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第五章<水底の夢>第四場(2)

 女神のほこらの前についた一行は、前夜、ユーリオンとティーティと<世話役>の三人でユーリオンのノートを参考に話しあっておいた式次第にしたがい、ほぼ例年通りの儀式を執り行った。

 ただ、今年は、いくつかの、例年と違う試みがあった。

 そのひとつは、ティーティが女神に意味のよくわからない長い祈りを捧げた後、ユーリオンが、その祈りの内容を現代の言葉に直して村人全員に語ってきかせたことだった。

 女神が年老いた魔法使いアルファードの手を引いて別の世界に逃れていったというその伝説を、若者たちの多くが、この時、初めて知って、がやがやとこんなことを言いあった。

「なるほどなあ。いつもばあさんが、何やらムニャムニャと訳の分からんことを言っていたのは、こういう意味だったのか……。それならそうと、最初から、ちゃんと分かるように話せばいいのに」

 もうひとつ、例年と違うことは、ティーティが、いつもは祠に供える花冠を里菜の頭に乗せたことだった。里菜はそんな予定を知らされていなかったから、ちょっとあわててしまった。

 ティーティは続いて里菜に麦の穂を渡しながら、こう言った。

「あたし、これから毎年、お祭りの時には、お姉ちゃんが元気で幸せでありますようにって思いながら、お祈りする。お姉ちゃんが耳をすましていてくれれば、きっと、あたしの声、聞こえるから。遠いところにいるお姉ちゃんの魂が生命の力に満ちれば、この世界にも実りがもたらされること、忘れないで」

 ティーティの言葉は、となりにいたアルファードとユーリオンくらいにしか聞こえなかったが、村人の多くは、ティーティが里菜に花冠を捧げたことの意味を理解して、黙って頭を垂れ、胸に手を当てた。頭を垂れた村人の中には、あのオード老人もいた。

 おごそかな儀式とは打って変わって、まきばでの宴会は、打ち解けた無礼講となった。

 会場は、少しばかり羊の糞の匂いがしたものの、短い草に覆われて広々としており、秋の名残りの小さな花も咲き、天気は上々だ。里菜たち主賓格のものにはテーブルと椅子が用意されているが、後のものは地面に敷物を広げて思い思いに座り、まるでピクニックのようななごやかさである。

 みんな、思う存分飲み食いし、語りあい、歌を歌い、楽器が演奏され、着飾った娘たちや若者たちは草の上でダンスをした。ローイはもちろん、わざわざ自分で用意しておいた舞台がわりの椅子に飛び乗って、イルベッザでの里菜とアルファードの活躍を面白おかしく語って聞かせ、大喝采を浴びていた。

 その間も、ユーリオンのファンのおかみさん連中は、子供たちを旦那に押し付けておいて、競って給仕を買って出ては、なんとか少しでもユーリオンの近くに寄り、あわよくば言葉を交わそうと浮足だっている。

 驚いたことに、ユーリオンは、彼女たちのうちの幾人かの名前や顔をちゃんと覚えていたらしい。彼は終始上品な笑顔を浮べながら、何人かの名前を呼んでやって、ちっとも変わっていないからすぐに分かったなどと言って舞い上がらせたり、当時のちょっとした思い出話を持ち出して、そんなことを覚えていてくれたとは、と、感激させたりしていた。村の男たちは、その様子を苦笑して眺め、互いの妻ののぼせあがりようをからかいあっている。この時にユーリオンから名前を呼んでもらったおかみさんは、そのことをきっと一生の思い出にするのだろう。

「ねえ、アルファード……。リオン様って、若い頃、もしかして、すっごい女ったらしだったとか?」

 里菜がひそひそ言うと、アルファードは、

「いや、別にそういうわけじゃなかったらしいが、とにかく、ただ、どの娘にも公平に礼儀正しく愛想よくしていたらしい。しかし、やはり偉くなる人というのは、人の顔や名前をよく覚えるし、人の心を掴む術に長けているものらしいな。実に如才ないものだ」と、大真面目に感心していた。

 そこへ、大講演を終えたローイが酒を片手にやって来た。

 今日はまた、祭りとあってひときわ念入りに盛大にめかし込んでおり、髪は色粉で七色に染め分け、全身を何やらキテレツな光り物で飾り立てて、あちこちぴかぴか光っているので眩しくてどこを見ていいかわからないという、いつにもましてとんでもない装いである。

