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第一章<エレオドラの虹> 第十四場(2)

 アルファードもあっけにとられたが、跪いていた三人も、ギョッとした。

 呆然と顔を上げた老人は、言葉を失ってまじまじと里菜を見つめ、後ろの二人は、互いに顔を見合わせた。

 ややあって、老人が言った。

「女王よ……。おっしゃることが、よく分かりませぬが……。その、じじい、とは?」

 アルファードも、眉をひそめて問い掛けた。

「リーナ、その『ろりこん』というのは、何だ?」

 里菜の言葉は、どういう仕組みでか、この世界の言葉に自動的に翻訳されて相手に伝わるらしいのだが、この世界にない物事を指す言葉などは、翻訳されずにそのまま伝わるらしい。どうやら、この言葉も、『翻訳』されずに伝わったようだ。この世界にも、それに相当する言葉はあるはずだが、きっと、代用するにはニュアンスが違うのだろう。

「え? まあ、その、『あちら』の世界での、ののしり言葉よ。気にしないで」

 困って答える里菜に、アルファードは厳しく言った。

「リーナ。俺は、君がローイなどとつきあって下品な悪態を覚えるのではないかと心配していたのだが、どうやら、そんな心配をしなくても、君は『あちら』の世界で、悪態のつき方は十分に覚えてきていたというわけだな。だいたい、じじい、などという無作法な言葉は、相手が誰であろうとも使うべきではない!」

 こんな時に言葉づかいについて大真面目に説教を始めるアルファードの神経に呆れつつも、里菜は思わず赤面した。

「だって……。本当なのよ。本当に、嫌なやつなんだから! 強引だし、アタマ、おかしそうだし、ヘンな魔法使うし。それにあたしのこと、勝手に自分のものだなんて決めつけて、ひとりで妻だとか花嫁だとか言ってて、思い込み激しいし、自信過剰っぽいし……」

 やっと気を取り直した老人が、かすれた声で尋ねた。

「女王よ。あなたは、その……、黄泉の大君に、お会いになられたので?」

「オオキミだかオオカミだか知らないけど、あの死神野郎になら、会ったわよ。あなたたちが迎えにこなくても、自分からあたしに会いに出てきたわ。ずっと、ただの夢だと思ってたんだけど……」

