第一章<エレオドラの虹> 第十場(2)
「そうさ。ミナトはな、誰よりも努力したんだからな。俺は、自警団の訓練が終ったあと、しょっちゅうミナトが自主的に居残り練習するのに付き合ってやったんだ。腕力は俺のほうがミナトより上だが、ほかは互角だぜ。前に言ったと思うけど、実は俺だって、けっこう強いんだ。たぶん、そうは見えないだろうけどさ」
「うん、ぜんっぜん、そんなふうに見えない」
「なんか、そこまで強調されると、ガックシくるよなあ。前にさんざん俺の活躍ぶりを話したじゃん」
「うん、そういえば……。だけど、どうせフカシだと思ってた」
「あーあ、やっぱり。どうせ、そうだろうと思ってたぜ。うそだと思うなら、ここにいるみんなに聞いてみろよ。俺がどんなに強いか、みんなが証言してくれるから。いいか、アルファードみたいに、見るからに強そうなやつが強いのは、あたりまえ! 俺みたいな、スリムな色男が実は強いってのが、今、かっこいいの! 分かる?」
「う、うん。ローイも、すごいんだ」
「そ! あんたも、ドラゴンをやっつけたければ、いきなりじゃなくて、もっと身体を鍛えて、アルファードに稽古をつけてもらってからにしなよ。ものには順序ってものがあるからな。自警団じゃ、少年少女向きの護身術や剣術の講習会もやってるから、あんたはまず、そっちだな。女の子もいっぱい来てるからさ。もっとも、あんたのその身体をなんとか人並みにまででも鍛えるには、人並はずれた努力が必要だろうな。勇敢なのはいいことだが、それだけじゃ、身体はついてこないぜ」
里菜とミナトの体格に雲泥の差があるのは一目で明らかで、それは生まれつきのものもあるだろうが、ミナトの人一倍の努力のたまものでもあるのだろう。そういえばローイも、よく見ればたしかに、弓を引くのに必要な頑丈な胸板と強い腕を持っているようだ。
ローイは、あたしの甘さを指摘したんだ、と、里菜は赤くなってうつむいた。腹は立たなかった。ただ、自分が恥ずかしくて、里菜は小さな声で言い訳した。
「あのときは、ただ、アルファードが危ないと思って、そしたら、訳がわかんなくなっちゃって……」
「あーあ、わかった、わかった。ごちそうさん。だけどな、リーナ、あんた、あの時、その場の状況、ぜんぜん分かってなかったろ? そういう時は、すばやい状況把握がモノをいうんだぜ。あんたはさ、言っちゃ悪いが非力なんだから、せめて敏捷性とか、とっさの判断力でそれを補わないとならないのに、どうやら、それもあんまり、あるようには思えないな」
ローイの指摘に、里菜は、ますますうつむいた。
「別に、ドラゴン退治をしたいとか思ってるわけじゃないの。あんな怖いもの、二度と見たくない。あたしに無理なのは、もう十分わかったわ」
「まあ、そうしょげることはないよ。きついこと言っちまったが、いくら努力が肝心といったって、人にはそれぞれ、もともとの向き不向きってのも、たしかにあるんだし、ドラゴンを殺すだけが人間の価値ってわけじゃないからな。あんたも、この世にいるからには何かここでやるべきことがあるはずだ。何か、あんたにしか出来ないことが。そして、それはきっと、ドラゴン退治じゃないのさ」
「ローイ、あなたって、すごくいいこというのね」
ただの軽薄なお調子者かと思っていたけど、という続きの言葉を、里菜は呑み込んだ。
「おう、あったりきよ! 人生相談のローイ先生だぜ! 口先なら、まかせてくれ!」
「ローイって、面白い……」
「ところで、あんた、アルファードに叱られたんだって? 何だか随分きつく言っちまったって、さっき、あいつ、気にしてたぜ」
「うん、すごく怒られた。あたし、今、あなたに言われたようなこと、アルファードにも言われたの。自分の力を考えろって」
「そうだろう。やつが、この自警団のことで自慢に思っているのは、退治したドラゴンの数じゃない。今まで誰も大きなケガをしたものがいないってことなんだ。アルファードは、団員全部の力量とか特性を良く把握していて、それぞれの力に応じた役割を割り振るし、みんなも自分の力をわきまえて、やつの指示をよく守る。それが、ウチの強さの秘密なんだ。奴がなんで怒ったか、分かったろ?」
「うん。よくわかった。ねえ、アルファード、まだ怒ってると思う?」
「ああ? まさか。だいたい、最初から、本気で怒ってたわけじゃないだろう?」
「ううん、絶対、本気で怒ってた。アルファード、怒りのあまり手が震えてたもん。ぶたれるかと思った」
