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第二章<シルドーリンの宝玉> 第三場(1)

「それ、ちょうだい。お菓子」

 少女は、自分に集まった驚愕の視線に臆する様子もなく、もう一度こう言いながら、ローイを見上げて手をつきだした。

 驚きのあまり口を閉じるのも忘れて突っ立っていたローイは、目の前に手を突き出されて、反射的に焼き菓子を少女に手渡した。

「ありがとう」というなり、少女は、その場にちょこんと腰を降ろして、すごい勢いで菓子を食べ始めた。よほどおなかがすいているにちがいない。だが、それにしては、しぐさにどこか品があって、不思議と、がつがつという感じはしない。

 呆然とその様子をながめていたローイは、少女が菓子を食べ終えてしまったのをみて、何も言われないうちに、あわてて二つ目を差し出し、空になっていた自分のお椀に水を入れて、それも渡した。

 やっと気を取り直した里菜は、アルファードに囁いた。

「なに、この子?」

「なにと言っても……」

 アルファードも、途方に暮れて首を振った。

 里菜も驚いたが、アルファードとローイは、もっと驚いていたのだ。里菜には、怖がらせないよう黙っていたが、この辺はもういつ山賊が出てもおかしくない地域で、彼らは、食べたり話したりしながらも、それなりにあたりの気配には気を配っているつもりだったのである。それが、降ってわいたように、いきなり、すぐ隣に子供が立っている。

 二人は、困惑した目を見交わしながら、子供が物も言わずに二つ目の菓子を平らげるのを眺めた。

 おなかをすかしているわりに、よく見ると、子供の着ている簡素な型の薄物のワンピースは、ずいぶんと上等そうなものである。この世界の衣類のことはあまり知らない里菜にさえ、その服が、何だかひどく高級そうな生地でできているのということはすぐわかる。ちらちらと金の光をちりばめたその美しい生地は、不思議な光沢を帯び、角度によって赤にも緑にも見えるという、村では見たことのないような、豪奢で神秘的なものだ。そのくせ、かわいい足は、なぜか裸足である。

 纏っている衣装にまけず劣らず絢爛豪華なのは、その少女の、目を見張るような鮮やかな美貌だった。

 純金を紡いだかのような豊かな巻き毛が、小さな愛らしい顔を後光のように縁どる。滑らかな肌は、決して濃い焦げ茶色などではなく、伝説通りの、本当の漆黒だ。差し出された小さな手の、かわいらしい掌のほうも、ちゃんと黒い。

 顔は優美な卵形で、その顔立ちには、完璧でありながら個性的な独特の美しさがある。 顔立ちそのものは、現代の日本人である里菜の基準でいうところの標準的な典型的な美人顔というわけではないのだ。そして、美人の基準はこの世界でもほぼ同じらしいので、この世界でも、たぶん、これは、普通の典型的な美人顔ではないのだろう。たおやかな卵形の顔は、全体につるりと滑らかで彫りが浅く、小さな鼻は、やわらかな丸みを帯びて、とても低い。

 が、それが不思議と美しいのである。信じられないほど大きな目と、小ぢんまりと整った鼻や口元との、アンバランス寸前の危うげなバランスが絶妙で、その不思議な均衡の中では、鼻の低ささえ、この美しさを実現するためには絶対に必要不可欠な要素なのだと、一目で納得せずにいられないのだ。

 ローイが、『妖精の血筋の人は、みんな独特の顔つきをしていて、たいてい、とてもきれいだ』と言っていたが、確かに、その通りらしい。説明されてもよくわからないが見れば誰でも美しいと思う、そういう不思議な美貌である。

 特に印象的なのが、猫を思わせる大きな目だ。少女の瞳は北国の早春の野に萌えいずる若草のような、明るくやわらかい黄緑色――里菜の持っている短剣の、シルドライトと同じ色だった。

 ――そして、少女の形のよい両の耳たぶには、その瞳と同じ色の宝石の耳飾りがきらめいている。里菜の短剣に嵌っているシルドライトと同じ位の大きさだから、もし、それが本当にシルドライトだとしたら、そのふたつで、ローイ流に言えばイルゼール村二つ分の人間が一生遊んで暮せる計算だ。

