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第四章<荒野の幻影>第七場(3)

 アルファードは、大鎌の最初の一撃をかいくぐって魔王の懐に飛び込んでいった。

 アルファードの刃を、魔王は、僅かに身をずらしただけでやり過した。

 アルファードは間髪を容れずに再び魔王に打ちかかり、そのアルファードの足元を、魔王の大鎌が狙う。

 アルファードと魔王の、宿命の戦いが始まった。それは、竜の血を浴びた<魔法使い>と、絶望ゆえに変わり果て、昏い悪夢の中をさまよう堕ちた神との戦いであり、普通の人間同士の戦いとは全く違う不思議なものだった。

 アルファードは力強く剣を操り続け、魔王は舞うように優雅な動きで軽々と大鎌を振り回しながら、その合間を縫って、それぞれ、空いた左手で炎や稲妻を互いに投げつける。魔法の攻撃は両者の真ん中の空中でぶつかりあって、眩い光を発して砕け散る。

 魔王が手加減をしているのか、魔法の力は互角だったが、特に大振りではないアルファードの剣と、長い柄を持つ魔王の大鎌とでは、全く届く距離が違う。その点だけでもアルファードは圧倒的に不利だったが、ひるむことなく魔王に挑み続けた。が、何とか大鎌をかい潜って魔王に接近しようとするアルファードを、魔王は決して剣の届く範囲に近寄せず、彼を挑発するように余裕の笑みさえ浮かべて、ひらりひらりと身をかわし続ける。魔王が軽々と宙を舞うたびに、漆黒のマントがふわりと翻り、鎌の一振りごとに、冷たい光が、星くずのようにあたりに舞い散る。

 けれども魔王の大鎌も竜の血を浴びたアルファードに傷を負わせることはなく、この戦いは、普通の人間同士の戦いのように、血にまみれた生々しいものにはならなかった。

 両者はもはや、半ば宙に浮かんで戦っていた。塔の頂上の部屋であるはずのこの空間には、今や、壁も天井もないように感じられて、戦いはあたかも天上の雲の上で繰り広げられているかのようだった。目にも止まらぬ早さで空中を飛び交う両者の姿は、炎や稲妻、それに魔法同士の衝突の爆発に断続的に照らし出されて、影絵芝居のように見えた。それは、戦いというよりは、むしろ、様式的な神話劇の一幕か、あるいは美しい剣舞でも見ているような、幻想的な光景だった。

 その、流血なき戦いを、生命の女王の祭壇の前に人形のようにたたずむ純白の花嫁が、うつろな瞳で見守っている。花嫁の瞳は、剣のひらめきや飛び交う魔法の光を映してはいるが、その情景の意味をほとんど認識していないのだ。

 戦いながら、アルファードは、胸の中で里菜に呼び掛け続けていた。

(リーナ、目を覚ましてくれ。こんな呪縛は破ってしまえ。俺と一緒に、ここを出よう! 一緒に帰ろう!)

 里菜のうつろな心の中に、自分でも意味のわからない言葉が浮かんだ。

(アルファード、アルファード、ごめんなさい。あなたは生きて。生き延びて、ここを出て。でも、あたしは、もういいの。ここはとても綺麗で、いい気持ち。このまま眠ってしまいたい……)

(駄目だ、リーナ! これは君の戦いだ。魔王を倒せるのは、君だけなんだ!)

(アルファード、さようなら。ごめんなさい……)

 里菜のうつろな瞳から涙がこぼれ落ちて、純白のドレスの胸元を濡らした。

(駄目だ、リーナ、俺は嫌だ! 君を失いたくない! もしも君が本当に死にたいのだって、死なせてなんかやるものか!)

 胸の内で叫びながら魔王に飛び掛かっていったアルファードの剣が、この時ついに、魔王の大鎌の柄を捕らえた。柄は半ばから折れて、下半分だけを魔王の手に残し、上半分は銀の刃をきらめかせて弾け飛んだ。

 アルファードはここぞと魔王に突っ込んでいったが、魔王はひらりと身を翻して攻撃をかわし、次の瞬間には、床に落ちた鎌を拾い上げていた。

 折れて短くなった柄を握って魔王が鎌を一振りすると、大鎌は、光したたる巨大な白銀の偃月刀 《えんげつとう》に姿を変えていた。

 長大で威圧的な、その偃月刀の迫力に比べると、アルファードの剣は、いかにも小振りで、貧弱にさえ見えた。相対して睨み合う二人の様子も明らかに違う。汗を浮かべ、荒い呼吸に肩を大きく上下させ、切迫した形相で剣を構えるアルファードに対して、魔王は息ひとつ乱さず涼やかな視線を投げて、端然と佇んでいる。