「アルファードに? まさか。あいつは、剣の稽古をつけるときは相手の力に応じた手ごころは加えても女だからって理由で手加減はしないが、それとこれとは話が別で、女の子に手をあげたりは、絶対するはずがねえよ。でも、あんたがぶたれるんじゃないかと思って恐くなるくらい怒ってたわけ?」
「うん。でも、あたしが悪いから。あたしのせいで、アルファード、死ぬかもしれないところだったんだもの。ちゃんと謝って、お礼も言いたいって思ってたんだけど、なんかタイミングが悪くて……」
「うーん、そうかあ。あのアルファードがねえ。でもな、あいつは、自分があぶない目にあったからって、それで怒るようなやつじゃない。きっとあんたのことが本気で心配だったから、そんなに怒ったんだぜ。だいたい、あいつは、誰に対しても、説教はするが、カッとなるとか本気で怒るとかいうことは、もう何年もなかったんだ。アルファードを本気で怒らせたってのは、そりゃあ、たいした快挙だよ。俺も見たかったよ、普段澄まし返って聖人づらしてるあいつが怒るとこをよ。怖かっただろう」
「うん。泣くほど恐かった。すごい迫力」
「あはは、そうだろう! あのガタイだからなあ。怒ったら怖いよな。いや、俺は、ヤツがまさかそんなに本気で怒ったんだとは思わないで、ちょっと厳しく説教しただけだろうと思ってたよ。でも、そういえば、さっき、あんたらの雰囲気、ちょっと変だったなあと思って、もしかしてあんたが叱られた理由をちゃんとわかってないんじゃないかと思って、それでこうしてフォローしに来たわけよ。まあ、とにかく、今はもう怒ってないよ。あいつのほうも、あんたに謝らなきゃならないって気にしてたもん」
「ほんと? アルファード、そんなこと言ってた? 謝らないといけないのは、あたしの方なのに」
里菜はかすかに微笑んだ。
「そうそう、そうやって、笑って、な? さあ、アルファードのそばに行ってやれよ。あいつも、あんたのこと気にして、仲直りしたがってるからさ。やつがそんなに怒ったのは、それだけあんたのことが大事で、心配でしかたなかったっていう証拠だよ。ドラゴン退治の勇者様に、やつの姫君から、ご褒美のくちづけのひとつもくれてやんな!」
言いながらローイは、なんで自分がこんなふうにアルファードと里菜の仲を取り持ってやらなけりゃならないのかと思っていたのだが、長年の人生相談係で身につけてしまったクセで、ついついこうなってしまうのである。彼は本当にいいヤツなのだ。
彼のあまりの『いい人』ぶりに感じ入った里菜は、衝動的に、思ったとおりのことを口走った。
「ローイ、あなたって、いい人ね!」
「うわっ、やめてくれよ。確かに俺はいいヤツだが、あんたにそのセリフ、言われたくないんだよ」
「なんで? だって、ほんとに、そう思ったんだもん!」
「あのさ、あんたに他意はないんだろうけど、俺、今までに何回も、そのセリフで振られてるの! 古傷がうずくから、そのセリフはやめてくんな! 俺のこの辺、古傷だらけなんだからさぁ」
ローイは芝居がかった仕草で胸に手を当て、大げさに沈痛な表情を作って天を仰いで見せた。
そのおどけた様子に、里菜は思わず吹き出した。
そこに中央のテーブルから声がかかった。
「おーい! カカシさんよ! いつまでそんなすみっこで女の子口説いてるんだ! みんな揃ったぜ。顛末報告はどうした?」
「おおっ! いま始める! じゃ、リーナちゃん、俺の熱演、とくと聞いててくんな」
ローイは立ち上がって、人をかき分け、部屋の中央に出ていった。
立ち歩いていたものはみな、もう一度、思い思いの場所に腰を降ろした。
ふと、まわりから人垣が消えたアルファードのほうを見ると、彼の両隣には、いつのまにかそれぞれひとりずつ娘たちが陣取って、彼にしなだれかかっている。片方は淡い紫の服がよく似合う小柄な美少女で、もう一人は、丸顔が愛らしい、優しそうな娘だ。
里菜は思わずムッとしたが、アルファードのほうは、蚊がとまったほどにも感じないという顔でまるっきり娘たちを無視して、黙ってゆっくりと酒を飲んでいる。
(そうか、アルファードって、その気になればこんなふうに、女の子たちを平然と無視できるんだわ。あたしがあんなことしたら、絶対、水を汲みにいっちゃうのに……。でも、これって、あたしが嫌われているってわけじゃないのよね? あたしにだって、そのくらい分かるわ。あたしは、無視されないだけ、脈があるってことね!)
