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第三章<イルベッザの闇> 第三場(2)

 それでも、彼は里菜の思いもよらない発想に感銘を受けたらしく、しまいには真面目な顔でこんなことを言い出した。

「君、私の相談役にならないかね。いや、なに、非常勤でいいんだ。ときどきこんなふうに意見を聞かせてくれればそれでいい。君は、他の誰も思い付かないようなことを言ってくれるから、とても参考になる。公式な役職じゃなくて個人的な相談役だから、何も堅苦しく考えることはないよ」

 里菜は驚いて固辞したが、

「それなら、時々、今日みたいにアルファード君やリューリと一緒に食事を御馳走するから、その時に話を聞かせておくれ」という提案には、もちろん異存はなかった。

 里菜はこの日、ふと思い当ったのだが、歴史に名高い魔法使いユーディードは、実は非凡な軍師でもなんでもなくて、もともと、軍人か役人ではあったのかもしれないが、ごく普通の人だったのではないだろうか。ただ、きっと、彼の型破りな意見に謙虚に耳を傾けて、取り入れるべき部分を柔軟に取り入れたアルムイード王が偉大だったのだ。その点、このユーリオンも、あまり貫禄はないし、里菜ごときの意見に大真面目に感心する様子は何とも頼りないが、実はすごく優秀な為政者なのかもしれない。

 そういえば里菜はこの日、ユーリオンの例の魅力的な笑いじわも、さんざん見た。そして、彼に笑いじわがあるわけがよくわかった。彼は実は、とほうもない笑い上戸なのだ。特に、酒が入ると、もうだめだ。それこそ箸がころんだようなたあいのないことで、一人で笑い出し、それがいつまでも止まらないのである。

「ああ、いや、すまない、どうにも笑いが……。失礼。いや、別にたいしておかしくもないんだが、これがどうにも止まらなくて……」と、ユーリオンは笑いの合間に苦しそうに弁解した。

「実は、私は、仲間うちでは『笑い上戸のリオン』と呼ばれていてね……」

 そう言って、涙を流さんばかりに笑い続けるユーリオンを、リューリは何とも愛しそうに眺めていたが、里菜とアルファードはただ、本当にこの人がこの国で一番偉い<長老>なのだろうかと、あきれて顔を見合わせた。

 こうして、ユーリオンはけらけら笑い、リューリは酔う気配もなくひとりでがぶがぶと酒を飲み、里菜とアルファードは少々あきれながら、四人は楽しい一時を過ごした。

 アルファードは相変わらず無口だったし、例によってほとんど酒も飲まなかったが、どういうわけかユーリオンにひどく気に入られて、その後、彼に別の店に引っ張っていかれてしまった。

 ユーリオンは、実は、若い人と話したり酒を飲んだりするのが何より楽しみなのだ。なにしろこの国では、三十過ぎて独身などというのは本当に特殊な存在で、同年配の仲間たちは早いものではそろそろ娘の縁談の心配をしていたりするのものだから、独身で気の若いユーリオンは、彼らと酒を飲んでも話題に取り残される悲哀を味わうことが多いのである。彼も、上級学校の学長だったころはしばしば学生たちを引き連れて飲みにいったりしたものだが、うっかり<長老>などになってしまった今では、あまりそういう機会もなかったので、この日、彼は上機嫌だったのだ。

 だが、ふたりについていこうとしたリューリは、

「君、私の一か月分の給料を飲み潰す気かね」と、追い返されて、しかたなく里菜と宿舎に引き上げた。

 もう、かなり夜遅い時間だったが、構内には、まだ、まばらに人影があった。外の街では、こんな時間に出歩くのは犯罪者と特殊部隊くらいのものなのだが、構内には今のところ魔物が出ないのだという。

 並んで宿舎に向かいながら、ふたりはまだおしゃべりを続けた。

「ね、リーナ、リオン様ってすてきでしょ? 笑うとかわいいの! 親衛隊に入る?」

「入るって……。親衛隊って、あなたの他にもいるの?」

「いない、いない。この構内で働く女の人には、リオン様のファンは掃いて捨てるほどいるけど、親衛隊には入れてあげないもん。あなたは特別よ」

「あ、ありがとう、でも、いいわ」

「そうよね、あなた、アルファード一筋だもんね。ちょっと見てればすぐわかるわ」

「……そんなにすぐわかる?」

「わかるわよ。わからない人は、よっぽど鈍いのよ。でも、あなたも、かなり鈍いんじゃない?」

「どうして?」

「だって、あなた、全然片想いみたいなこと言ってたけど、どう見ても、彼、あなたにぞっこんよ」

「えっ、そうかしら!」

「嬉しそうね。にこにこしちゃって、もう。そうよ。あたしに気を引かれないくらいだもの、よっぽどよ。それに、さっき、お店に行く途中、あなたのことをちらちら見ながら通った男を、火を吹きそうな目で睨んでたわよ」

