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第二章<シルドーリンの宝玉> 第八場(1)

 砂埃を巻き上げて、広い大通りをひっきりなしに馬車が通り過ぎる。その、蹄の音、わだちの音をかき消すように、人々のざわめきが高く響く。

 目の色も髪の色も様々な人々が、思い思いの衣装に身をつつんでせわしげに行き交う通りの端で、たった今脇道から出てきたばかりの里菜が、呆然と立ち尽くしていた。

 その肩を後ろからポンと叩いて、ローイが囁く。

「おい、リーナちゃん。プルメールでも言ったと思うけど、そうやって口開けて見とれるのはよせよ。お上りさん丸出しじゃねえか。スリに狙われるぜ」

「だ、だって、だって、ローイ……。馬車が、こんなにたくさん……。それに、馬に乗った人もいる!」

「やだなあ、あたりまえじゃん。ここはイルベッザ、国の都だぜ。前から聞こうと思ってたんだけど、あんたのいたトーキョーって都は、よっぽどさびれてたわけ?」

「そ、そういうわけじゃないんだけど……。とにかく、普通、街の中で、馬とか馬車とかは見ないの」

「じゃあ、みんな歩きなのか? まあ、とにかく、ぼんやりすんなよ。俺とアルファードが控えてなかったら、あんた、とっくに拐わかされて売り飛ばされてるぜ。でなきゃ、身ぐるみ剥がれてるか。まったく、これで軍隊入ろうってんだからなあ」

 ローイは呆れて肩をすくめた。

 どんなに呆れられても、里菜はキョロキョロせずにはいられない。なにしろ、初めて見る異世界の大都市なのだ。

 里菜たちが、この国の首都である南の都イルベッザについたのは、昨日の夕方、そろそろ日も暮れるというころだった。エレオドラ街道に続く東の門から市内に入った四人は、人通りも絶えかけた通りを急ぎ、一番最初に目についた宿に飛び込んだ。今のイルベッザでは、日が暮れてから街を歩くのは非常に危険なのだ。

 東の門は利用が少ないから、そこに続く通りも、古い通りではあるが、今はあまり賑っていない。それで、里菜たちが泊まった宿は、由緒あるエレオドラ街道の延長線上にありながらも、どちらかと言うと今いる大通りの裏道りといった立地条件だった。

 一夜明けて宿を出た一行は、今、初めて昼間のイルベッザの大通りの賑いに出会ったのだ。

 今やこの都も長引く不安に疲弊し、かつての活気と繁栄は損なわれつつあったのだが、それでも、こうして大通りの賑いを見ていると、雑然とした熱気が襲い掛かってくるようで、里菜は圧倒されて立ち尽くしていたのである。

 そんな里菜を、アルファードが苦笑しながら促した。

「さあ、行くぞ。見物は歩きながらでもできる」

 アルファードは里菜の背中に軽く手を回して、後ろから押すように歩きだした。

彼は普段、里菜と歩く時は少し離れて歩くのだが、この時ばかりは、里菜があんまりぼんやりしているので、迷子になったり、横あいからひょっと路地に引き込まれたりしないかと、本気で心配になったのである。

 アルファードと里菜の後ろから、ローイがキャテルニーカの手を引いて歩き出す。

 都会の喧騒が、たちまち四人を包み込んだ。



 南の都、首都イルベッザは、無秩序で雑然とした大都会だった。

 同じ大都市でも、興国の英雄ラドジール王によって一代で築きあげられた北の都カザベルが計画的な放射線状の街路を持ち、きちんと区画整理されているのに対し、気候のよい海辺の土地に古くから自然発生的に発達してきたイルベッザの市街では、きちんとしているのは、南北に走る、この中央の大通りだけで、あとの道路は縦横無尽、無数の細い路地が好き勝手に曲がりくねり、入り組んでいる。

 市街地を囲む防壁も、最初からそれを計画に入れて街を建設したというものではなく、すでに街があったところに、ある時の王がいきあたりばったりに強引に巡らせてしまった防壁であり、四方八方にアメーバのように広がりつつあった当時の街の形に合せて、うねうねと曲がっている。

 しかも今では、森が迫っている東と海が迫っている西、大河シエロ川に接している南はともかく、街道沿いの平坦な北側には防壁を越えてさらに街が広がり、もう、どこまでがイルベッザでどこからが隣町なのかもわからないような状態だ。

 もちろん、市門は常に開けっ放し、門衛もいなければ検問もない。

 ついでに言えば、この無意味な防壁が崩れかけていても誰も修理しないので、防壁にもたれかかるように立ち並んだ小さな貧しい家々は常に瓦礫に埋れる危険にさらされているが、誰もがそんな現実は見て見ぬふりで、平気でそこに住み続けている。

 この、いいかげんな楽天性、いきあたりばったりなおおらかさこそが、温暖で穏やかな気候に恵まれたイルベッザの民の市民性なのである。

 そんなイルベッザであるから、町並みも、もちろん雑然としている。例えば古都の矜持高いプルメールの街では、古い石造りの家々が整然と立ち並び、新しい建物もほぼ同じ様式でまとめられて落ち着いたたたずまいを見せているのに対し、イルベッザの建物は、古いもの新しいもの、石造りのもの木造のものなどが雑然と混じりあい、その建築様式も、建てた人の気まぐれやその時々の一時的な流行にあわせて、てんでバラバラ、まるで統一感がない。

