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第三章<イルベッザの闇> 第八場(1)

 ざわめきに紛れそうなその声に、けれどもローイは、さっと振り向いた。

 振り向きざまに、ローイは、アルファードが投げた一枚の硬貨を受け止めた。

 硬貨の飛んできた方角を素早く見渡したローイの視線と、人垣の頭越しにまっすぐにローイを見つめるアルファードの視線が、一瞬だけ空中でぶつかり合うのが見えたような気がした。

 直後、ローイは、なんとなくばつが悪そうについと目をそらしながら、

「ああ、あんたらか……」とだけ呟くと、そのまま、里菜とアルファードの視線を避けるように楽器に上に屈み込んで、和音をひとつ鳴らした。

「よし、次は『エレオドラの星』だ。南部の歌だが、みんなちょっと聞いてみてくんな」

 客たちの一部からかすかに起こった不満げなざわめきも、前奏が流れ出すとすぐに収まり、酒場はふたたび静まりかえった。

 流れ出したのは、村の宴会や旅の夜の語らいに、里菜も何度か聞いたことのある懐かしい歌だった。

 エレオドラ山の上に輝く銀の星を眺めている幼い恋人たち。少年は、「大きくなったらあの星を君に取ってあげる」と誓う。やがて時は流れ、少女は大人になり、村を出ていく。幼い日の約束は忘れられ、それでも秋が来れば、故郷の山のかなた、星はあの日のままに輝く――。

 ローイお得意の、牧歌的でセンチメンタルな恋の歌である。エレオドラ地方の古い民謡にローイが自作の歌詞を載せたもので、村に居た頃、ローイの十八番だった歌だ。

 けれどローイは、北部からの出稼ぎ者が客の中心であるこの店で、今まで、この南部の歌をあまり歌わなかったし、歌う時も、北部の地名を盛り込んだ別の歌詞をつけていた。そして、その歌詞には、もちろん別のタイトルがついていた。

 だから、『エレオドラの星』というタイトルでこの曲を所望する声を聞いた時、彼は、はっとして振り向いたのである。

 曲が終ると、ローイは、

「南部の歌もなかなかいいじゃないか」などと呟いて次のリクエストをしようとする聴衆に、

「悪いが、今日、ちょっとここまでな。まあ、みんな楽しくやってくれや」と軽く手を振ってひょいと立ち上がると、硬貨が入った帽子を拾い上げた。そして、アルファードと里菜についてくるようにと目で合図をして、沸き起こった不満のざわめきをしりめに、さっさと隅の席にひっこんでしまった。

 ついてきたふたりに隣の椅子を示しながら、我が物顔で席に着いたローイは、

「そこ、座れよ。酒、奢るからさ。あ、リーナちゃんは何か冷たいお茶とか果実水なんかがいいのかな。ミルクもあるぜ。ああ、何かつまむものもとろうな。ここ、けっこう美味いぞ。少なくともあんたらの宿舎の食堂よりはぜったい美味いはずだ。食ってけや。おーい、ニーニちゃん!」と、ウェイトレスらしいエプロン姿の女の子を呼びつけて、ひとりで勝手にあれこれ注文しはじめた。

 ニーニと呼ばれた娘は、アルファードと里菜にちらりと目を走らせて、妙に馴々しくローイに頬を寄せるようにして尋ねた。ちょっときつめだが、なかなかかわいい顔立ちの娘である。

