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その時、気が付いた。
私が姉だからと期待を背負って生きるのが辛かったように、ルーナも妹だからと期待されずに生きるのは辛かったのだと。
それでも彼女がしたことを許す気にはなれなかったが、彼女の言葉を聞いたことで私は不謹慎にもひどく落ち着くことができたのだった。
「なに笑ってるのよ!」
どうやら、私は今笑っているらしい。
そんなつもりはないのだが、表情が緩んでしまったのは確かに否定できなかった。
「ステファン様! この女を殺してください」
ルーナは、私の死を願った。
薄れていた緊張が戻ってくる。
「やめてルーナ。話し合えばわかる」
「分からないわよ! たとえ何を言われようと、私の中の怒りが癒えることはない。貴族たちの目の前で、あれほどの恥をかかされたのよ? どうして許せるというの。ねえ!?」
ルーナの怒りは、どうしようもないものだった。
私では、彼女の怒りを収める方法など思いつきそうにない。
彼女はたぶん誰よりもプライドが高いのだ。そして他の誰かを受け入れるということがない。
私は彼女に同情した。ルーナはそれを望まないだろうけれど。あれほどまでに激しい感情を持っていれば、生きているということはさぞつらいに違いないのだ。
「なにを突っ立っているのよ!」
成り行きを冷たい目で見つめていたプライドに、ルーナが縋りついた。いいや、それは彼女の可憐な風貌がそう見せただけで、見方を変えればつかみがかったようにも見えただろう。
「やめっ」
制止しようとしたが、間に合わなかった。
『愚かな人間が。気が変わった。その愚かさの対価を払え』
彼はそう言ったかと思うと、一瞬にして竜の姿に変じた。
ステファンの輪郭が強大な質量にすり替わる。
「ルーナ!」
私は妹の名前を呼んだ。
もっと早く彼女の気持ちに気付いていれば、きっとこんなことにはならなかったはずなのに。
「ぎゃーーー!」
彼女は悲鳴を上げ、プライドの牙の向こうに消えていった。土の上に血が零れ、乾ききった土を濡らす。
私は思わず目を逸らした。
耳を掠める、くちゃくちゃと何かを咀嚼する音。
体はがたがたと震え、反射的に逃げようとした体は足が萎えて身じろぎすらできなかった。
妹が、私の妹がいなくなってしまった。竜に喰われてしまった。
決して愛しい相手ではなかった。むしろ憎んでいたというほうが正しい。
それでも、彼女の不在と共に私のお腹には巨大な洞ができたような気がした。これでもう永遠に、彼女と和解することはできないのだ。
『さて』
プライドは血に濡れた口元を拭いもせず、その鋭い目で私の方を見た。
『安心しろ。お前もすぐ根の国へ送ってやる』
根の国とは、死者が暮らす国だ。
萎えていた足が折れ、私はついにその場に膝をついた。無数の小石によって足が傷ついたように感じたが、そんなことを気にしていられる状況ではない。
『なんだ。抵抗しないのか? あの女のように末期の悲鳴を聞かせてくれよ。もっと私を昂らせてくれ』
本来の姿を取り戻したプライドは、血に酔ったように嗤った。
竜の表情など分からないが、大きな口から鋭い牙がむき出しになる。
「あなたは、グリード様とは全然違うのですね」
気づけば、なぜかそんなことを口にしていた。
『なに?』
「同じ竜であっても、あの方はそのような野蛮なこと仰らない。下々をいつくしむ寛大さを持ってらっしゃる。契約一つ守れないあなたとは雲泥の差よ」
口が勝手に言葉を紡ぎだす。
グリードを思い出すと私の中に勇気が生まれた。けれどその勇気は、助かるためのものではなく目の前の敵にせめても一矢報いたいという野蛮な勇気だった。
『俺とあいつを比べるな!』
そしてプライドは、思った以上の激昂を見せた。
どうやら、彼は誰かと比べられることが耐えられないらしい。スレンヴェールの王族の多くがそうであるように、美しいがプライドが高く傲慢だ。まさしくその名の通りに。
すさまじい勢いで、プライドの鋭い爪が迫ってきた。
その切っ先に狙われて助かるはずがない。
最期に脳裏をよぎったのは、やはりグリードのことだった。もっと素直になっていれば、もっと一緒にいたいのだと言えていれば。
そんな今更どうしようもない後悔が、ちくりと胸に刺さった。
―――そして私は、確かに一度死んだ。