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第一章<エレオドラの虹> 第十場(1)

 きのう、里菜たちが村にたどり着いた時、村では、上空を飛び過ぎるドラゴンを見付けた子供たちの知らせで自警団員たちが集まって、詰め所で待機しているところだった。

 そこへ、傷を負い、ドラゴンの爪をもったアルファードが山から降りて来ると、蜂の巣をつついたような大騒ぎになったが、気のきくローイが村人の相手や自警団への連絡、それに羊たちを一手に引き受けて、アルファードと里菜は、ひっそりとヴィーレの家へ入っていった。ヴィーレに良く似てやさしげなヴィーレの母は、自身は病弱だが、村でも屈指の、癒しの魔法の達人だったのだ。

 里菜は、治療のあいだ、となりの部屋で待っていた。彼女は、みなれた魔法は、もう消さないが、あまり見たことのない魔法を、「どうやるのだろう」などと思ってじろじろ見ると、たまに邪魔をしてしまうことがあるので、さっきローイが治療するときも、わざとそっぽを向いていたのだ。

 治療を受けたアルファードは、もう、ほとんどの傷が跡かたもなく治って、ただ背中の火傷だけが、古い傷跡のように残っていた。だが、アルファードは、部屋から出てきた時にはもう、素肌に上着を羽織っていたから、里菜は、その場では、傷跡を見ることはなかった。

 癒しの魔法は、何でも治せるわけではなく、どんな優秀な治療師が治療にあたっても、死ぬものは死ぬし、残る傷は残る。だが、致命傷でさえなければ治療の効果が出るのは非常に早い。特に、この魔法は、傷に対しては有効である。一方、病気の治療には、魔法よりも、それと併用される薬草などの普通の治療法の役割が大きいし、流行り病には、魔法は、ほとんど効かない。流行り病は、不慮の事故による負傷とは違い、人間の宿命として死の神タナートの司る領域だからだと言われている。

 アルファードと里菜が、自分たちの家に戻ると、そこではすでに、宴会の準備が進められていた。ローイは、実に手際よく、連絡や手配を済ませたのである。

「宴会だ、宴会だ!」

「酒だ、酒だ、酒を持ってきたぞ!」

 てんでに騒ぎながら、若者たちが、わがもの顔でアルファードの家に出入りして、あれこれ運び込んだり、テーブルや敷き物を動かしたりしている。自警団には、一応、詰め所があるのだが、そこはほとんど武具の倉庫程度のもので、宴会や集会には、たいてい、独り者で気兼ねのいらない団長アルファードの家が使われて来たから、みんな、慣れたものだ。

 若者たちは、帰ってきたアルファードの姿を見付けるといっせいに手を止めて、いきなり拍手や口笛で陽気に出迎えてくれた。

「いよっ! 我等が勇者様のお帰りだ!」

「おう、前代未聞の奇跡の男だぜ! いいぞ、<ドラゴン退治のアルファード>!」

「今、ミナトとシゼグとカーデが、ドラゴンを処理しに行ってるからよ。暗くなるころには戻るってから」

「ローイは、酒が足りないって、調達に行ってるぜ」

「傷の具合はどうだ? 準備は俺達がやるから、あんたらはそのへんに座ってな!」

 訳がわからないまま庭先に椅子を出されてアルファードと並んで座らされた里菜がきょときょとしていると、ローイが、酒のつぼをいくつもぶらさげて賑やかにやってきた。

「おーい、村の皆さんから酒の寄付がきたぜ! 料理の差し入れもあるぞ!」

 見ると、ローイの後ろから、料理の鍋やら包みやらを持った村人や子供たちが、ぞろぞろついてくる。みんなは、どっとアルファードを取り巻いて、あれこれさえずり始めた。

「おおっと、待った、アルファードはそんなにいっぺんにいろいろ言われても、返事がしきれないよ! ここはひとつ差し入れの御礼がわりに、当自警団の名広報係である、このローイ様が、アルファードに代わって皆様にドラゴン退治の模様を詳しーく話して差し上げよう! さあ、静粛に、静粛に!」

 アルファードの横に立ったローイの声に、たちまち村人は静まって、子供たちは、ローイを囲んでてんでに坐り込んだ。みんな、これを期待して集まってきたのである。おもしろい話をするのも、ローイの数多い特技のひとつで、テレビも新聞もないこの村では、それは結構重宝な情報伝達の手段であり、娯楽でもあるのだ。

 里菜も、アルファードとドラゴンの戦いをほとんど見てはいなかったから、ローイの話がどこまで本当かわからなかったのだが、アルファードが時に苦笑しながらも黙って聞いているところを見ると、多少の誇張はあっても、だいたいのところは事実に即しているらしい。こうして、話にきくと、 (アルファードって、すごいことをしてたのね……)と、あらためて感心してしまう。

