。うそ、うそ、みんな冗談よ。彼は立派よ。たいしたもんよ。ほんと、お世辞抜きで。じゃあ、あたし、行くから。今夜はほんと、怪我人が多いの。魔物が、すっごい暴れ回ってるらしいわ。今、救援頼んでるとこなんだけど、明日はきっと、もっとごったがえすことになるんじゃないかしら。たぶん、総動員態勢になるわね。あなたも、アルファードが戻ってきたら、宿舎に帰って少し寝といたほうがいいわ。へたすると明日は戦場よ」

 リューリは里菜の肩を軽く叩いて、暗い廊下を足早に立ち去った。

 そしてこの、リューリの言葉は、翌日、本当になる。

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