表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/140

第一章<エレオドラの虹> 第七場(3)

「あーあ……。もの想う秋、ってか。畜生め。なんてこったい。はぁ……」

 ローイは、村はずれの道を、山に向かって大股で歩きながら、がらにもなく溜息をついた。背中には弓と矢筒を背負っている。家の仕事をさぼって里菜のところに行く日には、彼は、兄嫁には山鳥を狩りに行くと告げて出て、実際、ついでになるべく鳥や兎を射て持ち帰ることにしているのだ。彼は彼なりに、兄夫婦に気を使っているのである。

 今日も、彼は、里菜の訓練につきあいに、牧場まきばへ行くところだ。

 一週間前、里菜は初めて自分の『力』を抑えることが出来たのだが、まだ訓練は続いている。

 あの時は、ローイは、彼女がすぐに、もう何の不自由もなく魔法の存在を受け入れるだろうと思った。だが、彼女は結局、魔法を信じられたわけではなかったのだ。ただ、アルファードを信じただけ、アルファードの言葉を鵜呑みにすることを覚えただけなのだ。

 あの後、しばらくは、彼女は、アルファードがいちいち「これは本当のことだ」と言い聞かせなければ魔法を消してしまった。そのうち、ローイの出す火だの水だのといった、もう見慣れた魔法は消さずに済むようになったが、それも、アルファードがそばにいないとだめだ。それに、初めて見る魔法や、ローイ以外の人の使う魔法は、最初の一回は、そのつどアルファードが言い聞かせなければ消してしまうのだ。

 要するに、彼女は、アルファードなしでは、その力を抑えられないのである。

 たぶん彼女は、心の底では、自分の力が制御できることを望んでなどいないのだ。それが出来るようになったら、アルファードと一緒にいる大義名分がなくなる。それくらいなら、今のままのほうがいいと思っているはずだ。

 それでも彼女が頑張っているのは、ただひたすら、アルファードに誉められたい、がっかりされたくない、見捨てられたくないという一心だろう。

 彼女がある程度の精神制御に成功しているのも、自分の精神を自分でコントロールできるようになったというよりは、むしろ、アルファードに制御されることを受け入れたからではないか。たぶん、里菜は、ただ、自分で判断することをやめ、自分の理性をアルファードの支配に明け渡してしまったのだ。何も考えずにアルファードを信じていれば間違いない、彼は絶対自分を悪いようにはしないから判断はみんな彼に任せておけば良い、と。里菜がその力の制御を学ぶ過程は、そのまま、アルファードが里菜の精神を支配していく過程でもあったのだ。

 アルファードはもともと、たやすく人を支配する質の人間だと、ローイは、前から思っていた。他の誰もが、アルファードの見かけの謙虚さ、もの静かさに惑わされて、彼のそんな性質に、あまり気づいていないだけだ。

 ローイが思うに、彼が里菜に対してしたことは、実は、彼が自警団の教練で常日ごろからやっていることと同じなのだ。ただ、今回、里菜に対してしたことの方が、普段のそれよりずっと極端なだけだ。

 団員に剣を教える時、彼は、指導者として、しばしば、相手の心を無条件でまるごと自分に預けさせるようなことをする。

 普段、いかにも無私無欲で実直そのものという顔をしている彼が、そうやって意図的に誰かの心を支配しようとする時に突然見せつける意外な狡猾さ、手際の良さ、ためらいのなさに、観察力の鋭いローイは、これまでに何度となく驚かされてきた。

 が、別に、それを悪く言う気はない。

 あれは、アルファードの、独特の指導法なのである。そして、確かにそれは、しばしば非常に有効なのだ。いったん自分の心の全てを指導者としての彼に明け渡すことで、その団員は、確かに、皆、必ず強くなっているのだから、文句を言う筋合いはない。

 それに、アルファードも、誰に対してもそれをするわけではない。彼がそれをするのは、相手の性格や相手と自分との相性を見極めた上で、特定の一時期にそういう段階を経ることがその相手の指導のために有効だと判断した時だけだ。

 また、彼が私利私欲のためにそれをしているのではないことも、認めざるを得ない。彼は、あくまでも自警団の強化のために無心に尽力しているだけなのである。彼の指導者としての素質と技量は、ローイも高く買っている。おかげで、この村の自警団は、個々の団員の力量も高いし、団長のアルファードを中心に鉄の結束を誇っている。そしてそのことが、村をドラゴンから守ると同時に、ドラゴンと戦う団員たちの命をも守っているのだ。なんといっても、人の命ほど大切なものはない。アルファードは、団長として、団員たちの命を預かっているのだから、それを守るために、自分に出来る限りのあらゆるテクニックを駆使して手段を選ばず力を尽くすのは当然だ。

 だが──と、ローイは考える。

 彼の考えでは、アルファードが本能的に会得しているらしいあの巧みな人心掌握の手腕を、発揮していい場合とそうでない場合、そして、発揮していい相手とそうでない相手というものが、あるのである。