そう思うと、優越感から、アルファードにまとわりついている娘たちに対して寛大な気分になる。
(どうぞ、ご自由に! あたしは毎日、一日中アルファードのそばにいるんだから、今しかチャンスがないあなたたちみたいにガツガツくっつかなくてもいいんだもん!)
そういえばヴィーレはどうしただろうと見回すと、彼女は別の隅で、娘たちのひとりと静かに話をしている。彼女は、決して暗い性格ではないのだが、こういう、人が大勢集まる席で、まんなかで目立つタイプではないのである。ましてや、ここぞとばかりアルファードにしなだれかかるなどということが出来るわけもなく、最初に簡単にお祝いを言いに来たあとは、気の合う友達とおしゃべりしながら、ただ遠くからアルファードを見てるのだった。
ドラゴン退治の物語をさっきよりさらに調子よく熱演し終えたローイに、何人かから、声がかかる。
「ねえ、ローイ、もうひとつ、何かほかの話してよ。まだ、聞き足りない!」
「怪談がいいよ、怪談! 例のあれ、ほら、『ラドジール』のやつ!」
ローイは張り切って椅子に飛び乗り――そんなことをしなくても、彼はもとから、頭半分、周囲から抜きん出でいたのだが――声を上げた。
「よーし。ご要望にお応えして、もういっちょ行くかあ! その名を聞くだに恐ろしい、『カザベルの食人王ラドジールの物語』、始まり、始まりイ!」
「待ってました! いいぞ!」
「シー! 静かにしなさいよ」
若者たちは、しんと静まって、ローイの怪談に聞き惚れだした。
里菜から見れば、いい年をした立派な青年男女が、修学旅行の小学生よろしくワクワクして怪談を聞いている様子はなんだかおかしかったが、この村では、ローイの『お話』は宴会に欠かせない娯楽なのである。その中でも、この話は、みんなが飽きもせずに繰り返し聞きたがるローイの十八番で、誰でも知っている有名な伝説にローイが彼なりの脚色を加えたものだ。ここに集まっているもので、子供のころ、母親に、「寝ない子のところにはラドジールが来ますよ!」などと脅された覚えがないものは、アルファードと里菜を除いては、多分いないだろう。
「……こうして、勇猛をもって知られた、さしもの妖精王ラドジールも、自分が殺して食った十三人の女のたたりで打ち続く怪異にしだいに心を弱らせ、ついには気が狂い、城の物見の塔から身を投げて、哀れな最後を遂げたんだ。
その時、ラドジールは三十五才。一介の商人の息子から身を興し、若干二十二才で王位に就いて以来、十三年間の短い治世の間に、貧しい小国に過ぎなかったカザベルを南の大国イルベッザに比肩する北の大国にまでのし上がらせた乱世の雄の、彗星のごとき一生はここに終わりを告げ、興国の英雄の死とともに、カザベル王国の命運も尽きた。カザベル城の石畳には、ラドジールの血痕が、今も消えることなく残っているそうだ。
だが、カザベルのラドジールの物語は、これで終りという訳じゃない……。
塔から墜落したラドジールの死体は、ぐちゃぐちゃに潰れて内蔵がはみ出し、血と脳漿があたりに飛び散り、見るも無残な光景だったと言う。そして、その、美しかった顔も、目鼻も分からぬほど無残に潰れていたんだが……。その時、なんと、すでに息絶えた屍の口が、ぽっかりと開いて、女の声で、こう言ったんだと。
『ジール……、ジール……。待っていたわ。やっとまた、あなたはあたしのもの……』
それは、あの、ラドジールが殺した、最初の恋人の声だったんだ。ラドジールの魂は、恋人に導かれて、その肉体を抜け出していった……。
しかし、食人の罪を犯した狂王ラドジールに、永遠の黄泉の安息は与えられなかった。亡者となってさえ、彼は人肉の味を忘れられず、風の中を漂いながら、うまそうな若い娘を探し出し、真夜中にその血を啜る魔物となった。夜更けに風が啜り泣く時は、狂えるラドジールの魂が、若い娘の姿を求めて家々を覗き込みながら、空をさまよっているのだという……。そら、今も、窓の外で、風の叫びが聞こえないか……?」
