第一章<エレオドラの虹> 第七場(4)
里菜がやってきた当初、色めき立ってほかの村からまで彼女を値踏みに来た若者たちのうち、最初のもの珍しさと興奮が薄れた今でも女の子としての彼女に興味を示している者は、ローイが知るかぎり、そう何人もいない(そして、そうことに関する情報で、彼の知らないことは、まず、無い)。
彼女と同年代の若者の多くにとって、里菜は幼すぎて、恋愛の対象にはならなかったのだ。『あっち』の世界にいたころでも里菜は実年齢より子供っぽく見られがちだったが、この村の娘たちは全体にやや大柄で、顔立ちも身体つきも大人びているから、里菜はよけい、大人の女性の中に紛れ込んだ子供のように見える。しかも、この村では、若者たちが社会的に大人になるのが『あちら』より早い。十七、八ともなれば、自分の子を産み育ててくれる生涯の伴侶を選ぶべく真剣に模索しはじめているのがあたりまえだ。そんな彼らにとって、まだ子供子供した小柄な里菜は、どう見ても相手として役不足と映ったのである。
それでも里菜がいいと思った者も、全くいなかった訳ではない。何しろ、幼なじみではない女の子というだけでも希少な存在だ。しかも、よその世界から来た娘である。そこはかとない神秘性もつきまとう。髪や目の色もちょっと珍しくて人目を引くし、顔立ちもどことなく風変わりで、そのへんの見慣れた娘たちとは雰囲気が違うので、見ようによっては何やら庶民離れした高貴な顔つきのような気がしなくもない。それに、若者たちの好みもさまざまだから、中には、ことさら子供っぽい容姿の娘を好む者もいる。
が、彼らのほとんどは、すぐに里菜をあきらめてしまった。どうせ彼女はアルファードのものなのだ。
一緒に住んでいても彼らの間に『何もない』のは、誰が見てもわかったが、里菜がアルファードにすっかり夢中なのは、同じ位、誰の目にも明らかだった。それなら、アルファードが単なる保護者としてでも里菜をしっかり囲っているうちは、もう誰にも勝ち目はないだろう。
数少ない里菜の崇拝者は、ローイを除けばなぜかみんな気弱で純情な若者で、村の英雄アルファードに対抗しようなどとは夢にも思わず、自分の片思いの儚さを嘆きながら里菜のことを忘れていったのだった。
(うん、あいつらは、ライバルの内に入んねえや。問題はアルファードだよな……)
ローイは、また溜息をついた。
彼にしても、最初に里菜を見たときには、かわいいとは思ったが、やはりほかの若者たち同様、正直言って、なんだ、まだ子供か、と、思ったのだ。ただ、持ち前の親切心と好奇心、幅広い年齢層の女性全般に対する博愛精神、そして、将来に備えて今から顔を売っておこう、くらいの軽い打算で、とりあえず挨拶代わりにコナをかけて、ちょっとしたサービスを試みただけだ。
だが、ただちょっとかわいいだけの子供だと思っていた里菜の黒い瞳にふいにまっすぐに見つめられ、微笑みかけられたあの時、そのまなざしが、魚の小骨のように彼の心に突き刺さった。そしてそれは、取れるどころか、日がたつにつれてますます深く刺さって、彼を悩ませ始めた。今では、もう、この小骨が気になって、三度の飯より好きなナンパをする気にもならないのである。
(俺も、ヤキがまわったなあ……。なんだって、あんな子供みたいな女の子に、こんなにぞっこんにイカレちまったんだ? ……そう、あの眼だよ。リーナの、あの眼が、いけないんだ)
ローイを魅了した里菜の神秘の瞳は、迷信深い一部の老人たちには、何か不吉な力があると思われているらしい。里菜が魔法を消してしまうのは、その眼に超自然的な力があるからだと言うのだ。彼らにとって魔法は、生まれながらに女神から授かっている、正しい自然な能力であるから、それを消してしまう力などというものは、不自然な、不吉なものにほかならない。里菜のことを、「女神が使わしたものではなく、邪眼をもつ悪霊の使いだ」などとささやき、世話役や、まだ幼い司祭のティーティがいくら説得しても、その考えをかえないものすらいる。
そういうものたちは、里菜の力を恐れて彼女の前には出てこないし、誰もそんなうわさを彼女の耳に入れようとはしないから、里菜は自分をそんなふうに恐れるものがいるとは知らないのだが。
ローイはもちろん、そんな迷信深いうわさを一瞬たりとも本気で考えたことはないし、そんなことを言う奴は殴り飛ばしてやりたいと思うのだが、でも、彼女の眼に不思議な力があるのは本当かもしれないと思う。自分をこんなにも呪縛してしまうような、何か特別な力が。
