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第三章<イルベッザの闇> 第八場(2)

 うらぶれた路地を辿ってローイの部屋へ向かう道々、里菜は尋ねてみた。

「ねえ、ローイ、なんであんな悲しい歌、歌うの?」

「なんでって、そりゃあ……、まあ、ウケるからさ。あんたも見たろ、客が泣いてるの。俺は歌で飯食ってんだ。あ、念の為言っとくが、何も、女で飯食ってるわけじゃないんだぜ。商売なんだから、ウケるものを歌わなくちゃ。でも、悲しい歌しか歌わないわけじゃないんだ。気分を引き立てるような楽しい歌やら、粋で色っぽい恋の歌やら、自分の作ったのも元から酒場で歌われてるのもいろいろ歌うよ。でも、ここいらじゃ、やっぱり、あの手の歌が、一番、客の心を掴むんだよな。ほら、みんな、帰るクニをなくした北部の百姓だからさ。

 ……俺さ、昔は北部のやつって、知りもしないのに嫌ってたんだけど、知りあってみればみんな結構、いいやつなんだ。もちろん中には嫌なやつもいるが、それはどこのやつでも同じだろ。それにみんな、さみしいんだ。みんな、放浪者なんだよ。俺もまあ、いってみりゃ出稼ぎ者だから、わりと気持ちがわかるんだよな。俺、やつらのために北部の歌を歌うの、嫌じゃない。やつらを泣かしてんのも、ただ金のためだけじゃなくて……。泣くってのは、別に、よくないこと、辛いことじゃないんだ。やつらは、泣いたほうが悲しくなくなれるのさ。ああして今夜泣いておけば、また明日から、何とか生きていけるんだ」

「……ローイも、寂しかったのね? ローイもふるさとを失くして……」

「い、いや、俺のクニは別に失くなっちゃいないさ。帰る気になりさえすれば、いつでも帰れるんだ。根なし草のあいつらとは違う……。ただ、少しは気持がわかるってだけさ。俺、毎日、面白おかしく過ごしてんだぜ。みんながああして俺の歌に涙してくれるってのも歌うたい冥利につきるし、女にゃモテるし、酒は飲めるし。俺ってさあ、この業界、根っから向いてるんじゃねえかなあ。昔から宴会の盛り上げって得意だったしさ。歌は歌えるし話は出来るし、顔もよければ愛想もいいし、目はしはきくし気配り細かいし、おまけに何をやっても器用で腕っ節まで強いもんで、おやじにも重宝がられてかわいがられて、客の人気も抜群! 特に女の客は、一人残らず俺がお目当て。もう、天職だね。おっと、ここ。俺の部屋、ここの二階。階段、腐ってるから気をつけてな」

 ローイの部屋は、窓際に寝台がひとつと壁際に小さなたんすがひとつ、それにテーブルと物入れを兼ねているらしい木箱が部屋の真ん中にひとつぽつんと置かれているだけの、殺風景な狭い部屋だった。結構散らかってはいるが、なんとなくそこできちんと生活が営まれているという感じのしない、あまり使われていなさそうな部屋である。

 案の定、ローイはこう言った。

「さあ、散らかってるけど、入ってや。俺、普段あんまり、ここ使わないんだ。店が終った後、わざわざ帰るの面倒くさいから、二階が空いてればたいていそこで泊まっちまうし、そうでなくても……」と、ローイはそこで気がついて後の言葉をうやむやに濁したが、里菜はごまかされなかった。

「それか、誰か女の人の部屋に行っちゃうんだ? お店の二階で泊まる時も、女のお客さんと一緒だったりして?」

「リ、リーナちゃん……。あんた、ほんとに追求厳しくなったなあ……。なんか、あったの? あの素直でおとなしい女の子が、こんなにおっかなくなっちゃうような?」

「あ、あたしは別に変わってないわよ! ローイが、ローイが……」

 里菜がそんなふうにローイに詰め寄っていたのは、ローイにとっては、むしろ幸運なことだった。里菜が、部屋の様子を検分するよりローイを糾弾するのを優先しているあいだに、アルファードのほうは、隅のたんすの上でくしゃくしゃになった女物の靴下止めを見つけてしまい、里菜に気付かれないうちにと、それをそっと背中に隠したのだ。

