第二章<シルドーリンの宝玉> 第四場(1)
青白い光に照らし出されて、誰もが一瞬、動きを止めた。
催眠術にでもかかったかのように、みな、頭上に光を頂いたキャテルニーカに目を吸い寄せられて立ち尽くす。
やがて、山賊の一人がキャテルニーカの前におずおずと進みでて、呆然と呟いた。
「……御使い様!」
山賊たちは、振りあげたままだった剣や槍を降ろして、ざわめき出した。
「御使い様だ……。あの、耳飾り!」
「本物だ! 本山のキャテルニーカ様だ」
「おお……。まさか……」
最初に進み出たリーダー格らしい男が、いきなりキャテルニーカの前に膝をついてひれ伏した。残りの山賊たちも我がちにキャテルニーカの前に殺到して跪く。
「おお、御使い様、癒し手様……。なぜ、このようなところに……」
キャテルニーカは、ひれ伏している最初の男の前に一歩進み出て、彼を見下ろしながら静かに言った。
「顔を上げて。……あなた、覚えているわ。イリューニンのビエルでしょ。むかし、シルドーリンで会った」
「おお……。そうです。以前、御使い様がまだお小さかったころ、私はシルドーリンにおりまして、幾度か拝謁賜ったことがございます。それを覚えていて下さったとは……」
「あたしは、誰も忘れないわ。一度でもあたしに会いに来てくれた人は、みんな、覚えてる。顔も名前も、その苦しみや絶望も。みんなも顔を上げて。……そう、あなたと、あなた。あなたも知っているわ」
キャテルニーカに指された人たちは、それぞれに驚愕と感動の声を上げて再び頭を下げた。彼らはそれぞれ、以前シルドーリンにいたり、シルドーリンに巡礼に行ったことのあるものたちだった。
キャテルニーカは、見るからに荒くれた山賊たちを恐れる様子もなく、彼らの間に進み出た。そして、跪く人々の間をゆっくりと歩き回りながら、ひとりひとりの頭や肩に軽く手を触れていった。
その小さな姿から滲み出る威厳は、アルファードをすらたじろがせるほどで、里菜たちは唖然として、その様子をただ眺めていた。
やがてキャテルニーカは、元のところに戻って、リーダーらしい男に問いかけた。
「あなたたちがここに来たこと、アムリードは知ってるの?」
「いいえ。その……。こういう小人数の旅人を、その……、襲う時は、いちいち許可を得ないのです。私たちが勝手にしたことです。御使い様がこんなところにいらっしゃるとはつゆしらず、無礼なことをしました。お許し下さい。昼間、この一行を遠くから見かけました時は、私たちは、御使い様のお姿に気付かなかったのです。ただ、その……、ボロをきた子供がひとり、いるようにしか……」
キャテルニーカは、くすっと笑った。
「わかったわ。もう、山賊の真似は、おやめなさい。アムリードにも、そう、言っておいて。あと、この人たちに手出しをしてはいけないわ。今も、これから先も、ずっとよ。アムリードに言って、他の人たちにもそう命じさせて。でも、あたしとここで会ったことはアムリード以外には話しちゃだめ。アムリードにも、内緒だって言っておいてね。それから、これもアムリードに言って欲しいんだけど、あなたたちが捕えているゼルクィールたちを解放しなさい。そしてね、あたしが言ったことをアムリードに伝えた後は、あなたたちみんな、ここであったことを全部忘れちゃってね。わかった? それじゃみんな、元気でね。みんなに心の平安を」
キャテルニーカが軽く手を振ると、憑き物が落ちたようにおとなしくなった山賊たちは、残り惜しそうに振り返り振り返りしながら、素直に立ち去っていった。何人かは、悪い夢から覚めたばかりとでも言うような呆然とした様子でそっと首を振ったり、自分は今まで何をしていたのだろうかというようにしきりと首をかしげているものもある。
あっけに取られてその後姿を見送っていたローイが、我に帰ってキャテルニーカに駆け寄った。
「おい、何だ何だ、今の! 御使い様って、お前、それはどういうことだ」
「あたし、あの人たちには、そう呼ばれてるの」
「いや、それはわかったけどさ。その、御使い様ってのは、あの、タナティエル教徒があがめている生き神様か」
「神なんかじゃないわ。ただの『御使い』よ。みんな、そう言ってるでしょ」
「お前が、そうなのか?」
「そうよ。そう言ったじゃない」
「どうりでいいもの着てるわけだぜ。なんで今まで隠してた」
「隠してないわ。忘れてたのよ」
「忘れてたぁ? 何だ、そりゃあ」
「あたし、時々、いろんなこと忘れるの。必要になれば思い出すから、大丈夫」
「大丈夫って、お前なあ……。そんな大事なこと、忘れてたじゃすまないぜ。なんでそんなお姫様が、ひとりでこんなとこにいたんだよ。逃げてきたのか? シルドーリンの連中は、それ、知ってるのか? お前を連れているために、俺たちがやつらに人さらい扱いされて追い回されるなんてこと、ないだろうな」
「平気。みんなは知らないけど、ギルデジードは知ってるから。追っては来ない約束よ。ね、だから一緒に連れていって。あたし、役に立ったでしょ? あたしは、このお姉ちゃんのそばにいるために、お姉ちゃんを手伝うために、シルドーリンを出てきたの」
