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第二章<シルドーリンの宝玉> 第六場(2)



(う、うそ! これって、どう考えてもプロポーズじゃない! なんでローイは、こんなに唐突にプロポーズなんてするの! やっぱりさっき逃げ出せばよかった。もっと順序のわかった人かと思ってたのに、まさか、そんな……)

 里菜の頭の中は、たちまちパニック状態になった。

 まだ十七才、しかも、かなりオクテだった里菜にとって、今まで、結婚など、遠い世界の話だった。まだ、恋愛と結婚を結びつけて考えるような年令ではなかったのだ。この間は、もののはずみで、タナティエル教団の導師たちに向かって『アルファードのお嫁さんになる』などと宣言したが、それも里菜の中では、遠い未来の夢――それこそ、『大きくなったら』の話に過ぎなかった。

 けれど、よく考えて見れば、この世界では、十七とか十九とかいうのは、もうそろそろ平均的な結婚適齢期に差し掛かろうという年令だったのだ。里菜にとって、恋とは、『手をつないでデートすること』だったが、ローイにとっては、そうではなかったのだ。

 里菜は、そのことを忘れていた自分の迂闊さ、幼稚さを悔いながら、ものも言えずに、ただ、目を丸くしていた。

 ローイは、そんな里菜から目をそらし、遮られることを恐れているような早口になって続けた。

「ああ、もちろん、その、あんたとアルファードが一緒に住んでたみたいに、ただ、同居しようっていうんじゃなくて、その、俺と夫婦にならないかって意味なんだけど……。それでさ、小さな家でも借りて、例のタクジショをやらないか。俺とふたりでさ……」

 里菜の心に、激しい後悔と自己嫌悪が沸き起った。

(聞いてはいけなかった。あたしは、残酷なことをした。自分の一時の満足のために、ローイの心を弄んでしまった)

 ローイが、思い切ったように、それまで伏せたままだった目を上げた。その瞳のなかに怯えに似たものが揺れているのを、里菜は見た。

(このひとは怯えている。捨てられる子供のように、拒絶されることを恐れている……)

 里菜の心に、痛みが走る。

(このひとを、傷つけたくない。手を、差しのべたい。その肩に腕をかけて、あなたは絶対、拒絶されることはないんだと、抱き寄せてあげたい)

 そう思う一方で、もう一つの圧倒的な声が告げる。

(でも、出来ない。あたしはアルファードが好き。たとえ、彼があたしを妹のようにしか見てくれなくても。ローイ、ごめんなさい、ローイ……)

「ローイ、あたし……」

 言いかけた里菜の唇に、ローイが、自分の人差し指を押し当てた。

「ストップ。言わなくていい。その顔を見れば答えはわかるさ。いいよ、気にするなよ。俺もどうせ、承知してもらえると思ってた訳じゃないんだ……。でも、じゃあさ、もうひとつだけ言わせてくれよ。俺と一緒になってくれなくていいから、アルファードと住んでてもいいから、俺とタクジショだけやるってのはどうかな。……俺はあんたが、いやいや魔物退治に引っ張り出されるところじゃなくて、自分に向いた仕事をしていきいきと楽しそうにしているところを見ていたいんだ。……いや、だめだよな、やっぱり……。顔に、だめって書いてある。あんた、正直者だもんな」

 指先で唇を封じられていなくても、里菜は何も言えなかっただろう。

 ローイはふたたび目を伏せた。その様子は、ひどく痛々しく見えて、里菜はまた胸を衝かれた。

 けれども、ローイはすぐに顔を上げて言った。

「リーナちゃん、ごめんな。いきなりこんなこと言って驚かして。やっぱり、ちょっと唐突だったよなあ。うん、今の今までただの友達だったのが途中の段階全部すっ飛ばしていきなりプロポーズってのは、いくらなんでも無理があるよ。俺としたことが、どうかしてたよ。反省してる。今度誰かにプロポーズするときにゃ、これを教訓にして、もっとうまくやるよ。だからあんたは、このことはもう気にしないで、いままでどおり軽口の言いあえる仲でいてくれよな」