 しばらくして里菜が出しっぱなしの汚れた食器に気を取られた隙に、アルファードは、

「おい……」と、ローイを肘で小突いて、靴下止めをこっそり後ろ手で手渡した。

「うわっ、やっべえ! アルファード、悪りぃ」と、ローイはあわててそれを寝台の下に足で蹴り込んで、

「え、何、何?」と振り返った里菜に、こう言って、とぼけてみせた。

「いや、床に腐った団子が落ちてたもんで、捨てた。リーナちゃんが踏まなくてよかったよ」

「やだぁ、汚い。だいたい、このお皿、なに? いったい、いつ使ったの?」

「ああ、これ? ええと、前にここで飯なんか食ったのは、四、五日前かなあ……」

「えーっ、やだ! そのこびりついた食べかす、きっと腐ってるわよ! 気持ち悪くて触れない!」

「大丈夫、それはそのまま放っといていいよ。これから酒を飲むのに使うお碗は洗ったのがあるから」と、壁の飾り棚からお椀を取ったローイの正面にアルファードが進み出て、真面目な顔でまっすぐにローイを見た。

「ローイ。お前がどんな暮しをしようとお前の自由だが、これだけは言っておく。ヴィーレに言えないようなこと――いつか村に帰った時、ヴィーレの前で胸を張って、都でこんなことをしてきたと話してやれないようなことだけは、するな」

 とたんに、さっとローイの顔が強張った。血相をかえたローイは、いきなり乱暴にアルファードのむなぐらを掴み、その顔を睨みつけながら低く鋭く言った。

「二度と俺の前で、ヴィーレの名を口に出すな! ヴィーレはもう、俺とは何の関係もねえんだ。あんな田舎のイモ娘なんか、もう、どうだっていいんだよ!」

 その、今までローイが見せたこともないような荒んだ気配に、里菜は怯えて立ちすくんだ。アルファードを怖いと思うことはたまにあっても、ローイを怖いと思ったのは、里菜は初めてだった。この時のローイは、一瞬まるで本物のやくざもののように見えたのだ。

 だが、アルファードは全くひるまなかった。

「なぜだ。どうだっていいなら、なぜそんなにヴィーレのことを言われたくないんだ」

 ローイは叩き付けるように喚いた。

「うるせえ! あんたにヴィーレのことをとやかく言われたかねえ! こんどその名前を口にしたら、その不細工な鼻っぱしら、ブン殴ってやるぜ。言っとくが、俺はあんたなんかちっとも怖くねえんだ。最近わかったんだが、俺のほうがあんたより強いのさ。俺には平気であんたが殴れるが、あんたにゃ俺は殴れねえからな。そうだろう、え?」

 アルファードはあくまで穏やかに応えた。

「……まあ、そうかもしれない。俺はお前を殴れない。手を放せ。リーナが怯えている」

「あ、ああ、すまねえ。悪かったな、つい、かっとしちまって。座れよ。飲もうぜ」

 そう言って、床の敷物の上にどすんと腰を降ろしたローイは、もう、もとの愛敬者の顔に戻っていた。それでも里菜は、まだ少しローイが怖くて、黙ったまま、なんとなくローイから少し離れて座った。

 それからローイはひとりで大酒を飲みながら、何か言いたそうな里菜にその隙を与えてはならじとばかりに、どうでもいいようなことを奔流のようにしゃべりちらし、再会の夜は更けていった。

