表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
82/140

第三章<イルベッザの闇> 第九場(1)

 どこからともなくそろそろ人が集まり始めた、午後遅い盛り場。夏も終りに近い、すべてが疲れ果てた、けだるい季節である。

 暑さに生気を奪われたようにだらだらと歩く人の群れに混じって、いくら盛り場とはいえちょっと場違いに派手な身なりの若い男が、ひょろりとした長身を持て余すように、やはりだらだらと歩いていた。得体の知れない護符だの飾り金具だの、あちこちからぶら下げた妙ちくりんな装身具類をじゃらじゃらいわせて、投げやりな仕草で服の隠しから金を探り出し、道端の屋台で、冷やした甘い香草茶を一杯飲み干す。

「おっさん、これ、甘すぎねえか?」と、その男、ローイは、屋台のおやじに、わがままらしく苦情を言った。

「ああ、そうかい? あんたにゃ甘いかもしれないが、ほら、そのへんに立ってるきれいどころは、このくらいの甘さがお好みなんだ。うちの一番のお得意さんなんだよ」と、おやじは街娼たちを顎で示す。

「なるほど。あの娘たちもこの暑いのに突っ立ってちゃ、喉も乾いて大変だよな。じゃ、ま、ごちそうさん」と、椀をおやじに返して、ローイはまた、ぶらぶらと歩きだした。

 懐には、今の小銭の他にも、さっきまで一緒にいたあばずれ女に貰った金が、むき出しのまま入っている。店がはねるまでローイの側で粘っていたその女客は、待った甲斐あって、明け方、ローイを自分の部屋に伴っていくことに成功したのである。

 それは初めてのことではなく、ローイはこれまでも何度か店の二階でその女と付き合ったりしているのだが、それでもローイがいつでも彼女の思い通りになるとは限らない。なにしろ、彼が目当てで店にやってくる客は彼女一人ではないし、店の女の子も、あぶれた娼婦も、競って彼に群がるのだ。競争率が高いのである。

 しかも彼は、気が向かなければ、その誰にも見向きもしないで自分の部屋に帰ってしまう。

 アルファードはローイの部屋でたまたま女物の靴下止めを見つけてしまったが、ローイがいつもそこに女を連れ込んでいるというわけではなく、それは滅多にないことで、基本的に、ローイは、自分の部屋は自分だけの世界にしているのだ。

 今日、ローイは、激しい競争に勝ち残ってローイとの一夜――というより、一朝――を手にいれたその女の部屋で、昼過ぎまで自堕落な眠りをむさぼってだらだらと過ごし、店に出る前に着替えでもしていこうかと自分の部屋に向かっている途中なのだ。たぶん明日も、彼は、別の女と店の二階で昼まで眠るのである。

 そういう女たちの多くは、別れ際に、ローイに金や贈り物を渡してくれる。が、ローイには、別に自分が売春をしているという意識はない。相手が自分から差し出すものを、遠慮なく頂くだけだ。彼にとって、女からの贈り物を断わるのは言語道断なのである。

 このことを知ったアルファードは、厳しい口調でこう言った。

「お前には、プライドというものがないのか」

 つい一週間程前、アルファードはもう一度、今度はひとりでローイに会いに店に来たのである。里菜と一緒では話しにくい事柄もあるかもしれないからというわけだ。

 厳しい顔のアルファードに、ローイは、ほとんどきょとんとして答えた。

「ああ? あるよ、もちろん」

 だから彼は、最初からいかにも『金で買ってやる』といった態度を取る女は、絶対相手にしないのだ。ついでに言えば、男も絶対相手にしない。『男と寝るくらいなら死んだほうがマシ』なのである。そのかわり、女なら、態度の悪い女以外は、それほどうるさく選り好みしない。あらゆる女性に対してわけへだてなく親切なのが自慢の彼は、そのへん、実に寛大である。