「えっ?」

「気がつかなかった? 通りすがりの男が、あなたを眺めてったのも? ほんとに鈍感ねえ。睨まれたのは、あたしの同僚の治療師なんだけど――じゃなかったら、悪いけど、あたしとあなたが一緒にいて、あたしじゃなくてあなたのほうを見るなんて考えられないけど、彼、あたしは見慣れてるし、はっきり言って、あたしにはとっくに完璧にフられてるしね。

 で、あなたのこと、たぶん治療院に来た新しい見習いかなんかと思って、ちょっと好みのタイプかなあ、なんて思ったらしくて、すれ違った時に、ちょっとそういう目で、あなたを眺めてったのよ。で、あいつに、あの迫力でじろりと睨まれて、すくみ上がってそそくさと逃げてったわ。かわいそうに」

「えー。そんなことあったの? ほんとに?」

「うん。あいつ、『俺の女に手を出したら問答無用で焼き殺す!』みたいな、すごい目つきしたわよ」

「そ、そう?」

「嬉しそうじゃない。だめよ、そんなの嬉しがっちゃ。あたしだったら、ああいうのは我慢できないわね。なんかもう、全身で『俺の女だー!』って主張してる感じじゃない。あなた、よく黙ってあんなでかい面させとくわね。あたしだったら、顔洗って出直して来いって言ってやるわよ」

「……そう?」

「そうよ。いくら好きな相手にだって、平気であんな『持ち主』みたいな顔させとくもんじゃないわよ」

「そう? ……でも、いいの。あたしは気にならないから」

「そりゃあ、気にならないでしょうよ、気がついてないんだもん」

「気がついても、気にしないわ。アルファード、やさしいし。あたしがそれでいいんだから、いいじゃない」

「あーあ……。まあ、いいけどね。でもね、あなたって世間知らずでネンネっぽいから忠告しとくけど、ああいう男って、外づらと内づらと違うこと、多いわよ。気をつけてね」

「ええっ? アルファードは、絶対、そんなんじゃないわ! それに、外づらって言ったって、あたし、アルファードと、ずっと一緒に暮らしてたのよ!」

「……ですってね。ですってね! なんで黙ってたのよ、この裏切り者!」

「別に隠してたんじゃないわ。こないだは、たまたま話がそっちに行かなかっただけよ」

「そのへんの事情、きっちり説明してもらうわよ! ねえ、一緒の部屋で寝起きしてたわけ?」

「ううん、寝る部屋は別。ちゃんと、あたしの部屋があったの」

「ふうん。で、一緒に住んでて、何もなかったわけ?」

「何もって、何がよ」

「とぼけないで白状しなさいよ。正直に言わないと、首締めるわよ!」

「だって、白状するようなこと、なにもないもん。だから片想いだっていってるでしょ」

「だから、そんなことないってば。彼もあなたが好きなのよ。それは間違いないってば」

「そうかなあ。でも、一緒に住んでても、養女か妹か、でなきゃ下宿人って感じで、それだけだったの。それは本当」

「ふうん。まあ、たしかに、他の人ならともかく、このあなたとあの彼じゃ、そういうのも、ありかもね。じゃあ、それはまあ信じるけど、でも、それだったら、一緒に住んでたからって、あなたがあいつの外づらじゃない顔を知ってるってことにはならないと思う」

「どうして? 『何か』ないと、一緒に住んでても外づらなの? それじゃ、親子兄弟は外づらの関係? 男同士は、一生、外づらでしかつき合えないの?」

「屁理屈こねるんじゃないの、この子は」

「それに、あなたは知らないでしょうけど、アルファードは、外づらを取り繕うような人じゃないんだから!」

「だからね、違うのよ。わかってないわねえ。嘘や演技で外づら繕ってる人より、嘘も演技もなく、あるがままのその人でいるだけで、深入りしてみるとなぜか思ってたのとは違ってきちゃうって男の方が、かえって始末が悪いのよ。『こんなはずじゃなかった』って思った時には、もう深みにはまってて、抜け出せなくなるのよ」

