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第三章<イルベッザの闇> 第二場(4)

 リューリはかなり口が悪いが、彼女に趣味が悪いだのと言われても、なぜかさほど嫌な気はしない。何を言われようと、アルファードのことを話題にできるだけで里菜は嬉しいのだ。ずっと、こんなふうに、女の子どうしのおしゃべりの中でアルファードを自慢してみたかったことに、里菜は気がついた。

 リューリの提案で、里菜とキャテルニーカは共同浴場に案内してもらうことになった。

 里菜は、イルゼールにいたころ、時々しか入浴できなかったので、最初はこの世界はそういうところなのだと思っていたのだが、実はそうでもなかったらしい。村でも、たらいで風呂に入っていたのは魔法が使えないアルファードだけで、実は、他の家にはちゃんと浴室があったのだ。他のみんなは魔法でお湯が出せるので、排水のできる浴室さえ作っておけばいつでも簡単に入浴できるのである。だから、この世界で、わりと頻繁に入浴する習慣が生れたのは、当然のことだ。特に、温暖で湿気の多いイルベッザの住民は、毎日のように入浴する習慣だったのだ。

 里菜たちとリューリは、部屋は違うが同じ宿舎だった。一旦宿舎に戻って入浴の準備を整え、浴場に向かうあいだも、リューリは自分の想い人をひたすら自慢し続けた。

「ね、あなたも、見たなら分かるでしょ、あの品のよさ、滲み出る知性。何といっても、笑った時に口元にできる笑いじわがすてきなのよ、やさしそうで」

「やだ、しわなんて、じじくさい」

「そんなことないわよ、見ればわかるってば。他のところには、しわなんかひとつもないでしょ。笑った時だけ、口元にだけ、できるのよ。そこが、いいの! うふ、うふふ……」

 里菜は、とほうもなく嬉しそうなリューリを見て、さすがに呆れた。

(何よ、リューリってば、不気味……。語尾にハートがついちゃってる! いくらなんでも、ちょっとおかしいんじゃない?)

 けれども、そう思ってすぐに、アルファードのことを話している時の自分も、はたからはこんなふうに見えるのかもしれないと思って、赤くなった。

 里菜は、どうして、『あちら』にいたころ同級生たちがあんなにバカみたいに見えたのか、ふいに思い当った。そう、世の中に、恋する乙女ほどバカみたいなものは滅多にないらしい。そして里菜はいままで恋をしたことがなかったのだ。もちろん、十七にもなって恋をしたことがないなどと言うと友達から変人扱いされることはわかりきっていたので、里菜はいつも、『好きな人はいるんだけど、それが誰かは教えてあげない』という振りをしつづけてきたのだが。

 リューリは、もうすっかり自分の世界にひたりきってしまって、夢見るように続けた。

「リーナ、あたしね、うふ、うふふ……、リオン様にキスしてもらったことがあるのよ! 一度だけだけど」

「えーっ! うそ! キス? なんで? どうして? いつ、どこで?」

「『なんで』って何よ、『なんで』って。あなた、今、何かよっぽど特殊な事情でもなくちゃそんなことありえないって思ったでしょ。こんなかわいい女の子になら、キスしたくなるくらい、あたりまえじゃない?」

「だって、両想いじゃないんでしょ? リオン様、<長老>という立場にありながら、恋人でもない、しかも娘みたいな年の女の子にキスなんてするような、そういう人なわけ? そんな人には見えなかったのに」

 里菜は思わず非難がましい口調になった。里菜がこれまで見てきた限りでは、この世界には、単なる儀礼的な挨拶としてキスをする習慣はないはずなのだ。

 リューリは上の空で答えた。

「そのころは、リオン様はまだ<長老>じゃなかったわよ」

「じゃあ、だいぶ前の話なの?」

「そ。実は四年前、あたしがまだ十三の時よ。おでこに、ね」

「なあんだ」と、里菜は納得した。それなら、この世界では、さほど非常識とか不道徳とかいうことはないはずだ。

 リューリはくすくす笑って付け加えた。

「でも、これ、内緒よ。あ、キスしてもらったってことは、誰に言ってもいいの。あたしもみんなに言いふらしてるから。『十三の時、おでこに』ってところは、他の人には内緒」

