05
『ついたぞ』
竜の声に目を開けると、そこは森の中だった。
木々に囲まれた、碧の湖。
生まれてから一度も王都を出たことのない私には、見るものすべてが珍しい。
『ほら、降りろ』
促されて、恐る恐る竜の背を降りる。
雑草に埋め尽くされた地面を見ると、確かに彼の言っていた通りその鱗が触れた部分の草は醜く腐り落ちていた。
そして彼が人間の姿になると、楕円形の草が枯れた広場だけが残った。
私は自分の体にこびりついていた粘液を見つめた。
これを洗い流してしまったら、私もこの草のように腐り落ちてしまうのだろうかと。
「あの、グリード様」
「なんだ?」
「その、ここで身ぎれいにしてしまったら、もうグリード様に触れることはできないのでしょうか?」
「は……?」
人になったグリードは唖然とした顔をしていた。
今までずっと余裕の笑みをたたえていたので、私は彼が初めて見せる表情にいっとき見とれてしまったのだった。
「なにを言い出すかと思えば……」
そう言って、グリードは感情を抑えるように口を押える。
「申し訳ございません。失礼を申しました」
彼の機嫌を損ねては大変だと、必死で謝った。
触れられなければ彼に仕えるのにも不自由があるのだろうと思ったのだが、どうやらグリードにとっては想定外の質問だったらしい。
「あの! 下僕としてグリード様のお世話をさせて頂くのには、触れられないと不都合があるのではと愚考しまして! 決してその尊き鱗に触れたいからとか、そういうわけではなく……」
怒りを収めてもらおうと、私は必死で言い訳をした。
本音を言えば宝石のように美しい鱗にはまた触りたいと思ったが、そんなことを言えば更にグリードの怒りを買うに違いない。
一人で焦って、言葉を重ねて。
全く優雅ではないし、正直公爵令嬢にふさわしい姿ではないだろう。
でもそんなのは今更だし、竜に仕えるからには自分に仕えてくれた侍女たちを見習えばいいのかもしれないと思い直す。
やっぱり、命じられるまで余計なことを口にすべきではなかったのだ。
私はその場に跪き、グリードの審判を待った。
彼の機嫌を損ねたのならこの場で殺されても文句は言えないし、もともと私の生殺与奪権はすべて彼の機嫌一つで、もはや私が決めていいことなんて何一つないのだ。
「い、いちいち跪くな」
どこか動揺したようなグリードの声に、私は戸惑いながら立ち上がった。
人間に仕えたこともないのに、竜に仕えるのはなかなかに大変そうだと実感しながら。
「別に不快ではない。その……そんなことを言ったのは、お前が初めてだから驚いただけだ」
心なしか、白いグリードの頬がうっすらと朱に染まっている。
暑いのだろうかとも思ったが、マグマのそばで平気で暮らしていた竜が光に当たったからといって暑さにやられるとも思えない。
「もうっ、いいから早く水浴びでもなんでもせよ! 俺の涎を洗い流そうが、既に各種耐性の効果は付与されている」
「か、かしこまりました!」
何やら竜は焦っている様子だった。
もしかしたら暑いのではなく、日に当たるのが苦手な種類なのかもしれない。
だとしたら、私の我儘のせいでこんな場所に連れてきてもらってと、心の底から申し訳なくなった。
慌ててボロボロのドレスを脱ぎ始めると、グリードがゲフンゲフンと大きく咳払いをした。
「お、お、お前! 俺の目の前で服を脱ぐとは破廉恥だぞ!」
怒鳴られて、私の行動が彼にとっては不快なことだったのだとショックを受ける。
というかそもそも、自分だって竜の時には服なんて身に着けていないじゃないかと、頭の片隅で考えたりした。
決して口に出したりはしなかったが。
「は……え……ええと……」
どうしたらいいのだろうかと戸惑っていると、グリードは人の体から背中に大きな翼だけをはやし、ばさりと宙に浮いた。
「俺は久々にこの辺りを見回ってくるから、お前は水浴びを済ませておけ」
「かしこまりました!」
命令を与えられ、私はようやく安堵した。
一人で水浴びするだけなら、なんとか自分にもできそうだと思ったからだ。
それにしても、竜に裸を見せることの何がいけなかったのだろう。
私は彼の下僕なので、むしろそういうお勤めもあるのではと覚悟していたのだが。
これからは注意深くグリードの様子をうかがって、彼の好きなものや嫌いなものを見分けていかなくてはならない。言われてからやるようでは二流なのだ。言われる前に主人の意図を察して用意しておくのが、優秀な侍女というもの。
私は成り行きで使えることになった主人のために、全力で尽くそうと決めたのだった。