「リーナを? ……さっきの山賊、本当にもう、来ないんだろうな?」
「山賊って?」
「へ? 今の、タナティエル教団の連中だよ。ヴェズワルの」
「その人たちが、どうしたの?」
「だから、今、お前が追い払っただろ?」
「そう?」
「そうって、まさか、忘れたなんて言うんじゃないだろうな」
「うん、なんだか知らないけど、忘れたみたい」
「はああ?」
ローイは呆れて肩をすくめてから、まだキャテルニーカに頭上にあった青い光球を指さした。この光球は、さっきから、まるで、糸に繋がれた風船か良く馴れたおとなしいペットのように、キャテルニーカが歩く上を従順について回っていたのだ。
「ニーカ、これ、なに?」
「あれ? ああ、これはね、明りよ。あたし、これ、出したの? しまうの、忘れてたわ。もういらないわよね。焚火があるもん」
そう言うと、キャテルニーカは、さっと手をふって、まるで蝋燭を吹き消すような気軽さで光球をあっけなく消してしまった。
「ああーっ、もったいねえ! そんな珍しいもん、消すなよ」
「大丈夫よ。あたし、いつでも出せるもん。あたし、前は暗いところに住んでたから、いつもこれ、使ってたのよ。あたしは暗くても目が見えるんだけど、世話をしてくれる人とかは、暗いと困るらしいから」
「暗いところって、シルドーリンの洞窟か?」
「え? 何が?」
「何がって……。今、自分で言ったこと、もう忘れたのかよ。ああ、もういい、もういいよ。お前、いくらなんでも、物忘れ、ひどいぜ。なあ、あの光の玉、出し方教えてくんねえか。俺、たいていの魔法は人より得意なんだけど、あんなの見たことも聞いたこともねえ。練習すればできるようにならねえかなあ」
キャテルニーカはしばらく値踏みするようにローイを眺めて言った。
「お兄ちゃんには、できないわ」
「ああ、やっぱ、無理か。やっぱり、そういう特別な才能の有る無しってのは、お前なんかから見れば一目でわかるわけ?」
「才能とか、そういうんじゃないの。これは、普通の人にはできないの。赤っぽい小さな明かりなら、普通の人でも、才能があればできるかも知れないけど……。あの青いのは、火じゃないから」
「それ、本物の魔法か?」
「うん、ちょっと違うけど、そんなようなもの。ローイお兄ちゃんはタダの人だから、だめだけど……」と言って、キャテルニーカは、アルファードのほうを示した。「あっちのお兄ちゃんは、できるかもしれない」
突然話をふられたアルファードは、おもしろくもなさそうに言った。
「キャテルニーカ。俺は、魔法がまったく使えないんだ。一番簡単な魔法でさえ」
「いや、アルファード、わかんねえぞ。痩せても枯れても、あんたは<マレビト>だ。やっぱり、本物の魔法の素質が眠っているのかもしれねえ」というローイの言葉を小首をかしげて聞いていたキャテルニーカが、突然、一人言のように、さらりと言った。
「<マレビト>は、この世界の人じゃないから、この世界のものごとの法則に縛られないの。だから<マレビト>にだけ、<本物の魔法>が使えるのよ」
みんな、驚いてキャテルニーカを見た。が、彼女は、自分が何を言ったかをもう忘れてしまったらしく、みんな何を驚いているのかという顔で、キョトンとしている。
一瞬、しんとした後で、ローイは、やれやれというふうに首を振った。
「やっぱりなあ。なんだかわからないけど、やっぱ、あんたらは特別なんだろうな。そこいくと、俺なんか、結局は『タダの人』か。あんたらみたいに特別な人間でいるのも辛いものらしいが、そういうあんたらと一緒にいて、一言で『タダの人』と言われちまう俺ってのも、なんか、つまんねえよな」
ローイが心なしかしょげたのを見て、キャテルニーカは慰めるつもりか、付け足した。
「あ、ローイお兄ちゃんは、『タダの人』じゃなかったわ。『いい人』よ!」
「……なんか、よけい、つまんなくなってきた。まあ、いいや、ニーカ、もう寝ろや。そんな大あくびしちゃ、せっかくのべっぴんさんがだいなしだぜ」
眦に涙が滲むほど大あくびをしていたキャテルニーカは、目をこすりながら頷いて、枯れ葉の上に、ころんと横になってしまった。
「俺たちも寝よう。山賊はもう来ない」というアルファードに、里菜はびっくりして尋ねた。
「え、いいの? この子にもっといろいろ聞いてみなくて」
「もう寝ているんだ、聞きようがない。それに、聞いたってどうせ無駄だ。もう、今の出来事さえ忘れてしまったようだからな。なに、追手がかからないことさえわかれば、とりあえずそれでいいだろう」
「ねえ、『御使い様』って、なに? そういえば、前にうちに来たあのおじいさんたちが『御使い様さまの御言葉』がどうとかって言ってなかった?」
「ああ、そのことは、あした歩きながら話そう。とにかく、少しでも寝ておくことだ」
そう言って、アルファードもローイも横になってしまった。
あんなことがあった直後に、みんなよく眠れるものだと思いながら、しかたなく横になった里菜も、そのうちに眠りについた。