 見ぶり手ぶりもよろしく、だいたいの話を終えたローイは、

「そして、これが、そのときの火傷の跡でござい! おい、アルファード、上着脱いで背中見せろよ」と、いきなりアルファードを振り返った。完全に見せ物である。

 なぜかしぶい顔をして上着を脱がないアルファードを見て、ローイは罵った。

「何だよ! さっさと脱げよ。男のくせに背中見せるくらいで恥ずかしいってのか? バッカじゃないの? でけえ図体して、ケツの穴の小さ……。おっと、いけない! ご婦人方の前で、下品な言葉を使っちまうところだったぜ!」

 聴衆がどっと笑った。

(ローイってば、ひどいわ。アルファード、見せ物になっちゃって、かわいそう)と、里菜は思ってから、はっとした。

 アルファードは、里菜に、火傷の跡を見せたくないのだ。里菜のせいで負った火傷で、跡が残ったことを、里菜に気にさせたくないのだ。

 ローイもそのことに気が付いたらしく、声を落して──本人は里菜に聞こえないようにしたつもりだろうが、彼の声はよく通るので、あいにくと聞こえてしまった──アルファードに囁いた。

「リーナに見せたくないんだな。でも、そうやって隠そうとすると、あんたが傷跡を気にしていると思って、リーナがよけい気に病むぜ。平然と見せびらかしちまえば、それまでのことなのによ」

 そして、ふたたび声を張り上げた。

「おい、アルファード、その傷、誰が応急処置してやったと思ってるんだ?」

 聴衆からふたたび笑いと野次が起こる。

「アルファード、とんでもないやつに借りをつくっちまったな」

「あんた当分、ローイにこう言われて、見せ物にされるわよ」

 その通り、これ以降、この、『アルファードのドラゴン退治』の物語はローイの新しい十八番になって、話すごとに少しずつ尾ひれがついていき、アルファードが運悪くその場に居合わせた時は、必ず背中を見せ物にされるはめになったのである。

 アルファードは、しぶしぶ上着を脱いで、背中を向けた。里菜は、初めてその傷跡を見て、胸が痛んだ。

(そういえば、あたしまだ、アルファードに、ちゃんと謝ってないわ)

 さっきのアルファードの、一瞬の逆上を思い出して、里菜は、また、思わず身をすくめた。

(でも、どう考えても、あたしが悪いから、怒られて当然だわ。あたしのせいで、アルファードは死んでたかもしれないんだもの。……そう、アルファードは、命がけで、あたしを守ってくれたんだわ。なのに、あたし、お礼も言ってない)

 さっきの戦いの状況がよくわかっていなかった里菜は、今のローイの話を聞いて、あのときの出来事の意味が、初めて正確に飲み込めたのである。

「ねえ、ねえ、もう痛くないんでしょ? そこ、さわってみていい?」

 聴衆の中から子供たちが出てきて背中にこわごわ触れるのを、アルファードは辛抱強く我慢した。が、そのうちに、

「ねえ、ねえ、あたしも触っていい?」

「あ、俺も、俺も!」と、自警団の若者や娘たちまで面白がって寄ってきたので、ローイが叫んだ。

「おいおい、子供はいいが、大人は有料だ! いや、女の子はタダだが、野郎は十ファーリ! 俺に、払うんだぞ!」

「おっ、なんで女の子だけ、タダなんだ! そりゃあ、差別じゃねえか?」

「うるせえ。アルファードだって、女の子に触られるのはいいが、野郎に触られるのは嫌なハズだ! そうに決まってる!」

「そりゃあそうかもしれないが、十ファーリはふっかけすぎだぜ。だいたい、なんでお前に料金払うんだ?」

「俺が治療した傷だからだよ! ほら、十ファーリは?」

 たまりかねてアルファードは背中を隠し、憮然と言った。

「悪いが、いいかげんにしてくれないか」

「しかたない、今日の出し物はこれにておしまい!」

 ローイの言葉に、聴衆は、笑いながら散っていった。これで、『イルゼールの自警団長アルファードのドラゴン退治』の物語は、数日の内にさんざん尾ひれがついて近隣中に知れ渡ることだろう。

 その間に、宴会の準備はほぼ整っていた。狭い家の中には、若者や娘たちが、ぎっちりつまっている。独身の若者が中心である自警団の宴会は、独身男女の交流の場も兼ねていて、団員以外の娘たちも誘われてやってくるのである。

 ローイがおもむろに酒樽を示して、声を張り上げた。

「さあて、そろそろ宴会をおっぱじめるか! 勇敢なる我等が自警団長、我が村の誇り、<ドラゴン退治のアルファード>の、新しい武勲を讃えて、祝賀会だ! ドラゴン退治の顛末報告は、ドラゴンの片付けにいった連中が帰って来てからにして、とりあえず、先に乾杯といこうや。こんな時のためにとってあった、例の、上イルドの百六十一年産の葡萄酒だぜ!」