 いったい、これは、どういう子供なのだろう。里菜はしげしげと少女を観察した。

 よく見ると、少女の金の巻き毛には、ところどころ小枝や草が絡まり、黒い絹のようにつややかな肌にも、豪華な衣装にも、あちこちに乾いた泥や埃がついている。だが、それも少女の輝くばかりの美しさを損なうことはない。この子供には、たとえどんなボロを着てもみすぼらしくは見えないだろうと思わせるような、不思議な気品があるのだ。それはたぶん、顔立ちが美しく上品だからというだけではない、もっと本質的な気品のような気がする。

 よほど良い家のお嬢様が、迷子にでもなったのだろうか。

 だとしたらプルメールの子供だろうが、それにしても、ここはプルメールから、既に半日歩いたところだ。

 こんな危険な森の中に、しかも冬のさなかに、親が娘をピクニックになぞ連れてくるはずはないし、プルメールからここまで、この一本道を、間違って歩いてきたなどとは考えられない。

 もしかすると、家出少女だろうか。それにしては、マントも着ていないし、荷物も持っていないし、そのうえ裸足とはどういうことだろう。

(もしかして、人買いにさらわれて街道を運ばれる途中で逃げ出したとか、旅の途中で一家が山賊に襲われて、この子だけ運よく難を逃れたとか……。それとも、もしかして、山賊の娘とか!)

 ここまで考えて、里菜はぎょっとした。ここは山賊の住みかに近い。山賊の首領の娘かなにかだったら、隊商から奪った高価な衣類を着ていても不思議はない。

「ねえ、アルファード、まさか、この子、山賊の子とか……」

 里菜がひそひそと囁くと、アルファードも小声で答えた。

「ああ、この森の奥にはタナティエル教団の村があるはずだ。そこから子供が迷い出ることは考えられるが……。それにしても、着ているものが上等過ぎる」

「何かの罠ってことはないわよね……」

「ないだろう。やつらにそんな回りくどいまねをする理由はない」

 そう答えながら、アルファードは、ひそかに、少女が新手の刺客である可能性について考えを巡らせていた。

 その間に少女は、ローイから渡された三つ目の菓子を食べ終えてしまった。ローイは、少女に水をもう一杯渡してやると、次にチーズと堅パンを差し出した。

「お前、そんな、菓子ばっか食ってないで、こういうものも食えよ、な。菓子ばっかじゃ身体に悪いぞ。ほら」

「うん、ありがとう」

 少女は素直にパンをかじり始めた。

 結局、少女はその後、堅パンとチーズと干し肉をひとしきり食べ、最後にもうひとつ焼き菓子を食べた。それでやっと満足したらしく、ローイにお椀を返してにっこりと微笑んだ。

「ありがとう。おいしかった。お兄ちゃん、いい人ね」

「ああ、よく言われる。特に女の子は、みんなそう言うよ。お前、名前は?」

「キャテルニーカ」

「うひゃあ、そりゃまた、えらく古めかしい、由緒ありげな名前だなあ。おい、なんだか聞いたことがあると思ったら、そりゃあ、たしか、伝説の、妖精の女王の名前じゃねえか? なるほどなあ。そういえば、お前のその目、シルドライトの色だしな。髪の毛も金ぴかで、ちょうど古い歌にある通りだ。『麗しき妖精の女王、永遠なるキャテルニーカ。黄金の髪、シルドライトの瞳、闇に煌くみどりの夢よ』ってな。由緒正しい立派な名前をつけてもらってよかったな。うんうん、ニーカちゃんか。まさにぴったりの名前だ。本物の妖精の女王もかくやって感じだよな。で、ニーカちゃん、あんた、どこから来たんだ?」

 アルファードは、少女の相手をローイにまかせて、ただ黙って注意深くふたりの会話を聞いている。彼は、子供――特に女の子――は、どうも苦手なのである。別に嫌いというわけではないのだが、無器用なのでどう接していいかわからないのだ。