「えーっ、なんでそんな、一部分だけ言いふらしたりするのよ? そんなふうに歪曲して言いふらされたら、リオン様が困らない?」

「いいの、いいの。少し困らせとかないと、あたし、リオン様に忘れられちゃうもの。嘘ついてるわけじゃないし」

「あたしだったら、そういう思い出は心の中に大切にしまって、誰にも言わないわ」

「あたしはね、リーナ、それをただの思い出で終らせる気はないのよ。これも戦略なの! いつかリオン様を戦い取って見せるわ」

「た、戦いって……。なにも、そんなことで戦わなくても……」

「甘いわよ。恋は戦いよ! あなたも、そんな、おっとり構えてたらだめよ。だから五才しか年上じゃない人に子供扱いされちゃったりするのよ。どうせ、向こうからアプローチしてくれるのを、ただ黙って待ってるんでしょ。ちょっと根性入れてがんばりなさいよ。あなた、彼に告白はしたの?」

「うーん、本人にきちんと告白したわけじゃないけど、本人がいる前で、他の人に、あたしは彼のお嫁さんになるんだって宣言したことがあるわ。その……、もののはずみで」

「やるじゃない。で? 彼はどうしたの? 何て言った?」

「何も言わないの。無視されちゃった。聞こえないふり」

「やだあ、サイテイ。かわいそう。ねえ、彼ってもしかして、ホモ?」

「えーっ! な、なんで? まさか!」

「だって、もしかして女の子に興味ないんじゃない? ていうより、女の子、怖がってない? あのね、あたし、さっき、なんとなく、あいつにバカにされてるような気がしたのよ。でも、あのびびり方からして勘違いだったみたい。それで、今、よく考えてみたら、何でバカにされたと思ったのか、わかったの。あのね、あたしに初めて会った男は、みんな、『ああ、なんて美しい、魅力的な女の子だろう!』って顔するのよ。顔に、はっきりそう書いてあるんだから。そりゃあもう、絶対に、一人の例外もなくよ。なのに彼は、そういう顔をしなかったのよ」

「だからって、ホモだなんて、そんな……。ただ、とても真面目な人で、綺麗な女の子さえ見ればすぐ鼻の下のばすような人たちとは違うのよ。それだけよ」

「じゃあ、あなた、がんばってちょっと強引に迫ってみれば?」

「だめよ、だめ! 水を汲みに行っちゃうもん。逃げちゃうのよ」

「でかい図体して、情けない男ね! そこまで弱虫さんなわけ?」

「そんなことないわ! アルファードはとっても勇敢なのよ。ドラゴンだって山賊だって魔物だって、ちっとも怖がったりしないんだから!」

「何、それ。それって、やっぱりバカなんじゃない? アタマ悪すぎて、想像力ってものがないのよ。ちょっとでも想像力のある人間なら、山賊はともかく、ドラゴンや魔物が怖くないなんてことは絶対、ないわ。……でも、ドラゴンって……。それに、アルファード? あんまりいない名前だけど、もしかして、彼ってあの、<ドラゴン退治のアルファード>じゃないわよね」

「そのアルファードよ。とっても強いんだから!」

「へー。田舎に帰っちゃったって話だったけど、また、こっちに出て来てたんだ。あ、それで、リオン様とお近付きになったわけね。リオン様、ずっと彼に会いたがってたもの。そうかあ。そうね、筋肉バカでも、あそこまで強ければ、ちょっと考えちゃうわよね……。何しろチャンピオンだものね」

「だめよ! 手、出さないでよ」

「出さないわよ。あたし、ボーヤには興味ないもん。でも、あのチャンピオンが、あたしに睨まれたくらいであんなにびびっちゃうような男だったなんてね。ちょっとつついてみたら面白いかも。案外、ショック療法になって目が覚めるかもよ!」

「や、やめて、つつかないで! あなたにつつかれたら、アルファード、石像になっちゃって、人間に戻れないかもしれない」

「何よ、人のこと、そんな、伝説のゴーゴンみたいに……。冗談よ、冗談。でもね、今度あらためてちょっと紹介してくれない? もう脅さないから。

 実はね、あたしの従弟が、あの武術大会以来、アルファードのこと、すっごく尊敬してるの。もう、あこがれのヒーローなんですって。それで、魔法が使えない彼に使ってもらうんだって言って、魔法なしで火を起こす道具とか水を出す道具とか発明しようとしてるの。アルファードのためだけにそういう研究をしているのよ。本業の合間にだけど。

 あ、従弟のティーオは学者なの。まだ十五才なのに飛び級で上級学校出て国立研究所で働いてて、天才少年って言われてるんだから。ぜひ、アルファードに会わせてあげたいの。……あら、すっかり立ち話しちゃったわね。寒いから入りましょ」

 彼女たちは、おしゃべりがはずみすぎて、いつのまにかとっくに浴場の前まで来ていたのに、そこで立ち話をしていたのだ。キャテルニーカがすっかり退屈して、浴場の入り口の段差に坐り込んで足をぶらぶらさせている。