 アルファードが口を挟んだ。

「死神とは、タナート神のことか?」

「なんだか知らないけど、自分のこと、『魔王』だって言ってたわ。でも、それは、本当の名前じゃないって」

 その言葉を聞いて、黒衣の三人はざわめいた。

 アルファードはそんな三人のことなどおかまいなしに、里菜を厳しく問い詰めた。

「リーナ。そのことを、俺に話さなかったな」

「だって、夢だと思ってたんだもん。わざと隠してたわけじゃないの。あとで話すわ」

 まだ何か里菜に言おうとするアルファードを遮るように、老人が、突然それまでの慇懃な態度を忘れたかのような性急さで、強引に話に割って入ってきた。

「そのお方は、どのようなお姿であらせられましたか? どのようなことを仰せになられましたか?」

 懇願するように、せき込むように尋ねた老人の、しわ深い顔の中の半ばまぶたに閉ざされた目には、不思議な渇望の色が浮かんでいた。

「ええっと、いろいろ、変なことを、よ。赤ちゃんと結婚したいとか。ヘンタイよ、ヘンタイ!」

 若い僧が、目を丸くして、思わず口を挟んだ。

「ハァ? 赤子と結婚、ですか?」

「そう。あとね、ええと、何だか、この世界に再生を、とか、新しい神代かみよの楽土、とか、そんなようなこと」

 それを聞いた黒衣の三人は、

「おお……」と、どよめいたきり、黙り込んでしまった。

 若い僧たちの目に、感極まったように涙が浮かんでいる。

 老人はと見ると、床に頭を擦りつけるようにうずくまったきり、動かない。

 心配になった里菜は、屈んで老人のフードの下を覗きこんだ。

「おじいさん? どうしたの、大丈夫? ……あたしがあなたたちの神様のことヘンタイとか言ったからショック死しちゃった――なんてこと、ないわよね?」

 老人は顔を上げた。その目から、とめどなく涙が流れている。目の前に、心配そうな里菜の顔があるのを見た老人は、再びうずくまり、嗚咽を漏らした。

「おお、女王よ、女王よ……。私などのことを、そのように気に止めて下さるとは、もったいない……」

 あまりの感激ぶりに、里菜は薄気味悪くなって、後退りながら言った。

「ねえ、その、女王っていうの、やめてよ。なんか、ほら、ハイヒールはいて鞭持ったお姉さんみたいじゃない」

 気味悪さと困惑の余り、とりあえず、何か茶化してみないではいられなかったのだ。

 老人は、キョトンとして、涙に濡れた目をしばたたいた。

 後ろの若い僧たちも、うるんだ目を見交わして、ぼそぼそと呟きあった。

「はあ……。鞭、ですと。何の象徴でしょうか」

「やはり、女神の御言葉は、我々凡夫には、理解できぬのですな……」

 そしてまた、感動の面持ちで里菜を見つめて、神妙に次の言葉を待った。

 里菜は、何だかうんざりして、少しばかり投げやりに言った。

「とにかくね、悪いけどあたしは、女王なんかじゃないの」

 そのあとに里菜は、ものの弾みで、ついうっかりと、こんなことを言ってしまった。

「それに、あたし、あんな死神のお嫁さんになんか、死んでもなる気、ないから。あたしは、ここにいるアルファードのお嫁さんになるって、もう決めてるの!」

 その場にいた全員が、一瞬、凍り付いたように沈黙した。

 里菜は慌てて、赤面しながらアルファードを盗み見たが、彼は、何も聞こえなかったようにそっぽを向いて黙ってしまった。

 二人の若い僧たちは、とほうもなく恐ろしいことを聞いたように、怯えた顔を見あわせた。まるで、そこに居合わせた全員にいまにも天罰が下って何か恐ろしいことが起こるのではないかという顔だ。

 しばらくして、最初に気を取り直した老人が、こわごわ確認した。

「アルファードというのは、そこの若い方のことですな?」

「そ、そうよ。今、そう言ったじゃない!」

「それで、その方も、そういうつもりでいらっしゃるので?」

「し、知らないわ。あたしが勝手に、そう決めてただけだから。でも、あたしは本気よ。アルファードとでなけりゃ、一生、誰とも結婚なんかしないんだから!」

「では、別に、あなたがたがすでに結婚のお約束を交わしていなさるとか、あるいは、その……、事実上、夫婦として暮しておられるとか、そういうわけではないのですな」

「そうよ。どうせ、片思いよ。悪かったわね!」

 里菜はやけになって叫んだ。

 アルファードはあいかわらずむっつりと横を向いて、何も聞こえないふりをしている。

 老人は、そんなふたりを、年老いた叡智の宿るまなざしで見比べてから、それまでの恭しい態度とは違う、不思議にやさしい面持ちで里菜に向き直った。

「娘御よ、あなたはおいくつですかな?」

「……十七よ。それがなんだっていうの?」

「そうですか……。それならばもう、結婚なさってもおかしくはないお年頃ですな。私の娘も、十八で嫁に行きましたが……。けれどあなたは、どういうわけか娘が七つかそこらの、ほんの幼い少女だったころ――おおきくなったらお父さまのお嫁さんになる、などと言ってくれていたころを、私に思い出させますな。その娘も、十年も経ったらそんなことはすっかり忘れて、遠方に嫁に行ってしまったわけですが……。あなたの、その方への今のお気持は、何かそんなようなものではございますまいか。十七とおっしゃいましたが、それにもかかわらず、どういうわけか、あなたは、まだ幼い。大人になればそんな気持など、きっと忘れてしまいましょう」

