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第一章<エレオドラの虹> 第四場(2)

 里菜が、そんな呑気なことを考えている時、隣室のアルファードとヴィーレは、深刻な顔で、小声で話し合っていた。

「……そういうわけで、リーナが、あの特殊な力を、必要に応じて自分で抑制できるようにならないと、非常にまずいと思う」

「そうね。さっきのあたしみたいに、彼女が見ているだけで、みんな魔法が使えなくなるのなら、彼女、この世界では、普通に暮してはいかれないわ。まわり中の人が、とっても不便な思いをすることになるもの」

(……不便なくらいなら、まだいい。たとえば、もし彼女が、目の前で見た以外の魔法まで消そうと思えば消せるとしたら。そして自分の力の影響力をよく理解しないまま、誰かに悪い目的で利用されたりしたら。そうしたら彼女は、この世界を根本から揺るがすような危険な存在になりかねない。そもそも、魔法を消す力などというのは、人間の領域に属する力ではない。神々の領域に属するべき力だ)

 その懸念を、アルファードは、口には出さなかった。生まれた時から魔法を当たり前のものとして受け入れてきたヴィーレに、聞かせるべきことではないように思えた。聞かせても理解できないだろうと、わかっていた。

 自分がこういうことを考えることができるのは、魔法が使えないからだ。あたりまえとして魔法が使えるものには、これらは、理解不能な観念だろう。普段は忘れているが、自分はやはり皆とは違うのだと、アルファードはあらためて思い知った。

 自分が本当に皆が言うように他の世界から来た人間なのか、それとも、ただ記憶を失っているだけで本当はこの世界の人間なのか、それはわからない。だが、いずれにしても、

自分には、魔法が使えない。その結果、他の人は空気のようなあたりまえのものとしてほとんど意識もせずに受け入れている魔法の存在を、自分は常に意識してきたし、魔法について、たぶん他の人は考えないだろうようなことを、いろいろと考えてきた。

 この世界に生まれ育って魔法の存在を当たり前だと思っている人間には多分絶対に理解できないことが、自分には理解できる──。それは、優越感ではなく、苦い感情だった。

 自分以外に、この概念を理解してくれるのは、たぶん、里菜だ。

 アルファードが里菜に魔法について何も話していなかったのは、ひとつには、彼にしてみれば魔法の存在自体は話すまでもない当然のことだったからだし、また、自分が魔法を使えないことや<マレビト>に期待される特別な力については、知らない世界に来たばかりでショックを受けているはずの里菜に対する配慮として、里菜の魔法の能力が未知数である今の段階で不用意に触れるべきではないという判断もあったからだ。

 もちろん、里菜が魔法を使えるのかどうかは、彼にとって、『少なくとも自分の名前は覚えているらしい彼女がもとの世界の記憶をどこまで持っているのか』という彼自身の素姓に関わるかもしれない問題と並んで大きな関心事だったのだが、

(今はまだそういう話題を持ち出すべき時ではない、なに、俺の素姓など今まで十数年間も知れなかったのだ、あと数時間くらい知れないままでもどうということはない。まずは彼女を落ちつかせ、安心させることが先決だ)と、はやる心を抑えて、ずっと質問を我慢していたのだ。

 それが彼女をあんなに驚かせる結果になろうとは思ってもみなかったし、彼女が魔法の存在自体にあれほど驚いたということは、彼にとっても驚きだった。

(では、この世の外のどこかに、魔法というものが存在しない別の世界があるのだ。だとすると、俺もそこから来た人間なのだろうか。もしかすると彼女は、俺がずっと密かに追い求め続けてきた俺の出自を明かしてくれる存在となるのかもしれない。女神はついに俺のもとに、俺の存在の謎を解き明かして俺を本当の俺自身にしてくれる使者を遣わしてくれたのかもしれない……)

 そんな思いをひそかに巡らせながら、アルファードは、注意深く付け加えた。

「いずれにせよ、あの子の扱いには十分な注意が必要だろうな。とにかく、あの子は当面俺が預かることにする。魔法を消してしまうんじゃ、それしかないだろう?」

「そうよね、それしかないわよね……」と言いながら、ヴィーレはそっと目をそらした。





 入浴を済ませ、身支度を整えた里菜は、約束通り、ふたりから魔法のことをいろいろと話してもらった。

 魔法には<本物の魔法>と<普通の魔法>の二種類があり、<本物の魔法>の力の持ち主だけが<本物の魔法使い>、または単に<魔法使い>と言われること。神話によると、この世で最初の<魔法使い>は、女神の恋人”アルファード”だったということ。

