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第五章<水底の夢>第三場(1)

 ユーリオンの言うところの『何十年も語り継がれるような大宴会』は、十日を待たず、それから一週間後に催された。

 通常なら考えられない実現の早さだが、実は、<賢人>たちは、里菜たちが帰還する前からちゃっかり祝宴を予定して、ひそかに計画を進めていたのだ。もちろん具体的な手配には入っていなかったが、ゴーサインが出しだい、いつでも動き出せるように、詳細に手筈を整えてあったらしい。

 里菜たちが命がけで戦っていたというのにずいぶんと調子のいい話だが、待っている彼らにしても辛かったのだ。災厄の後始末に追われる暗く落ち着かない状況の中で、根本的な解決は自分たちの手ではどうにもならず、ただ里菜たちの首尾を待つしかないという、その辛さ、もどかしさ、いらだちを紛らわせるのには、仮想の祝宴の計画策定という現実逃避的な仕事がうってつけだった。里菜たちの勝利を祝う宴会の準備を進めることで、彼らは、実際には何も出来ずにいる自分たちが二人の戦いに陰ながら何か一役(彼らにとって宴会係というのは立派な大役なのである)買っているような気分になれたし、それに、『遠からず彼らが勝って帰ってきて自分たちは祝宴を開けるのだ』ということを前提にした仕事に、その『前提』に疑問を持たずに本気で取り組んでいれば、彼らの勝利が確実な予定であるようにも錯覚していられた。それがただの錯覚であっても、その錯覚のおかげで、彼らは、希望を捨てずに頑張ることができたのだ。

 もちろん、非常事態のさなかなのだから、しなければならない仕事は他にもたくさんあり、彼らとてそれをさぼっていたわけではないのだが、そういうせっぱつまった仕事で忙しければ忙しいほど、その合間を縫っての、『来たるべき明るい明日の楽しい祝宴の打ち合わせ』という前向きな現実逃避が、彼らには、精神の緩衝剤として、ぜひとも必要だったのである。

 特にタナティエル教団が窓の下に集ってしまった最後の数日は、賢人から事務補助員に至るまで、みな、気が気でなくて仕事がまともに手につかず、結局、どうしていいかわからなくなった彼らは額を集めてひたすら現実逃避に精を出していたから、おかげで祝宴の計画書は、非公式の草案ながらも、必要な食材の見積もりからその発注先の内々のリストアップまで、事細かに出来上がっていた。

 また、いつも能率の悪いイルベッザの役人たちが、いざ里菜たちが戻ってきて計画にゴーサインが出た時に見せた素早い対応とめざましい働きぶりは、普段の彼らからはとても想像もつかないもので、宴会の用意は、実にてきぱきと整えられたのだ。――要するに、ここの人々は、そろいもそろってお調子者なのであった。

 宴会に先だっては、華やかなパレードも行なわれた。

 ユーリオンに言われるままに、眩い光を発しながら薄暮の空を飛び、城のバルコニーに降り立って手を振るという見世物を演じて市民へのサービスに努めたふたりも、さすがに、このパレードだけは勘弁してもらいたかった。何しろ、アルファードは例の鎧に大剣、里菜はユーディードのマントで、正規軍の騎兵隊や軍楽隊を従えて市内を一周しながら、花やリボンで飾り立てた馬車の上から市民たちに手を振ってやってくれというのだから、いくらなんでも付き合いきれない。

 けれども、

「リオン様……。そんな恥ずかしいこと、ほんとにしなくちゃいけないんですか?」という里菜の言葉に、ユーリオンは断固として答えた。

「ああ、これは、どうしてもやってもらわなくちゃならないんだ。あの凱旋の時だって、市民全員が構内に入れたわけじゃないし、君たちも市内をぐるっと飛び回ったわけじゃないんだから、君たちの姿をよく見られなかったものもいるだろう? パレードをやらないと、そういう連中の不満が爆発する」

「でも……」

「いや、君たちが少しでも、私が火あぶりになるのを哀れに思ってくれるなら、どうしてもパレードをやってくれなくちゃいけないよ」 

「えっ、火あぶり?」

「そう。パレードをやらないと暴動が起こって、私は火あぶりにされるんだ。だからどうか、私を火あぶりから救うと思って……。君たちは、私が殺されても、同情してくれないのかね? 私のことを、ほんの少しでも、友達だと思ってくれてはいないのかね?」

 この、強引な泣き落としにあって、ついにふたりは、派手派手しくパレードをやらされたのである。

 そうして、宴会はさらに派手だった。何しろ、イルベッザ城構内は、<賢人の塔>の正面広場を始め、いたるところにテーブルとごちそうが並べられ、市内に居合わせた避難民や出稼ぎ者たちも含めたイルベッザの全市民――どころか、建前上は全国民に参加の権利があって、実際、近隣の町からも街道沿いにぞろぞろ人が流れ込んできた――が、この立食式のパーティーに招かれたのだ。

