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第二章<シルドーリンの宝玉> 第四場(3)

 その夜の野営は、楽しかった。ゆうべは、山賊の気配を探るため、あまり騒がず、ずっと緊張していたが、今日はもう山賊の心配はいらない。

 兎を狩りに森に入ったローイは、ほんとうに短い時間で、それこそ魔法のように兎をとってきて、器用にさばいてくれた。そのあいだにキャテルニーカが、この冬のさなかに、どこからか青々とした野生の香草や、きのこまでたくさんとってきた。里菜とアルファードが集めたたきぎで、夕食は兎ときのこのスープだ。身体の底から暖かくなる。

 夕食の後は、ローイがキャテルニーカにお話をしてやると言いだし、里菜のリクエストで例のシルグリーデ姫の話を語った。短い話だったので、もう一つ、と、ローイは十八番の『カザベルの食人王ラドジール』を始めた。妖精の血を引く美貌の青年王ラドジールが自分の恋人を殺して食ったという有名な伝説を基にした怪談である。

 ラドジールは、妖精の血筋でありながら癒しの力を持っていなかったため、優れた癒しの力の持ち主の肉を喰らうことで自らが力を得ようと試みたのだが果たせず、その、食人の罪によって、死後は人の血を啜る魔物となり、今も永遠の闇を彷徨っているのだと言う。

 そんな陰惨な物語を、おどろおどろしく語り終えた最後に、「あ! お前の後ろにラドジールが!」と叫んで聴衆に悲鳴を上げさせるのが、ローイのいつものお決まりの得意技なのである。

 この日も、ローイは、例によって、最後のところで、

「あ、ニーカ、お前の後ろにラドジールが!」と、いかにも恐ろしげに叫んでみせ、里菜も一緒になって、キャテルニーカを怖がらせてやろうと、ことさら大きな悲鳴を上げてキャテルニーカに抱きついてみせた。

 ところが、キャテルニーカは、ただきょとんとして、こう言った。

「え? どこに? いないよ?」

「おい、ニーカ……。お前、ノリが悪いぞ。怪談の時は、ちゃんと怖がってくれなくちゃ話しにくいじゃねえか」と、ローイが文句をいうと、

「え? 今の、怖い話だったの?」と、まるでトンチンカンである。

 しかも、そのあと、あたりまえのような顔で、こんなことを言う。

「おもしろかったわ。お兄ちゃん、お話、上手ね。でも、ちょっと違うところがあった。ラドジールが食べたのは、恋人じゃなくて義理の妹よ。でも、ラドジールは、たぶん、その子が好きだったのよ。ラドジールは、そのとき、十四くらいだったわ。

 ふたりはね、他の子供たちと一緒にシルドーリンに宝探しにきて、落盤で、ふたりだけ一緒に閉じ込められたの。ラドジールは、岩の下敷きになって死んだ妹の肉を食べて生き延びたのよ。お兄ちゃんが言うように、自分が持っていない癒しの魔法の力を得るために、その力を持つ人を殺して食べたわけじゃないの。

 結局、子供たちの中で生き残ったのは、ラドジールだけだった。かわいそうね。そのあと、生き残ったラドジールが何をしたか、あたしは知らなかったけど、王様になってたのね」

「……おい、お前、何だ、そりゃ。ずいぶん妙ちきりんな話だなあ。お前、その話、誰に聞いたんだ? 俺、そんな話、聞いたことねえぞ」

「あたし、見てたの。ラドジールは、ほんと、きれいな子だったわ」

「ラドジールは三百年近く昔の王様だぞ。それを見たって、お前、ほんとに十一才か」

「え? そうよ、十一よ」

「じゃあなんで、そんな昔のことを知ってるんだ?」

「おばあちゃんから聞いたの。それとも、おばあちゃんのおばあちゃんからだったっけ」

「ばあちゃんのかあちゃんなら、まだ生きてるかもしれねえが、ばあちゃんのばあちゃんってのはふつう、もう生きてないよなあ。お前、それに、自分が見たっていったぞ」

「そう?」

「そうって、また、自分が言ったこと、忘れちゃったのか? ……話になんねえや」

「あのね、あたしのおばあちゃんも、おばあちゃんのおばあちゃんも、キャテルニーカって名前だったのよ。お兄ちゃん、あしたもお話してね。ねえ、何か、歌、うたって」

 そう言ってキャテルニーカは、無邪気な様子で首をかしげてにっこりした。そのキャテルニーカの緑の瞳が、ときおり焚火の炎を映して、耳元のシルドライトと同じようにちらりと赤く輝くことに気がついた里菜は、この子はまるでシルドライトの精みたいだと思った。そういえば、ローイが、<御使い様>はまた、シルドライトを意味する『シルドーリンの宝玉』という名でも呼ばれることがあると教えてくれた。

