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第三章<イルベッザの闇> 第六場(2)

 四人の『子分』を引き連れたリューリは、

「リーナ、ひさしぶり。これから御飯なんでしょ。一緒に食べよ!」と、里菜の返事も聞かず、さっさと里菜の腕をひっぱって歩き出した。

 こうして、リューリやその仲間たちとたあいのないおしゃべりをする時間は、魔物退治という気持ちの荒む仕事をしている里菜にとって、とても貴重な、ほっとできる時間だった。

「ねえ、ねえ、リーナ、最近、どう?」と、リューリは、セルフサービスの列に並びながら、他の三人に聞こえないように心持ち声を潜め、里菜のほうに頭を寄せて、いつものように尋ねてきた。

 里菜も、いつもと同じ答えを返す。

「どうって?」

「もう、またぁ。彼とのこと。何か、進展ないの?」

 彼女は、里菜と会う度に、好奇心むき出しで挨拶がわりにこれを聞くのである。

 でも、最近の里菜には、もう、これは、あまり面白い話題ではない。答えはいつも同じだ。

「別に……。あいかわらず。一緒に仕事してるだけ」

「何よぅ、だめねえ。仕事でも何でも、毎晩、一晩中一緒に歩き回っているんだから、ちょっと何とかしてみなさいよ。応援のしがいがないわ」

「そんなこと言ったって……」

 噂をすれば影で、その時里菜は、遠くにちらりと、食堂から出ていくアルファードの姿を見かけたが、声はかけなかった。アルファードのほうも、こちらに気づいたのかもしれないが、そのまま人込みに紛れていった。

 里菜がリューリと一緒の時は、彼は、里菜を見つけても決して近づいてこないのだ。それは、彼自身がリューリを苦手だというせいもあるが、たぶん、自分がリューリに嫌われているのをちゃんと知っているせいもあるだろう。リューリは、里菜とすっかり親しくなった今でも、アルファードのことはどうしても気にいらないらしいのだ。

「あなたのことは応援するけど、あたしは、ああいう、何考えてるのかよくわかんないタイプって、ダメ。思っていることをはっきり言わない人って、一番嫌いなの」というのが彼女のアルファード評である。

 里菜としては、リューリにアルファードをへたに気に入られてしまうよりは安心だが、それでも最初のうちはアルファードのためにあれこれ弁明をしていた。

「たぶん、彼は、ただ、ちょっと照れ屋なだけなのよ。あたしと同じで人見知りするの。普段は無口だけど、本当は根っから口下手って訳じゃなくて、何か説明する必要があったり何かの拍子にしゃべる気になった時はいくらでも長々としゃべるし、実はすごく雄弁なのよ。ただ、普段の時、普通の気軽な会話をするっていうのが苦手みたいなの。特に、女の子と話すのは苦手みたい」というように。

 けれど最近では、もう、アルファードのことが、里菜にも、よくわからない。

 彼はもう、光明るい山の村の、心やさしい羊飼いの若者ではない。殺し続けることでしか生きられないという生命の古い呪いに捕らわれた、非情な狩人だ。

 アルファードは、何か満たされぬ思いに突き動かされるように、一種異様なほど熱心に魔物を狩り続けている。けれどその満たされぬ心の内をちらりとでも里菜に見せてくれることは、もう、なかった。

 このところ、里菜とアルファードの活躍にもかかわらず、都の魔物はますます数を増しているようだ。

 魔物が外部から集団で攻め込んでくるというなら、市門を閉ざすなり、防壁にそって守りを固めるなり、こちらも集団で防衛線を張ることもできようが、魔物は町なかの闇の中に、どこからともなく、ふいに涌いて出るのである。

