第二章<シルドーリンの宝玉> 第二場(3)
三人がプルメールにたどりついたのは、短い冬の日が暮れかかるころだった。
これまでイルゼールから出たことがなく、この世界の町というものを、ただイルゼール村を大きくしたようなものとしか想像できていなかった里菜は、プルメールの町並の意外な立派さや市場の賑いに呆然と見とれて、ローイに小声で叱られた。
「おい、リーナちゃん、そんな、口開けてキョロキョロすんなよ。いかにも田舎者みたいじゃんか。こんなんで驚いてたら、イルベッザに行ったら目を回しちまうぜ」
アルファードやローイは、日頃からしばしばこの町を訪れているのである。この町は、この地方の中心地であり、イルゼールを含めて、この地方の村々の農産物の多くはこのプルメールに運び込まれるし、村のものが何か村の雑貨屋では間にあわない特別な買い物をする時には、みんなプルメールに来るのだ。
三人は、ローイの分の堅パンや、旅に必要ないくつかの品を買い整えてから、安宿に泊まった。その宿はイルゼールの村人がよく使う常宿で、アルファードも何度か泊まったことがあり、主人とも顔見知りだった。そこでアルファードは、ローイに内緒で、主人に、近い内にここに泊まりに来るはずのイルゼール村のものに渡してくれと、書き付けを託した。それは、ローイの兄に宛てて、ローイは自分と一緒にいるから心配いらないと知らせるものだった。
翌朝早く、三人は凍り付いた地面を注意深く踏み締めて出発した。
その日は、前日とは打って変わって、この地方の冬にありがちな、どんよりとした空模様だった。ときおり小雪がちらちらと宙を舞うが、新たに積もるほどでもない。
ローイは歩きながら、寒さを気にするふうもなく、気持よさそうに両手を伸ばした。
「ああ、旅はいいなあ。な、リーナちゃん。俺さあ、旅芸人の一座に入って国中を旅するのが、ガキのころの夢だったんだ。昔、国中が平和だったころは、うちの村にも、ときどき旅芸人が回ってきたもんさ。歌ったり、踊ったり、芝居をしたり。キレイな女の子もいたりしてな。一度、俺、一座の女の子に惚れて、荷物に潜り込んでその一座についていっちまったことがあるんだ。ななつの時だったかなあ。おやじが置き手紙見て、血相変えて馬飛ばして連れ戻しにきてさ。俺があのまま一座に加わってたら、今頃、すっげえ花形になってただろうなあ。見目はよいし、歌はうまいし。どこの町にいっても、女の子がキャーキャーいって大騒ぎになってたぜ。な、そう思うだろ?」
「えー。どうかなあ。でも、ローイ、置き手紙と家出は今回が初めてじゃなかったんだ」
「だから、今回のは、家出じゃねえってばよ!」
「それに、女の子のあとをおっかけるのも、ななつの時からやってたんだ」
「ああ? それは、もっと前からだよ! でもよ、ほんと、キレイな子だったんだぜ。北部から来た一座でさ、妖精の血を引く女の子だったんだ。茶色い肌にオレンジ色の髪してさ、大きな目は琥珀色の、そりゃもう、パッと人目につくような派手な器量よしで、村ではちょっとお目にかかれないような垢抜けた様子をしてな。その子が、大きな白いリボンを髪に飾って、まっ白い服着てかわいい声で北部の民謡を歌うところは、もう、ほんとうに夢のようだった」
「へえー。あたしも見たかったな。妖精の子孫かあ。神秘的よね」
「だろ? あの子、いくつくらいだったのかなあ。俺はそのころ、自分よりふたつ、みっつ上だろうと思ってたんだけど、もっと上だったのかもな。妖精は人間より一回り小さい種族だったから、今でも妖精の血筋はみんな小柄なんだ。それに、妖精の血筋の人は、年より若く見える。そういえば、その子の母親が、やっぱり妖精の血筋の、すげえ美人で、同じ一座で伝説の妖精をたたえる古い詩なんかを語ってたんだが、みんな、最初はその親子を、てっきり年の離れた姉妹だと思ってたもんな。
あのな、妖精っていうのは、もともと人間よりずっと長命な種族だったんだ。けれど、神代の終りとともに妖精たちが『魂の癒し』の力を無くしてから、身体よりも先に魂が老いて弱ってしまうようになって、だんだん寿命が短くなってきたんだと。だけど妖精は、もともと長命だったから、時々しか子供が生まれなかった。それでだんだん数が減って、しまいには滅んでいったんだ。
妖精はシルドーリンの丘の下に住んでて、めったに人間の前に姿をあらわさなかった。そのころ、シルドーリンは、結界じゃなかったけど、人間は立ち入らない聖域だった。でも、ほんとにめずらしいことだったんだけど、ときたま妖精がシルドーリンを出て人里に降り、人間と愛しあって子孫を残すことがあった。それが、今の妖精の血筋のはじまりさ。だから今でも妖精の子孫は年のわりに若く見える人が多いし、長寿の人も多いんだ。今、この国で百才以上の年寄りは、ほとんどみんな妖精の血筋だろうと言われているんだぜ。ついでに言えば、妖精は、男も女もとても美しい種族だったそうで、今でも妖精の血筋と言えば美人の代名詞みたいなもんなんだ」
