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第一章<エレオドラの虹> 第七場(2)

 ローイが語ったドラゴンの生態とドラゴン退治の手順は、だいたいこんなところである──。

 馬より一回り以上も大きい巨体で悠然と飛来するドラゴンは、羊やヤギなどの小型の家畜を上空から襲い、時には、鱗あるそのかぎ爪で人間の赤ん坊をさらうこともある、危険な敵である。牛や馬などの大きいものは普通は襲わないし、人間の大人を餌として狙うことはないが、怒りっぽく獰猛な性質で、おどかしたり邪魔をしたりする相手には見境いなく立ち向かってくる。肉食なので農作物を食い荒らすことはないが、着地するのに開けたところを選ぶために、しばしば畑地も被害を受ける。また、ドラゴンが口から吐く炎は不浄な火であり、その火で焼かれた畑では当分は一切の作物が育たなくなるというのも、ドラゴンが恐れられる理由の一つだ。

 ふつう、ドラゴン退治は、集団で、撹乱と攻撃の二手に分かれて行なわれる。撹乱役が回りを囲み、矢を射たり石を投げたりドラを叩いたりしてドラゴンの注意をそらす中、火除けの盾を持った攻撃役たちが、炎をかいくぐってドラゴンに接近する。

 ドラゴンには翼があるが、体が大きいため、平地から自力で飛び上がるには助走や風待ちが必要で、あまり機敏には飛び立てない。それでも、もし飛び上がって上から襲われると危険なので、まず、槍などで翼を破るのが定石だ。そして、四方八方からの攪乱でドラゴンを混乱させ、繰り返しの攻撃で弱らせたのち、攻撃役のなかでもっとも勇敢で腕の立つものが、仲間たちの援護を受けながらドラゴンを仕留めるのである。

 アルファードは、この、最も危険でかつ華々しい仕留め役を、ここ数年、一手に引き受けている。

 仕留め役は、普通は長槍を持ち、ドラゴンの眉間の急所を狙うのだが、アルファードは、身体ごとドラゴンの胸元に飛び込み、鱗の隙間から剣で心臓を刺し貫く。

 これは、彼の前には誰もそんなことができるかもしれないとさえ考えてみたこともなかったような大胆で斬新な戦法で、彼は、まず、斃したドラゴンの胸を開いて身体の構造や心臓の位置を確かめるところから始めたのだという。

 アルファードの言によれば、離れたところから長槍を振り回して、一番よく動く頭部の、それも極めて範囲の狭い急所を狙うより、このほうがずっと確実で合理的な、実用的な戦法だというのだが、理屈はそうでも、ドラゴンの巨体を間近に見上げる恐怖が常人にそうそう耐えられるものではないことは、実際にドラゴン退治を経験したものほどよく知っているし、もしその恐れを克服できたとしても、本当に首や前足をかいくぐってドラゴンの胸元に飛び込むには、それだけでも並みはずれた胆力と敏捷さ、素早い判断力が必要であり、それを実行できる勇気と実力があるのものは、やはり彼の他にはおらず、結局、彼の画期的な戦法は、誰にもまねができないままなのだそうだ。

 ちなみに、ローイは撹乱役を務めているが、これが結構優秀なのだという。

 彼は、弓の名手で、まず間違いなくドラゴンの目を射抜いてしまうのだそうだ。そうすれば、後の攻撃は、ずっと有利になる。ああ見えても、近隣に名の聞こえた名射手なのである。彼が、ろくに働かずにブラブラしていても、「困ったものだ」程度で済まされているのは、持ち前の愛敬だけではなく、この、自警団での活躍のおかげもあるらしい。

 ついでに言うと、彼は、背が高いのでひょろひょろして見えるがそれなりに筋肉はついており、なにしろ敏捷でリーチが長いので、実は、剣もまあまあ使う。剣を振り回すしか能のない、いわば専門バカのアルファードと違って(と、これはローイの弁である)、彼は、根っから器用で要領のいい人間で、実に特技が多い。大抵のことは、ほどほどの努力で人並み以上にこなす。

 アルファードの剣の修業の相手をしたのも、ローイなのだそうだ。

 アルファードに最初に剣術の基礎を教えたのは育て親のレグル老である。彼が、突然、養い子に剣術を教え出すまで、村人たちのほとんどは彼が剣をたしなむことさえ知らなかったのだが、彼は実は、いつどこでどんないきさつで会得したものか、非常に高度な基礎理論を正確に身につけており、それを、何を思ってか、少年だったアルファードに徹底的に叩き込んだのだ。

 が、老齢の彼に出来たのは本当に基礎的な理論と型の指導だけで、老人が病で寝ついてからアルファードの実践的な打ち合い稽古の相手をずっと務めてきたのは他でもないローイであり、それによってローイ自身も、かなり剣の腕をあげてきた。今ではアルファードのほうがずっと強くなってしまったが、今のアルファードがあるのも、もとはと言えばローイのおかげである……と、これはローイが常々あちこちで吹聴していることだが、アルファードに訊いてもその通りだと言うから、本当のことなのだろう。どうも、彼は、よほど練習台に向いた人間らしい。

 こんな名射手を有し、人望厚い名団長であり最強の仕留め手であるアルファードに率いられて見事に統制がとれたイルゼールの自警団は、近隣にその名をとどろかせ、その名を唱えればドラゴンが逃げていくとまで、たたえられている。頼まれて、よその村の付近に出たドラゴンの退治に赴くことも多いという。