 アルファードは、飢えた獣のように執拗に魔物を追い続ける。本当は魔物などいないほうがいいはずなのに、アルファードは、まるで、魔物の存在を求めているかのようだ。

 そうして、手に馴染んだ愛用の剣を振るい、夜ごと魔物の心臓を機械のように正確無比に貫き続ける。その度に彼の瞳が暗い輝きを増す。

 そしてこのまえ、ついに、里菜は、一番恐れていたものを見てしまった。

 アルファードが魔物の身体を貫いた瞬間、その唇の端に、冷たい薄笑いが、かすかに浮かんだのだ。

 ほとんど無表情に近いだけに、かえってぞっとするような、酷薄な笑みだった。その褐色の目の中に、一瞬、残虐な悦びに近いものが閃くのを確かに見たと、里菜は思った。

 その帰り道、里菜はおそるおそるアルファードを仰ぎ見て尋ねてみた。

「アルファード、さっき、なんで笑ったの?」

「笑った? 俺が? いつのことだ?」と、真顔で聞き返してきたアルファードに、里菜は、もう何も言えなかった。

「なんでもない。勘違いだったみたい」とだけ答えて、それきりふたりとも黙り込んだ。

 けれどそれが勘違いなんかでなかったのは、わかっていた。

 それからも、魔物を消すたびに、アルファードの薄い唇が、凍りつくような冷たい笑みの形に歪む。そして彼は、自分ではそのことに全く気がついていないらしい。

 アルファードは、変わってしまった。それとも、これが彼の本性なのだろうか。アルファードを『ドラゴン』と呼んだ、夢の中の魔王の言葉が、ふと心をよぎる。

 夢のなかにキャテルニーカが現われたあの時以来、魔王は里菜の夢に現われても、もう口をきかない。ただ、黙って里菜を見ている。アルファードの酷薄な笑みを見た夜は、近くにいながら遠くなってしまったアルファードよりも、遠くから自分を見守っている魔王のまなざしのほうがずっと親しくやさしいものに思えることさえある。里菜もまた、変わってしまったのだろうか。

 何もかも、変わってしまった。ローイもいない。そして、魔王が勝手に里菜に押し付けた『夏まで』という期限も、まもなく切れようとしている。

 思いに沈んでしまった里菜を見て、リューリは、心配そうに里菜の顔を覗き込んだ。

「元気ないわね。彼と喧嘩でもしたの? それとも、もう彼はやめにしたの? だめよ、あきらめちゃ。彼、絶対あなたのこと好きなんだから。あたしが保証する。まあ、あなたのほうが、もう彼のこと好きじゃなくなっちゃったんだったら、それはそれでいいけど。もしかして、他にいい男でもいた?」

「ち、違うわ。そういうんじゃないけど……。好きでなくなったわけじゃないし、あきらめたわけでもないんだけど……。でも、最近ほんとに、彼のことが、あたしにもよくわかんないの……」

「なに言ってんの!」と、リューリは里菜の背中を荒っぽく張り飛ばした。

「だめよ、弱気になっちゃ! 好きじゃなくなったんじゃないなら、迷っちゃだめ。彼を選んだ自分を信じるのよ! 信じれば、いつかは道は開ける! がんばって! ね、作戦を変えてみたら? 押してだめなら、引いてみるのよ。一歩退いて、逆にこっちに引っ張るの。それで相手には、自分のほうが押してると思わせとくのよ」

「できないわよ、そんな器用なこと……」

「そうよねえ。わかってても、できないのよねえ。わかる、わかる。あたしもよ。そういう駆け引きができるほど、あたしたち、器用じゃないのよね。あたしたちって、似てないようで似てるのよ。おたがい、前途多難ね。でも、がんばろうね!」

「うん……」と、里菜は溜息をついたが、話す前よりはよほど心が軽くなっているのが、自分でも分かった。

 五人はそれからひとしきり、ティーオの研究や治療院のできごと、構内の噂の数々について、あれこれ話の花をさかせていたが、そのうちにリューリが、最近聞き込んだ街の話題を持ち出してきた。彼女によると、これまでずっと山奥の隠れ里に潜んでいたタナティエル教団の黒衣の姿が、最近、都でもしばしば目につくようになったというのである。

 もちろん里菜も、そのことは知っていた。それどころか里菜は、ここへ来てからも何度か、あの黒衣の連中が、密かに自分の回りをうろついているらしいのを目にしている。しかも、どうやらキャテルニーカは――彼女を問いつめてみてもどうせ忘れていて話にならないだろうから確認はしていないのだが――、彼らと何らかの形で接触を保っているらしい。

 けれど里菜は、そのことを誰にも話していない。

 最近なんとなく遠くなってしまったアルファードに相談するのも、これは全部自分の気のせいかもしれないと思うとなんだか気がひけたし、リューリには、自分が彼らと何か関係あるなどと思われたくなくて話せなかったのだ。