 しばらくしてアルファードが、ローイの話を強引に遮ってぽつりと言った。

「ローイ。俺たちと一緒に来ないか? 魔物退治がいやなら、手続き上だけ俺たちとチームを組んだことにして宿舎に入って、何でも好きなことをしていればいい」

「え、やだよ、俺、そんなの。それであんたらの稼ぎで食わせてもらうわけ? 俺、そんなとこで、仕事もしないで何してればいいわけ?」

「働かずに遊んでいるのは、お前の得意じゃないか」

「だって、そりゃあ、からかって遊べる女の子でもいればいいけど、軍の宿舎なんて男ばっかでむさいとこでぶらぶらしてんのは、ちょっとなあ……。あ、でも、隣にゃ女子宿舎があって、たしか談話室までは出入り自由なんだっけか。おお、それに治療院にゃ、妖精の血筋のかわい子ちゃんがわんさか……。いや、いや、だからってなあ。……いいよ、俺、ここも、今の仕事も、気にいってるから。さっきも言ったろ。この仕事、俺に合ってるんだ」

「だが、お前は、あまり幸せそうに見えない」

 いきなり核心をつかれて、ローイはちょっとうろたえた。

「な、なんでだよ。なんで、そんなこと言うんだよ。俺は毎日楽しくやってるよ。村にいたころみたいにあれこれうるさく言うやつはいないし、食うにも寝るにも酒にも女にも不自由しないし、好きな歌を歌って人に喜ばれてさ。……それに、じゃあ、なにか? あんたらと軍に入れば俺が幸せになれるってのか? あんたらだって――特にリーナちゃんは、俺よりたいして幸せそうに見えないぜ」

 今度は里菜が多少うろたえたが、アルファードはゆるがなかった。

「ローイ。少なくともここで自堕落な生活を送るよりは、俺たちと来たほうがお前のためだ」

「何だよ、俺はちゃんと真面目に働いてるんだぜ。歌うたいが悪いってのかよ。村じゃ、よく、年寄り連中に、男のくせにピーピーと歌なんか歌ってって言われたもんだが、ここじゃ誰もそんなこと言わないぜ」

「いや、歌はいいんだ。歌うたいが悪いというんじゃない。それだって立派な仕事だ。歌は人の心を慰める。ただ、俺は、お前の暮しぶりが荒れていると言っているんだ」

「何だ、そりゃあ。女のことを言ってるのか? だったら、おおきなお世話だよ。俺が何しようと、あんたに説教されるいわれはないぜ。何だってあんたは、そんな偉そうに俺に説教なんかするんだ? あんた、俺の、何だ? 俺はなあ、実の親父にだって女のことで説教されたことなんかないんだよ!」

 アルファードは至極冷静に指摘した。

「それはそうだろう。お前の親父さんが亡くなったのは、たしかお前がここのつかそこらのころじゃないか」

「ま、まあ、そういえばそうだったな。……とにかく、俺は誰の指図も受けねえんだよ」

 そう言って、ローイは、そのまま目をそらし、しばらく黙ったまま、ひとりで勝手に酒を飲んでいたが、ふいに立ち上がった。

「さぁて、と。悪いけど、俺、やっぱり店に戻るわ。せっかく俺の歌を聞きにきてくれた客に悪いからな。みんな俺の歌を楽しみにしてきたんだ。……ひさしぶりに話ができて嬉しかったぜ。また、一緒に飲もうや。何も俺があんたらと一緒に行かなくても、これからはあんたらがそっちから来てくれればいつでも会えるんだから、それでいいじゃん。ああ、この部屋に来ても、俺、滅多にいないから、会いたい時は店に来いよ。酒、奢るからさ」

「……ローイ!」と、立ち上がった里菜に、

「リーナちゃん、悪いが、今夜はあきらめてくんな。俺と一晩付き合いたいっていうお嬢さんたちは行列つくって順番待ちしてるんだ。いくら古馴染みだからって、割り込みはいけねえや、な」と、ローイはふざけたウィンクを送った。

「そ、そんな……。ローイ、ふざけないで! ね、もう少し話し合いましょ」

「俺は、もういいよ。悪いな。また今度な。そうそう、あんたら、どうせ今日はもう仕事はしねえんだろ? 俺、明日の朝はここへは帰らないから、朝まででも昼まででも、ここ使ってていいよ。一眠りして帰れば? あんたらが俺の寝台で一緒に寝ても、俺はちっとも気にしないぜ」

