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第二章<シルドーリンの宝玉> 第八場(2)

 四人の行く手に、<賢人の塔>が見えてきた。近付くにつれてあきらかになる、その威容に――というより、異様な形に――、それまでもキョロキョロしどうしだった里菜は、またまた唖然としていた。

 それは、何というか、とにかく異常な形の城だった。

 城の下半分は前方の低い建物に遮られて見えないが、そこからにょきにょきと生えている無数の塔は、遠くからでもよく見える。それらの塔は高さも太さもまちまちで、ひとつひとつ好き勝手な形をしており、しかも、それぞれが、奇妙に曲がりくねった空中の渡り廊下で複雑に繋ぎあわされている。これで材質が石でなく、金属か、ガラスやプラスチックのような素材だったなら、城というより、古いSFに出てくる謎の巨大機械といった趣だろう。

 けれども、この奇妙な空中都市が、金属製でも特殊ガラス製でもなく、すべて重たげな石造りなのがよけい不思議なところで、どうやって石であんな渡り廊下を作って空中を走らせることができるのか、里菜には見当もつかない。見当もつかないが、おそらくは何か特殊な魔法が関わっているのだろうとは思う。実際その通りで、それらは、今では失われてしまった古い時代の魔法技術の粋なのである。

 イルベッザ城がこのような異様な姿をしているのは、単に、歴代城主の無計画な性格のためで、別に、この世界の城はみなこういうものだというわけでもなく、個性的な建築家の芸術的感性の現われでもない。高度な魔法技術があるのをいいことに何世代にも渡っていきあたりばったりの無理な増改築を強引に続けてきた結果、こんなことになってしまったのだ。

 しかし、それはそれで、なかなかに歴史を感じさせる重厚で威圧的な趣を醸し出してもいると言えなくもない。

 だから、実際には、歴代の王に代表されるイルベッザの民の場当り的な気質を象徴しているに過ぎないこの建物も、里菜のような事情を知らないよそ者には、この世界の文明の高度さと<賢人会議>の権威の象徴のように見えて、畏怖の念さえ呼び覚ます。

 里菜が、我を忘れてその塔の目を吸い寄せられたままアルファードに誘導されて歩いているうちに、四人はいつのまにか城の入り口の跳ね橋の前までやってきていた。

 そこで里菜は、ローイの声に、はっと我に帰った。

「じゃあ、俺はここで。あんたらも、せいぜいうまくやれよ。リーナちゃん、元気でな」

「……ローイ! どうしても、行ってしまうの? ねえ、今からでも考え直さない? 一緒に軍隊に入りましょうよ、ね?」

 思わず縋りつこうとした里菜から、ローイはすっと身をかわした。

「おっと、リーナちゃん、その話はもう済んだはずだろ? 俺は俺の道を行くさ。だからと言って何も別の街に行くわけじゃねえんだ。同じイルベッザにいるんだからさ、まあ、いいじゃねえか、な。お互い落ち着いたら連絡取り合って一緒に飯でも食おうぜ。そうそう、アルファード、あとで、あんたらの連絡先を宿に言付けするの、忘れないでくれよ。俺、どういう話になっても、とにかく今夜は一度、宿に戻るからさ。じゃあな」

 そう言って、ローイは、片手を上げて軽い別れの挨拶をしながら、さっときびすを返すと、たちまち人混みの中に紛れていってしまった。

 その背の高い後ろ姿を、目を凝らして追い続けようとする里菜の後ろで、アルファードが言った。

「リーナ、行こう。そんなふうに見ていても、ローイは戻ってこない。やつは一度言い出したら、どんなに止めても無駄なんだ」

 ただ一人の友達が、親友が、自分の前から去っていくというのに、アルファードの態度はあっさりしていて、一見冷たくさえ見えた。だが、その落ち着いた声の裏に、計りしれぬほど深い喪失感が込められているのだろうと、里菜は思った。

 里菜には見るなと言ったくせに、アルファードのまなざしもまた、ローイの後ろ姿を求めて、彼が去っていった人混みに注がれていた。きっと、アルファードは、そんな自分に言い聞かせるために、里菜に言葉をかけたのだ。

 ローイの行く先は、この近くにあるはずの民間の職業斡旋所のはずである――。





 それは、まさに青天の霹靂だった。

 今朝、宿の食堂で朝食を食べながら、ローイは突然、宣言したのである。

 軍隊に入るのはよした、今日、これから他に仕事を探しに行くつもりだ、と。

 彼は、こうも言った。

 軍隊なんて最初からあまり気が進まなかったのだが、他にあてもないし、とりあえず入ってみてもいいかと考えてアルファードの提案を承知したのだ。けれど旅の間によくよく考えてみたら、やっぱり自分に軍隊は向かないと気がついた、と。

 無論、アルファードと里菜は、ローイを引き止めた。特にアルファードは、食事の後、里菜とキャテルニーカを残してローイをどこかへひっぱって行き、さんざん説得を試みたらしい。

 が、アルファードの必死の説得も、ローイの心を変えることはできなかった。

 里菜は里菜で、ローイが急にこんなことを言い出したのは自分のせいではないかと考えて胸を痛めていた。

 あのプロポーズ以来、ローイは一貫して全く何もなかったように陽気に振る舞っており、里菜もなるべくそれに調子を合せていた。けれどこの時、里菜は、ローイが想像以上に傷ついていたのではないかと、恐れにも似た思いで考えたのだ。