 そういって笑ったローイは、もう、いつもの顔に戻っていた。

 里菜は、ローイの指に唇を押えられたまま、口を開きかけたが、やはり何も言えなかった。

 何か言いたいけれど、何と言っていいかもわからないし、ローイは里菜に何も言わないで欲しくてこうしているのだからと思うと、それを無視してはいけないとも思う。

 そんな里菜の逡巡を見て取ったローイは、少しばかり名残り惜しそうに唇から指を離して言った。

「もういいよ。俺は、大丈夫だから。言いたいことがあったら、言ってくれ。ただし、ゴメンね、というのと、オトモダチでいてねっていうのだけは、やめてくれよ。あんたがあやまる必要は何ひとつないんだし、それに俺は、そのセリフはもう一生聞きたくないくらい聞き飽きてるんだ」

 里菜は、ローイの、座っていても随分高いところにある顔を見上げて、口を開いた。

「ローイ、あなたって、あなたって……」

 とたんに、再びローイの指が唇に押し当てられた。

「おっと、忘れてた。『いいひとね』っていうのも、やめてくれ。その他大勢の女の子にそれを言われる分には、たしかに俺はいいヤツなんだからしかたがないが、他でもない愛しのリーナちゃんには、もっと思い出に残るような独創的なセリフを言ってもらいたいね」

 里菜は、おもわず、ローイの指を手で振り払って叫んでしまった。

「だって、あたし、あたし、今、本当に、本当に、あなたのことを、いいひとだなって、心の底から思ったんだもの、しかたないじゃない!」

 ローイは、普段見せることの少ない、苦笑いのような表情をうかべた。

「わかったよ。ありがとう。そうなんだよな、俺って、どうしてこんなにいいヤツなんだろうな」

 里菜は、また目を伏せてしまった。涙が滲みそうで怖い。ローイが一生けんめい明るく振るまっているのに、自分が泣いたりしたら、この出来事が深刻なものだったことになってしまう。それにしても、ローイは、なんていいひとなんだろう――。

 ローイの、あまりの『いい人さ』に、里菜は涙が出そうになったのである。

 もう何も言えなくて、でも、何か言いたいことがたくさんあって、どうしようもなくなった里菜は、ただ、複雑な想いを込めてローイの名を呼んだ。

「ローイ……エルドローイ」

 エルドローイという正式名でローイを呼ぶのは初めてだった。なんとなく、今は愛称ではない本当の名前を呼ぶべき時ではないかという気がしたのだ。

 これを聞いたローイは、少しおどけて叫んだ。

「おっ、いいねえ。その名前、立派すぎて自分には似合わない名だと思っていたが、あんたにそういうふうに呼んでもらえると、なんだかすごくいい名に聞こえるなあ。よかったらもう一回言ってみてくれよ」

「……エルドローイ」

 こんどは、やや、そっけなくなってしまう。

「うーん、いいね、いいねえ。できれば、あと十回ほど言って欲しいんだけどな」

 そこまで言われると、からかわれているような気がして、おもわず里菜は、いつもの調子で言い返してしまった。

「バカ!」

 そんな里菜に、ローイは、やさしくほほえんだ。

「その調子だ。その調子でいこうよ。な?」

 ああ、ローイはなんていいひとなんだろう、と、また感動してしまった里菜に、ローイが笑っていう。

「できれば、『バカ』じゃなくて、もっとおもしろい悪態を考えて欲しいもんだけどな。いつも言ってるだろ、創意工夫が大切だって。な? さ、戻ろう。アルファードが変に思わないうちに」




 ふたりが野営地に戻ったとき、アルファードは、もう、焚火の準備を終えていた。

 といっても、ふたりが話していたのは、そんなに長い時間ではなかったはずだから、特にふたりが遅れたというほどではない。

 少し距離を置いて相次いで出てきたふたりを見て、アルファードは何か察した様子だったが、なにも言わなかった。そんな彼を、ローイはむくれたような顔で見やって、黙って兎を捌きはじめた。