 浴場は、『あちら』の銭湯と似たような造りだった。時間が早いので、ほとんど人はいない。

 リューリに案内されて脱衣所で服を脱ぎ、浴室に入った里菜は歓声を上げた。

「うわあ、湯舟がある!」

「ちょっと、リーナ、何言ってるの? あなたんち、まさか、お風呂なかったの?」

「うん、たらいで入ってた」

「えー、うそお。何で? もしかして、すごく貧乏だったの?」

「うーん、そうだったのかもしれない。ずっと、それが普通だと思ってたんだけど……」

 里菜は知らなかったが、実はアルファードの家にも、もともとは外に別棟の風呂場があったのだ。だが、魔法が使えなくてお湯に不自由するアルファードは、男の一人暮しということもあって、夏は近くの小川で水浴び、冬は部屋でたらいで済ませ、風呂場が壊れても修理せずに放っておいたので使えなくなってしまっていたのである。

 浴槽を見て大喜びする里菜に、リューリは本気で哀れみのまなざしを向けた。

「かわいそう! リーナ、あなたって見掛けによらず苦労してるのねえ。これからは、いつでもお風呂に入れるのよ。よかったわね」

「うん、すっごくうれしい!」

「そうかあ、あなた、家が貧乏だったから、それでそんなに痩せてるのね。でも、もう大丈夫よ。これからは、毎日たっぷり御飯が食べられるんだから。それだけでも、軍に入った甲斐があるわよ」

 ここで止めておけばよかったのだが、リューリは一言多かった。

「それにしても、あなた、胸、ないわね。ガリガリ。たくさん食べて少し太れば、きっと少しは胸も出るわよ。まあ、太ればいいってもんじゃないけどね!」

 そう言って、自分の見事なプロポーションをひけらかすように胸をはって見せたので、里菜は赤くなって、思わずリューリを睨んだ。

「リューリ、いくら女同志だからって、言っていいことと悪いこととあるでしょ! あなたって、同性にはわりと嫌われてたりしない? 結構、敵が多いんじゃない?」

「あら、そんなことないわ。気にさわったなら、ごめんね。でも、あたしはみんなに好かれてるわよ。特に、治療院にあたしより後から入ってきた子には、みんなあたしの息がかかってるから、あたしに逆らえる子なんて誰もいないのよ。新人はみんなあたしが鍛えてるんだから」

「そういうのって、好かれてるのとは違うんじゃ……」

 ずっと黙っていたキャテルニーカが、突然口を挟んだ。

「あたしは、リューリ、好きよ!」

「ほぉら、ごらんなさい。あたしはみんなに慕われてるんだから。ニーカ、あなた本当にかわいいわね!」

 リューリはそう言って、キャテルニーカの髪を撫でた。キャテルニーカは、どうやら本当に、この姐御にかわいがってもらえそうだ。

 安心した里菜がふたりに背を向けて、浴槽に桶をつっこんでお湯をすくおうとしたとたん、リューリの鋭い叱声が飛んできた。

「ちょっと、あなた、何してるの!」

「何って、お湯を……」

「あら、やだ。そうか、あなたんち、お風呂がなかったから、お風呂の入り方、知らないのね。田舎には共同浴場なんかないしね。あのね、お湯はそこから汲まないで、自分の桶に自分で出すのよ。桶をそんなところにつっこんだら汚いじゃないの、ここにはみんなが入るんだから」

 リューリは同情のまなざしで説明してくれたが、他に水道もシャワーもついていないから、里菜にはどうしようもない。

「リューリ、あの、あたし……。お湯、出せないの」

「うそっ。水しか出せないの? 無器用ね、信じらんない!」

「そうじゃなくて、水も出せないの。魔法が、全く使えないのよ。アルファードと同じ」

「まあ! そうなんだ……。そんな人が、この世に二人もいたのね。アルファードだけかと思ってたわ。あなたたちの村には、他にもそういう人がいるの?」

「ううん、あたしたちだけ」

「へええ。それじゃあ、いろいろ不便よねえ。ティーオが、お湯を出す道具も発明してくれるといいのにね。今日はあたしが、お湯、出してあげる。さ、目をつぶって!」

「え、ちょっと、リューリ、目をって、そんないきなり……きゃっ!」

 里菜は、いきなり頭の上から滝のような勢いでお湯を浴びせられて悲鳴を上げた。

 この後、里菜は、リューリと浴場で一緒になるたびに、無造作に頭から大量のお湯を掛けられることになる。

(きっと、この人、怪我の治療をするときもこんな具合なんだろうなあ……。『さ、歯を食いしばって! じゃあ、足を切り落とすわよ!』とか……。あんまり治療されたくない……。怪我にだけは、よくよく気を付けよう!)と、里菜は心に誓ったのだった。

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