 ローイの説得に失敗したアルファードは、諦めて、自分と里菜とキャテルニーカの宿代を精算しに行った。

 ローイは、まだしばらくはこの宿に滞在することになるだろうと言っていた。金はまだ残っているから、当面はこの宿に滞在しながら職を探し、職が見つかったら、そこに住み込むなり近くに部屋を借りるなりして、宿を出るという計画だ。だから、アルファードと里菜が自分たちの連絡先とキャテルニーカの行先をすぐに宿に言付けてくれれば、ローイのほうでも、新しい住みかが決まりしだいアルファードに連絡を寄越すという約束になった。

 アルファードが居なくなると、すぐに、里菜は食堂の隅にローイを引っ張っていった。

「ねえ、ローイ。もしかして、あたしのせいなの? あたしと、そのう、あんなことがあったから……?」

 恐る恐る里菜が尋ねると、ローイは、子供にするように里菜の頭を撫でた。里菜の頭はローイの胸のあたりまでしかなかったので、そんなふうにすると本当に大人が子供の頭を撫でているようだった。

 ローイは、笑いながらこう言った。

「違う、違う。そりゃあ、考えすぎだ。何もあんたのせいなんかじゃねえよ。さっきも言ったろう? やっぱり俺にゃあ、軍隊は向かないと思うんだよ。俺、そんなむさくるしい重労働は御免なんだ。何かもっとおもしろおかしい仕事でも探すからさ」

「でも、ローイ……、ローイ……」

 どう言っていいかわからなくて、里菜がうつむいて言葉に詰まっていると、ふいにローイが里菜の顎に手を添えて顔を仰向かせ、真顔で里菜の目を覗き込んだ。

 思わぬ行動にとまどいながら、とても高いところにあるローイの真面目な顔を見上げて、里菜はなんとなくドギマギして、また赤くなってしまった。慌ててローイの顔から目をそらすと、今度は、顎先からすっと放れたローイの長い指が、武骨に荒れているものの思いがけず繊細な、綺麗な形をしていることをふいに意識して、またドキッとしてしまい、そんな自分にうろたえた。今は、そんな場合ではないのに――。

 ローイが黙って自分と向き合ってくれていて、今なら耳を貸してもらえるだろうこの短いチャンスに、何かローイを引き止めるようなことを言わなければと思うのだが、頭が混乱して、どうしていいかわからない。

 今、引き止めなければ。何か、言わなければ――。でも、自分に――ローイの想いに応えてあげられない自分に、ローイを引き止める資格があるのだろうか――。

 小さく開きかけた口が言葉を捜しあぐねて、声にならない想いだけが徒に唇を震わせた。

 ローイは、顎から放した指先を、今度は、慈しむように里菜の頬に沿って滑らせて、ほんのしばらく、そのままで里菜を見つめ、それからそっと手を離して言った。

「リーナ……。引き止めてくれるんだな。嬉しいよ。でも、ごめんな。俺、やっぱり、他の仕事を探す。なに、いつでも会えるさ、な? 俺は、どこか俺の場所で、あんたの幸運を祈っていてやるから、あんた、頑張れよ」

 そしてそのまま、さっさと、キャテルニーカがひとりで待っている元のテーブルに戻ってしまい、里菜が慌てて追い付いたころには、ちょうどアルファードも戻ってきて、話はそれきりになってしまったのだ。



 そして、今。

 ローイは道を分かち、里菜の前から失われた。

 とはいえ、喧嘩別れをしたわけじゃ無し、ただ同じ街で別々の仕事に就くというだけのことで、ローイが言うとおり、会おうと思えばいつでも会えるはずだ。

 それなのに里菜の胸に、どういうわけか、ここでローイを見失ったらもう会えなくなるのではないかという不安な予感が広がっていた。

(ううん、ローイはイルベッザにいるんだもの、これからもいつでも連絡が取れて、そうしたければすぐに会うことも出来るはずよ)

 自分にそう言い聞かせて、里菜は、ローイが消えた人混みから、イルベッザ城へと目を移した。

(あの不思議な塔の下で、新しい生活があたしを待ち受けているんだ……)

 その時、里菜は気づいた。

 旅が終ったのは、昨日、市門をくぐったときではなく、今、この、下ろしっぱなしの跳ね橋を渡った時こそ、自分たちの旅の日々の本当のおしまいなのだと。

 ――ローイが、行ってしまった。キャテルニーカも、どうなるかわからない。頼みのアルファードとさえ、これからは、今までのように一つ屋根の下で暮すことはできなくなる――。

 里菜の心に、感傷と不安が沸き起る。

 実を言うと、里菜は、すこし前まで、なんとなくイルベッザでも今までどおりアルファードと暮せるような気がしていた。もちろんアルファードは、最初から軍隊では宿舎に入ること、宿舎が男女別であることを里菜に話していたし、里菜もそれは頭では分かっていたのだが、それにもかかわらず、心のどこかで、里菜はそれを信じていなかった。

 イルベッザに辿り着き、新しい生活が現実味を増してきた時、里菜はあらためてその事実に思い当って、愕然とした。なんとなく、アルファードに騙されたような、裏切られていたような気さえした。

 だが、もちろん、アルファードが悪いわけではないと、わかってはいるのだ。

(そう、今が本当の、旅の終り。これからは、みんな変わってしまうんだわ)

 里菜はアルファードに背中を押されて、キャテルニーカを手を引き、水の枯れた掘に架かる跳ね橋に向かって足を踏み出した。



(── 第二章・完 第三章に続く ──)

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