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第一章<エレオドラの虹> 第一場(1)

 エレオドラさんの上に、虹が出ている。まもなく薄れて消えそうな、夕方の虹である。

 こんなふうに山の上にかかる虹を、村では、『女神の橋』と呼んでいる。

 羊飼いの若者アルファードは、坂の途中でふと足を止め、陽に灼けた顔を上げて虹を仰いだ。

 エレオドラ山の頂きの石灰質の岩肌を、秋の夕方の光が、淡いバラ色に輝かせている。その、同じ弱々しい秋の陽が、彼の逞しい肩や広い背中にも纏わり付き、質素な生成りの羊毛の上衣に、オレンジと灰色のほのかな陰影を与えている。

 普段なら、小枝のむちを手に羊の群れを追って歩くこの道だが、今、彼につき従うのは、彼の忠実な牧羊犬、ミュシカだけだ。

 ミュシカは、ふさふさした毛並みの、大きな茶色の雌犬である。彼が仔犬のころから大切に育てたこの牧羊犬は、彼の、仕事上の有能な相棒であるとともに、この上なく誠実な親友でもある。

 アルファードは、自分の後ろでおとなしく立ち止まったミュシカを、やさしいまなざしで振り返る。その、瞳の色は、暖かな暗褐色。夏の陽光を奥深く蓄えた、揺るぎなく力強い大地の色だ。

 主人の視線に、ミュシカは軽く尾を振って応えた。

 ザワザワと草を鳴らして、風が吹き抜ける。

 風に吹かれて額にかかる茶色がかった黒髪を無造作に手で払い除け、アルファードは、ふたたび歩きはじめた。ミュシカも、とことことついて来る。

 ゆるやかな山道を大股に登るアルファードの行く先は、村はずれの<女神の淵>だ。

(なぜ俺は、虹が出るたびに、引き寄せられるようにあの場所へ行くのだろう。なんのために……。あそこに、何があると言うのだろう。俺の失われた過去の手掛かりを探しにいくのだろうか。自分がこの世界に生まれ出た場所、自分の原点ともいえる、あの場所に。……そうだ、俺があそこで倒れていたあの日にも、虹が出ていたのだ。目をあけて、最初に見たのは、虹だった……)

 アルファードは、思い出す。

 彼はこの村で生まれたのではない。十二年前、<女神の淵>で気を失って倒れていた彼を、村の老人が連れ帰って育てたのだ。

 その時、彼は、一切の記憶を失っていた。言葉は話せたが、記憶にあるのは、老人が現われる前、半ば川の水につかったままうつろに目を開けて虹を見たこと、そして、それからまた気を失ったらしいことだけだ。

 自分の名も、年令も、わからなかった。彼は、今、二十二才ということになっているのだが、老人に拾われた時の年格好が十才位と判断されたからに過ぎない。名前は、老人がつけてくれた。

 彼は自分がどこから来たのか知らなかったが、老人や村人たちは、彼が異世界からやってきたのだと信じた。彼の着ていた服は、この世界のものではない不思議な生地で出来ていたという。その服は、老人がどこかへ仕舞ったまま、みつからなくなったそうだ。もしかすると老人は、わざとその服を隠していたのかもしれないが、何年も前に老人が死んだ今となっては、確かめるすべもない。

 そう、この村で、彼は、異世界からの来訪者、<マレビト>なのである。

 それは、子供の頃から十年以上をここで過ごし、成長してきた今も変わらない。彼は、ここでは、永遠に客人であり、年配の村人たちが彼を見る目には、親しみや慈しみと同時に、今も微かな畏怖が宿っている。

 親愛と崇拝、期待と賞賛、そして若干の畏怖を込めて、村人たちは、彼を呼ぶ。

 <女神のおさな子>と。

 すでに立派な成人であり、しかも、人一倍大きく逞しい堂々たる体躯と年齢に似合わぬほどの落ち着きを兼ね備えたアルファードが<おさな子>などと呼ばれているのは、いかにも奇妙だが、村の人々にとって、<マレビト>は、女神に愛でられしもの、女神の御子みこであり、村に恵みをもたらす聖なる<おさな子>なのだから、しかたがない。この村にいる限り、彼はたぶん、いくつになっても<おさな子>と呼ばれ続けるだろう。