 目の前で何が起こっているのかも知らず、ただうっとりときらびやかな戦いの光景を見守っていた里菜の中に、かすかな不安が芽ばえた。

 だが、何が不安なのか、今の里菜には、まだ分からなかった。

 魔王は、巨大な偃月刀を重さのないもののようにすらりと振りかぶり、アルファードに襲い掛った。

 剣と剣が、冷たい音を立てて切り結び、氷のような火花を散らして、また、離れる。

 幾度目かに切り結んだ時、魔王とアルファードは、剣を押しあいながら間近に睨みあった。

 魔王は、ふいに邪悪に目を細め、ふっと笑って囁いた。

「そなた、この顔に覚えはないか? そなたの母親を誘惑したのは、この私だ。そなたが私の最も愛するものを奪った仕返しに、私もそなたの最愛のものを奪ってやったのだ」

「嘘だ!」

 間髪を容れず、アルファードは否定した。あの男の顔なら、覚えている。確かに端正な男ではあったが、このような人間離れした凄絶な美貌の持ち主と見間違えようはない。

「そう、嘘だ。嘘だよ……。さすがに、ドラゴンを斃した今では、もう騙されぬか」

 平然と言い放って、魔王は笑った。

「俺を、なぶっているのか」

 アルファードは、額に汗を浮かべて魔王の偃月刀をぎりぎりと押し返しながら、低く唸るように言った。

「そうだ」

 魔王はあっさりと答えて、秀麗な面に相変わらずうっすらと笑いを浮かべながら、剣を押してくる。

「俺を、愚弄するのか」

「そうだ。そうだよ!」

「なぜだ。なぜ、そうまで俺を憎む!?」

「花嫁を略奪しに神聖なる婚礼の席に乱入してきた男を、憎まない花婿はいまい?」

「だが、きさまは最初から俺を憎んでいる。俺が何をしたというんだ」

「さっき、言ったであろう。そなたは私の愛するものを奪った」

「そんなこと、俺は知らない」

「羊飼いのそなたは知らなかっただろうが、魔法使いのそなたは知っておるはずだ。思い出したはずだ。古い古い、我等の物語を……」

「……だが、あれは、俺じゃない!」

「いや、あれはそなただ。そこの娘がエレオドリーナであるのと同じようにな」

 そう言い捨てた魔王が、ふいに剣を引いて飛び退ったので、アルファードは勢い余ってよろめいた。

 その、一瞬の隙を、魔王は狙っていたのだ。

 魔王の左手がアルファードの上腕を捕らえ、超人的な力でその腕を引いた。アルファードはもんどり打って床に倒れ込んだ。

 起き上がろうとするアルファードに、魔王は悠然と歩み寄り、転倒のはずみでアルファードの手を離れた剣を、足で遠くに蹴り飛ばした。

 祭壇を背に、その光景を見ていた里菜の目が、わずかに見開かれた。うつろな瞳に、かすかな輝きが宿った。

「……アルファード?」

 純白の花嫁の、つぼみのような唇から、小さな声が漏れた。

 愛するものの危機を目前にして、里菜の意識が目覚め、記憶が蘇り始めた。

 けれどもこの時は、魔王もアルファードも、里菜を見てはいなかった。

 魔王は祭壇に背を向けていたし、アルファードは魔王を見ていた。

 アルファードに歩み寄った魔王は、床に膝をついて立ち上がろうとしていたアルファードの左腕を掴んで、ぐいと引き寄せた。

 ずっと冷笑的で、ほとんど無感情に見えていた魔王が、この一瞬、我を忘れるほど膨れあがった邪悪な悦びに打ち震えていた。

「アルファード。薄汚い犬ころ、思い上がった愚かな虫けらよ……」

 魔王は、息がかかるほど間近にアルファードに顔を寄せて囁きかけながら、悪意の滴る愉悦の薄笑いを浮かべ、アルファードの左手首の、その、ドラゴンの血を浴びていない一点に、偃月刀の刃を軽くあてがった。

(う、うそ……。アルファードが死んじゃう……)

 呆然と考えた里菜は、いつのまにか、ゆっくりと口元に手をもっていった。少しずつ、身体が動くようになり始めている。

(こんなこと、おかしい。アルファードが死ぬなんて、そんなはず、ないわ。アルファードは、生きてなきゃいけない。生きて、あたしの隣にいなくちゃいけない。これは嘘よ。悪い夢よ。こんなこと、こんなこと、あたし、信じない……)

 里菜の中から、ゆっくりと魔王の呪縛が消えていった。

 信じないこと。それが、里菜のこの世界での特別な力――魔法を消す力の源だったのだ。

 今、里菜は、魔王の力を、魔王の存在を、否定しようとしていた。

 一方、アルファードは、冷たいやいばを手首に感じながら、最後に祈っていた。

(リーナ、エレオドリーナ、すべての生命の女王……。愛していた!)

「……死ね!」

 一言冷たく吐き捨てて、魔王が、楽器の弓を引くように、すっと刃を動かしかけた時。

「だめーッ!」

 背後で、引き裂くような叫びがあがった。

 甘い死の夢から覚め、足元に落ちていた黄金の短剣を拾い上げた里菜が、白いヴェールをなびかせて走ってくる。

「だめ! やめてーっ!」

 里菜は短剣を構え、魔王にぶつかっていった。




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