「あの、お話に出てくるラドジール王も、妖精の血筋だったから、『妖精王』って言われてたんでしょ?」
「もちろん、そうさ。なんでも、黒い肌に銀の髪、青い瞳という、いかにも妖精風のすばらしい美貌の持ち主だったってことだ」
「妖精の血を引く人は、肌が黒とか茶色なの?」
「ああ。伝説の妖精は、肌は坑道の土と闇の漆黒、髪は炎と金属の色、瞳は宝石の色って言われてるが、実際は、肌は、茶色いな。人によって濃かったり薄かったりするけどな。ラドジール王の黒い肌っていうのも、まあ、言葉のアヤで、実際は濃い茶色だったんだろうと思うぜ。髪はだいたい伝説どおり、赤か金か、その中間の色のことが多くて、必ず、金属でできてるみたいにツヤツヤした巻き毛だ。目は、サファイアの青とかエメラルドの緑とか、変わったところではアメジストの紫とか琥珀色とか、そういう、たしかに宝石みたいな明るい色のことが多い」
「肌の色は、ずっと昔に混血してそのまま何世代もたってるんだから、だんだん薄くなってきたんじゃない? 妖精が滅びたのって、いつごろ?」
「妖精は人里離れた山のなかの洞窟にすんでいて人間とほとんど交流がなかったから、いつの間に滅びたのか誰も正確には知らないんだけど、とにかく、もう何千年前だかもわからないくらい昔だよ。でも、妖精の血は人間の血より濃くて、親の片方が妖精の血筋ならその子供はまずまちがいなく妖精の特長を受け継ぐし、そのまた子供や孫も、代々、妖精の特徴を受け継ぐんだそうだ。そして、たまに、妖精と人間の間に妖精の特徴を持たない子が生まれた時も、そのまた子供や何代も後の子孫に、突然、妖精の特長を持つ子供が生まれたりして、そこからまた、妖精の特徴を持つ子孫が増えるから、妖精の血筋の特徴を継ぐ人は、何千年もたっても絶えないんだ」
「ふうん……。ねえ、都に行けば、あたしも妖精の子孫に会えるかしら」
「そりゃあ、会えるさ。昔は、妖精の血筋は、ほとんどシルドーリンの近辺にしかいなかったそうだけど、でも、国が統一されてからは、ほかの人がみんなそうしたみたいに妖精の子孫もあちこちに移り住みはじめて、今じゃ、だいぶ散らばってるんだ。俺も都で何人も見かけたが、女の子が、みんな、えらいべっぴんで、みんな小柄だけどスタイルはいいし、ちょっと声をかけて見ようか、なんて……おおっと、そんなことは、どうでもいいんだ。とにかく、都の大通りに一時間も立ってりゃ、何人でも通るよ。でも、妖精の血筋の女の子は、気位が高いぞ。日頃から、美人だといってちやほやされつけてるせいか、けっこう高飛車なコもいて、俺なんか、あやうくひっぱたかれそうに……ああ、いや、いや、何でもない、何でもない」
「ローイ……。あなた、都へ行ったときも、通りに突っ立ってナンパしてたんだ?」
「ま、まあ、いいじゃねえか。でもよ、妖精の血筋の女の子に声かける時には、気をつけないといけないぜ。はたちをいくつかすぎたばかりと思ったのが、俺くらいの年の子供のいるおばさんだったりするからな」
「あたし、ナンパなんかしないもん」
「そりゃそうだ。そうそう、あんた、軍隊に入るんだったら、きっと、いくらでも妖精の子孫と知り合いになれるぜ。軍の宿舎や練兵場はイルベッザ城の敷地内にあるんだけど、同じ敷地内に、国立の治療院があるんだ。妖精の血を引く人がひとところにたくさん集まっているってことでは、多分、シルドーリンの麓の村以外では国中で一番だ」
「えっ、どうして? 妖精の血筋の人は、身体が弱いの?」
「ああ、違う、違う。患者じゃなくて、治療師のほうだ。妖精の血筋には、癒しの魔法が得意な人が多くて、歴史に名の残るような優秀な治療師といえば、たいていは妖精の血筋だ。妖精は、もともと癒しの種族だったからな。あと、鍛冶屋とか貴金属細工師なんかにも、妖精の血筋が多いぞ。妖精は、癒しの種族であるだけでなく、もともと、シルドーリンの鉱山で金や宝石を掘って、それを鍛えたり細工したりして暮していた鍛冶の種族でもあったからな。だから癒しの魔法だけじゃなく、火を扱う魔法も得意な人が多い。もちろん例外もいるし、妖精の血筋だから当然癒しの魔法が得意だろうとか決めつけられるのを嫌う人も多いそうだけどね」
ローイの話を聞きながら、里菜は、黒い肌に金や赤の髪という、見たこともないような姿の人々を思い浮かべて、わくわくしていた。最初に妖精と聞いた時には、里菜は、背中に羽のある、てのひらにのるような小人を想像してびっくりしたのだが、そうでないと知った今でも、やはり妖精の末裔という存在は、里菜の心を引きつける。