 けれど、そんなふうに呼ばれる時、アルファードのその、常は穏やかな、大地の色の瞳が暗い自嘲にふと翳り、薄い唇が皮肉な笑みの形にそっとゆがむことがあるのに、気づいているものは誰もいない。

(もしも俺が女神の息子だというのなら――)

 アルファードは、苦い気持ちで考えるのだ。

(どうやら俺は、母親に愛されなかった息子であるらしい。皆が言うように女神が俺を愛してくれていたのなら、どうして女神が、他のすべての人間に魔法の力を与えながら、息子である俺にだけ、それを与えてくれないなどということがあるだろうか。誰でも持っているはずの魔法の力さえ与えられぬまま、俺は、捨て犬のように、この世に放り出されたのだ……)



 アルファードの養い親は、名をレグルといい、妻も子もなく、隣り近所や親類からの援助も一切拒んで世捨人同然に一人暮しをしていた頑固で偏屈な老人だった。若い頃に突然、理由も告げずに村を飛び出し、二十年ほどして皆が彼のことを忘れかけたころ、平然とした顔でひょっこり帰ってきたが、その間、どこで何をしてきたのかを誰にも一切語らぬまま、集落から少し外れた丘の上の、長く空き家になっていた古いあばら屋に勝手に閉じこもって、それ以来、そのあばら屋を気長に修繕しながら、ほとんど誰ともまともに口もきかない変人として、人を寄せつけない隠遁生活を続けてきた。

 だから、彼がある日、<女神の淵>で拾ってきた幼い<マレビト>を自分で引き取って育てると言い出した時には、誰もが耳を疑い、もっと子供を育てるにふさわしい家庭に養育をゆだねてはどうかと、村を挙げて説得を試みたものだ。

 が、村人たちの懸念をよそに、レグル老は彼なりのやり方でアルファードを深く愛し、アルファードもまた、その愛情に応えて、年老いた養い親をよく慕い、敬った。

 レグル老は、司祭でも占術師でもなんでもないただの変り者の老人だったが、なにかしら不思議な力を持っていたらしく、時折、奇妙な予言をすることがあった。それはたいてい、謎めいた、どうにでも取れるような言葉で、その時は全く意味が分からないが過ぎた後にそれと知れるたぐいのものだった。そういう予言は、たぶんレグル自身にも意味はわかっていなかったのだろう。

 だが、近い未来については比較的わかりやすい予言がされることもあって、彼がアルファードを見付けたのも、何かそうした不思議な力に導かれてのことだったらしい。

 それはやはり、秋祭りが済んだばかりの、ちょうど今頃の季節のことだったという。虹の下で拾った子供にアルファードという名をつけたのはそのためだと、いつかアルファードは、レグル老から聞かされたことがある。秋祭りのころは、また、銀のアルファード星が一番よく見える時期でもあるのだ。

 アルファード星は、全天で一番明るい星である。この星の回りには、ほかにあまり明るい星がないので、よけいこの星が目立つ。それでこの星は、古い言葉で『ひとつ星』あるいは『孤独な星』を意味する”アルファード”と呼ばれている。

 この星は、この辺りの村からは、ちょうど女神の祭りの季節である秋の宵に、まるでエレオドラ山に寄り添っているかのように山頂付近の東の空にかかって見える。この星が神話の中で女神の恋人として語られるようになったのは、このためだろう。

 神話によると、この、神代の終焉をもたらす原因となった女神の恋人”アルファード”は、エレオドラ山の羊飼いの若者だったが、空で一番明るい星のようなその美貌を女神に愛でられ、短い人間の一生が終るまで、山頂の神殿で女神とともに暮らしたという。

 彼の口の悪い友人であるローイは、この神話のことで、

「あんたの場合、いくら女神の恋人と同じ”エレオドラ山の羊飼いのアルファード”だといっても、その程度の顔じゃ、女神様に見初められる心配はないよな」などとアルファードをからかう。

 たしかに、こちらのアルファードは、まあ、地味ながらそこそこ無難に整った顔立ちではあるが、高原の強い陽射しと尾根を吹き下ろす乾いた風に長い年月さらされ続けたその肌は武骨に日焼けして、真面目一方の彼の性格そのままに思慮深げに引き締まった禁欲的な風貌にはおよそ華やいだところがなく、凛々しく精悍であると褒められることはあっても、『美しい』などという形容には、どう見ても縁遠い。