 里菜とアルファードが、その言葉にぎょっとするのを見て、ローイはあきれたように言った。

「なんだよ、なんだよ。何もそんなに思いっきりぎょっとすることないじゃん。俺が何かよっぽどとんでもないこと言ったみたいに……。あんたらって、今だにそういうふうなわけ? まあ、いいけどさ。別に、無理に一緒にとは言わねえよ。アルファードなんか、そのへんの床の上で十分だ。じゃあな」

「おい、待て、ローイ。店まで送る」

「いいよ。俺は護衛がいるほどやわじゃねえ。汚ねえとこだけど、ゆっくりしてきなよ」

「いや、どうせ帰るから、ついでに送る。リーナ、行こう」

 深夜の路上を、三人は無言で歩いていった。蒸し暑い真夏の夜、石畳に足音がくぐもって響いた。

 里菜は、淋しかった。ローイに再会する前より、もっと淋しかった。ものごとは、自分が思っていたより、もっとどんどん変わってしまっていたらしい。これからも、変わっていってしまうのだろう。親しい人が、遠くなってしまうのだろう――。





 アルファードとふたり、宿舎の前に帰り着いた里菜は、そこで立ち止まり、おやすみを言って立ち去ろうとするアルファードのシャツを引っ張って引き止めた。アルファードはけげんそうに振り向いた。

「何だ、リーナ」

「……アルファード。ローイは、帰ってこないのね……。何だか、何もかも、変わっちゃったみたい。あなたも……」

「俺は別に変わってはいないと思うが」

「ね、アルファード。あたしたち、また、村にいたころのように一緒に住まない? 近くに小さな家を借りて……」

「何でそんな必要がある? ここで十分じゃないか」

「だって、アルファード……。あたし、もっと……、ずっとあなたのそばにいたいの」

 ためらいがちにうつむいて言う里菜から、アルファードは目をそらした。

「今だって、ほとんど一日中、そばにいるだろう。仕事も一緒だし、食事もたいてい一緒だし、夕方の空き時間も、君に馬の乗り方なんかを教えたりして一緒に過ごすことが多かったはずだ。あとは、離れているのは寝る時くらいで、その時は寝る場所が隣の部屋だろうと隣の建物だろうとたいした違いじゃないじゃないか、どうせ寝てるんだから」

 それまでうつむいていた里菜が、突然、敢然と顔を上げ、アルファードをまっすぐ見つめた。その頬が赤く燃えているのは、最初は恥ずかしさとためらいのせいだったが、今は、里菜が自分からここまで言ってもまだそらっとぼけてはぐらかそうとするアルファードへの怒りともどかしさのためだ。怒りがためらいに打ち勝ち、里菜は開き直って、怒りに輝く瞳で挑むようにアルファードを睨みつけた。

「アルファード。隣の部屋じゃ隣の建物とたいして違わないって言うなら、あたしはあなたと一緒の部屋でいいのよ。一緒の寝台だっていいんだから!」

 普段おとなしい里菜にいきなり攻勢に回られて、アルファードはぎょっとして後ずさりながら、口の中でぼそぼそと言った。

「リーナ……。滅多なことを言うもんじゃない……。君は、俺なんかにそんなことを言っちゃいけない。いけないんだ……」

「なぜ? アルファード、あたしが嫌い?」

「……いや。だが、俺は……。俺は、魔法も使えない役たたずだ。俺なんかと一緒になっても、君は幸せになれない。君はいつか、君にふさわしい相手を見つけて幸せになればいい。今の話は、おたがいに忘れて、今夜から、また一緒に仕事をしよう。じゃあ、おやすみ」

 里菜の瞳にみるみる盛り上がる涙を見ないように目を背け、アルファードは、逃げるように立ち去った。

 里菜はその場に立ち尽くし、涙に潤む目で、遠ざかるアルファードの背中をじっと見つめていた。

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