「知りあい?」

「ああ、まあ、同郷の古なじみなんだ」

「この女の子も?」

「ああ、まあな」

「ふーん……。こちらの彼、ちょっとすてきじゃない。逞しくて」

「ああ、こいつがあの、<ドラゴン退治のアルファード>だぞ。いつも言ってただろ、アルファードは俺のダチだって」

「えーっ、うそっ、それって、本当だったのォ! てっきり、ただのフカシだと思ってた。ステキ! どうりで強そうなわけね。紹介して!」

「うん、ニーニちゃん、こういうタイプ、好みだったよな。でも、こいつに色目使っても無駄だぜ。がちがちの堅物の女嫌い」

「うそぉ、こんな逞しい、男の中の男が、どうして? 勿体ない」

「いいから、仕事、仕事。酒、持ってきてよ」

「何よぅ、自分はさぼってて……。じゃあ、おふたりさん、ごゆっくりね」

 そう言って、エプロンの後ろのリボン結びを揺らしながら腰を振って立ち去っていくニーニのなかなか色っぽい後ろ姿を、里菜は思わず横目で睨みながらローイに尋ねた。

「何、あの子?」

「何って、見ればわかるだろ。この店の従業員だよ。皿運び。俺の同僚さ。俺、ちゃんと、この店の従業員なんだ。ただの流しの歌うたいとは違うんだぜ。歌うたい兼給仕手伝い兼用心棒ってとこ。手が空いたときには掃除や皿洗いまで手伝って、真面目に働いてんだ。まあ、最近は歌うたいのほうで人気が出ちまって、皿洗ったり料理運んでるヒマなんかないけどな」

「え、じゃあ、仕事さぼって、こんなとこで座り込んでていいの?」

「いいの、いいの。客の話し相手も仕事のうち。皿運びはニーニちゃんにまかせとこ。あの子な、ちょっと蓮っ葉じゃああるけど、あれでなかなか気のいい娘なんだ。ちょっとばかし態度が悪く見えても、悪気はないんだから、まあ、許してやってや」

 そこへ、さっきの人込みからローイを追って抜け出してきたらしい女性――娼婦たちとは服装が違うから、どうやら店の客らしい――が、後ろからローイの肩に手をかけて言った。

「ルディ、忙しいの?」

「う、うん、まあな。いや、ちょっと昔のダチが来てくれたんで、話がしたいと思って」

「そう。じゃあ、お友達とのお話が終ったらでいいんだけど、今夜、あたしと付き合わない?」

「いや、悪いなあ、何しろすっげえ久し振りに会った同郷の仲間なんだよ。今夜は語り明かそうと思ってるんだ」

「残念だわ。じゃあ、また今度、ね?」

「あ、ああ……、また、そのうちにな」

 思わせ振りにローイの頬を一撫でして立ち去っていく女の後ろ姿を睨みながら、里菜はちょっと声を尖らせた。

「ローイ。あのひと、何?」

「何って、そりゃあ、この店の客だよ……。最近、もう、どこの店も女の客なんてほとんど来ないんだが、ここは最近、俺目当てに、結構、女の客も来るんで、おやじも喜んでるんだ。やっぱ、女の客がいるといないとじゃ、店の雰囲気、違うからなあ。……な、何、睨んでるんだよ。俺が人気者なのは仕方ないじゃん。なにしろ、この美貌に、この美声、おまけに時代を先取りしたこの素晴らしいファッションとくりゃあ……」

「ローイ。あなた、ほんとにここで、歌うたったりお料理運んだりしてるだけなの? それに、ルディって、あなたのこと? なんで偽名なんか使ってるのよ」

「べ、別に、偽名じゃねえよ。最近、巷じゃ、こういうふうに名前の真ん中へんから愛称を取るのが流行ってるの。ほら、よく、同じ名前が身近に二人いると、区別がつくように真ん中から愛称を取るじゃん。村にも、ドリーっていたろ? エレオドリーナの、真ん中を取って、ドリー。で、都会じゃ人が多いからそういうケースが多くて、それで、そのほうが都会的で今風だっていう風潮になったらしいわけ。ローイなんてのは田舎臭いから、このほうがいいって、みんなが……」

「あたしは、ローイのほうが絶対いいと思うわ!」

「じゃあ、あんたは、そう呼んでくれよ。そんなの、好きな方でいいんだよ。でも、この店じゃ、俺はルディなんだ。他の名前で呼び出そうとしても俺のことだとわかってもらえねえから、そこんとこは覚えといてな」