 が、アルファードがこの名を自分に不似合いなものに思う理由は、それではない。

 銀のアルファード星はまた、<魔法使いの星>とも呼ばれているのだ。それは、この星の名を持つ女神の恋人が女神に魔法の力を与えられた最初の人間で、<本物の魔法使い>であり、人間界に魔法をもたらした恩人であるという伝説のためである。

 アルファードの知る限り、レグル老の予言は、一度も外れたことがない。その彼がなぜ自分の養い子に、よりによってこんな不似合いな名をつけてしまったのかと、アルファードは時々、そのことの皮肉を思って、なにか笑いたいような気分になる。

 アルファードは、<マレビト>でありながら、魔法が使えないのだ。それも、<マレビト>であるからには当然期待される<本物の魔法>の力がないだけでなく、この国の人なら誰でも使えるような<普通の魔法>さえ、彼には使えないのである。かまどに火を呼び起こしたり、鍋の中に水を呼び出したりといった、ごく日常的な、それこそ子供にでもできるような基本的な魔法でさえ。

 <普通の魔法>の基礎は、誰もが幼児期に、特に教えられなくても自然に身につけるものだ。赤ん坊がよちよち歩きを始め、カタコトを話し出せば、その次にはいつのまにか初歩的な魔法を見よう見まねで試みて見せるようになるのがあたりまえであり、自分が赤ん坊だった時にどうやって言葉や歩きかたを学んだか覚えているものがいないように、自分や自分の子供が最初の魔法をいつどうやって身につけたのか、あらためて考えてみるものなどいない。

 もちろん、ある程度高度な魔法や、あるいは特定の職業に必要な特殊な魔法は学習の結果として習得するものだが、それもあくまで、すでに基礎的な魔法の素地があってこそ学ぶことができるのであって、そもそも魔法を使うというのがどういう感覚なのかハナから知らなかったアルファードには、魔法の習得のためにどんな努力をすればいいのかさえ、全く見当がつかなかったのだ。

 誰もが魔法を使えるこの国では、魔法に替わる文明の利器が発達していない。あらゆる産業も魔法の上に成り立っている。そんな世界でただ一人魔法の使えない彼は、日常生活でもずっと不便な思いをしてきたし、なんとか就く事が出来る職も、ごく限られる。

 早い話が、この村で彼にできる仕事は、羊飼いだけだった。そして、その羊飼いの仕事も、誰も口には出さないが、魔法の力がなくてほかに出来る仕事がない彼のために村人たちがひねりだしてくれたものなのだ。

 羊飼いとはいっても、アルファードは、自分の羊を持たない。夏には山の小屋に住み込み冬には低地に降りて何千頭もの羊を通年放牧する本格的な牧羊業者とは違い、彼の仕事はただ、夏の間の毎朝、村の家々を回って集めた羊たちを山の牧場に連れていき、夕方には村の広場まで連れ戻るというだけのものだ。農地の豊かなこの村では、牧羊は主要な産業ではないが、主に自家用の乳や毛を取るためにほとんどの家で数頭づつの羊を飼っていて、アルファードは、そうした羊たちをまとめて託されているのである。

 そうして、各家が羊の数に応じて出し合ったささやかな報酬を供物くもつのように受け取って、彼は生計たつきを立ててきた。

 それは、彼のプライドを傷つけることなく彼に食いぶちを与え、同時に彼に一人前の村の成員としての地位を確保してやろうという、村人たちの周到な配慮なのだ。

 聖なる<おさな子>である彼は、女神に連なる貴い客人であると同時に一種のハンディを負った人間として、病人やみなし子といった弱者と同様に村の共同体の中で庇い養ってゆくべき存在と見なされているのである。

 もちろんアルファードは、そのことを知っている。知ってはいるが 村人が誰もそれを口には出さないのと同じように、彼もまた、口に出さない。それが村人たちの思いやりに応える最良の道であると、彼は理解しているのだ。人々の素朴な思いやりに黙って感謝しつつ、十二の時から、彼は羊飼いをしている。

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