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第一章<エレオドラの虹> 第十場(5)

 そのうち夜が更けると、娘たちの多くは、連れ立って、あるいはそれぞれのボーイフレンドや迎えに来た父兄に伴われて、いつのまにやら帰ってしまった。残っているのはすっかり出来あがった酔っ払いばかりとなった。

 ずっと娘たちの群れの中にいてアルファードのそばに行きそびれていた里菜が、やっと彼の隣にたどり着いて並んで腰を降ろすと、里菜よりさきにアルファードがいきなり話を切り出した。

「リーナ、俺は君に、謝らなくてはならない。俺は君のことを、バカと言ってしまった」

「え? ……そういえばそんなこと言ったかしら。でもしかたないわ、あたし、バカなことしたんだもん。バカっていわれて当然だから。それにアルファード、もう、あの時すぐに、すまなかったって言ってくれたじゃない」

「いや、それは二度目のことだろう。俺は、そのまえ、まだ君がなにもバカなことをしないうちに、バカといってしまったんだ」

「え? いつ?」

「最初にドラゴンが飛んできた時。俺は君に、『バカ、早く逃げろ』と……」

「……そんなこと、言った? そういえば、そんな気もするけど……。でもそれは、あたしがあんな非常事態にぼやぼやしてたんだから、しょうがないわ」

(アルファード、そんなとっさの一言を、ずっと気にしてたのね。あたしのほうは全然覚えてもいなかったのに)と、里菜はそのあまりの律儀さに半ば呆れた。

 アルファードは、大真面目にこう言った。

「いや、君は、訓練された自警団員ではないのだから、即座に指示に従えなかったからと言って、君を責めるのは間違っている。それに、いくら非常事態でも、何を言ってもいいわけじゃない。すまなかった」

「アルファード、謝るのはあたしよ。本当に、ごめんなさい。それから、ありがとう。あたしを、守ってくれて。あたし、あたし……」

 そこへ、いきなり大声を張り上げて、すっかり酔っ払ったローイが、酒の壷を片手に、割り込んできた。

「おーい、仲直り、したかあ?」

 アルファードはむっつりと答えた。

「俺とリーナは、別に仲違いなどしていない」

「何言ってんら! 俺がリーナちゃんに言ってやったんらぞ、アルファードにキスのひとつもしてやれって。してもらったか? アルファード、俺に感謝しろ!」

 ローイはすっかり、目が据わっている。

「なあ、リーナちゃん、こんな朴念仁野郎、かまったって無駄らぜ。俺に乗り換えないかあ?」

 そう言いながら、ローイが、いきなり里菜の肩に手を回したので、彼の馴々しさに悪気がないことはよく分かっているつもりの里菜も、つい、反射的に、身を固くした。ローイは、実は少々酒癖が悪いらしい。

 この手の酔っ払いには逆らわないほうがよさそうだと見て取った里菜は、身を固くしたまま、気を取り直して適当に答えた。

「う、うん、考えとく……」

「考えとくとは、なんらぁ! 酔っ払いらと思って、適当にあしらってるな! ああ、俺は酔っ払いらよ! ろうせ、今のこと、あしたは覚えてないらろうと思ってるんらな。その通りさ! 俺は忘れるよ! れも、俺は、自分が酔っ払いらってこと、ちゃんと分かってるんらぜ! て、いうことは、まらまら、酔っ払いじゃないんらぁ!」

「おい、ローイ、いいから、その手を放せ。リーナがいやがってるぞ」

「なんらよ、アルファード、あんたにそんなこと言う権利あるのかよ。リーナはあんたの持ち物か? リーナは、いやがってなんか、いるもんか。なあ、リーナちゃん? 俺のこと、キライじゃないよな!」