 キャテルニーカに歌をせがまれたローイは、しっかり持ってきていた、例の小さい楽器――ガドレという名らしい――を取り出し、静かな曲を歌い出した。

 彼は酒が入らないと歌わないと言われているが、子供の前でなら歌う。村にいた時も、子供たちにはよく歌ってやっていたのだ。

 ローイの歌を聞きながら、キャテルニーカはいつのまにか寝息をたてていた。



 翌日も、一行は、ひたすら歩き続けた。痛み出した里菜の足を、キャテルニーカが、森からとって来た薬草と魔法で治してくれた。

 妖精の血筋の常として、彼女も治療師の素質があるらしい。特に薬草については、かなり詳しいらしく、時々、「こういうところにはナントカ草があるから」と言って、みなに断わって、ひとりで森の中に入っていく。最初のうちは立ち止まって待っていたのだが、キャテルニーカはいつも、冬だというのに、ちょっとの時間で必ず薬草を見つけて、すぐに戻ってくる。そのうちにみんな、いちいち立ち止まらずにそのまま歩いているようになって、道をそれて森の中を歩いてきたキャテルニーカは、薬草を見つけると森からひょっと街道に出てきて合流するようになった。

 しばらく一緒にいてわかったことだが、キャテルニーカは、決して頭が悪くはないらしい。薬草のことなどは本当によく知っているし、やたらに物を忘れるわりに、記憶力も実は悪くない。彼女が忘れるのは、自分の生い立ちや、タナティエル教団に関わることだけらしくて、普通のことはちゃんと覚えているし、ローイが語る物語などは、一度聞けば完璧に丸暗記してしまう。ものごとの呑み込みもいいし、判断も的確らしい。ただ、どうにも子供っぽいだけである。

 やはりこの子は、幼いころから巫女姫として隔離され、純粋培養されてきたのだろうと、里菜は思う。その結果が、この、一見頭が弱いようにさえ見えるほどの幼さと、浮世離れした天真爛漫さなのだろうと。彼女ほど『無垢』という言葉が似合う子供はいないだろう。時々、もしかしてこれはみんな演技なのでは、と疑わないでもないのだが、里菜には、どうしてもそうは思えない。


 ヴェズワルを過ぎ、あたりはあいかわらず森ばかりだったが、やや、うっそうとした感じが減った。このへんの森は、ヴェズワルほどは古くないのだ。雪は、もう、日陰にもまったく積もっていない。木々の種類も、イルゼール村では、そういえば落葉樹と針葉樹がほとんどだった気がするが、だんだんと常緑の広葉樹も目につくようになってきた。

 街道を行くのは、里菜たち一行だけ。一度も他の旅人には出会わない。

 雪をかぶったイルシエル山脈を左手に仰ぎ見て歩けば、古い灰色の石畳がどこまでも森を抜けて続く。

 その夜も、ローイの狩りは成功し、みんなは暖かいスープをたっぷり食べ、焚火の回りでローイの物語を聞いた。

 こんな時、里菜はこの旅がいつまでもつづいて欲しいような気がする。歩き慣れず、まして野宿などしたこともなかった里菜にとって、昼間の行程も堅い地面での野宿もつらいが、キャテルニーカの治療の才能のおかげで、それほど足や身体が痛くなることもなくて済み、こんな楽しい団欒の夕べには、すべての辛さを忘れてしまう。

 物語の後、キャテルニーカは、今日はローイに歌をせがまずに、なぜか里菜にこう言った。

「お姉ちゃん、何か子守歌、歌って!」

 そして、何を考えているのやら、いきなり、里菜の膝に座ってしまった。いくらなんでも、十一才の行動とは思えない。だいたい、いくらキャテルニーカが十一才にしては小柄だとはいえ、里菜も十七才にしては相当、小柄なほうだから、この体勢には、かなり無理がある。けれどキャテルニーカの甘えた様子を見ると、里菜は、重いからどけなどとは言えなくなってしまった。

「ね、お姉ちゃん、歌!」と、キャテルニーカが催促する。

「あの、ニーカ、あたし、歌、苦手なんだけど……。あたしがだっこしててあげるから、歌はローイに歌ってもらわない?」

「だめ、お姉ちゃんが歌って!」

 命令口調のキャテルニーカに、里菜はしかたなく小さな声で子守歌を歌い始めた。


「ねんねんころりよ おころりよ 坊やはよいこだ ねんねしな……」


 里菜が昔、母から歌ってもらった子守歌だ。


「坊やのお守りはどこへ行った あの山越えて里へ行った……」


 繰り返し歌ううちに、キャテルニーカは目を閉じて里菜にもたれかかってきた。はっきり言って、重い。寝入ってしまったらすぐにローイに頼んで、抱き上げてそのへんに寝かしてもらおうと考えながら、里菜は、くりかえし同じ子守歌を口ずさみ続けていた。

 その時、ふいに、苦しげに絞り出すような叫びに、歌が遮られた。

「リーナ、やめてくれ! その歌を、歌わないでくれ」

 里菜はぎょっとして顔を上げ、声の主、アルファードを見た。

 倒木に腰掛けたアルファードは、背中を丸め、両膝の上に肘をついて、その手で、うつむいた頭を抱え込むように耳を塞いでいた。

 一瞬、里菜は、むっとした。

(もう少しでニーカが寝るところなのに、急に大きな声で邪魔して……。それに、何よ、たしかにあたしはちょっと音痴だけど、そんな、耳を塞いでやめろと叫ぶほどひどくはないと思うわ。失礼ね!)

 そう言おうとして口を開きかけた里菜は、そのまま黙り込んだ。

 うつむいたアルファードの顔から、ぽたりと地面にしたたり落ちたものがあったのだ。

(うそ……。アルファードが、泣いてる?)

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