 女神の寵を受け山頂の神殿に迎えられた彼は、女神から、特別に魔法の力を授けられ、<本物の魔法使い>となったという。そして、心優しい若者であった彼は、自分が得たそのすばらしい力を下界の同胞たちにも分け与えたいと願い、女神は彼の仲間を思う熱意にほだされて、ついにはそれを許した。

 が、女神が人類に許したのはアルファードに授けたような<本物の魔法>の力そのものではなかった。<本物の魔法>は本来神々の領域に属する超自然の力であり、いくら女神が幼い人類を我が子のようにかわいがっていようと、そのような力を不用意に人類に分け与えることは、幼児に火を与えるほどに危険なことだったのだ。

 女神は、人類のために、<本物の魔法>のなかから小規模で危険が少なく生活に役立つようなものをいくつか選び定めて、それと同じような現象を起こすための、ごく限られた力を人類に授けた。

 それが、魔法の起源に関する神話である。

 そして、今、この世界で現実に<本物の魔法>を使えるのは、よその世界からやってくる<マレビト>だけなのだという。

 <マレビト>がなぜそのような力を持つのか、誰も知らない。

 そもそもそれが神話に言う<本物の魔法>と同じ力であるのか、本当のところはわからない。

 が、彼らが特別の力を行使するのは確かで、その力は神話や伝説の中の<本物の魔法>そのものにしか見えないから、自然、彼らの力は<本物の魔法>と呼ばれ、彼らは<魔法使い>と呼ばれることになる。そして、この村では、「<本物の魔法>は本来神々に属する力であり、女神だけが誰かに与えることができるものだから、その力を持つものはすなわち女神に嘉されしもの、聖なるものであるはずだ」という考えから、<マレビト>は、村に恵みをもたらす女神の申し子として尊ばれ、歓待されてきた。そして、これまでの<マレビト>たちは、その期待に違わず、その特別な力で、この村や、時にはこの世界全体に、様々な幸運をもたらしてきたという。

 ところが、その出現から言って間違いなく<マレビト>であるはずのアルファードは、なぜか、<本物の魔法>どころか、逆に一切の魔法が使えないのだという──。

 そこまで聞いてはじめて、さっきアルファードが『自分は魔法が使えない』と言ったときにはそれがどんなに例外的なことかを知らなかった里菜も、魔法について語る時のアルファードの口調に混じる微妙な抵抗感の意味を察した。そしてアルファードの薄い唇の端にこびりついている微かな苛立ちと焦燥の意味が分かったような気がした。

 どうやらここでは別の世界からやって来た人間というものが意外と普通に受け入れられているものらしいと、里菜はちょっと安堵していたのだが、どうも、<マレビト>であるというのは、別の意味で、やはりなかなかに大変なことらしい。

 そして、よく考えてみれば、一応<マレビト>に相応しくある種の『特別』な力は持っているらしい里菜も、生活の役にたつ<普通の魔法>が使えないことではアルファードと同じだ。その上、自分の持っているらしい『特別』な力は、この国で暮していくのには、むしろ邪魔になるものらしい。この世界で、魔法が普通に生活に浸透していることを知れば知るほど、そのことがわかってくる。

 自分が、そこにいるだけですべての魔法を無効にしてしまうとすれば、それは、『あちら』の世界の感覚でいえば、里菜の行く先々で電気が止まってしまうとかコンピュータがダウンしてしまうとかいうのと同じなのではないだろうか。そんな人間がそこらを歩き回ったら、そこの人々の生活は、大混乱するはずだ。

 考えてみれば、とんでもないハタ迷惑である。

 どうやら自分は、このままでは、村の人々の生活の中に入っては行けないらしい。ここで生きていくためには、自分のこの変な力を、なんとか抑える必要があるらしい……。

 と、思っていると、アルファードも、そのことに言及して、こう続けた。

「……だから、君はなんとかして、その力を必要に応じて抑えられるように練習しなければならない。俺とヴィーレが手伝おう。きっと、できるようになるだろう。それまでは、とりあえず、ここに居ればいい。いや、もし君がそれでいいと思えばの話なんだが……。俺はもともと魔法が使えないんだから、そういう面では、君がいても生活に影響がないだろう? ほかの、たとえばヴィーレの家では、そうはいかないんだ。わかるね?」