 ただ、今、街で彼らを見かけるというのは、それとはまた別の話らしい。彼らは、人の集まる街角などに立って辻説法をしているというのだ。

 何でも、彼らは、近いうちにやってくる<運命の日>に備えよ、というような意味不明のことを言っているらしい。彼らの言によると、その<運命の日>とは、この夏の最後の新月の日で、その日、昼のさなかに黒い月が太陽を隠し、闇夜が訪れ、その闇の中で人々は神の選別を受けるとか、あるいは神の恵みが与えられる、というのだ。

(日蝕のことかしら)と、里菜は考える。今まで里菜が見てきたところでは、異世界であるこの国では星座の配置は『あちら』とは違うが、太陽や月の運行は、『あちら』とだいたい同じらしい。だから、日蝕があってもおかしくはないだろう。

「何だか知らないけど、いやあね。最近魔物も増えてるし、海の様子も変だって言うし、そのうえ、あの薄気味悪い連中がうろついてるなんてね。しかも、昼間に夜が来るだなんて、そんな不吉なこと言いふらして、みんなを不安にさせて。あたし、あいつら嫌いよ」と、リューリが顔をしかめた。

 ティーオが頷いてあいづちを打った。

「うん、なにしろ君は、昔、あいつらに売り飛ばされかけたんだからね。とんでもない迷惑だったよね。でもさ、昼間、太陽が隠れて暗くなるってことは、歴史上、何回もあったことなんだよ。そういうのを占星術師たちは<女神の服喪>って言って、凶兆と見なしているんだ。実際、ファルド地区全域が水没した二百年前の大津波の年にも、それがあったって言うよ。ただ、完全な真っ暗闇になるっていうんじゃなくて、太陽が半分だけ欠けて見えるとか、腕輪のように回りだけ光って見えるとか、全部隠れて黒く見えるけどあたりは満月の夜くらい明るいとか。まあ、目が暗さに慣れてないから実際より暗いように思えるらしいけど」

「へえ、そうなんだ。でも、それって、月と関係あるわけ? 月じゃなくて、太陽が黒くなるんでしょう? だいたい、黒い月って何よ。昼間の月は白いわよねえ」

 その時、ほとんど黙って聞き役に回っていたフェルドリーンが、その独特の、鳩のように穏やかで愛らしい小さな声で、ひっそりと口を挟んだ。

「あたし、あの人たちの話、立ち止まって聞いたんだけど、月は今、その日のために力を蓄えているって。どんどん大きくなっているんですって。それ、本当みたい。だって本当に、この春から、月はだんだん大きくなっているのよ。あたし、見たもの。あたしのおばさんで<風使い>のとこへお嫁にいった人がいるんだけど、やっぱり言ってたわ。最近、海がやたらと騒ぐのは、月のせいだって。今年の春の大潮には、今まで来たこともないような高いところまで潮が上がってきて、下ファルドあたりの低地じゃ、軒先まで海が来た家もあるって。魚も、やたらと獲れたり、全然獲れなかったり、見たこともない気味の悪い魚が網にかかったりするって」

 するとキャテルニーカがぽつりと言った。

「リーン、月は今、悪い夢を見ているのよ。かわいそうね」

 里菜は、キャテルニーカがまたこんな奇妙なことを言って、みんなに変に思われやしないかとはらはらしたが、ここにいるものはみなキャテルニーカの風変わりな言動には慣れているから、こう言って笑っただけだった。

「ニーカはやさしいのよね。ニーカにかかっちゃ、月まで『かわいそう』なんだもの」


 食事を終えて宿舎に帰る道々、里菜はこの不吉な噂について考え込んでいた。

 そういえばたしかに、最近、月が大きいような気がしていたのだ。ただ、なにしろ星の配列さえ違う異世界のこと、そんなこともあるのだろうと、さほど気にしていなかったのだが、どうやらこれは、やはり異常な事態だったらしい。里菜は夜の野外を歩き回るのを仕事にしているが、今、普通の人はまず夜に外に出ることはないので、このことに気づく人が少ないのだろう。

 思いに沈みながら里菜が宿舎に戻ると、宿舎の前でアルファードが待っていた。

 これは非常に珍しいことだったので、どうしたのかと驚いた里菜があわてて駆け寄ると、アルファードは、挨拶抜きでいきなり言った。

「リーナ。今日は仕事は休みにしよう」

「えっ、どうして? 満月でもないのに。アルファード、具合でも悪いの?」

「いや。ちょっと、用事がある」

 アルファードはいったんそこで言葉を切ったが、考え直したように、つけ加えた。

「……夕方、ローイを探しに行く。手掛かりがあったんだ」

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