 といっても、もちろん市民全員がいっぺんに構内に入るのはもちろん無理だから、<賢人会議>は市内のあちこちに屋台を出して、構内に入りきれない市民に、お菓子や軽食や飲み物を無料で振る舞った。もう、街ひとつがまるごと巨大な宴会場と化したのである。

 いつも予算がないと言ってばかりの<賢人会議>がいったいどこからこんな費用を捻り出したのかと、里菜は、あきれつつも心配になってしまった。貴重な予算を、こんな、たった一日の飲み食いなどに浪費しないで、地震で壊れた建物を直すとか、市民に復興資金を低利で貸しつけるとか、もっと建設的で後に成果の残る、実際の役に立つことに使うべきではないかと思ったのだ。

 だが、それをアルファードに言うと、彼はこう答えた。

「リーナ。君は、『明日からのパンより今夜の酒』ということわざを知っているかい?」

「なに、それ……。知らない」

「イルベッザ気質を現わすことわざだ。こういう有名な例え話もあるぞ。その日の食べ物にも事欠くような貧しい男が三人いた。ひとりは北部の農村の、ひとりはカザベルの、ひとりはイルベッザの住民だ。彼らがそれぞれ、切りつめれば一週間は食い繋げる程度の金を、偶然、手に入れた。北部の村の男は、その金で一番安い黒パンを買って、一週間食い繋いだ。カザベルの男は何も食べずに我慢して、その金で安いりんごを一山仕入れて、道端で言葉巧みに高く売りつけ、その売り上げを元手に商売をはじめて、やがて大金持ちになった。そしてイルベッザの男は、最初の晩に豪勢に飲み食いしてその金を使いきり、あとの六日間は、それまでと同じように腹を空かせていた……」

「なんか、イルベッザの人って、とんでもない言われようね……」

「ああ、だけど、そういう気質なんだから、しかたない。だいたい、この話は、当のイルベッザで自嘲的に語られているものだ」

「でも、この宴会を税金の無駄使いだとか思う人、いないの?」

「それは、たまにはいるかもしれないが、思っても、それを口に出すと、まわりの人間から、そんなヤボを言ってと白い目で見られるから、まず、口には出さないだろうな。そして、どっちみち金が使われてしまったからには、楽しまなければ余計にその金が無駄になると、宴会の時には自分が率先して力一杯楽しむだろう」

(はあ……。イルベッザ市民って、いったい……)と、里菜はあきれ返ったが、<賢人>たちからして、そろってこのイルベッザ気質丸出しなので、どうしようもない。

 また、<賢人>たちには<賢人>たちなりの考えもあって、同じ予算を使うなら、直接地道な復興策に使うより、人心を鼓舞することに金をかけて市民の復興への意欲を掻き立てたほうが最終的には投資効果が高くなるというのが、彼らの、一致した見解であるらしい。一見、無駄に見える金を使っても、それで市民の労働意欲が増せば、その分、経済に活気が出て、税金も、やがては使った分以上に入ってきて、元が取れるという計算だ。また、こういう大規模な公的行事をやれば、大量の食材や物資の民間への発注がカンフル剤となって停滞していた流通経路にも活が入るだろうし、一時的に大量の人手を雇ったりもするので、そうしたことが民間に与える経済効果は計り知れないほど高いはずだという。実際にそう上手くいくものかどうかは別として、これが彼らの流儀であるなら、里菜がとやかく言ってもしかたがない。郷に入っては郷に従えというし、やっぱりここは、税金を無駄にしないためには自分も全力で宴会を楽しむべきだろう。

 そういうわけで、里菜もせいぜい、ごちそうや余興を楽しんだのだった。



 そして今、遅くまで賑った大宴会の夜が明けて、イルベッザの街全体が宴会の後のごみや食べかすとうらさびしい気配に埋もれ、市民たちがけだるい二日酔いの眠りをむさぼる中、里菜とアルファードの一行は、イルゼールに向けて旅立とうとしている。

