09
私とドライアドは、言われるがまま竜の姿になったグリードの背に乗った。
事前にグリードはドライアドが腐ってしまわないよう、彼女に体液を分け与えたらしい。
竜の二人乗りは、一人で乗った時よりも負担が少なくて済んだ。
今度はドライアドがしっかりと両手を鱗に絡みつかせ、私をかばってくれたからだ。
それでも風圧がすごいのは変わらないので、私ももっと自分の手に力をつけなければいけないと思った。
たどり着いたのは火口ではなく、その山のふもとにあるグリードを祀る神殿だ。
火口に飛び込む前に、私も一夜この神殿で過ごした。食事を抜いて禊をし、世俗と永遠の別れを告げるのだ。
それがまさか生きたまま戻ってくることになろうとは。
神殿には、まだ私たちが滞在した気配のようなものが色濃く残っていた。
なんだかとても長い時間が過ぎたような気がするが、ここを発ってまだ一日しかたっていないという事実に驚く。
「いくら俺の加護を与えたとはいえ、ドライアドを火口に連れていくことはできない。今日からはここに住むぞ」
グリードの言葉に、私は戸惑った。
私に使用人をつけるという事情のために、彼を長く暮らした火山から移らせるなんてとんでもないことのように思われたからだ。
「グリード様。お気持ちは大変うれしいですが、火口に暮らせないというのなら使用人はいりません。グリード様が己の住みやすい場所で心置きなくお過ごしになることが、わたくしには肝要のように思われます」
すると、グリードは目を丸くして言った。
「おい。そう言ってやるな。お前のために連れてきたドライアドだ。俺の加護を受けたからには、もう森に戻ることもできぬ」
私はとっさに、ドライアドの方を見る。
彼女は少し寂しそうに、それでも微笑んでいた。
なんてことを言ってしまったんだろうかと、私の胸には後悔が押し寄せてくる。
グリードを優先させようと思うばかりに、たった今優しくしてくれたばかりのドライアドにひどいことを言ってしまったのだから。
「ドライアド、ごめんなさい……」
「いいえ。お気になさらないでくださいエリアナ様。グリード様を思ってのお言葉でしょう。私は気にしておりません」
「でも……」
「ええいぐだぐだいうな。別に好きで火口に住んでいたわけではない。あそこならば何も腐らせぬし、静かに眠っていられるからいただけだ。人の姿ならば場所も取らぬし、ここでも問題はなかろう。だから気にするな!」
「はい……」
グリードに叱られて、私はうなだれた。
どうもちゃんと仕えようと思うあまり、やることなすことから回っているような気がして仕方ない。
こんなことならば行儀見習いとして城に勤めておけばよかったと、私は心底後悔した。王家には私が仕えるのに適当な姫がいなかったので、後悔しても仕方がないとはわかってはいるのだが。
「とにかく、今日は休め。ドライアド、エリアナを頼んだぞ。俺は少し出かけてくる」
「かしこまりました」
「……行ってらっしゃいませ」
神殿から出ていくグリードの背中を、私はいつまでも見送っていた。
出会ったばかりなのに、本性は生贄を必要とする恐ろしい竜だと分かっているのに、私はなぜか彼と離れるのが寂しかった。
どうしてこんな気持ちになるのだろうかと戸惑っていると、しばらくしてドライアドが小さな笑い声をこぼす。
「ふふ。まるで捨てられた子犬のようですね」
最初は何を言われているのか分からなかったが、次の瞬間自分のことを言われているのだと気づき恥ずかしくなった。
「子犬だなんて……」
「それか、生まれて初めて見たものを母と思い込む、雛のようですよ。おかわいらしい」
「からかうのはやめて……ええと」
「ドライアドですよ。姫」
「でも、それは種族の名前でしょう? あなたの名前は?」
話をそらしたくて、私は何気ない気持ちで彼女に名前を尋ねた。
しかし彼女は、先ほどと同じ困ったような笑みを浮かべるだけだった。
「名前がないと、あなたを呼ぶときに困ってしまうわ」
「なにぶん、株分けをしたばかりですので。お気になさらず、ドライアドとお呼びください」
よくはわからなかったが、とにかく彼女に名前がないのは確かということらしい。
「でも……」
それでは、例えば私のことを人間と呼び続けるようなものだ。
これから一緒にやっていくのだから、彼女には彼女のためだけの名前が必要だと思った。
「なら、あなたのことをジルと呼んでもいい?」
「それは……私の名前ですか?」
いつも微笑んでばかりの彼女が、目を丸くしている。気分を害したのだろうかと、私はあわてた。
「もちろん、気に入らなかったらいいのだけれど! その、私だけでも、そう呼ばせてくれたらなって!」
なんとか取り繕おうとするが、失態を挽回する言葉が見つからない。
本当に、自分はなんて口下手なのだろうかと嫌になる。黙っていることこそが美徳だと教えられてきたから、自分の考えを他者に伝えるのはどうしても苦手なのだ。
「嬉しいですエリアナ様。ぜひ私のことはジルと」
よかった。どうやら彼女は気分を害したわけではないようだ。
私は心の底からほっと安堵のため息をこぼした。
公爵令嬢としてではなくただのエリアナとして生きていくためには、どうもまだまだ覚えなければならないことが沢山あるように思われた。