だいたい、この世界は、別世界とは言っても、魔法の存在に慣れてしまうと、ふだんはあまり変わったところがないように思えるのだ。
ドラゴンはいるが、しょっちゅう目にするものでもないし、あとはそう変わった生き物を見かけることもない。植物なども、大半は『あちら』にも存在するようなものだ。
ただ、見かけは『あちら』の動植物のどれかに似かよっていても性質がちょっと違ったりすることはあるし――たとえば、まきばで時々見かけたヒナギクそっくりの可憐な花は毒草だそうで、アルファードは見つける度に、羊がうっかり食べないようにと引っこ抜いていた――、麦だの羊だのといった『あちら』と共通の動植物も、里菜にはまったく同じものに見えるけれど、詳しい人がつぶさに見れば、どこかしら多少違うところがあるのかもしれない。また、中にはこの世界に独特の花や作物もあるようだ。
だが、そういう独特の動植物も、ただ単に知らない種類だというだけで、それほど変わった様子はしていない。別の世界というより、ちょうど、ちょっとだけ気候の違う外国に来たような感じだ。
村の人々もまた、そういえば、里菜から見てあまり違和感がない容姿の人が多かった。
白い肌に空色の目のヴィーレを見たときには一目で外国人だと思ったが、村ではたいていの人は日焼けして小麦色になっているから元の肌の色はよくわからないことが多く、顔立ちもそれほどバタ臭くない。アルファードなどは、日本人だと言われれば納得してしまっただろうと思うような顔立ちだ。
そして、髪や目の色は、みな、わりと似通っている。
髪は、ほとんどの人が茶色の濃淡で、人によって多少赤っぽかったり黄色っぽかったり、まれにはヴィーレのように亜麻色に近いほど色が淡かったりはするが、金髪や黒髪の人はいなかった。目の色も、ほとんどが茶色の濃淡で、たまに空色がいるくらいだ。
それで里菜は、最初、この世界の人はみな、ああいう容姿なのだと思っていたが、あとで、そういうわけではないことを、ローイに教わった。
あの村は、何百年も人の出入りがほとんどないので、村人がみな、互いに似通っているのだという。
ローイの話によれば、この世界でも、昔は地域によって住民の容姿にけっこう特長があったのだが、国の統一以来、人の移動が多くなって、今では、特に都会では、みんな混じりあって住んでいるということだ。
だから、あの村のように村中の人の髪の色がほとんど同じなどというのは、『ど田舎』の証明なのだとローイは言っていた。
プルメールでは、里菜はたしかに、いろいろな容姿の人を見かけた。色の白い金髪の人も、彫りの深い異国的な顔立ちの人たちの一団も見たし、中には、日本人かと思うような小柄な黒髪の人もいて、思わず駆けよって声をかけたくなったくらいだった。だが、ローイの話によるとプルメールにもいくらかはいるはずの妖精の末裔は、運悪く見かけることができなかったのだ。
けれど、里菜は、イルベッザにつくのを待たずに、このあとすぐ、妖精の末裔と遭遇することになる。
それは、道端の空き地で、水と携行食の簡単な昼食をとっている時だった。
ローイは、堅いの不味いのパサパサするのと、さんざん文句をいいながら、アルファードの二倍、里菜の三倍は堅パンを食べた。プルメールでパンを買ったのは、まったく正解だった。
「ローイって、ほんとに、痩せの大食いね」と、里菜がからかうと、ローイは口いっぱいほおばったパンをもぐもぐ噛みながら答えた。
「ああ、兄貴の嫁さんにも、よく言われる。ろくに働きもしないで、食べるのだけは十人前、なんてね。でも、十人前ってのは、いくらなんでも大袈裟だよな。せいぜい三人前だよ」
そうして、ローイが、デザートにヴィーレの焼き菓子を食べようとして口を開けた時だ。
ふいに、すぐ耳元で、子供の声がしたのだ。
「それ、ちょうだい!」
「うわあっ!」
いきなり間近から声をかけられたローイは、菓子を手にしたまま、飛び上がった。
里菜とアルファードもぎょっとして、顔を上げた。
ローイの横に、いつのまにか、小さな女の子が、当然のような顔をして立っていた。
背格好からすると、八、九才だろうか。
その容姿に、里菜は目を見張った。
ビロードのような漆黒の肌に、光輝く黄金の巻き毛。信じられないほど大きな、明るい緑の瞳。『あちら』の世界ではアニメやマンガの中でしかお目にかかることが出来ない現実離れした色彩の、絢爛豪華を絵に描いたような、唖然とするような美少女である。
まちがいなく、妖精の血筋だ。
少女は、冬だというのに、なぜか袖なしの薄衣一枚をまとって、震えるでもなく、かわいらしく小首をかしげて、落ち着いた様子で立っている。
(か、かわいい! お人形さんみたい!)
里菜はとっさにそう思ったのだが、そんなのんきなことを考えている場合ではない。いくら街道ぞいとはいえ、こんな山奥に、子供がひとりでいるわけがない……。