「何、それ? 実話? 友達の彼氏のこととか?」

「まあね。そういう男はね、本人も変わるつもりで変わるんじゃないんだから困るのよ。男の方は、自分は変わってないつもりで、でも、相手が見込み違いに気づいて離れようとすれば、男の方にしてみれば自分は変わらないのに相手が自分を裏切ったようにしか見えない。本当の自分を受け入れてくれないんだとしか思えない。自分の変わらぬ真心を踏みにじられたと思う。それでもあきらめ切れずに、『変わらぬ真心』の鎖で相手を縛ろうとする。『変わらぬ真心』がある自分には、そういう権利があると思いこむ。それで、もう、後は泥沼。修羅場よ。怖いわよ~」

「ふうん、何だか良く分からないけど、お友達、大変だったんだ……。でも、そりゃあ、その人は大変だったんでしょうけど、アルファードは違うわ!」

「つき合い始めは、みんな、そう思ってるのよ。でも、ああいう、独占欲強そうな、執念深そうなタイプは、一歩間違うと特に怖いんだから、引き返せない程深みにはまる前に、よく目を開けて見極めておかなきゃだめよ。あなたって、ほんと、何もわかってなさそうだから」

「そりゃあ、わかってないのは確かだけど……。でも、アルファードって独占欲強そう? あたし全然、そんなふうに思ったことないんだけど」

「だからあなたは鈍感なんだってば。あいつ、ああ見えて、けっこう危ない男だと思うわよ。ああいう、表面は静かだけど内側に何か火種くすぶらせてそうっていうのは、どこかで一歩踏みはずすと意外と怖いタイプなの。まあ、それでも好きだってんなら、止めないけど。『毒を食らわば皿まで』の覚悟で、思いっきり泥沼の底の底までふたりでハマってみるのも、本当に好きなら、それはそれで本望じゃない?

 ……でも、あいつもよくわからないやつよね。あんなに露骨に『俺のモノ』づらしておいて、あなたには、そういうこと、何も言わないんでしょ? ずっと一緒に住んでて、何もないんでしょ。もしかして、あいつ、あんまりアタマ悪くて、自分があなたを好きだってことにも気がつかないんじゃないの?」

「アルファードはアタマ悪くないってば」

「うん、まあ、話してみたら、見かけほどバカじゃなさそうだったわね。でも、こういう問題になると、誰でもバカになっちゃうのよ。国中で一番賢いリオン様や、あの知的なシーン様でさえ、そうなんだものね……」

「ねえ、このあいだもあなた、シーン様がなんとか言ってたけど、あの二人って、何かあるの?」

「そうなのよ」と、リューリは溜息をついた。

「おおあり。シーン様は強敵なの。なにしろあの二人は、あたしが生れる前からの付き合いなんだもの……。付き合いって言っても今のところ友達付き合いなんだけど、もしあの二人が何かのひょうしに結婚することになっちゃったら、あたし、あきらめて祝福してあげるつもり。他の女には絶対リオン様は渡さないけど、シーン様じゃ、しかたないもの。シーン様って、すてきでしょ。知的で行動力があってりりしくて。それに、とても綺麗よね。でもね、顔だけよく見ると、別にそれほど飛び抜けた美人ってわけでもないのよ。かといって、厚化粧して着飾ってるわけでもないし、それなのに、なぜか、すごく美人に見えるの。なんていうか、背筋がピンと伸びてて、立ち居振るまいがさっそうとしてるのよ。そういうのって、すてきよね」

「うん。かっこいい。シーン様も、あんなにすてきなのに、まだ独身なの?」

「そうよ。前に、まだうんと若い頃、一回結婚したんだけど、今は独身」

「離婚とか?」

「ううん、死別」

「そう、気の毒ね……。でも、リオン様と再婚しそうなわけ?」

「それがね、しそうもないのよ。<長老>ユーリオンと<賢人>ファルシーンはなぜ結婚しないか、っていうのは、『イルファーラン七不思議』の一つと言われているの。あの二人、いろいろと訳ありなのよ。と言っても、たいした訳じゃないんだけど」

「え、どんな訳?」

「知りたい?」

「知りたい、知りたい!」

 こうして二人の恋する乙女は、真冬の路上で果てしなくおしゃべりに興じ続けた。

 どうやら、リューリにとっては、里菜が<マレビト>であったことより、里菜とアルファードとの関係のほうがよほど重大な関心事らしい。そのことに、里菜はなんとなくほっとして、心がなごむような気がした。里菜も、リューリとは、<マレビト>だのなんだのということは忘れて、普通の友達同士のように、お互いの恋の打ち明け話がしたかったのだ。

 里菜にとっては、魔物退治にいかなくてすむ、うれしい夜だった。こうして、ふつうの女の子らしく噂話に興じていると、いっとき、魔物退治をしている時とは違う無邪気な自分に戻れるような気がした。

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