「それじゃあ、お前、女なら誰でもいいのか」と詰問するアルファードに、ローイは平然と答えたものだ。

「うん、まあ、だいたい誰でもいいな。ただ、さっき言ったような性格の悪い女と、死んだおふくろが生きてればこれくらいかなあなんてしんみりしちまうような婆さんだけはごめんだが、それ以外は、とにかく女でありさえすれば、多少年増だろうと無器量だろうと、よく見りゃどこかしらにかわいらしいところがあるもんだ。それが見つけられないのは、見つけてやれない男の方の目が悪いのさ。あんたさあ、好みが偏屈すぎるんじゃねえの?」

「……そんなことしてて、お前は平気なのか? いやだとは思わないのか」

「何で? 俺、いやなことはしねえよ。いやだと思った相手とは寝ねえもん。まあ、俺もまだ修行が足りねえから、後で、この女は思ったより性格が悪くてつきまとわれそうだから失敗だったなとか、そういうこともたまにはあるけどよ」

「いや、そういうことじゃなくて、そんなことして金を貰うのがいやじゃないのか」

「別に。俺、そのへんに立ってる女の子たちと違って、相手も選ばず身体売らなきゃ食っていけないってわけじゃなし、置屋に前借金があるとか、そういう身分でもないし。気が向いた時に気が向いた女と遊んでやるだけだもん。女と遊んで、自分も楽しみ、相手にも喜ばれる。それで相手の女が、俺と過ごして楽しかったからどうしても俺に小遣いをくれたいとか、プレゼントを受けとって欲しいと言うんなら、受けとってやって何が悪い。こんないいことあるか? そうだ、あんたもやってみれば? あんた、モテるぜ。ちょっとくらい顔がまずくても愛想が悪くても身体さえ立派ならそれでいいっていう悪趣味な女は結構いるからな」

「……ローイ。俺には、お前の考えていることがわからない」

 額に手を当てて空を仰いだアルファードに、ローイはしゃあしゃあと答えた。

「おお、そりゃあ奇遇だなあ。俺も今、ちょうど、あんたの考えてることがさっぱりわかんねえと思ってたとこだ。だいたい、前から思ってたけど、あんた、頭、古いんじゃねえの? 古くて固い化石頭ときたもんだ。まあ、じいさんっ子だから無理もねえが。あのじいさんは、また、特別古くさくて頭が固い頑固ものだったからなあ。あんたは自分の名前も知らねえでじいさんに拾われたから、じいさんの教えることをなんでも鵜呑みにして、ああいうのが普通だと信じ込んで育ったんだろうが、ところがどっこい、あのじいさんは、変人だったんだよ。だから、あんたもそんなに偏屈になっちまったんだ」

「俺は今でも、じいさんが俺に教えてくれたことで間違っていたことがひとつでもあるとは思っていない。じいさんの考えが世間一般の常識と違うというのなら、それは世間のほうが間違っているんだ」

「だめだ、こりゃ。だからそれが、あんたもじいさんと同じくらい変り者に育っちまったっていう証拠なのさ」

「そうやって、食うに困っているわけでもないのに平然と金で身体を売るのが普通なら、俺は変人で構わない」

「だから俺は、金で身体売ってるつもりはないんだってばよ! さっきから何度もそう言ってんじゃん。あんた、言葉わかんねえの? 頭悪すぎ」

 こうして話はまるっきりの平行線だったのだが、アルファードは別にローイに説教をしに来たわけではなかったのだ。ただ、アルファードが店に来たのは魔物退治の仕事を早目に切り上げた明け方で、その時、ローイはちょうど、ほとんどの客が二階に消えるかテーブルにつっぷして眠ってしまっている店内から、女客の一人と連れだって抜け出そうとしているところだったのである。そこへアルファードがやってきたものだから、女を店の中で待たせて、うっすらと明るみ始めた店の前の路上でアルファードと立ち話をするはめになり、

「お前、まさか、あの女から、後で金を受け取るんじゃないだろうな」などと、アルファードから追及されてしまったのだ。

「ああ? くれれば貰うよ。あの女は、たぶんくれるだろうな」と、当然のように答えたローイを、アルファードは、まるで宇宙人を見るような目で見た。

 さらにアルファードがあきれ返ったのは、ローイが一時期、小金持ちの女に囲われていたのを知った時だった。アルファードは、ローイの境遇について、一応そういう可能性も考えていたのだが、その、あまり考えたくもないような悪い予想は、残念ながら当たっていたのだ。