 そんなゴチャゴチャとした町並を、さらにゴチャゴチャにしているのが、北部からの避難民の仮小屋である。

 おどろいたことに、彼らは、そのへんの家の壁や塀を勝手に利用して、丸木や廃材をいいかげんに立てた柱の上に板切れやら皮の敷き物やらひどいときは古マントなどを渡して屋根にしたみすぼらしい差しかけ小屋をつくり、そこに住み着いてしまっているのである。さすがに大通りにはそれはないが、すこし脇道に入ると、そういう差しかけ小屋が著しく通行を妨げていたりして、市民の苦情のもとになっている。

 しかし、避難民たちに住居を斡旋してやることもできない<賢人会議>は、自らの無為無策を棚に上げて彼らに強く立ち退きを迫るなどということはできず、見てみぬふりで差しかけ小屋を放置しているのが現状である。

 だいたい、<賢人会議>は、大量の避難民の流入というこの非常事態に対処できるだけの力を、権限という点でも、財力という点でも、持っていないのである。一応は国の中央政府である<賢人会議>も、今ではすっかり弱体化し、その実態はほとんどイルベッザの市議会にすぎないのだ。

 こんなにも弱体な政府が今だに転覆もせず、百年以上も世界の統一を保ってきたというのがこの世界の不思議なところで、これはこの国の人たちにとってもやはり謎であり、『イルファーラン七不思議』の筆頭に数えられている。この、『七不思議』の内容は、地方や話す人ごとに異なっているのだが、唯一、この筆頭の謎だけは、どの地方のどんな社会階層の人にも、必ず七つのうちに数えられるのである。

 そもそも、戦乱の時代に、こんないいかげんな国民性を持つイルベッザ王国がこの世界の覇者となったこと自体が不思議といえば不思議なことなのだが、それは、アルムイード王という傑出した指導者がちょうどいいタイミングで現われ、また、それに魔法使いユーディードという非凡な軍師がついたおかげである。

 この、イルゼール出身の魔法使いユーディードの存在が、通常はあまり交流のないイルベッザ地方とエレオドラ地方に、戦乱の時代に共に戦ったものどうしという連帯感を残し、ひとくくりに『南部』と言えるような結び付きをもたらしたのである。

 それに、もともと、やはり同じ南部どうし、このふたつの地方の人々は、交流は少なくても気質的に似ているのだ。――つまり、どちらもおおらかで楽天的、かつ、いいかげんでいきあたりばったりであるという点が、共通しているのである。

 一方、この国の北部の人々は、里菜から見るとやはりいいかげんだが、それでも、よりルーズで好き勝手な南部の人々と比べると勤勉で几帳面で、概して集団主義的傾向が強い。厳しい自然を生き抜くために、そうならざるを得なかったのだ。

 もし、この国を統一したのが北のカザベル王国だったら、この世界のその後の歴史はまったく違ってきただろう。まだ議会制などは生れておらず、強大な王のもと、専制国家のままでいたかもしれないし、そうでなくても、もっと中央集権的な国になり、そのかわりあらゆる組織がもっときちんとしていただろう。

 とにかく、この世界では、アルムイード王が世界を統一し、その後、比較的穏やかな無血革命によって王制は廃され、<賢人会議>が生れ、そしてその<賢人会議>は、長い平和と勝手な国民性の中でどんどん弱体化し、今では統一国家とは名ばかりの、戦乱以前の状態に逆戻りしてしまったわけだ。

 それでも今だに<賢人会議>が打倒されないのは、それがあまりに弱体で権威がなさすぎるので打倒する必要もないからだと言うものもいるが、要するに、もともと争いを好まないこの国の人々は、長い戦乱の世にすっかり懲りていたのである。形骸化した政府を倒してもういちど戦乱の世に戻るよりも、たいした役にもたたないが邪魔にもならない飾り物の政府を戴いて、あたりさわりなく暮すほうを選んでいるのだ。

 この、たよりない<賢人会議>が政務に携わっている場所が、都の中心に聳え立つ旧イルベッザ城だ。威風堂々たる石造りの古城で、文化財としては価値のあるものだが、あまり実用的とはいえない、使いにくい建物である。

 彼らが今だにこんな遺跡のような建物を庁舎に使っているのは、単に財政難、用地難のためだ。

 今では<賢人の塔>と通称されるその古い城は、かつては広大な広場や庭園であった敷地内にありとあらゆる公立施設を無秩序にひしめかせており、軍の事務局や宿舎も、治療院も、すべてそこにある。四人が、都に着きしだい真っ先にそこへ行くつもりで長い旅をしてきた、その目的地なのだ。

 けれど今、そこは四人の共通の目的地ではなくなっていた。

 ローイはもう、そこへ行く理由を失っていたのである。

 そのことはみんな、今朝から知っているのだが、いよいよ別れるところまでは何もないような顔でいようと示し合わせたように、誰もそのことを口に出さずにここまで歩き続けてきた。

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