 そして、彼の考えでは、アルファードは、里菜にだけは、あれをやってはいけなかったのだ。他の誰かならともかく、里菜に対してアルファードがあれをやるのだけは、絶対に反則なのだ。

 事が事だけに普段よりずっと強引で理不尽だったアルファードのやり口を思い出すたびに、ローイは、むかむかと腹が立ってくる。  あそこまで強引な、無茶な理屈が、いとも簡単に通ったのは、相手がもともと彼を信じ切り、頼り切っていた里菜だからで、里菜がアルファードに恋をしていたからなのだ。

 そして、そういう気持ちは、絶対に、何か他のことのために利用してはならないものだと、ローイは思うのである。

 結局は里菜のためだとはいえ、そんなにも信じ切られているその気持ちを何のためらいもなく利用してやすやすと相手を支配してしまう──ローイには、そうとしか見えなかった──などという、相手の信頼につけこむようなやり方は、ローイの感覚では、結果は良くても手段として汚いような気がするのだ。

 たしかに、里菜は、自分のあの妙な力を、制御する必要があった。彼女がこれからこの世界で生きていくためには、それは欠かせないことだった。そして、アルファードは、例によって私利私欲のためではなく、あくまで彼女のためを思って、ひとつの方便として、ああいうせりふを言ってみせたのだろう。

 けれど、この場合、私利私欲のためではないということが、かえってローイの気に障るのだ。単なる方便で、あんなふうに里菜の心をがっちり自分に繋ぎ止めるようなまねをしてしまうなんて、そして、それにあっさり成功してしまうなんて、なんだか不公平ではないか。

 アルファードが、里菜に対する下心があってあれをしたなら、それはそれでしかたないだろう。アルファードにだって、女の子を口説く自由はある。口説くのがうますぎるからといって、ローイに文句を言う権利はない。

 でも、アルファードは、たぶん、別に里菜を口説き落とすつもりであんなことを言ったのではないのだ。本人は、全然、そういうつもりはなかったに違いない。そういうつもりがあって照れもせずにあんなことを言えるアルファードではない。本人は色恋とは関係ない話のつもりでいるから、平然とあんなことが言えたのだ。

 でも、自分に恋をしている女の子にあんなことを言うのが、相手の心にどんな影響を及ぼすか、彼は、考えてみるべきだったのだ。いくら彼でも、里菜が自分が恋していることにくらい気づいていただろうに、気づかぬふりであんなことを言っておいて、あとは、すっかり手中にした里菜の心をそのまま放ったらかして自分は相変わらず超然と澄ましかえっているのだろうと思うと、実に気分が悪い。あれは反則だ。どう考えても、フェアじゃない──。

(ありゃあ、まずいよなあ。アルファードのあのやりかたは、リーナに、自分の力を制御することを教えているんじゃなくて、「俺無しではお前はやっていけないんだ」ってことを教え込んでるだけだ。そんなこと、わざわざ教えこまなくても、リーナは最初から、どういうものかアルファードにすっかり頼り切って、アルファードがいなけりゃ日も暮れないって感じじゃん。俺は、どっちかっていうと、ちょっとそれを治したほうがいいと思うぞ。あの子だって、もうすっかり元気になったんだし、ここの暮らしにも慣れたんだし、見かけはちいとばかり子供っぽくても本当はもう子供じゃないんだから、そろそろ、何でもかんでもアルファードに頼ってばかりいないで、もうちょっと自立心ってものを持つべきだと思うね。アルファードも、本当にあの子のためを思うなら、そうなるようにしむけてやるべきなんだ。だいたい、アルファードは、あの子をがっちり囲い込みすぎだよ。過保護を通り越してるね。たまたま最初に見つけて家に泊めてやったからって、あの子はちゃんと一人前の人間で、捨て猫じゃないんだから、別に、最初に拾ったやつのものに決まりってわけじゃねえんだぞ)

(リーナもリーナなんだよな。あの子も、ありゃあ、アルファードに追い出されるのが怖くて、アルファードがいないと自分はだめなんだってことを見せつけ続けているんだ。そんな心配しなくたって、アルファードのやつ、ほんとはリーナを家から出す気は全然ないんだろうにさ。ふたりしていったい何をやってんだか。もう勝手にしてくれ、だよな)

(それにしても、何だってまた、リーナはアルファードなんかにいきなり惚れちまったんだ? まったく、もったいない……。そりゃあ、助けてくれた恩人には違いないが、それだって、ただ、リーナが倒れてるとこに最初に通り掛かったのが、たまたまヤツだったってだけじゃないか。行き倒れを見つければ家に連れ帰って看病するくらいのことは、なにもヤツじゃなくたって、この村の誰だって、するさ。もちろん、俺だってさ。あーあ、なんで俺が最初にリーナを見つけなかったんだろうなあ。そしたら、なにもかも、全然違う成り行きになってたかもしれないのに)

 気の毒なエルドローイは、すっかり里菜に恋してしまっていたのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