 それはイルベッザに来てしばらくたったころで、ちょうどその頃、この盛り場にローイを探しにきたアルファードが彼を見つけられなかったのは、そのためだったらしい。

 もっともこれも、ローイ本人には囲われていたという意識は、まったくない。

「ちょっと年増だったけど、まあ、わりと奇麗だったし、最初は性格にもそれなりにかわいいとこがありそうに思えたから寝てやったら、いつでも俺と会いたいから近くに住んでくれって部屋を用意してくれて、ちょうど住むとこがなかったんで住んでやったのさ。そしたら、何を勘違いしたもんか、俺が別の女と遊んだら文句を言うんで、面倒くさいから、出てきた。俺は別に、あの女の持ち物になったつもりはねえんだ。それからはああいう女にひっかからないように、よく気をつけている。まあ、あれはあれで、最初は結構楽しかったけどな」というわけである。これはもう完全に、アルファードの理解の範囲を越えている。

 しばらく、頭痛がしそうになるのをがまんしてそんな話をしたアルファードは、そのうちに本題を切り出した。

「ローイ。もう一度言う。また、俺たちのそばに戻ってきてくれないか。何も、軍の宿舎に入らなくてもいいんだ。俺たちはもう、かなりの金を稼いだから、小さな家を借りることもできる。そこで、俺たちとニーカと、一緒に住むこともできるんだ」

「え、やだよ、そんな。俺たちって、あんたとリーナちゃんとだろ。俺、そんな、新婚家庭に居候みたいなマヌケな立場になりたかねえや」

「新婚家庭って、俺たちは別にそんな仲じゃない。ニーカも一緒だし、四人で楽しく暮せるじゃないか。あの、旅の間のように……」

「いやだね! 俺は、やだよ!」

(そうしてリーナちゃんがあんたをじっと見上げる時のあの様子を、俺、ずっと近くで見せつけられ続けるわけ? そりゃ、たまんねえよなあ。だいたい、リーナちゃんがずっとそんなにすぐそばにいて、それで手に入らないのがわかりきってるってだけで、俺は辛いんだぜ。それくらいなら、姿も見えない遠くにいてくれたほうがいいんだ。アルファードだって、それはわかってるだろうによ。四人で楽しくだなんて、何を無神経に、いい気なこと言ってやがる)と、ローイはアルファードを睨みつけた。

 けれどもアルファードは引き下がらなかった。

「そうすれば、お前も、軍に入らないで歌うたいの仕事を続けることもできるんだ。こんな場末でなくても、例えばイルベッザ城構内の、もっとちゃんとした店――<長老>だの<賢人>だのが出入りする、品のよい店で歌うこともできるんだぞ」

「何だ、その、『ちゃんとした店』ってのは! あんた、まさかその店で、俺を歌わせてくれるか聞いてみてくれたってわけか?」

「……ああ。主人もお前の評判は聞いていて、そんな人気のある歌うたいがもしも来てくれるならとてもうれしいと……」

「へっ、手回しがいいことだな。冗談じゃねえや! そんな、あんたに御膳立してもらった仕事なんか、したかねえや。俺はこの店も、この界隈も、この界隈の連中も気に入ってんだ。そんなお偉いさんたちの前で歌いたくなんかねえ。ここの、帰るところを無くして呑んだくれてる北部の百姓や、そういう呑んだくれに身を売って生きる可哀想な女の子たちのために歌いてえんだ。俺は商売で歌を歌っていると言ったが、金さえ貰えればそれだけでいいってわけじゃねえんだ……」