そういうば、里菜を恐れる老人のひとりが、彼女に見られると魂を吸い取られると騒いでおり、それを聞いた時、ローイは、何を迷信じみた、と、笑い飛ばしたのだが、今にして思えばあんがいそれは当たっていたのかも知れない。確かに里菜の黒い瞳は、ローイの魂を吸い取ってしまったではないか。
里菜の、『魔法を消す力』を、一番身を持って体験しているのは、ほかでもない『練習台』のローイなのだが、それは確かに、慣れるまでは、彼にとっても少々ぞっとする体験だった。が、何事も慣れである。今では、そのことは、何とも思わない。
それなのにローイは今でも、里菜の黒い瞳にじっと見つめれられると、なんだか居心地悪いような、落ち着かないような気分になり、そのまなざしから逃れたくなる。そのくせ、一方で、もっともっと、いつまでも、見つめられていたいと思ってしまう。たとえそれで、そのとき魔法が使えなくなるだけでなく自分の魔法の力そのものが消されてしまうとしても、それどころか自分の存在自体が消されてしまうとしても、里菜に見つめていてほしい。その、相反する欲望に、彼は、どうしていいかわからなくなるのだ。これが不思議な力でなくて何なのだろう。
里菜の瞳に潜む、あどけない顔立ちにそぐわないほどに強い、けれどどこか醒めた輝きが、ローイの心を掴んで放さない。そのまなざしの中に、ときおり、何千年ものあいだ遥かな高みから人間の営みを見つめ続けてきたもののような、哀れみにも似た英知が宿る瞬間があるような気がするのだ。
(でも、アルファードのような男は、あの輝きを力でねじ伏せてしまうだろう。リーナをだめにしてしまうだろう。なんでリーナは、そこんとこ、わかんないんだろうな。アルファードなんかにあんなに惚れて……。リーナがやつを見上げるときの、あの様子といったら……。リーナにあんなふうに見てもらえるなら、俺は、死んだっていいね。なのに、どうせアルファードのやつは、その有難みが半分もわかっちゃいないんだ。ヤツは、リーナのあの黒い瞳の本当の値打ちだけじゃなく、あの、ピンクの薄い貝殻みたいな耳たぶや、小さな白い手や、バラのつぼみみたいな唇のかわいらしさなんかにさえ、ろくに気がついていないにちがいない。でなきゃ、あんなふうに、いかにも『何にもありません』ってな涼しい顔して一緒に住んでなんかいるもんか)
このことを思うとき、ローイは、むらむらと腹が立ってくるのだが、それはただ嫉妬というのとは少し違う、義憤に近い感情である。一言で言えば「もったいない!」のだ。
例えていえば、『神様のような巨匠の名画が芸術を解さない成金の応接間に飾られているのを知った貧乏画学生』のような気持ちである。
(女の子ってのはな、すべからく、その値打ちの分かる男が、正しく鑑賞してやらなけりゃならないんだよ! それをあんな、風流を解さない、木の股から生まれたような朴念仁野郎が、あんなかわいい娘を、ペットの仔猫かなんぞのように、たいして有難がるでもなく無造作に独り占めして、なんの権利があるんだかしらんが偉そうに後ろに従えて大手を振って歩いているんだぜ。こりゃあ、許し難い犯罪行為だよな! 犬に千ファーリ金貨、羊に黒曜石ってなもんだ。まさに、社会的損失ってやつだ!)
そう、彼は常に、あらゆる女の子を正しく鑑賞しているのである。
彼は、里菜のような清純派も好みだが、色っぽい娘も好きだし、勝気な娘もおとなしい娘も、痩せた娘もふくよかな娘も好きである。要するに、どんな女の子でも好きなのだ。単に女好きなのだと言ってしまえばその通りなのでそれまでだが、彼はそれを、『女の子の見どころを心得ている』と称している。彼があちこちの女の子を誉めまくって口説くのは、決して心にもないお世辞を言っているのではなく、多少の誇張は交えていても、それなりに本気で誉めているのだ。
だから彼は、面と向かっては誉めまくった女の子を、後で、男同士の自慢話の中で笑い物にしたり、けなしたりは、絶対しない。彼が、村中の娘を無節操に口説いて回っても娘たちから決して憎まれないのは、そのためもあるだろう。
もっとも彼は、憎まれはしないがあまり相手にもされず、いつも「いいひとね」だの、「お友達」だのと言われるクチだ。それは、もちろん、本人がそう言われやすいタイプだからなのだが、彼が村の娘たちからあまり本気で相手にされないのには、もうひとつ、理由があった。