 少女は、ローイの問いかけに答えて、森の奥、北の方角を指差して言った。

「あっち」

「うええーっ? あっちって、もしかして、タナティエル教団の村か?」

「ううん、違う、もっと向こう、北のほう」

「北って、お前、その先はどこまで行ってもずっと森だぞ。もしかして、お前、方向音痴か? お前、本当はプルメールの子なんじゃねえの?」

「そうじゃないわ。ずっと北のほうから、この森を何日も歩いて抜けてきたの」

 アルファードと里菜は顔を見合わせた。アルファードは怪訝そうな顔をしている。

 里菜は知らなかったが、この北のほうは、古代からの深い森がはるかに広がっており、普通の人は誰も立ち入ったことのない森の奥にタナティエル教徒の隠れ里があることは知られているが、その先は本当に人跡未踏の樹海なのだ。たしかに方角的には、まっすぐ北に向かって森を抜けていけばいつかは北部の人里に出るはずだが、それはあくまで図面上の最短距離であって、現実には、そんなルートはないはずだ。北部からここへ来るには、いったんイルベッザまで出てエレオドラ街道をまわってこなければならないのだ。

 ローイも不審げに眉を寄せて、少女を問いただした。

「歩いてきたって、そんな薄着で、靴も履かずにか? この森にゃ狼だって出るんだぜ。連れはどうした? はぐれたのか?」

「ううん、最初から、ひとり」

「まさか。本当にお前ひとりで歩いてきたのか? 狼、出なかったか?」

「出た。この近くまで、一緒に来たのよ。夜は一緒に寝たわ。あったかかった」

「一緒に寝たあ? 狼とか? ……お前、迷子になったんだろ、な?」

「ううん、迷ってないわ。ちゃんと、ここに来れたもん」

「ここにって……。どこへ行くつもりだったんだ? プルメールにか?」

「お兄ちゃんたちはどこへ行くの?」

「俺たちはイルベッザに行くんだよ」

「じゃ、あたしもイルベッザ。一緒に行っていいでしょ?」

「ええーっ。そりゃあ困るよ。いや、俺たちは別にいいんだけど、お前の親が困るだろ。お前、家はどこだ?」

「わかんない。忘れた」

「へ? ……じゃあ、親は?」

「死んじゃった」

「そうか、それは気の毒にな……。ここへ来る途中に亡くなったのか?」

「ううん。ずっと前」

「じゃあ、誰か、親じゃなくても、親の代わりにお前を世話してくれてた人とか、いただろ? その人はどうした?」

「わかんない」

「はあ? じゃあ、その人と住んでた村とか町の名前は?」

「忘れた」

「忘れたって、お前……。まあ、いいや……」

 嘘を言っている様子ではない。ローイは追及を諦めて、黙って首を振りながら、荷物から取り出した手布を水で湿らせて里菜に渡した。

「リーナちゃん、悪いけど、これでこの子の顔の泥、拭いてやってや」

 少女がおとなしく里菜に顔を拭かれているあいだに、ローイはアルファードのそばに行って小声で話し掛けた。

「おい、こりゃあ、たぶん、北部からの避難民の子供だぜ。家を失くして着のみ着のままイルベッザへでも逃げる途中に親なり養い親なりが死んだか、でなきゃ親と家をいっぺんに失くしたかして、そのショックで一時的にココが」と、ローイは自分の頭を指さす仕草をした――「おかしくなっちまったんじゃねえか。それで、その後、道に迷ってこんなところまで迷い出てきたって、そんなとこだろう」

「ああ、どうも、そんなところらしいな」

「それにしても、よくひとりで無事にこんなとこまで来られたもんだな。よっぽどいい家の娘だったんだろうが……。あのシルドライト、見たかよ。あれじゃ、追い剥ぎに、襲ってくれと言わんばかりだ。その上、狼と一緒に寝たんだと。こんな森の中に、どっかの村から逃げ出した犬でもいたのかなあ。

 ……で、あのおヒイ様、どうするよ? イルベッザに連れていくか? 俺は、それがいいと思うぜ。村に連れていけば孤児のひとりくらい引きとってくれる家はあるだろうが、俺、村に帰るのはちょっとヤバイしなあ。引き返す時間も無駄だし。

 プルメールでも、捜せば引き取り手はいるだろうが、まさか道端にほうりだしてくるわけにもいかないから、結局、俺たちが里親を探してやらなきゃならない。となると、かなりの長逗留になっちまうかもしれねえだろ。いくら別に急ぎの旅じゃないっていっても、あんまりぐずぐずして、天候が崩れても嫌だしなあ。