「へえー、そんならそれはそれでいいけど、で、あの女の人は、どういうこと?」

 里菜の厳しい追及に、ローイはたじろいで、

「あのさあ、リーナちゃん、せっかくひさしぶりに会えたんだ、そういうどうでもいいことは横に置いといて、楽しく語りあおうじゃねえか、な?」と、馴々しく里菜の肩に手を回そうとしたが、間髪を置かずに払い除けられた。

 そこへ、ニーニが酒と料理を持ってきたので、ローイは、救われたとばかり、運ばれた料理についてあれこれペラペラと解説しながら里菜に勧め始めた。

 ところが、救われたと思ったのは一時のこと、料理の皿をテーブルに置き終ったニーニが、里菜たちを横目で見ながら身を屈め、ローイに囁いたのだ。

「ルディ、今日、お店がはねたら、あたしの部屋へ来ない?」

「わ、悪いなあ、俺、今日はちょっと……。そうそう、これから、俺の部屋で、この古なじみと語り明かして、そのまま泊まってってもらおう、なんて……。な、そうしようぜ」と、ローイはアルファードを振り返って言った。

「あんたら、別にこれから仕事ってわけじゃないだろ? どうも、ここじゃファンの女たちがうるさくて、ゆっくり話も出来ないからさあ。うん、スターは大変なんだ」

 ローイは、もう完全に開き直ってへらへら笑っている。

「と、いうわけでさあ、ニーニちゃん、俺、今夜、ちょっと早引けさせて貰うから、おやじさんに話しといてくんない?」

「いいけど、もう真っ暗よ。いくら近くでも、これから外へ出るなんて危ないわ」

「平気、平気。何しろ、ここにいるのは、かの<ドラゴン退治のアルファード>だぜ。ほら、こんなとこへ来るにも、しっかり剣なんかぶら下げてさ。どこ行くにもこれだけは持ってないと落ち着かないっていう野郎なんだよ。その上、こっちのかわいこちゃんはな、なりはちっちゃいが、なんと、かの有名な<魔法使いのリーナ>だ。噂の最強コンビさ。何も怖くなんかあるもんか」

「へえー、あなたが、あの……? ほんっとに、こんなちっちゃい女の子なのねえ。すっごーい! これからもがんばってね、応援してるわ!」と、ニーニは、初めて里菜に親しみのこもった笑顔を向けた。そんな様子を見ると、確かに気のいい娘らしい。

 が、そう思ったのも束の間、ニーニは立ち去りぎわに、 

「じゃ、ルディ、気をつけてね。あしたは絶対あたしのとこへ来て。約束よ。ね!」と、ローイの頬に素早いキスをしていったので、里菜はまたしてもムッとした。ローイが誰と何をしようと、里菜は文句を言える立場ではないのだが、やっぱり何だか面白くない。

(やきもちなんかじゃないわ。これはヴィーレのためよ! ヴィーレのために怒ってるのよ! 何よ、ローイってば、へらへらしちゃって)

 里菜の冷たい視線に気づいたローイは、慌てて、いっそうへらへらとしゃべり出した。

「あ、あはは、リーナちゃん、俺、モテちゃってさあ。な、なんだよ。だってさあ、こんな美形で、話術も巧みでセンス良く、その上、心優しく気配り細やかときちゃ、モテないわけないだろ? 嫌でもモテちまうもんは、しかたないじゃん。さ、じゃあ、まあ、とにかく、このつまみだけ、軽く飲みながら食っちまおうぜ。これ、ほんと、美味いんだからさ。で、後は俺の部屋で、ゆっくり語り明かそうや。……あんたらの活躍は、いろいろと噂に聞いてるぜ。俺もここで歌だけじゃなくて話なんかもしてるが、あんたらの村での活躍をよくネタにさせてもらってるんだ。みんな、あんたらがここへ来る前のこととか、全然知らないからさ。巷に正しい情報を広めるのも、あんたらの友達である俺の役目だろ!」