「おい、アルファード、リーナちゃん、呑んでるかあ?」

「ねえ、ローイ、それはいいけど、あなた、まだ、ヴィーレにプロポーズしないの?」

 里菜が小声で囁く。彼は、里菜たちがまだ村にいる今日のうちにヴィーレにプロポーズすると、ふたりに宣言していたのだ。

「いや、するよ、今からするんだけどさあ……。その前に、少し、酒を入れとかねえとさあ……」

「だめよ、ローイ! そんな、酔っ払ってプロポーズなんて、ヴィーレに失礼よ!」

「そんなに酔っ払いはしねえよ。ただ、ちょっと景気づけがいるんだよ……」

「もう、ローイってば、しっかりして! こんな大事な時に、お酒なんか呑んじゃ、絶対ダメ!」

 里菜に酒の椀を取りあげられて、ローイは情けない顔をした。

「だってさあ……。なあ、リーナちゃん、俺、どうしよう……。なんて言えばいいと思う?」

「だから、このあいだあたしたちに話したようなことを、本人に言ってあげれば?」

「言えねえよ、俺……」

「そんなことないわよ、ローイ、頑張って!」

 アルファードが笑って口を挟んだ。

「ローイ。俺たちの前では平気であんな歯の浮くことを言っていたくせに、今、本人の前で言わなくてどうするんだ。いいか、ヴィーレは絶対、ずっと前からお前のプロポーズを待っているんだ。だから、きっぱりと、強気でプロポーズしてこい。ヴィーレはああいう娘だから、お前のほうから積極的に働きかけないと、いつまでたっても今のままだぞ。このチャンスを逃すと、下手をすれば、この先、一生、ただの幼馴染みのままだからな」

「分かってる、それは分かってるよ。だから、そうならないために、どうすれば……」

「押しの一手。この場合、それしかない。ヴィーレは堅実で慎み深い娘だが、夢見がちな一面を持っている。たぶん、心の奥ではずっと、現実の自分には似合わない夢と知りながらでも、劇的で奔放な激しい恋にあこがれていたんだと思う。でも、ほんの子供のころから、ずっと一家の主婦代わりを勤めなくてはならなかったら、誰だって堅実であり続けるしかないだろう? ずっとそうして、自分の中の夢見る心を抑えて堅実な主婦役をやってきて、それでその上、結婚まで、親の決めた許婚と何のドラマもなくすんなりまとまってしまうなんて、あんまりつまらない――ヴィーレは多分、心のどこかでそんなふうに思って、お前から離れてみたんだろう。相手がお前なのが気に入らなかったんじゃなくて、ただ、お前とすんなりまとまってしまう前に、生涯にたった一回くらいは、ちょっとした恋愛ドラマのヒロインを演じてみたかっただけなのさ。お前に、俺のもとから、ドラマティックに奪い返されたかったんだ。それを、お前ときたら、奪い返しに来るどころか、ふらふらと他の娘を追いかけてばかりいるから、ヴィーレは、お前のもとに帰りたくても帰れなくなってしまったんだぞ。

 だが、今なら、まだ、間にあう。今が最後の、ここ一番のチャンスなんだ。精一杯情熱的な甘い言葉でプロポーズして、ヴィーレの夢を叶えてやれ。いいか、くれぐれも強気で当たれよ。ヴィーレは、たぶん、お前が一歩近づくと、一歩下がる。だからといって、そこでお前が弱気になると、せっかくのチャンスを逃がしてしまうぞ。そうやって一歩づつ進んでは下がられたりしていたら、いつまでたっても距離が縮まらない。一歩下がられたら、二歩、近づけ。そして、それ以上、後ずさりできぬよう、そこで強引に捕まえてしまえ。大丈夫だ、ヴィーレはお前を好きなんだから」

 里菜とローイは、あっけにとられて、まじまじとアルファードを見た。

「……おい、アルファード。俺、あんたの口から、『押しの一手』だの、『強引に』なんて言葉を聞くとは思わなかったぜ。まあ、他人ごとなら、なんとでも言えるよな。しかし俺、あんたは女心なんてひとつも分からん朴念仁だと思ってたが、なかなか穿うがったことを言うもんだなあ」