 それは、ひっそりとした旅立ちだった。

 ふたりが村に帰るということは宴会の席で市民たちに発表されていたが、それが今朝だということは、公表されていないのだ。

 彼らが別の世界へ戻っていってしまうということは、市民たちには伏せられているが、今、ここにいるものは、みんなすでに知っている。

 旅の一行は、里菜とアルファードとローイにキャテルニーカ、そしてもうひとり、ユーリオンが一緒だ。

 見送りは、<賢人>たちと、ごく少数の高位の役人たち、後はリューリやティーオなどのごく親しい友人が数人だけである。

 一行のうち、キャテルニーカとユーリオンは、里菜たちを見送った後、再びここに帰ってくる予定だ。

 ユーリオンがイルゼールに行くのは、<長老>として里菜たちを見送るためだけではない。数週間前、村が、神話学者としての彼に、手紙で助けを求めてきたのである。

 村では、先代の司祭の急死に伴い、村祭りの儀式の作法が分からなくなって困っていたのだ。何しろ新しい司祭はまだ幼くて充分な引き継ぎを受けていないし、村人は、司祭もいつかは死ぬのが当然で、しかも彼女がすでに高齢だということくらい分かってはいたのだが、その日がこんなに突然やってくるなどとは夢想だにしていなかったから、誰も彼女から祭祀の進め方を真面目に聞きとっておこうなどとは思わなかったのだ。そもそも、司祭以外の村人は、普段はもうそんな古い儀式のことなど気にも止めておらず、祭りの時の女神の祠の前での儀式を、ただ、形式的な宴会の開会宣言くらいにしか受け止めていなかったのである。

 それでも、実際にまた、祭りの季節が近付いて、そういえば祭祀のしきたりを誰も詳しく知らないとなったら、やはり、それはまずいということになった。それでみんなが困っている時に、昔、ユーリオンを家に泊めた当時の世話役が、「たしか、あの時の学者先生が、ばあさんから儀式の次第を聞いて書きとっていったはずだ」と言い出した。

 ユーリオンも、<長老>として多忙な身であるため、本当ならそのようなことのために遠いイルゼールくんだりまで出向くわけにもいかず、手紙くらいで話を済ませるつもりでいたのだが、ちょうどいいことに里菜とアルファードの見送りという口実ができたので、実はずっと前からもう一度行きたいと願っていたあの村に、自ら出向くことにしたのである。

 村人は今でも、彼が長老になっていることを知らず、ただ、『あの時の若い学者先生』に手紙を出したつもりでいるから、その彼が<長老>として現われたら、さぞや驚くことだろう。

 キャテルニーカが一緒にいるのは、里菜とアルファードを見送った後、帰り道にヴェズワルに立ち寄るためだ。彼女の、癒しの旅の、最初の地である。

 アムリードを始めとするヴェズワル派の信徒たちは、タナティエル教団が<賢人の塔>の前に集結したあのときにも、姿を見せなかった。キャテルニーカは、今、自分を一番必要としているのは彼らだと――心をかたくなにした彼らにこそ、一刻も早い癒しが必要なのだと考えている。

 その後、彼女は、いったんイルベッザに戻った後に、ふたたび、今度は、自ら彼女の護衛と身辺の世話を申し出たタナティエル教団のものたちをお共に、全国行脚の旅に出るつもりだという。全国で、<刻印>を持つ人を癒し終って帰ってくるには、きっと一年はかかるだろう。その間、初級学校は休学だ。 そして、キャテルニーカのその長い旅が終わる日を、イルベッザで待つ人がいる。

 数少ない見送りの人の中にいる、少年学者ティーオである。

 里菜は、小さなキャテルニーカとティーオが手を取りあって別れを惜しむ愛らしい光景を眺めながら、思わず溜息をついた。

「はあ……。まだ、信じらんない。ニーカが婚約だなんて……」

 横でローイが笑う。

「女の子ってのは、男の子より早く育つんだよ。村でだって、つい昨日まで俺たち男の子と一緒に木登りなんかしていた女の子が、ある日突然いつもの集合場所にこなくなったと思っていたら、次に会った時は、いきなり、きれいな花嫁さんだったりしたもんさ」

「だって、だって……。ニーカは、まだ十二よ。結婚なんて、いくらなんでも、早すぎるわ!」

「そりゃあ、まだ、ちと、早いけどさ。何も、すぐ結婚するわけじゃないだろ。あの子が旅から帰ってきて、初級学校を、たぶん一年か二年遅れで卒業してからだって話じゃねえか。三年たてば、あの子も、もう、十五。ティーオの坊やは、十八か? それなら、ちょっと早目じゃあるが、別にそうおかしくはねえさ」

「そりゃあ、この国ではそうなのかもしれないけど……。でも、ニーカだけは……。だって、あの子、年のわりに幼いし……。まだまだ子供よ!」

「親はたいてい、自分の子のことをそう思ってるんだよな。同じ年でも、自分の子だけはいつまでも子供だってな。あんたのそれも、そういうのと一緒だぜ。いいかげん、あきらめな」

「あきらめろって、別にあたし、反対してるわけじゃ……。でも……」

 里菜はまた、溜息をついた。

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