 その時、ずっと黙っていたアルファードがいきなり口を挟んだ。

「ローイ。お前、俺たちの噂を聞いていたなら、俺たちがまだ軍にいるのはわかってたんだろう。何で今まで連絡してこなかったんだ。俺は、最悪の場合、お前がとっくに死んでいるかもしれないとさえ考えていた」

 ローイはきまり悪そうに頭を掻いた。彼はその辺の話題を持ち出されたくなくて、わざとひっきりなしにしゃべり続けていたのである。

「ああ、そりゃ、悪かったなあ。別に大した理由はなかったんだ。ただ、まあ、あれこれとあってさ。最初のうちは仕事もねぐらも転々としていたから、ちゃんと一か所に落ち着いたら連絡しようと思ってたんだ。そうこうするうち、あんまり間が開いちまったんで、なんとなく今さら連絡するのもきまりが悪いような気がしてさあ。いや、そんなに心配かけてるとは思わなかったよ。悪かった」

「心配かけたどころじゃないわよ、ローイ。アルファードはこの半年、ずうっとあなたを探し続けていたのよ! もう、ひとりで苦労して、しらみつぶしに探したんだから。ね、アルファード」

「ああ、さすがにシエロ川の底さらいまではしなかったが……」

「……あんたが言うと冗談に聞こえないから怖いや。あんた結構執念深いとこありそうだからなあ。しかし、よく半年も、しつこく探し続けたもんだ」

「なによ、そんな、人ごとみたいに。友達だもの、あたりまえじゃない。アルファードがどんなにあなたのことを心配してたと思うの! そりゃ、アルファードは、そういうことあまり口には出さなかったけど、あたしにはわかってたわ。それに、あたしだって……」

「俺がいなくて、寂しかったか?」

「……うん」

「おお、そうか、そうか、よしよし」

「よしよし、じゃないわよ! もう、バカ!」

「おっ、ひさしぶりにあんたの『バカ!』を聞いたなあ。ずっと聞きたかったんだ……」

「じゃあ、もっと早く自分から聞きにきてくれればよかったのに! いくらでもバカって言ってあげたのに! ローイって、ほんとにバカよ!」

「あのさ、『バカ!』も聞きたかったけど、『ローイ、会いたかったわ!』とか、『毎日あなたのことばかり考えていたの』とか、そういう、愛のこもったやさしい言葉のほうがもっと聞きたいんだけど。できればそれに熱い抱擁とくちづけもつけてさ」

「バカッ!」

 そこへアルファードが、また、強い調子で口を出した。

「ローイ。お前、やっぱり、わざと名前を変えてたんじゃないか? 歌うたいのルディという名なら、俺も何度か噂に聞いた。お前がローイと名乗っていれば、俺はとっくにお前を見つけていたはずだ」

「ああ? 被害妄想、被害妄想。あんたみたいな内にこもるタイプは、そういう妄想に取りつかれ始めるときりがないぜ。とにかく悪かったよ、心配かけたことは謝るからさ、そういうことはもう水に流して、な? じゃ、俺の部屋行こう、すぐ近くだから。まあ、狭いし汚いとこだけど、この店の二階なんかよりゃあましだぜ。俺、ちっとは稼いでるから。ここで歌いはじめて最初のころはここの二階に住んでたんだけど、それだと女どもがおしかけてきてうるさいからさ。俺だってたまにはひとりになりたいもんな」

「ローイ! そんな、ひとりになる間もないほど女の人が出入りしてたわけ?」

「リーナちゃん……。あんた、結構おっかないな。少し性格きつくなったんじゃない? 半年前はもっとかわいかったぜ」

「な、なによ、あなただって……。そりゃあ、前から女たらしだったけど……」

 そう、ローイもやっぱり、どこか変わってしまった。どんなに派手な格好をしていても彼をかかしのように見せていたあの純朴さが、失われたような気がする。それに、なんだか、へらへらしているのに、悲しそうだ……。

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