「う、うん、キライじゃないけど、でも……」

 どうしてよいかわからずに困っている里菜から、アルファードが、ローイを、力づくでひっぺがした。

「リーナ、こいつを相手にするな。こいつは酒を飲むとしつこく絡むんだ。これさえなければ、いいやつなんだが……」

「ああ、ああ、俺はいいやつれすよ! らから、酒飲んらときは、いいやつ、やめるの! れなきゃやってられんらろ!」

「おい、何言ってるんだか、さっぱりわからないぞ。いいから、あっち行け。もう、酒もそのくらいにしとけ。酒に呑まれると、ロクなことはないぞ」

「あっち行けとは、なんらあ! 俺ぁ、あんたの飼い犬じゃねえ。行けと言われて、おとなしく行くもんかぁ! あんたも、そんな一人れ真面目くさってないれ、もっと飲め。人生、もっと楽しまなくちゃあ。いつらって、一人らけ、シラフみたいな面してよ。俺あ、一度れいいからあんたが酔っ払って正体なくすとこ、見たいぞ。ほら、飲め! 固いこと言わずによお」

 ローイは、アルファードにしつこく酒を勧め始め、アルファードはしかたなさそうに、一杯だけ杯を受けて飲み干した。

(そういえば、アルファードって、全然酔ってないみたい。結構飲んでるみたいなのに、もしかしてすごく強いのかしら。それとも、ずっと、飲んでるフリしてたのかしら)

 里菜はあらためて、赤くもなっていないアルファードの顔を見た。そういえば、里菜はいままで、アルファードが少しでもお酒を飲むところを見たことがない。

「なあ、アルファード、あんた、なんれ、いつもそんなにマトモれいるんらぁ? たまにはハメをはずせよ! な? な? 俺ぁ、今日こそ、あんたが酔い潰れるとこ見ないれは帰らないぞぉ」

「ムダだ。俺は、絶対、酒で自分を失ったりはしない。そんなふうに、好き好んで正体をなくすやつらの気がしれない。自分が何をしでかすか、お前は怖くないのか?」

「ああ? 俺ぁ裏表のない人間らから、酔っ払ったって、なんにもわりいことなんか、しねえもん」

「なにが、悪いことしない、だ。何もしなくても、酔っ払ったお前は、それだけで充分、迷惑だ」

「そうかあ? そりゃあ、ごめんなあ」

 と、言いながら、ローイはアルファードのそばを離れず、しつこく絡み続ける。

 アルファードの迷惑顔を見ながら、里菜はクスっと笑って口を挟んだ。

「アルファードは、裏表のある人間なの? それとも、酒癖、悪いの? 泣くとか怒るとか説教するとか、服脱ぐとか暴れるとか?」

 いきなり追求されたアルファードは一瞬言葉に詰まってから、もごもごと答えた。

「いや、そう聞かれても、困るが……。俺は本当に、正気をなくすほど飲んだことがないから」

「お酒、強いの? ずっと飲んでるのに、ちっとも酔っ払ってないのね」

「ああ、実は、そんなに飲んでないんだ」

「へえ、やっぱり、そうなんだ。宴会とか、嫌いなの?」

「そんなことも、ないが……」

 そこへまた、すっかり目の据わったローイが、乗り出すように言った。

「な、な、リーナちゃんも、アルファードが酔っ払うとこ、見たいらろ? 俺あ、ゼヒ見たい! 飲め! さあ、飲め! 俺の酒が、飲めないっていうのかあ!」

 アルファードは頭を抱えた。

 中央のテーブルでは、最後まで残った数人の酔っ払っいたちが猥談で盛り上がり始めている。男ばかりの中に、お転婆娘のヴィヴィと、さっきまでアルファードに抱きついていたユーサが加わって、ひときわ過激な発言を飛ばして大受けしており、その会話が、声が高いために丸聞こえだ。しかも、そのうちに、本人がそばに居るのもお構いなしにアルファードをネタにして何やらとんでもないことを言いたい放題、里菜の耳には絶対入って欲しくないような露骨な冗談が飛び交い始めた。

