07
慣れない一人での水浴びを終えて岸に戻ると、グリードは私の着替えを持った美しい女性を伴っていた。
「今日からこいつがお前の世話をする」
彼の言葉には、反論は許さないという断固とした響きがあった。
黄緑色の肌と髪をした女性は、人ではないことは明らかだった。
まっすぐの髪を肩口で切りそろえ、口元には慈愛に満ちた穏やかな笑みが浮かんでいる。
「え、でもあの、わたくしはしもべ……なのですよね?」
思わず問い返してしまったのは、使用人に使用人をつけるのはおかしいだろうと思ったからだ。
城には貴族の娘たちが行儀見習いとして勤めているが、そんな彼女たちにだってさすがに使用人はついていない。なぜなら彼女たち自身が王家に勤めるしもべであるのだから。
いったいどういうことだろうかとすっかり驚いていると、その緑色をした女性が前に進み出て、にこりとまぶしい笑みを浮かべた。
「はじめましてエリアナ様。私はドライアドの若木です。今日からあなた様にお仕えすることになりました。どうぞよろしくお願いいたします」
「ドライアド……」
それは、森に住む木々の精の名前だった。
知識としては知っていても、実際にこの目で見てなおかつ言葉を交わすのなんて当然初めてだ。
私の暮らしていた王都に、ドライアドはいなかった。それどころかどんな種類の精霊だって、見たこともない。
彼らは人間を嫌いとし、人里離れた自然豊かな場所で暮らすという。
改めてずいぶん遠くまで来たのだなと思いながら、私は目の前の美しい精霊を呆然と見つめていた。
「早く服を着ろ。病になどなられてはたまらん」
グリードはそのまま、ぷいと後ろを向いて離れていってしまった。
とりつくしまもない―――いや、私がことあるごとに驚いて呆然としてしまうのがいけないのだろう。人あらざる者に仕えるからには、どんな驚くようなことにも適応していかなければならない。
ドライアドは湖から上がろうとする私に手を貸すと、細い体からは信じられないような力で私の体を引っ張りあげた。
そして柔らかい大きな葉で私の体を拭うと、さらさらとした緑色のドレスを着せた。
着心地はいいが、縫い目のない不思議なドレスだ。宝石や刺繍などの飾りは一切なく、ウエストの締め付けもないので心もとないながらも楽に身動きができるのが嬉しかった。
よく見れば、目の前のドライアドも同じような服を着ている。
「珍しいですか?」
じっとドライアドのことを観察していた私に、彼女は言った。
彼女の目は白目のない透き通るような緑で、私は日の光を浴びた春の森のようだと思った。
「いえ、やり方を覚えようと思って」
「やり方? なんのでしょう?」
その回答は、ドライアドにとっては意外なものであったらしい。
首をかしげる彼女に、私はほんの少しの情けなさを持って答えを口にした。
「わたくしは、その、こうして誰かに仕えられることには慣れているのだけれど、その逆はさっぱりなのです。でもこれからはグリード様に仕えるのだから、こんな風に着替えを手伝ったりもできなければならないでしょう? あなたにも迷惑をかけると思うけれど、精一杯努力するからあきれないでちょうだいね」
一瞬呆気にとられたように、ドライアドはその目を丸くしていた。
けれどすぐさま破顔して、先ほどとは違う弾けるような笑みを見せたのだった。
「喜んで」
今まで友人と呼べる人もいなかった私は、彼女の自然な笑みを見てとても嬉しくなった。
思えば、私は周囲の使用人たちにも、そして立場を同じくする令嬢たちにも、いつも一線を引かれ遠巻きにされていたように思う。
他の貴族の令嬢たちは常に王太子の婚約者の座を狙うライバル同士だったし、父は私が使用人と親しくなることで世俗に染まるのを嫌った。
生まれた時から続いていた生活は時に、私をひどく孤独にすることがあった。
たとえば雷の夜や、世界から音が消えたような雪の日に。
口に出すことのできない寂しい思いを、私はずっと胸に抱えて今日まで生きてきたように思う。
ああ―――今ならば言える。私は。
たとえ政略のための結婚でも、そのための偽りの婚約者であったとしても。
私は王子に、愛されたかった。
妹に、婚約者は愛し合う相手ではないのにと建前では口にしながらも、本当は愛されたかったのだ。
できることならこんな風に、何のてらいもなく笑いあいたかった。唯一対等な相手として。
「どうなさいましたか? エリアナ様」
そう言って、ドライアドは私の目尻にたまった涙を拭った。
「いいえ。なんでもないのよ」
精一杯がんばったけれど、今はそう答えるのがやっとだった。