 それに、たとえ引き取り手がみつかっても、これだけきれいな子だと、かえってよけいな心配が出てくるよな。引き取ったのが実は金目当ての悪いやつで、俺たちの姿が消えたとたんに、この子をこっそりいかがわしい店に売り飛ばしちまわないとも限らない、とかさ。ほら、世の中にはそういう趣味の連中もいて、子供は子供でそれなりに需要があるんだって話だぜ。しかも、これだけの、とんでもないほどのべっぴんとくれば、きっと、子供でも相当高く売れるんだろう。

 引き取られた後のことまで俺たちが心配してやる義理もないんだけど、やっぱ、気になるじゃん。ここで会ったのも何かの縁だ。里親を探すにしても、後々の待遇に目の届くところで探してやったほうがいい。な、あんた、どう思う?」

 ひそひそと相談を始めたふたりを横目で見ながら、里菜は少女の顔や手足の泥を拭きとり、服の埃をはたいてやった。こんな上等の衣服には、防水防塵の魔法もよっぽど丁寧にかけてあるものらしく、ちょっとはたいただけで、服は新品同様にきれいになった。その服に犬の毛のようなものがついているのをみつけた里菜は、あとでアルファードに見せようと、それをとっておいた。

 髪に絡まった小枝を外してやっている時、少しもつれた黄金色の巻き毛の間に何か黒く尖ったものの先端が覗いているのを見つけて、里菜は思わず手を止めた。気がついてみると、それは、こめかみの横あたりに左右一対で、髪を掻き分けて突き出しているのだ。

(うそっ。この子、角がある……?)と思って一瞬ぎょっとしたが、良く見ると、それは、尖った耳の先端らしい。異形と言えば異形だが、金色の巻き毛の渦から小さな三角がちょこんと顔を出している様は、小鬼のようで愛らしい。これも妖精の血筋の特徴なのだろうか?

 里菜は自分の荷物から取り出した櫛で少女のふわふわの髪を丁寧に梳いてやった。縮れているといっていいくらい巻きが強くて、ちょっと梳かしにくかったのだが、埃を落とした髪は、ますますつややかに、純金のように光り輝いたので、里菜はそれが自分の手柄のように嬉しくなり、惚れ惚れとその完璧な輝きに見とれた。

 そのあいだ、少女はずっとおとなしくされるままになっていた。おとなしい、というよりは、鷹揚といったほうがいい態度だったかも知れない。まるで、いつも侍女に身支度を整えさせるのに慣れているお姫さまといった風情だ。

「はい、きれいになったわ」と、里菜が微笑むと、少女も、はにかんだように微笑み返して、こう言った。

「ありがとう。……お姉ちゃんが、女神様ね。会えてよかった」

「え? あの、あなたね……、髪の毛梳かして貰ったくらいで、そこまでお世辞言ってくれなくても……」と、当惑した里菜は、はた、と思い当って尋ねた。

「あなたって、やっぱりタナティエル教徒じゃない?」

 余り嬉しくもないことだが、里菜のことを女神だの女王だのと言うのは、タナティエル教団のものに違いない。

 だが、少女は、こう答えた。

「ううん、あたしは違う。でも、あのひとたちのことは、よく知ってるわ。……あたし、お姉ちゃんの力になりにきたの。お姉ちゃんを探して、ここへ来たのよ。お姉ちゃん、妖精の短剣、持ってるわよね? ほら、シルドライトのついたやつ。そのシルドライトは、あたしの耳飾りになってるのと一緒に掘り出されたものなの。だからあたしは、その短剣を持ってる人と一緒に行くの。ね、一緒に、行こ」

 里菜の短剣はマントの下になっていて、外からは見えないはずだ。

 めんくらった里菜は、とりあえずアルファードに今の話を伝えに行った。

 里菜の話をて聞いたアルファードは、ちょうど、ティーティが短剣を持ってきた時のように、妙に納得した顔をして、

「そうか」とだけ答えた。

 里菜がアルファードに見せた動物の毛は、やはり狼のものだろうということになった。どうやらこの子は、嘘をついているわけでも、完全に頭がおかしいわけでもなさそうだ。

 相談の結果、三人は、少女をイルベッザに連れていくことにした。

 こうして、旅の一行に、もうひとり、不思議な美少女が加わった。

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