 里菜は、自分の真剣な想いにケチをつけられたと感じて、何か痛烈なことを言い返してやろうかと口を開いたが、自分を見つめる老人の顔に慈父のような微笑みが浮かんでいるのを見て気勢をそがれ、口を尖らせて、こう言っただけだった。

「そんなことないわ。大人になればって言ったって、あたしは今だって、もう、子供じゃないもん。アルファードとだって、歳、そんなに違わないんだから」

 老人はそんな里菜に、ますます愛しげに微笑みかけて言葉を続けた。

「ですが、今、あなたがその方を見る目は、私には、父親を見上げる幼い娘のそれのように見受けられますな。今のあなたがたを無理に引き離すことは得策ではなさそうですが、そんなことをしなくても、いずれ、時が来れば、あなたは自分から、その方のもとを旅立つでしょう。なぜなら、娘御よ、あなたの運命の相手は、ほかにいらっしゃいます……」

 それまでそっぽを向いていたアルファードが、向き直って老人を睨みつけた。それに力を得て、里菜は叫んだ。

「だから、あたしはそいつが嫌いなの! もう、放っといてよ!」

 アルファードが、おもむろに口を開いた。

「……と、いうわけだ。リーナは、シルドーリンになど、行かない。そうだな、リーナ?」

「うん」

「では、こいつらを帰していいな?」

「うん!」

 アルファードは進み出て、里菜を背後に庇うように老人の前に立ちはだかり、低く言った。

「失せろ」

 老人はうずくまったまま動かず、顔だけを上げて、じっと里菜を見た。

 アルファードの声が、凄みを帯びた。

「失せろ! リーナは、魔王の花嫁になど、ならない!」

 剣の切先が、老人の目の前につきつけられた。それを無視して、老人は、懇願するような視線を里菜に向けた。

「女王よ。どうしても、来てはいただけないのでしょうか。この若い方も、護衛として同行していただいてもよろしいのですよ」

「行かない」

 里菜は素早く、きっぱりと言い切った。

「さようですか……。ならば、しかたがありませぬ。……女王は、すでに王と巡り会っておられる。なれば、我等がお連れしなくとも、女王はいつかお目覚めになり、御自分のなすべきことをお知りになりましょう。女王よ、その日を、お待ち申し上げております。では……」

 そういうと老人は、突きつけられた剣先を全く無視して立ち上がり、今度はアルファードに言った。

「お若い方。ヴェズワルのものに、くれぐれもお気をつけ下され。私はこれからヴェズワルに説得に参るつもりですが、おそらく彼らは、私のいうことなど聞かぬでしょう。どうか、目覚めの時まで、我等に代わって女王をお守り下さい」

 アルファードは、老人を睨みつけて、唸るように言った。

「きさまに言われなくても、リーナは、必ず、この俺が(・・)ずっと(・・・)、守る! とっとと、失せろ! 二度と俺の前に姿を見せるな!」

 その剣幕に、里菜は少し驚いて身をすくませた。たしかに、あの老人は、アルファードに対しては少々慇懃無礼だったかもしれないが、だからと言って、そんなことで、普段温厚なアルファードがここまで怒るとは思えない。アルファードが、『俺が、ずっと』のところを、一語一語区切るようにしてやけに強調してくれたので、どういうつもりでそう言ったのか、その真意はわからないながらも嬉しかったが、一方で、ただ礼儀正しく話をしていっただけでここまで怒鳴られるようなことをしたわけでもない気がする老人が少し気の毒になって、里菜はドアの隙間から顔を出し、雪の中に出ていく小さな背中に声をかけた。

「おじいさん。雪がひどいから、気をつけてね」

 老人は振り返り、かすかに微笑んで頷いた。そしてそのまま、静かに去っていった。

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