 その夜、兎と香草のスープを食べ終えて、小さくした焚火のまわりでてんでに横になって、ローイは、里菜に声をかけた。

「よお、リーナちゃん、旅の夜も、もう最後だ。今夜こそ俺と一緒に寝ようぜ!」

 以前と少しも変わらない、軽い口調である。

「バカ……」

 里菜も、いつもの返事を返したが、つい、多少元気のない声になってしまう。

 そんな里菜に、ローイはいつもどおり、やたらに陽気に言い返した。

「おい、返事がワンパターンだぞ。いつも、もっと工夫のある悪態を考えろって指導してるだろう。何か、もうちょっとおもしろいこと言ってみろよ」

「……電信柱」

「何だ、そりゃ……」

 里菜の苦心の切り返しに、ローイは首を捻った。この世界には電信柱はないから、この悪態は通じないのだ。この間、『ウドの大木』と言ってみた時もそうだった。この世界にはウドは生えていないらしい。

「まあ、いいや。なんだかよくわからないが、非常に個性的で、よろしい。じゃ、おやすみ」

 ローイは、そう言うとマントにくるまって横になり、少しやさしい声でつけ足した。

「ぐっすり寝ろよ。よけいなこと、考えずにな」

「ありがとう。あなたもね。……おやすみ、ローイ」

 そう言って、いつもどおりアルファードの近くにマントを広げている里菜に、アルファードが小声で尋ねた。

「なにか、あったのか」

「ううん、別に……」

「そうか」

 ぽつりと言って、アルファードは、それ以上追及しなかった。

 けれど彼は、むろん、何があったのかも、その結末も、見当はついていたのだ。ただ、ローイと里菜が一応表面上は普通に振る舞っている以上、この件に関しては非常に微妙な立場にある自分が下手に口を出して話をこじらせることはないと判断したのである。

 彼は、『別に』という言葉とはうらはらに何か言いたげな里菜の視線を無視してマントにくるまると、いつものように里菜に背を向けた。

 キャテルニーカは、今日はローイのとなりで寝ることにしたらしい。例によって地面に直接横になると、ローイのすぐ近くまでずり寄ってローイの顔を覗きこみ、彼にだけ聞こえるほどの声でたずねた。

「お兄ちゃん、どこか、痛い?」

「ああ、ニーカ。うん、そうだな、胸が痛むんだよ、胸が。怪我でも病気でもないから、治療はいらねえよ」

 ローイは、めんどうくさそうに小声で答えると、反対側に寝返りを打ってキャテルニーカの目を避けた。

 彼女に対してはいつもやさしいローイにしては、めずらしく無愛想な、拒絶的な態度だったが、キャテルニーカはそんな態度に臆したようすもなく、彼をまたぎ越えて反対側にいくと、また、真顔でローイを覗きこんだ。

「ここが、痛いのね」

 そう言って、マントの上から、彼の心臓のあたりに掌を当てた。

 その掌の小ささに、ローイの心が、しだいに和んでゆく。自分を心配してくれる少女の気持が、いじらしく、いとおしい。

「ありがとう、ニーカ。なんだか、少し良くなった気がするよ」

 ローイは、マントの中から手を伸ばして、キャテルニーカの髪を撫でた。

「よかった」

 そう言って、にっこりしたかと思うと、キャテルニーカは、その場にころっと寝そべり、次の瞬間には、健やかな寝息をたてていた。

 ローイは、マントの中に引っ込めた手を胸に抱え込んだ。

 人差し指の先に、里菜のやわらかな唇の感触が残っている。

 そっと開いて自分の名を呼んだ、小さな、ふっくらとした、薔薇色の唇が、閉じた瞼の裏にまざまざと浮かぶ。まるで朝露を帯びてほころび始めた匂やかなつぼみのような、摘み取られるのを待つ愛らしい甘い果実のような――。

 思わず手を伸ばして指先を触れた時の、夢のようなやわらかさ、ひめやかな温かさ。

(あれは俺のものじゃない――。それはわかっている。でも、たったこれだけの思い出を大切にとっておくくらい、俺にだって許されるだろう――)

 ただひとつ自分に許された儚いぬくもりの記憶をひっそりと胸に抱いて、ローイは、いつか眠りに落ちた。

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