 ──と、こんなような話をする間中、ローイが、彼自身のドラゴン退治での活躍ぶりを思いっきり強調したのは言うまでもないが、彼には気の毒なことに、里菜は、その部分はどうせ吹かしと受け止めて聞き流した。

 後で里菜がアルファードに、どうして武術大会やドラゴンのことを隠していたのかと問いつめると、アルファードは困惑顔で答えた。

「いや、別に、隠していたわけじゃない。ただ、武術大会なんて昔の話で、今の君のここでの生活に何の関係もないから、たまたま話さなかっただけだし、ドラゴンについては、いきなりこの村にドラゴンが出るなどと打ち明けたら君が驚き、恐れると思って、君がもっとここに慣れたころ、時機を見て話そうと思っていた」

「だって、教えてくれる前にドラゴンが出たら、もっと驚くじゃない」と里菜が抗議すると、アルファードは、

「いや、そういうことは滅多にないだろう。ドラゴンが出るのは主に冬になってからなんだ」と、やっと里菜にドラゴンのことをしぶしぶ説明してくれたのだ。

 彼は、普段は無口だが、根っから口下手というわけではなく、必要があると思えば、いくらでも多弁にも能弁にもなれるらしい。が、特に必要だと思わないことは、あまり話さない。そして、彼が必要だと認める事柄は、どうやら、あまり多くない。質問をすれば、その質問には額面通りきちんと答えてくれるが、ローイのように一を聞けば十を教えてくれるなどということはないので、彼から知りたいことを全部聞き出すのには、いちいち根掘り葉掘り質問しなければならず、結構手間がかかるのである。

「伝説では、年経た巨大なドラゴンは邪悪な知性と魔法の力を持ち、人語を操るという。が、そうした伝説については、俺は詳しくない。俺が知っているのは、このへんに飛んでくる現実のドラゴンのことだけだ。そして、俺の知るかぎり、あれは、ただの動物だ。冬になって食べ物が不足してくると、エサを求めて村に下りてくるらしい。ここ数年、ドラゴンの飛来がやたら多いんだが、村を荒らしさえしなければ、俺は、出来れば、殺したくなどないんだが」というのが、アルファードの面白くもなさそうな説明だ。

 彼にとっては、ドラゴンは、ただ、餌を求めて山から里に迷い出て来る大型の野生動物にすぎないらしい。

 ドラゴン退治の話も、ローイから聞くと、はらはらどきどきの大冒険なのだが、アルファードにかかると、淡々と手順を説明するだけで何の面白みもなく、まるで日常のありふれた肉体労働のひとつであるかのように聞こえて、まるきり身も蓋も無い。

 事実、彼にとっては、ドラゴン退治は村の男として当然担うべき単なる役務のひとつであり、延々と繰り返す日常生活の一部なのだろう。

 村の人たちは、彼がドラゴン退治のことで自慢話をしたり、手柄顔をしたりしないのは謙虚だからだと思っているが、里菜は、そうは思わない。

 そもそも、彼は、村の人々からは非常に謙虚な人間だと思われているが、里菜が見たところ、本当は、別に、そういうわけでもないのだ。彼は、自分の力や働きを過大評価もしないかわりに、過小評価もしていない。

 確かに彼は、あまり自慢話をしないが、それはたぶん、別に謙虚だからではなく、ただ、それらが自分にとって空しいこと、どうでもいいことだったり、あたりまえの義務だったりで、自慢するようなことだとは本当に思っていないから自慢しないだけではないだろうか。

 その証拠に、彼は、愛犬ミュシカのことは手放しで自慢する。

 彼は、単に、自分の価値観の通りにものごとを見ているだけで、ただ、その価値観が、どうやら、他の人たちとちょっと違うのである。彼の価値観によれば、自分がミュシカを近隣一有能な牧羊犬に育て上げたという成果は誇るに値するが、ドラゴン退治は、誇るようなことではないということらしい。

 それどころか、どうも、彼は、ドラゴンやドラゴン退治については、あまり話したくないらしい。何か、その話題に触れられたくない訳でもあるようだ。

 それを里菜は、自分なりに、村人たちの期待が重いのだろうかと想像している。

 アルファードが、<女神のおさな子>として、ドラゴンから村を守る役割を期待され続けてきたことも、里菜はすでに知っていたのだ。

「<女神のおさな子>、かあ」と、里菜はつぶやいて、その時ちょうど川のほうから戻ってきたアルファードを眺めやった。

 粗末な服を着て、ただ普通に歩いてくるだけで、その雄々しい姿は圧倒的な存在感を漂わせて、里菜の目には本当に神話の中の英雄のように見えた。

(大人なのに<おさな子>っていうのは、ちょっと変だけど、アルファードなら、なんだか神々しくて、ほんとうに女神の申し子なのかもって、思っちゃうけどな)

 里菜は、近づいてくるアルファードに、うっとりと見とれた。

 その時、頭上で、何か風を切るような音が聞こえ、ふいに陽がかげった。

 ミュシカが、ガバっと起き上がった。

 アルファードが一瞬凍りついたように足を止めて空を仰ぎ、次の瞬間、猛然と地を蹴ってこちらに走り出した。

(何?)

 上を見上げた里菜は、息を呑んだ。

 太陽を横切って、巨大な黒い影が頭上を飛び過ぎて行った。

 長い尾と大きな翼が目に焼き付いた。

(……ドラゴン!)

 一瞬遅れて、周囲で風が騒いだ。

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