そこでローイは、おもむろに、恐ろしげに聴衆のほうを指差して叫ぶ。
「あ! ミナト! お前の後ろに、ラドジールが!」
「キャーッ!」
名指しにされたミナトを初め、娘たち全員が、悲鳴をあげて、意中の若者や、たまたま隣にいた友達に抱きつく。
ここが、ローイの脚色によるこの伝説の人気の秘訣で、若者たちは、ここで意中の娘に抱きついてもらうのを楽しみに、ローイにこの話をせがむのである。娘たちもみんな、この怪談を何度も繰り返し聞いているから、すっかりこの展開を知っているのであるが、ここでローイに名指しにされるのを、ワクワクして待っているのだ。そんなお約束を知らない里菜だけが、取り残されてキョトンとしている。
ちなみに、今日、ローイがここで、ミナトの名を言ってやったのは、彼女がドラゴン退治への参加を認められたことへの、彼なりの御祝儀がわりのつもりである。ミナトに抱きつかれているのは、いかにも大人しそうな小柄な若者で、どうみてもミナトのほうが強そうなのが笑えるが、彼はまんざらでもなさそうにしている。
アルファードの隣にいた娘たちは、もちろん両側からアルファードに、ヒシとしがみついた。アルファードは黙って、勝手にしがみつかれている。
若者たちが、その様子に気付いて叫んだ。
「おっ! アルファードが、あんなすみっこで、いつのまにかちゃっかりモテてるぜ!」
「いいじゃないか、ナーク、アルファードは今夜の主役だ!」
「いいなー、いいなあ! しかもユーサちゃんとレサちゃんだよ。俺たちの女神様ふたりを独り占めだよ? ユーサちゃーん、そんなとこいないで俺のとこへ来てよ!」
「ベーだ!」
ユーサと呼ばれた紫の服の娘は、アルファードの逞しい腕にことさらギュッとしがみついて舌を出した。
ユーサに振られた若者は、懲りもせず、反対側の娘にも声をかける。
「レサぁ、あんたはこっち来てくれるよな?」
レサと呼ばれた優しげな娘はニコニコ笑って答えた。
「あとでね、あとで」
そう言いながらも、どうやら、せっかく手に入れたアルファードの隣席という幸運を手放す気は毛頭なさそうで、里菜でさえ邪魔しようという気が失せるほど、実に幸せそうにうっとりとアルファードに寄り添っている。
アルファードは、相変わらず、黙って酒を飲んでいるだけだ。
あとはもう、無礼講である。
ドラゴンの爪を紐に通して首にかけてもらったミュシカに、若者たちが我先に食べ物を差し出す。
「おい、ミュシカ、お前は偉い! これ、食えよ! ほら、にんじんの煮物!」
「バカ、ミュシカはそんなもん、食うか。こっちだよ、こっち。骨つき肉!」
「あら、ディード、床に肉なんか置いちゃダメよ! 汚れるじゃないの」
「いいんだよ、どうせ掃除するのはアルファードだ!」
「ひどーい!」
「なんだよ、ヴィヴィ、文句あっか!」
「お前ら、いくら仲良しだからって、こんなとこで、痴話ゲンカはよせよ!」
「ええーっ! ディードとヴィヴィはデキてたのか! 俺、知らなかったぞ! いつからだ? ヴィヴィぃ、考え直せよ。俺、お前のこと好きだったんだぜ」
「嘘おっしゃい、ナーク! あんたは、このあいだ、誰かさんにプロポーズしたんでしょ!」
「あーっ! なんでお前が知ってるんだ? それ、まだ秘密だったのに!」
「ええー! ほんと? ねえ、ヴィヴィ、誰かさんって、誰? 誰?」
「言うな、ヴィヴィ!」
「なによお。どうせすぐ、婚約発表するんでしょ? 今ここで発表しちゃいなさいよ。あんたが言えなきゃ、あたしが代わりに言ってあげる! あのね、ミナト、ナークはね……」
「わあ、ダメ、ダメ、ダメ!」
などと、騒がしいこと、この上ない。