「わかった。それなら別にあの店で歌わなくても構わない。勝手なことをして悪かった。ただ、お前に良かれと思ってのことだ。それはわかってくれ」

「何、言ってやがる。いいか、俺がどこで歌を歌い、どこに住むか、そんなことをあんたに決められるいわれはひとつもないんだぜ」

「ああ、その通りだ。悪かった。……ローイ、戻ってきてくれ」

 アルファードが真剣な顔で一歩進み出たので、ローイは思わず一歩後ずさった。

「や、やめろよ、人のことを、そんな、逃げた女房とか家出した息子みたいに言うのは。俺はもともと、あんたの家族でも家来でもなんでもないんだ。別にあんたのものじゃねえんだよ。あんた、ちょっとしつこいぜ。俺は、男でも女でも、しつこいやつは大嫌いなんだ! ……そうだよな、最近気がついたんだが、俺は昔からあんたが嫌いなんだ。あんたのそばを離れてみて、初めて分かった。俺がずっとあんたのそばにいたのは、あんたが嫌いだからだったって。あんたは周りのものすべてを、あっさりと自分に従え、支配しちまう。俺はあんたのそういうところが嫌いで、自分だけはどんなにあんたのそばにいても決してあんたに支配されはしないんだと、それを証明するためだけに、あんたのそばに居続けたんだ。俺、ちょっとへそ曲りなとこ、あるからさ。俺があんたらを追って村を出てきたのも、リーナちゃんの後を追ってきたんじゃなくて、あんたを追ってのことだったらしい。それも、あんたが好きだからじゃなくて、嫌いだからだ。だって、あのままあんたに勝ち逃げされたら、俺、一生、あんたに負けたままになっちゃうじゃん。……そういうこと全部に、俺は、あんたから離れてみて初めて気づいたんだよ。いいか、あんたはちっとばかし頭が悪いようだから、よく分かるようにもう一度言ってやる。俺は、あんたが、嫌いなんだよ!」

「……だが、ローイ。俺は、お前が好きだ」

 この、あまりに直線的なもの言いにローイは思わず鼻白んで、また一歩、後ずさった。別にアルファードに変な気があるわけではなく、ただ、本人があまりに真面目過ぎるので『こんな言い方は変に取られるかもしれない』などとは想像もできなかっただけだろうと、それは解るのだが、さすがに、こうまできっぱり言い切られてしまうとちょっと怖いものもあるし、なんだか、力が抜けるというか、怒る気力も思わず萎える。

「や、やめろよ、気色悪い。あんたに変なつもりがないのはわかってるんだが、男の口からそんな言葉を聞きたかねえや。……あんたにもそういうセリフが言えるんなら、俺になんかじゃなくてリーナちゃんにそれを言ってやれよ。どうせあんた、リーナちゃんには一言もそんなこと言ってやってねえんだろう。こないだ見たとこじゃ、リーナちゃん、あんまり幸せそうじゃなかったぞ。あんたのせいじゃねえの? あんたにあいかわらずつれなくされて、さみしがってるんじゃねえの?」

「……」

「やっぱ、そうなんだろ。あんたが黙る時は、図星なんだ。あんたら、いつまでそんなことやってんだ? あんた、リーナちゃんを自分のいいように引っ張りまわしておいて、どうせ何の約束もしてやらず、たった一言好きだと言ってやりさえしねえんだろう。あんたら、別に俺が一緒でなくても、また、ふたりで一緒に住めばいいじゃん。リーナちゃんにやさしくしてやれよ、な。でなきゃ、いくらリーナちゃんが辛抱強くても、そのうち疲れて離れていくぜ」

 こう言って、ローイは、無表情にまた一歩進み出たアルファードから逃げるように後ずさり、後ろ手に店のドアを開けた。

「と、とにかく、俺、あんたと一緒には行かねえから。今日はもう、帰ってくんな。悪いが、女、待たせてるからさ。今度、もっと早い時間に店に来てくれよ。酒も奢るし、世間話の相手ならいくらでもするぜ。その『戻ってきてくれ』っていうのさえ、言わなければさ。あんたみたいな有名人が店に来てくれれば、おやじも客も大喜びで、あんた、女にモテまくれるぜ。あんたもたまには、ちっと遊べよ、な? じゃあな!」

 それだけ言うと、アルファードの返事も待たず、ローイはばたんとドアをしめてしまったのだった。アルファードはそのまま黙って立ち去っていったらしい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