 なぜか言い訳けがましく口にされたその言葉に、里菜はちょっと驚いてアルファードを見た。

 彼がここに居ろと言ったことに驚いたのではない。彼女は、最初から、当然ここにずっと置いて貰えるものと思い込んでいたので、アルファードのほうはそれを当然とは思っていなかったらしいことに驚いたのだ。

 里菜はアルファードの言葉に勢いよく頷いて、にっこりした。

 どうやら、この、はた迷惑な力のおかげで、自分はここに置いてもらえることになったらしい。だったら、この力もまんざら無駄ではないのだ。

(そうか、あたしは、この世界では、アルファードとしか暮せないんだわ。こういうの、『割れ鍋にとじ蓋』って言うのよね!)

 あまりロマンチックな表現とは言い難いが、里菜の貧しい語彙の中では、これ以上的確にこの状況を言い表せる言葉は他に思いつかなかったのだ。

 まあ、それはそれとして、それなら自分はこのまま力を制御出来ないままでもかまわないと、里菜は思った。

 村の他の人と混じって普通に暮らせなくても、アルファードのそばに置いてもらえさえすれば、里菜はそれでよかったのだ。

 この世界で最初に出会って、やさしくしてくれたアルファードを、里菜は、もう、いつのまにか、幼児が親を頼るように信じ切り、頼り切っていた。

(アルファードがそばにいてくれるんなら、あたし、なんにも怖くない。アルファードさえいてくれれば、この世界で、あたしに悪いことなんて起こるはずない)

 何の根拠もなく、里菜は、そんなふうに確信していた。

 突然『別の世界』に来てしまって、帰る方法もわからないというのに、里菜は、自分でも意外なほど平静に、ただ、ありのままに事態を受け入れることができた。

 驚きも混乱も焦りも、なぜかまったく感じなかったし、そんな自分を不思議だとも不自然だとも思わなかった。もとの世界に帰る方法が分からなくても、『帰りたい』とも『帰らなくてはならない』とも思わないのだから、何も慌てる必要はないではないか。

 里菜は、元来、あまり積極的な性格ではない。内向的で、変化を嫌い、慣れ親しんだ自分の小さな世界に固執するタイプである。

 そんな里菜が、見知らぬ別世界で、こんなに安心していられるのは、その世界も、そこに住む人々やその生活も、どうやら自分の世界とさほど違わず、なぜか言葉も通じるということのほかに、アルファードという、やさしく力強い、頼もしい保護者役を得たからなのだ。

(あたしたちは、世界でただふたりきりの<マレビト>で、しかも、『割れ鍋・とじ蓋』コンビなんだ! あたしがこの世界で最初にアルファードと出会ったのも、きっと、偶然じゃない。そんな偶然があるわけないわ。これって、やっぱり、運命の出会いよね!)

 すっかりそう思いこんだ里菜が、アルファードの真面目くさった講釈を聞きながら一人でにこにこしていると、ヴィーレが、突然、ぽんと手を打って、わざとらしいほど明るい声を上げた。

「あ、そうだ! ね、ファード、昨日あたしが持ってきたお菓子、まだあるでしょ? お茶にしましょうよ、ね! リーナ、お菓子、食べるわよね?」

 そして、返事も待たずに立ち上がり、勝手知ったる様子でてきぱきと茶器を並べ、戸棚から取り出してきた焼き菓子を、里菜の前に、山のように置いてくれたのだった。

 薬草のお茶と共に味わうヴィーレの焼き菓子は、ヴィーレの笑顔みたいに甘くやさしく家庭的な、手作りの味がした。おいしい、おいしいといくつも食べる里菜を、ヴィーレはにこにこと眺めて、こう言った。

「気にいってくれてうれしいわ。あたしね、自分の作ったものを誰かが喜んで食べてくれるところを見るのが、なにより好きなの。今度から、いままでの倍、持ってくるわね!」

 里菜がいくつも食べているあいだ、ひとつの菓子をゆっくりとかじっていたアルファードが、その言葉に、ぎょっとしたような顔をしたが、幸いなことに、それに気づいたのは里菜だけだった。

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