 アルファードはますます頭を抱えて、ちらりと里菜に目をやり、たまりかねたように酔っ払い集団に声をかけた。

「お前ら、もう帰れ。今日はここまでだ」

 だが、こんどは鶴の一声とはいかなかった。

「やだ! 宴会のお開きは、副団長の権限だ! 副団長が終りと言うまで、帰らねえ」

 その、副団長は、アルファードの寝台の上にあぐらをかき、抱え込んだ壺からじかに酒を飲んでいて、もうすっかり正体がない。

「いいから、帰れ。ここは、俺の家だ」

 さすがに語調を強めたアルファードを見て、酔っ払いはますます騒ぎだした。

「あ、たいへんだ、アルファードが怒るぞお!」

「怒るもんか。アルファードは人間出来てるもん」

「そうだよな、アルファードは、最近、絶対怒らないよな。俺、アルファードが怒るとこ最後に見たの、八年前だよ。忘れもしないよ。俺、あんとき殴られたもん」

「あ、それ、俺も覚えてる。そういえばたしかに、あれが最後だよな。あんとき、お前、なんでアルファードを怒らせたんだったっけ」

「それが、いまだにわかんないんだよな。なあ、アルファード、あんた、覚えてるか? 俺が十三かなんかのときだよ。俺、あんたと喧嘩して、殴られたの」

「いや、忘れた。だが、それは悪いことをした。すまなかった」

 子供時代の話だというのに、アルファードはいきなり、大真面目に頭を下げた。

「いや、いいんだよ、別にいまさら謝って貰おうと思って言ったんじゃないんだ。まあほら、子供の喧嘩だし、あんときだって、あんた、後ですぐ俺に謝ってくれたしよ。ただ、俺の、どの言葉が、あんときあんたを怒らせたのか、覚えてたら聞こうと思ったのさ。だって、ほんと、いきなりだったもん。『俺が魔法を使えないからって、バカにしたな!』とか、急にわめきだしてよ。俺、ちっともそんなこと言った覚えないのに……」

「それは、ほんとうに悪いことをした。きっと俺の勘違いだったんだろう」

 それを聞いていたほかの若者も、最近すっかり忘れていたアルファードの少年時代のことを思い出して、がやがや言い出した。

「そういえば、アルファード、昔は結構危ないやつだったよな。たしかに、なんでもないことで、魔法を使えないからバカにされたって言って急に怒り出したりしてよ。俺もそういえば、怒らせたことあったよ。それが今じゃ、村で一番温厚な男だもんな」

 それは里菜が初めて聞く、アルファードの過去の一面だった。

「へえ、アルファードって、子供のころは怒りっぽかったんだ……」

 里菜の言葉に、アルファードはきまり悪そうにぼそぼそと答えた。

「怒りっぽいというか、確かに、少々、カッとなりやすかったのかも知れないな……。もう、自分でも、そんなこと忘れかけていたんだが……」

「ふうん。ねえ、もしかして、それであんまりお酒飲まないの? 自分がカッとするタチなのを知っているから?」

「ああ、自分でも気付かなかったが、あんがいそうなのかも知れない」と、里菜の追求の厳しさに多少閉口しながら答えたアルファードは、これ以上旗色が悪くならないうちに寝てしまうことに決めた。

 どのみち、酔っ払いたちの猥談がこれからますますエスカレートし始めるのは目に見えているとあって、そのまえに里菜を隣室に追い払っておこうと思っていたところだったのだ。

「リーナ。もう遅い。君は、そろそろ寝ろ。あいつらは、まだ当分飲むつもりらしい。勝手にさせておこう。俺も、寝る。おやすみ」

 アルファードは、無駄と知りつつ、酔っ払いたちにも、今いちど声をかけた。

「おい、俺は、寝るぞ。お前らも、早く帰れ。ディード、お前はヴィヴィを責任持って家まで送るんだぞ。ローイ、そこをどけ。俺の寝台だ」

「ああ? なんらあ?」

「そこから、どけと言っているんだ」

「いやらね。俺はここれ、飲むんら!」

 業を煮やしたアルファードは、力まかせに掛け布団をひっぱってローイを床に払い落した。

 ローイの、ロレツの回らない抗議を背中に聞いて、クスクス笑いながら、里菜は寝室に引きあげたのだった。


 そうしてすっかり楽しい気分で眠りについたのに、どうして、あんな夢を見てしまったのだろう──。



 ベッドの脇に置いてあった洗面器の水でのろのろと顔を洗い終えた里菜は、昨夜の陽気な笑い声をもう一度思い出しながらドアの前に立ち、取手に手をかけながら自分に言い聞かせた。

(そう、あれが、ほんとうにあったこと。あの、暗い川辺は、昼間の恐怖や緊張と宴会の興奮の名残りが見せた、ただの悪い夢……)

 一瞬のためらいの後、里菜はぱっとドアを開け――そして、そこに広がる光景に、息を飲んで呆然と立ち尽くした。

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