「そうよね、アルファード、ヴィーレのこと、随分よく分かってるんじゃない。最近になって分かってきたわけ?」

「いや、前から分かってはいたさ。ただ、分かっていても、俺にはどうしてやることもできなかっただけだ。ヴィーレを恋物語のヒロインにしてあげるのは、俺じゃなくてローイの役目だからな。ローイ、俺は本当にヴィーレのことを大切に思っているんだから、お前が、ヴィーレが満足するような、目一杯ロマンティックなプロポーズをしてやらないと、俺が怒るぞ。それができるのは、お前だけなんだからな。さあ、行って来い」

「よ、よぉし、分かった! じゃあ、行くぞ!」

「そうよ、ローイ、その意気よ! 頑張って! ……あれ? ローイ、どこ行くの? ヴィーレはあっちよ、ほら、あっちの隅で、ファーラやレサと立ち話してるわよ」

 里菜があわててヴィーレを指差しているのに、ローイはかまわず、どういうわけか、また、さっきの会場中央の椅子に戻っていってしまった。

「……ローイ、おじけづいちゃったのかしら?」

 里菜とアルファードが驚いてローイの後ろ姿を見送っていると、ローイはまた、椅子に飛び乗って、大声を張り上げた。

「おーい、宴会名物、イルゼールの大スター、ローイ様の歌だぞお! 今日は特別心を込めて、ひさびさの新作を披露するから、みんな、心して聞けよ!」

 たちまちみんなの視線と耳がローイに集まり、ひとしきりの歓声や拍手の後、ざわめいていた会場は、しんと静まった。

 美しい旋律が、緑のまきばに、ゆったりと流れ出した。それは、いかにもローイらしい、牧歌的で感傷的な愛らしいラブソングだった。



空の下で 好きだよって言いたい

風の中で 見つめあっていたい


 遠いふるさとの

 風が歌う丘で


風に抱かれ くちづけを交わせば

木々もふたり 祝って揺れるよ


 緑の野に咲く

 君はスミレの花


草の海を 手を取って駆けよう

君と暮す 小さな家まで


毎朝君に おはようって言いたい

毎晩君に おやすみって言いたい


寒い夜は 暖めてあげたい

風の中で 寄り添う小鳥のように

   寄り添う小鳥のように




 『小鳥のように』の一節が二度、繰り返され、その二回目は、だんだんゆっくりになって、最後の一音が思い入れたっぷりに余韻を引いて消えたので、てっきりそこで歌が終わりかと思いかけたみなが、拍手をしようとして上げかけた手は、途中で止まった。歌はまだ、終わっていなかった。最後に、中間部の夢見るような旋律が、遠い谺のように、人が降りた後のブランコの微かな揺れ戻しのように、テンポを落として静かに回想されたのだ。



――遠いふるさとに

 帰る夢を見たよ――



 それは、幸せな夢から目覚めた後に、夢の名残りが消えて行くのを見つめながら茫然と呟かれた言葉のようだった。どうやら、これは、単純に、今、ここでのローイの気持ちを歌ったというのではなく、遠い都会でふるさとの恋人を想う若者という設定の、ストーリー性のある歌だったらしい。

 みな、しばらく、しん、となって、それから割れるような拍手が沸き起こった。里菜も拍手をしようと手を上げかけたが、できなかった。微かに震えるような声でひっそりと歌われた、この、最後の一節を聞いたとたん、思いがけず、いきなり涙が滲んできたのだ。

 そういえば、ここに来てから、里菜はこれまで、ほとんど、自分の故郷のことを――家や家族のことを思い出さなかった。別に家や親が嫌いで家出してきたというわけでもないのだから、考えてみれば、これまで家が恋しくならなかったといほうが変なのだ。たぶん、あまりに遠く離れ過ぎていから、しかも、二度と帰れないと思いこんでいたから、もといた世界のことを考える時でも家や家族のことは思い出さないようにと、いつのまにか自分で自分の心を規制していたのかもしれない。それが、帰れるとわかった今、里菜は突然、家を、家族を――自分の故郷を思い出して、涙ぐんでいる。

 里菜は前髪を払うふりでこっそり涙を拭いてから、アルファードと顔を見合わせた。

「アルファード、もしかして、この歌、ヴィーレに……」

「ああ……」

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