「おおっー!」

「いよっ、副団長、いいぞお!」

 陽気な歓声の中で、杯が次々と葡萄酒で満たされていく。

 この葡萄酒は、以前この自警団が、頼まれて、葡萄酒の名産地イルドの村を荒らしていたドラゴンを退治した時の謝礼の一部である。イルドにも自警団はあるのだが、彼らは、救援を頼んだイルゼールの自警団が来るまで、家畜小屋を囲んで鳴り物を鳴らし、ドラゴンをそこから引き離しておくことくらいしか出来なかったのだ。

 といって、彼らをバカにするのは酷というもので、普通は、どこでもその程度で精一杯なのだ。ほかの村人たちのように、家に閉じこもって、その不可抗力の天災が去っていくのを震えながら待っていなかっただけましというものだ。

 このあたり一帯のドラゴン退治は、ここ、イルゼールの自警団が、ほぼ一手に引き受けているのである。

 乾杯が済むと、みんなはてんでに好きなところに腰を降ろしてわいわい騒ぎながら飲み食いを始めた。今日の主役であり、ヒーローであるアルファードは、たちまち大勢の若者や娘たちに取り囲まれてしまったので、なんとなく気圧された里菜は、隅のほうで一人で料理を食べながら、その様子を眺めていた。

 そうしていると、アルファードが自警団のものたちに心から慕われているのが、良く分かった。アルファードは、特に威張るでも目立とうとするでもなく、いつも通りに静かに座っているだけで、若者たちは彼を肴に言いたい放題、いいように冗談を言っているのだが、それでも、誰もが彼を自分たちのリーダーと認め、彼に心酔しているのが一目で見てとれる。里菜も前から気づいていたが、やはり彼は、根っからのリーダー気質の持ち主なのだろう。

 そこへ、ドラゴンの後始末に行った団員たちも戻ってきた。

 驚いたことに、今度ドラゴンの防具を貰うことになっていて、その皮を剥ぎにいっていたというミナトは、若い娘だった。アルファードが、自警団に女性がいるなどと一言も言わなかったので、里菜は、アルファードの雰囲気から、なんとなく自警団を、『オトコの世界』といったようなものだと思い込んでいたのだが、アルファードは、別にこのことを隠すつもりだったわけではなく、この国ではそれがごく普通のことなので、とりたてて話す必要があると思わなかっただけなのだ。

「アルファードも、やっとミナトをドラゴン退治に加わらせる気になったか……」

 たまたま里菜の隣に来ていたローイが、感慨深げに呟いてから、教えてくれた。

「俺は、ミナトはもう、前からドラゴン退治に出る実力があると思ってたんだが、アルファードの奴が、なかなか出さなかったのさ。きっと、女の子だから、顔に火傷でもしたらとか、よけいな気をまわしてたんだろうよ。あいつは、結構、頭が古いからな」

「へえー。ねえ、ローイ、自警団にはいっぱい女の人がいるの?」

「うーん、いっぱいでもないが、ま、何人かは、な。若い男はだいたいみんな自警団に入るが、女の子は、希望者のみって感じかな。このあたりは、だいたい、どこもそうだぜ。北部のほうじゃ、まず自警団に女は入れないそうだけどよ。北部の連中は、なんにつけ、保守的なんだ。もっとも、このへんだって、自警団に女がいても、ドラゴン退治には、あんまり出ないけどな。だいたい、ほかの自警団にゃ、そんな実力のある女はいねえさ。男だって、まともにドラゴンと戦えるのは、よそにはあんまりいねえもんな。でも、ミナトはやるぜ。あれは、たしかに腕力はアルファードほどとはいかないが、それでも並の男にゃ決して劣らないし、総合的にみれば、レベルの高いウチの自警団でも、かなり上のほうだと、俺は思うね。だいたい、ドラゴン退治でケガをしないためには、腕力よりも、敏捷性と判断力がものを言うんだ。アルファードだって、奴は身体も立派だが、それ以上に敏捷性と判断力で勝負するタイプなんだからな。奴は、もっと早くミナトを正当に評価してやるべきだったんだよ」

 腕力よりも魔法の力がものをいうこの世界では、軍隊などでも昔から女性がどんどん活躍しているのだが、魔法の通じる人間相手の戦いならともかく、魔法が通じないドラゴンが相手の時は、腕力で劣る女性はやはり不利になりがちで、だから、アルファードだけがそう特別保守的というわけではなく、この時代のこの地方では彼の考えはごく標準的だったのだが。

「ふうん、ミナトって、すごいんだ……」

 里菜はすっかり感心して、ドラゴンの皮を掲げて誇らしげに帰ってきたミナトを見た。しっかりした体格の背の高い娘で、なかなかの美人である。

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